そもそも仕事は人生の中にある

これはどこで集めたのか忘れましたけど、リモートワークのパターンで、こんなことをやっているんだというのをいろいろみんなに書いてもらっています。例えば真ん中に、これは僕がよく使っているパターンですけどMyボードと言って、僕はホワイトボードの携帯版をいつも持っているんですよね。そこにちょっと書いてお客さんに見せたりということを、オフラインでやっていたんです。

オンラインでもチャットに書いたり背景を変えたりするよりもこうやって出すというのがけっこう手軽でいいなと思って、よくやっています。それから名刺代わりのバーチャル背景も最近はもう定着していますね。

それから「うんうん」とか「うんうん(背景)」みたいなのもあって、これもなるほどなんですよね。この話を野中先生としたときに、「この人生の振り返りはいいね、平鍋君」という話がありました。「そうなんだよ。仕事の話ばかりじゃなくてお前最近何しているんだとか、やっぱり最近のこととか自分の子どものこととかそういうことを話したほうがいいんだよ」という話になったんです。

どうしても時間が区切られて雑談よりも目的ベースの話になるんだけど、そもそも仕事は人生の中にあるからその人生の話をもっとしたほうがいいよという話でけっこう盛り上がったんですね。なるほどと思いました。

ただリモートの場作りは難しいなと思っていて、ちょっとここから考察をしてみました。この「対話」って何かという話ですけど、左側に自分がいて考えて表現をすると。その表現に対して他者が何かを感じてまた考えてまた表現をすると。その表現からまた感じてと、こういう……。

真ん中に書かれた表現を共有することによってループが生まれて、もともと左の頭の中にしかなかったことと右側の頭の中でしかなかったことが、2人で考えることで、あるいは2人以上で新しい何かが生まれてくるんですよね。それが合意だったりインスピレーションだったりするかもしれませんけど。

発信者が過剰に表現してちょうどいい

これをオンラインでは伝送路を挟んでやっているんですよね。実際のリアルな場では1つのアコースティック空間なわけですよ。そこに同時にいてその音の響き、実際に触ることのできるその空間の中でやっているんですけど、これが伝送路を通じているとどうなるかという話なんです。この、表現すると感じるのチャネルがかなり帯域が狭いんですよね。

表現する側は話すとか書く、みぶり。あとはもしかしたら演じるとか泣く、笑うとかいろいろあるかもしれません。ただ感じる側、聞く側はほぼ耳と目しかないんですよ。もちろん触れる、味わう、かぐというのはない。もしかしたら第6感もあるかもしれませんが、基本的にはデジタルのビットに乗って届く信号であるので、聞くと見るがほとんどですね。

聞く・見るの2チャネルをうまく使って届けないといけないということなんです。だからデジタルでは表現する側が圧倒的に工夫をするべきです。だから、発信者が過剰に表現してちょうどいいというのが、僕が最近思っていることです。まず、できる限りビデオはオンです。ビデオがオンじゃない発表者はどうかしているんじゃないかと僕は思うぐらいなんですけど(笑)。

会議が始まったら僕はまずみんなに「ビデオをオンにしよう」と言っちゃいます。中にはためらう人もて、これはすごく文化によって違います。ある文化の中に行くとみんなオンですが、またある文化に行くとみんなオフなんですよね。

オフの文化でしゃべるのが僕はつらいから「すみません、最初の5分だけでかまわないのでちょっとだけオンにしていただけませんか?」と、お願いしてオンにしてもらいます。そういうふうにオンにしてもらって身振り手振りをもちろん表現の一部にして伝えたいと思っています。

人と人とのコミュニケーションの物理層は信頼関係

そういったデジタルのチャネルの上に人間が持っている発信、もしくは受信のチャネルを並べて書いているんですね。その上にアプリケーション層として実際の開発だったりアジャイルの朝会だったり振り返りだったり、あらゆるアクティビティがそのチャネルの上に乗ってデジタルツールを使って今やっているという、そういうアーキテクチャですよね。

こういう絵好きでしょ?(笑)。 だいたいITエンジニアはこういう層の絵を描くのでがんばって書いてみましたけど。こういう構造になっているんじゃないかなと。だからチャネルの特性を理解して、いい特性を使わないと上に乗っているアプリケーションがうまくいかないということですよね。

