なぜWiDSなのか
小野陽子氏:なぜWiDS(Women in Data Science)なのかというところが、1つの答えになるのではないのかと私は考えています。「Women in…」は、実はいろいろなところにあります。さまざまな分野です。今はデータサイエンス分野で挙げただけですが、原子力、機械工学、当然そういった分野でもあります。データサイエンス分野だけではありません。
(スライドを指して)これを知っている方もいるのではないでしょうか。残念な現状ですが、かなり有名になってしまいました。「WOMEN IN MATH」といって、登壇者が全員男性です。これをTwitterでつぶやいたところ、これだけコメントが来て、これだけ“いいね”がついてしまった。「え?」というわけで、「これって何?」という話になるわけです。
当然この登壇されている男性にはなんの罪もなくて、やはり分野に女性が少ないということもあるんですが、こういう名前をつけてしまうと、「いや男性に語られてもね」と、つい言われてしまう。
そのような中で、Women in Data Science。先ほど説明がありましたが、スタンフォードを中心として、ジェンダーに関係ないというInspire、Educate、Supportの3本の柱をもって、とにかく人材育成をしようという活動があります。
(スライドを指して)2018年のこちらを見てください。日本はないんです。まだ入っていません。各地にありますが日本にはないということで、やはりデータサイエンス学部を作った人間としては、やらなきゃと思って始めたんです。
2019年を見てもらうと、ピヨッと日本にも(マークが)つきました。2021年の図には、@IBMさんと東京と広島の3ヶ所にあります。ということで、今は日本でも広がっています。
「Women in…」の趣旨と類似点としては、まず女性限定のイベントではありません。所属割合が少ない女性を、とにかくこの分野にいざなう。それは何かというと、持続可能性なんです。どのシンポジウムでもよく行っていますが、「企業で私はどういうキャリアを」ということです。
つまり、先ほどの学生の懸念にあったような、「キャリアがどうなるんだろう」という発信がないことを打ち消そうということです。女性研究者が自分の研究を語ったりしています。このようなことが広がっていくと、先ほどのような学生からの疑問や懸念が払拭されていくのではないかと思っています。
大事なのは、女性を無理矢理管理職にしようとか、持ち上げようというわけではないということです。決してガールズティーパーティではないということを、ぜひみなさん念頭に置いて、というか忘れないでください(笑)。
そして、どこの「Women in…」も、いわゆるユニコーン。つまり、大学に入る前の若い学生たち、将来の担い手といいますか、この子たちを見つけて大事に育てています。当然、WiDSもです。
WiDS TOKYO@YCUの紹介
WiDS TOKYO@YCUの紹介を少しします。3回ほどシンポジウムを行い、ワークショップを開催しています。発表としては企業の方々、あるいは大学の方などももちろんありますが、特に注力しているところは、データサイエンスを定着させるために、さまざまな分野でデータサイエンスが使われているという話をしたい。そう思って行っています。とにかくこの分野に、多様な領域から人材をいざないたい。その中で、アイデア・チャレンジやライトニングトークセッションで、アイデアをデータからストーリーとして発信する、発言することを行っています。よろしかったらぜひ、みなさんもご参加ください。
そして第1回、第2回は休止になりましたが、第3回の時にアイデア・チャレンジの発表だけ行って、基本的にはSDGsを基調としたアイデアをデータから語ってもらっています。
1つだけ(例を)紹介します。2019年の第1回目のシンポジウムの時の「新しい働き方」について。学生の部は、たまたま本学のデータサイエンス学部のチームが「新しい時代の働き方」と題して、日本のすべての主婦の方をデータサイエンス主婦にする計画を話してくれました。
一般の部は、全日空商事のチームが「トイレと頭の回転率を上げよう!」と題して、オフィスのトイレが非常に混み合うため、「何分待ちです」みたいなトイレの利用データが出るらしいんです。そのデータから、木曜の夕方になると急に優占率が高まる、どうやらそのへんで息抜きをしているらしい。航空会社の関連会社なので、それならビジネスシートのような、みんなが堂々と休める場を提供しよう(という話)。どちらも非常におもしろい発表でした。
ライトニングトークセッションは前回から始めましたが、キーワードとしてSDGsの目標とキーワードのグループを組み合わせて、3分間で話してもらいました。例えば、人や国の不平等をなくすのに音楽をかけあわせるとか、作る責任、使う責任のような話など、いろいろおもしろい3分間トークです。3分くらいのほうがそんなに練りすぎず、でも思いとデータがうまくかけ合わされていいのかなと最近少し思っています。
