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数十万サーバを管理するエンジニア社長が登場!|さくらインターネット田中社長 #1(全1記事)

データセンターは北海道、仕事場は沖縄 さくらインターネット・田中社長のビジネス観

つよつよチャンネルは、bravesoft CEO&CTOの菅澤英司氏がエンジニア的に「おもしろい話」や「ためになる話」を届けるチャンネルです。今回のゲストは、さくらインターネット株式会社の代表取締役社長である田中邦裕氏。同社のサービスとリモートワークについて話しました。

リモートワークをきっかけに沖縄に移住

菅澤英司氏(以下、菅澤):つよつよエンジニア社長の菅澤です。bravesoftの会社の中で収録しているんですが、池澤さんはちょっとお休みで、僕とゲストの方、2人で話していきます。

僕はインターネットをずっとやっていまして、「サーバーはさくら(さくらインターネット)でやろうよ」みたいに、よく「さくらのサーバー」というワードを聞いていたんですね。さくらインターネット株式会社の社長はエンジニア社長ということで、今日は社長をお呼びして、エンジニアトークをしていきたいなと思います。

本日のゲストは、さくらインターネット株式会社の田中邦裕社長です。よろしくお願いします。

田中邦裕氏(以下、田中):よろしくお願いします。

菅澤:今日はリモート収録ですが、そちらは沖縄ですか?

田中:そうです。

菅澤:沖縄に引っ越しをされたんですか?

田中:そうなんです。沖縄に2019年11月に家を借りて、2020年4月以降、会社に行かなくて済むようになったので、本拠地は東京と大阪でなくてもいいかと思ってそのままです。

菅澤:二重暮らしできるようにもともと沖縄に部屋を借りていたのが、今はもうずっと沖縄で生活しているということですね。

田中:はい、そうなんです。

菅澤:会社自体は東京にあるんですか?

田中:大阪が本社で、東京に支社があります。社員の半分以上が東京にいるのですが、大半は東京・大阪です。

菅澤:今後は沖縄にも会社を作るんですか?

田中:そうですね。できればいいなとは思っていますが、逆に場所にとらわれなくて済むように、事務所が必要なのかという議論にもなっていますね。

菅澤:今IT業界は、サーバーによってリモートワークで回るようになっていますが、そのサーバーの会社をやられていますね。サーバーは何台ぐらい持っているんですか?

田中:数えたことがないのですが、多分何十万台かはあると思います(笑)。

菅澤:何十万台のサーバーを見てるということですよね。エンジニア社長ということで、エンジニアをもともとされていたんですよね。

田中:そうですね。今もエンジニアのつもりではあるのですが、やはり若者のつよつよエンジニアのほうが強いので、つよつよ若手に任せている感じですね。

創業から9年の27歳の時に上場

菅澤:僕が軽く調べた限りなんですが、かなり若い時に上場をされていますか?

田中:そうですね。27歳でした。当時は4番目に若かったみたいですね。

菅澤:創業は上場の何年前ですか?

田中:1996年に創業して、2005年上場なので9年ですね。

菅澤:9年で、27歳で上場された。

田中:なので、あまり早いわけではなくて、どちらかというと上場までは長かったんですよ。創業が早かったので若かった感じですね。

菅澤:18歳で起業ということですもんね。

田中:そうですね。

サーバーにまつわるサービスを幅開く展開

菅澤:それは早いです。生い立ちや創業の時の話もあとで聞かせてください。事業内容ですが、例えばサーバーとかAmazonのAWSとか最近聞きますが、そういうサービスをやられているんですね。

田中:そうですね。当社は実はクラウド以外のビジネスも多くて、とにかくサーバーにまつわることを広くやっています。例えば北海道に石狩のデータセンターがあるんですが、土地から買って、建物を建てて、設備投資まで全部自社でやっていますし、その中でラックを貸したり、サーバー自体を貸したりしています。今一番ノッているのが、その中でもクラウドの技術です。

菅澤:クラウドというのはサーバーをたくさん契約して、それでいろいろな人がそこに乗っかれるという感じですか。

田中:私たちがたくさんのサーバーの投資をして、それをブラウザ上やAPI上で手軽に増やしたり減らしたりして、そういうインスタンスを増やす・減らすというサービスが当社のIaaSとしてのクラウド中心ですね。

菅澤:今簡単にサーバーが借りられて使い始められるんですが、10年前とかは大変でしたよね。

田中:そうですね。なにせ、セットアップするところから始まりました。10年前というと、ちょうどAWSも私たちのクラウドに出始めていた頃なので、便利になり始めていたんですが、ちょうどその時はサーバーを設置して、データセンターに行くとか、そういう日々がインフラエンジニアにけっこう課されていた時代かなと思いますね。

菅澤:私たちは、アプリを作っていたんですが、その境目もあんまりなかったので、インフラエンジニアかアプリケーションエンジニアかとかという……だから、サーバーに行って場所を借りて、サーバーを差して帰ってくるみたいなことがありました(笑)。

田中:そうそうそう、まさしく。私たちはまさしくあのセンターを作って、ラックを並べて、ラックを1本1本貸したりしていました。あと、ラックの中に私たちがサーバーをセットアップしておいて、そのサーバーをお貸ししたり、そういったビジネスをしていましたね。

菅澤:今のクラウドの走りというか、いちいちサーバーを買って置かなくても、簡単に使い始められるんだよというのをさくらインターネットでもやっていましたよね。

田中:そうですね。それがもともとの生業です。いわゆる「レンタルサーバー」と言われるんですが、ドメイン名を取ってホームページを作る。そういうホームページサービスというのが創業時のサービスでしたね。

菅澤:データセンターは石狩に建てたんですか?