その延長で考えてみたことに、そのコンピュータとコンピュータのコミュニケーションというのは、これはISOの7層モデルというのが定義されていて、物理層、データリンク層、ネットワーク層、あとはトランスポート層とかずっとつながっていくレイヤーがあって、それぞれの層でプロトコルを決めていくというすばらしい考え方がありますよね。

人と人とのコミュニケーションは、仮にこういうアーキテクチャの層があるとすると何だろうと。物理層に相当する一番大切なところはなんだろうとちょっと考えていたんですね。そしたら……。僕これの出典を忘れてしまって、もしわかったら教えてほしいんですけど、ある方が「信頼関係」だと言っているんですよ。

僕はもしかしたら英語とか日本語とかの言語かなと思ったんだけど、要するにそもそも信頼関係がないところで、どんな言語を使っても相手には届かないと。その情報がどこから来ているか、信頼している人が言っているのかそうじゃないか。それでぜんぜん届く・届かないが決まってしまうので、人と人とのコミュニケーションの物理層は信頼関係だと言った人がいて、僕は「なるほど!」と。

その上に共感関係だったり言語があるんだと。ただしその共感するという関係と信頼関係というのは相互依存で、共感を持てる相手だから信頼できるのかもしれない。どちらが先かわからないですけど共感ということもすごく重要で、その上に初めて僕たちの会話が成り立っているんだなと思います。

そう考えると、今の僕たちのこのオンラインの中ってけっこう危ういと僕は思うんですよ。つまり、共感を持てる人かどうかというのをオンラインだけで作れるのか。信頼関係をオンラインだけで作れるのか。僕はちょっと危うさを感じています。

共感は信頼関係と結びついている

ちょっとまた野中先生に登場していただくんですけど、野中先生はさっきの暗黙知の話で、一番初めに起こることは経験を通じて何かを伝えていると。そこには言語はいらないと言っているんですよ。もうちょっと深い話をすると「あなた」が「あなた」である前があることを知っていますか? という話で、みなさん自分という「I(アイ)」というのが先に存在すると思っているけど、もともとはIはYouとくっついていたんですよ。

お母さんの体の中でIとYouの混合体みたいなのが最初にあって、そこから初めてIが分離したんですよね。「わたし」になる前は「わたしあなた」というのがあって、「わたしあなた」という塊が「わたし」と「あなた」に分解したんですよ。その母親と子どもというのは子どもが微笑むと母親も微笑むというので、もうそこに信頼関係があるんだという話なんですよね。

それは科学的に言うとミラーニューロンというものが人間にはあって、真似るということである程度共感ができるという話です。それは例えばもらい泣きってあるじゃないですか。泣いている新郎新婦の顔を見てブワーッと自分が泣くとか。

あとは欠伸の伝播。あれは電話とかオンラインでも伝播するって知っていましたか? あれは真似る脳があるんですって。だからその共感関係というのはもともと非言語伝達なんですよ。それは人間がもともと「あなた」と「わたし」になる前がつながっていたというのが密接に関係していて、この状態でのコミュニケーションがあって初めて信頼関係が得られるというのが、その野中理論の1つなんですね。

これはちょっと先生のスライドからお借りしましたけど、最初に2人称というのがあって、そこから分かれたのが1人称。そのあとに3人称が分かれています。「it(イット)」というのは最後に出てきたという話です。僕たちは何かソフトウェアだったりサービスだったり、あるitみたいなものを作っています。

プログラミング言語を使ってitというものを作っていると思いがちだけど、そのitをitと認識したのはデカルトだったか忘れましたが、主体と客体の分離で、その前に人間は主体の1つであったし客体と主体が結びついたという話です。だから共感というのが信頼関係とすごく結びついているんです。

オンラインでも同じ関係が作れるのか?

今日僕が話したかったのは、この共感関係とか信頼関係というのは、人間には絶対必要とは言いませんけど、いいチームを作るための基礎にあります。それをオンラインでもこれから作っていかないといけないという新しいチャレンジにいるということを伝えたかったんですね。

野中先生の言葉でいい言葉があって、Here-Nowというんですよ。「いま・ここ」。今日みなさんとお話していますよね。これは同時性、「いま」というものが一緒です。「ここ」というのが一緒かどうかは物理的にはおそらく違いますが、何か文脈的には同じところにいる雰囲気があるのかな?