私たちは、データサイエンスを教育の場から携わっていて、その研究の立場からやっていて思うんですが、ただデータサイエンスの技術が一人歩きするのではなく、やはり多様性や包摂性を考えながら、何のためにやっているのかを考えます。そうすると、当然、安寧な社会、未来のためなんだと思うんです。
ということで、他人事ととらえない。要するに、自分は解析だけしていればいいではなく、全部自分事として考えている人たちがつながって、闊達に議論していく場として、今行っています。
寛容性が失われたら、イノベーションは生まれない
COVID-19のせいで、みなさん働き方が変わったり、いろいろなことがあったと思います。(スライドを指して)こちらは有名なRichard L. Floridaの図ですが、最近どうも、違いを受け入れることの意味が忘れられているような気がするんです。特に今回のコロナ禍でそのようなことになっていて、ずいぶん窮屈で、不寛容ではないだろうかと感じる人もいるのではないでしょうか。
つまり、TechnologyとTalentとTolerance、技術と人材と寛容。これらがなければ、やはりイノベーションは起こりません。そういった中で、この寛容性というものが失われてしまうと、いくらデータサイエンス人材が育ち、技術が発展しても難しいということを、今回のCOVID-19が私たちにずいぶんと教えてくれたのではないのかと思っています。
データサイエンス技術は、作る責任も使う責任もある
(スライドを指して)では、「あなたは誰?」という話をします。これをパッと見て、いかがでしょう。書いてあるものを読もうと思います。19年間の刑務所暮らしを経て仮出獄し、黄色の旅券を持っています。行く先々で提示します。宿屋では、当然これで宿泊を拒否され、司教の館にたどり着き、司教は食事とベッドを提供してくれました。この後、銀の燭台と銀の皿という話になると、わかりますね。当然、ジャン・バルジャンです。
今、この黄色い旅券というものは当然あってはならないと私たちは言われていますが、はたして本当に私たちは黄色い旅券がまったくない世界に生きているかというと、そうではありません。これは有名な図なので、みなさんの中に目にされた方もいるかもしれません。
これはACLU(American Civil Liberties Union)というアメリカの人権団体が調査した結果ですが、この方々がいったい何かというと、AWSによるRekognitionの問題です。少し前ですが、2018年に先ほどのアメリカの連邦議会議員の28人の方々の写真が、このRekognitionに犯罪者だと判断された、という発表がありました。
これは初期設定を使ってマッチングさせた結果で、問題だからこのRekognitionは使わないようにと、かなり声高にACLUが言いました。
翌日、それに対してAWSが反論しています。信頼水準は80パーセントですが、法執行機関では99パーセント以上だし、それ以上のデータを使っても大丈夫だと言っています。ここからいろいろと問題が出てきて、さらにその後に株主たちが「もう使うな」と(言ったり)、いろいろな騒動があったことを覚えている方もいると思います。
データサイエンス技術には、作る責任も使う責任も両方あります。そして、このようなことになった時にどうするか。
その渦中、AWSはブログに「ピザが炭になるまで高温になるから、オーブンは使うなという話ですか? そうではない。適切に使えばいいでしょう?」と書いていました。
さらにMIT(Massachusetts Institute of Technology)のMedia Labでは、こういったさまざまな問題があると反論し、そのMITのMedia Labの研究結果の問題に対して、AWSは再び反論しています。「これは顔認識ではなく、顔分析を使っていたから誤認識ではないか?」と。まさに作る責任だけでなく、使う責任についての問い合わせもしているわけです。
警察では問題があると言っていますが、今度は技術的な話ではなく、「そんな説明は聞いていない」という話になっていきます。そして今、技術提供をする私たちの立場としては、「どこまで説明しなきゃいけないの? 何をしなきゃいけないの? そんなことまで?」というところまで考えずにはいられなくなっています。
私たちが現代のジャン・バルジャンにならないためには、やはりデータサイエンス技術においては、常に作る責任と使う責任を意識しなければいけませんし、データ思考を涵養させる。とにかく使う責任がある人たちに対しても、データ思考を涵養してもらう。これから私たちは教育する立場として、そういう人たちであるように教育していかなければなりません。
そしてなによりも、自分事でないとダメなんです。誰かがどこかで遠くで、データサイエンティストがやってくれる、ではない。そうすることが安寧で豊かな社会の未来のためになり、多様性が検討できるのではないかと思っています。
(次回に続く)