田中:そうなんです。土地自体は5ヘクタールぐらいあるんですよね。5ヘクタールというと、東京ドームがすっぽり入る大きさなんです。それぐらいの大きな土地にデータセンターを建てていますね。

菅澤:東京ドームにサーバーがいっぱいあるというイメージですね。

田中:サーバーはどんどん増えていくので、まだ建物はどんどん建てていくのですが、そのうちの大体5分の1ぐらいがすでに作られていて、5分の4ぐらいはまだまだ拡張余地がある感じです。

菅澤:今どんどん建て増ししている感じなんですね。

田中:そうです。

菅澤:データセンターは石狩だけにあるんですか?

田中:大阪と東京にもあります。もともとデータセンターは間借りしていたんですよ。なので、東京も大阪も5ヶ所ありますが、そのデータセンターは全て間借りしています。

菅澤:田中社長は普段はサーバーを見たりするんですか?

田中:データセンターには2020年3月から行ってはいけないことになってるんですね。(※取材当時)コロナがうつると良くない。データセンターの拠点にも、シフト制で弊社の社員が常駐してるのですが、ほかの社員と物理的に接触をすることをなるべく避けるためにも実は今行けてないんですね。私自身がデータセンターが好きなので、様子を見に行きたいんですが、上長の許可が必要としている中で、僕が嬉々として行くのもあまり良くないなと、今はまだ行っていないです。

リモートワークを早い時期から推奨

菅澤:普段はどういう感じですか?事業企画とか。

田中:事業企画も優秀な社員がやってくれていますし、役員、社員ですごく分担してやってくれているので、実業務という実業は本当に今はないですね。

なので、例えば社員への発信であったりとか、あと役員の間で方針を決定して、どういうビジネスをこれからやっていくとか、そういう時に私が中心になってアイデアを出したりします。3年・5年・10年の方向性にまつわる仕事が多いです。

菅澤:沖縄に家を借りていたのはどういう理由だったんですか?

田中:最初は純粋に好きだった。沖縄が非常に好きで、ダイビングをするんですね。東京・大阪にも家があるのですが、そこからわざわざ沖縄に行くよりも、沖縄にしばらくいて、仕事をしながらダイビングに行けるといいなというのが、もともとの発端ですね。

菅澤:もともとリモートワークをけっこうされていたんですね。

田中:そうなんです。とはいえですね、2019年12月に全社員に対して「事務所に行く意味は何なんだろう」と問いかけたんですが、その時はだいぶ「何を言ってんだ?」みたいな顔をされました(笑)。事務所に行くのは当たり前だろうみたいな感じでですね。その時は作戦失敗して、結局事務所には行かないといけない日々が残っていましたね。

菅澤:でも3ヶ月後には変わりましたね。

田中:2020年2月の時点で、不要不急の出張や出勤もできるだけしないで、「家でできる人は家でやりましょう」という呼びかけをしていたんですね。それが2019年12月からたったの2ヶ月で。それでも8割ぐらいの社員は出勤していましたね。

菅澤:今はどうですか?

田中:今は1割ぐらいしか出勤していません。それもデータセンターの常駐の人を含めて1割なので、300人ぐらいいたオフィスに10人、20人しかいない感じですね。

菅澤:業務はどうですか?

田中:業務は普通に回っていますね。

菅澤:じゃあまさに予言したとおりになりつつあると。

田中:これで何かマイナスになることもあるんじゃなかろうかとは思っていますね。やはり心配になる部分もあるんです。新しく入ってきた社員の人は馴染めるのかなとかですね、いろいろとあるのですが、業務上ではほとんど影響はない感じですね。

菅澤:ちょこちょこ気になることはあるけど、業務は普通に回るんだということがまさに立証されたというのと、ITの力でかなりの部分はできるんだというのは感じましたね。

インフラエンジニア全般を16、7歳の頃からやっていた

菅澤:田中社長は、技術については見られているんですか?

田中:もちろん社内の技術のミーティングにはしばしば顔を出しています。例えば、データセンターの今後であったり、最近のトレンドですよね。

例えば、ノーコードもかなり進んでいて、サーバーレスみたいなこともあるし、サーバーがいらないとなると、サーバー屋はどうするの? みたいな話もあるし、ノーコードでコードすらいらない世界になった時に私たちはどういうテクノロジーを使っていくのかみたいな、すごくマクロな話もします。

あとはネットワークの仮想化であったりですね。これから取り組んでいくべきインフラ技術に対してのディスカッションもしますし、どういう方向性に5年後、10年後持って行くのかみたいな話はよくしますね。

菅澤:もともとそういう技術が好きだったんですか?

田中:そうですね。私は、高専(高等専門学校)に通っていたので、ロボットを作りたくてハードウェアのエンジニアを目指していたのがもともとですね。Webとサーバーの技術にすごくハマって、今で言うインフラエンジニア全般を、16、7歳の頃からやっていましたね。

菅澤:インフラエンジニアとして起業する人も少ないけど、18歳で起業して、9年後には上場させるというのはかなり珍しいパターンな感じがしますね。

田中:不思議なことに。

菅澤:後半ですね、その辺のお話をたっぷり聞いていきたいなと思います。

(次回へつづく)

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