この同じ場で同じ時間にいるという状況をいま・ここ性、Here-Nowと英語まで作ってありますが、同じHere-Nowの中にいるんですけど、ここで文脈が共有できることが先生の言葉だと、相互主観性。僕の言葉で言うと「みんな一緒にやろうぜという感覚になるかどうかの瀬戸際」です。

前からやっているプロジェクトはいいんですよ。だって1回合宿とかやって気心も知れているし、この人はこういう人なんだとわかっています。チャットではこういう発言をするけど実はすごくいいやつでというのがわかっているから話ができるのですが、コロナ禍が始まってからは、プロジェクトで本当にそういう関係が作れるのかなというのが疑問があります。

これは有名なタックマンモデルで、人が一番左から入ってそのバラバラな時期があってちょっと混乱した中でようやく足並みが揃って同じ方向が見えて、そこで初めてパフォーマンスが出せるようになってきます。この形成期と混乱期みたいな場所を本当にオンラインで乗り越えられるのかというのが僕はまだ疑問です。今続いているオンラインのチームはもともと合宿とかをやって形成期と混乱期を乗り越えているんですよね。

そこで培ったもののあとにみんなが分かれているから、そのあとのテイクオフまでうまく行っていると思うんですけど、何か新しいプロジェクトが立ち上がっていきなり左から入ったときにできるのかなというのは僕も……。でもね、おそらくやらないといけないことなので、やっていくんだろうなと思います。そこでまた新しい発見が出てくるんじゃないかなと思っています。

やっぱり一緒に学ぶということは大事

Management 3.0 Japan ConferenceにLisette Sutherlandさんが来たので、せっかくなので直接聞いてみました。「僕はチーム作りで合宿などが必要だと思うんですけど」と言ったらLisetteさんもリアルで会う場面はすごく大事だと。

だけどオンラインでもできないことはなくて、短い会議の中の前半のちょっとしたところにアイスブレークを挟むとか、「日常の写真」チャンネルを作るとか、ちょっとずつでもそういう時間を取っていかないといけないという話をされて、なるほどなと思いました。

時代がこう変わったときに僕はウォーターフォール型に形成期から機能期まで並んでいると思ったけど、これも実はアジャイルじゃないのかと。徐々に形成され混乱して統一して機能するけど、また混乱してまた機能を始めということが短いスパンで繰り返されてもいいんじゃないのかなと思い直してさっきの絵を描き直しました。

これまではウォーターフォール的な何かドンとビッグイベントでのチーム作りというのがあって、これからもあるのかもしれませんけども、なかなかオフライン、リアルではできなくないました。これからはなるべくそれをコンティニュアスに、継続的なチーム作りと、CI/CDの同義語としてチーム側のContinuous Integration、それから信頼のContinuous Buildというのをやっていかないといけないというのが僕のコロナ時代のアジャイルの気付きです。

だからやっぱり一緒に学ぶということは大事じゃないですか。それからともに働くということも共感のためにも大事なわけですよね。よろこびの食事も大事じゃないですか。ギャートルズを見ていて思うのは、あれもリアルに人生をかけてというか、マンモスだって狩りに行くんだもんね。それで取った肉をみんなでよろこんで食べるんだもんね。

たぶんもともとはこういうことも信頼がベースなんですよ。石器時代から僕らは食事をして仲間を作っているんですよ。その仲間と食事を分け合うということは生死を分け合っていて、そこで信頼関係が生まれるという感覚を作ってきたんですよね。だからこれはやっぱり重要なことなんです。

ただこの重要なことがコロナ禍の中でどうやっていくかということが大きなチャレンジだなと思います。だからアナログのよさをデジタルにどれだけ持っていけるか。今、まさにという同時性、それから同じ空間でという同場性は仮想的にできます。

あとは身体性ですよね。今一緒にいるという感覚がどこまでいけるかなということで、デジタルのHere-Nowですというのをみなさん挑戦してみましょうねということで、野中先生に「いまここ」という。これ怒られるかな? これは僕が使っているLINEのスタンプなんですけど(笑)。くっつけてしまいましたですけど、これから作っていこうと思っています。

このヘビの話はあえてせずに(笑)。あとでどこか飲み会か何かでみなさんと答え合わせをしたいなと思っています。以上で私のお話はおしまいです。ありがとうございました。

司会者:平鍋さん、ありがとうございました。