予測できない未来に備える

藤門千明氏(以下、藤門):みなさんこんにちは。ヤフーでCTOをしています、藤門です。今日はYahoo! JAPAN Tech Conference 2021を視聴していただき、ありがとうございます。

それでは、私のセッションを始めたいと思います。改めて自己紹介させてください。ヤフーでCTOをしています、藤門です。Yahoo! JAPANには2005年にジョインして、サービス開発をたくさんやってきました。その後は、Yahoo! JAPANのインフラやプラットフォームの責任者を経て、今CTOをしています。今日はどうぞよろしくお願いします。

本日のこのセッションのタイトルですが、「予測できない未来に備える」というテーマでやっていきたいと思います。今日は、創業当時から今までのダイジェストや、特に大変だった、激動だった2020年の1年間の振り返りを通じて、ヤフー流の予測できない未来に対する備え方について伝えられればいいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。

サービス開始から25年で起きた変化

まず、Yahoo! JAPANは2021年の4月で、サービスを開始してから25周年を無事迎えます。この25年間の間に、Yahoo! JAPANがどのように成長してきたかを今日は簡単に伝えられればと思っております。

まず、Yahoo! JAPANを利用しているユーザーの数です。Yahoo! JAPANは古いデータが実はあまりなく、今回このカンファレンスのために、データを探しました。創業当初は、だいたい50万のユーザーがYahoo! JAPANを利用していましたが、25年経った今は8,000万のユーザーがYahoo! JAPANを利用しています。

創業から、だいたい160倍のユーザー規模に成長できました。そして、そのユーザーのみなさんに、Yahoo! JAPANを使っていただく。それはスマートフォンのブラウザやアプリ、PCであるわけですが、みなさんがYahoo! JAPANで例えばコンテンツを見たり、ニュースを見たり検索をしたりすると、Yahoo! JAPANのサイト上にリクエストをもらいます。

この数が、創業当時はだいたい1日に90万のリクエストでしたが、今はなんと1,800億を超えるリクエストを毎日もらっています。創業から比べると、実に21万倍のリクエストを受けるようになっています。さらにリクエストを捌くためのハードウェアの数、これも大きな進歩をしています。

創業当時Yahoo! JAPANは、5台のサーバーで動かしていました。トップページがだいたい2台、検索用のサーバーが2台。当時はサーバーを買うことが、すごく大変でした。サーバーをすぐ買うこともできないし、とにかく高かった。そのため、予備として1台もっていた。計5台でYahoo! JAPANを運営していました。

これは2020年の数ですが、8万5,000台のサーバーですべてのYahoo! JAPANのサービスをオペレーションしています。

物理サーバーの数も、1.7万倍の成長を遂げられました。実際にはこの8万5,000台を使って、仮想環境やプライベートクラウドを組んだり、エンジニアが大好きなコンテナ技術を使って、実際には桁が1つ多い、数十万のインスタンスを使って、みなさんにコンテンツや情報を届けているのが、今のYahoo! JAPANの規模です。

25年間でインターネット環境が大きく変化した

この25年間で技術的に大きかったことが、私は3つあると思っています。今日はこの3つを簡単に振り返ってみたい思います。まず1つが、インターネット環境がこの25年の間に大きく変化しました。それは、ユーザーが使っているネットワークの環境、ブロードバンドが普及したこと。そしてデバイスが変化したことです。

創業当時、ほとんどのユーザーはYahoo! JAPANのサービスをパソコンで利用していました。そのあとモバイルサービスを展開して、2000年を超える辺りに、ADSL。いわゆるブロードバンド時代が到来した時に、「Yahoo! BB」というサービスを通じて、より多くのみなさんにYahoo! JAPANを使ってもらう。

加えてデバイスもどんどん変化して。Yahoo!ケータイをみなさん覚えていますか? ヤフーのY!のロゴが入った携帯や、2000年代に入ってiPhone、スマートフォンが到来して、みなさんにお届けするコンテンツのかたちもどんどん変わっています。

創業からだいたい20年の2016年ですね。スマートフォンのアクセスが、ついにパソコンを上回る時が2016年に来ています。今も当然、Yahoo! JAPANにはスマートフォンからのアクセスのほうが多いです。このネットワークの普及やモバイルやスマートフォンといったデバイスの変化を利用して、インターネットのあり方や、ユーザーへのコンテンツの提供の仕組み、やり方、UI/UXを模索していたのが、Yahoo! JAPANの25年だったと思っています。

25年で起きた開発環境の変化

そしてもう1つ。25年間で技術的に大きかったのは、開発環境の変化もあります。創業当時は5台で運用していたと伝えましたが、Yahoo! JAPANは当時「UnixWare」というOSの上で、C言語やC++言語を使ってアプリケーションを書き、それを「FiloCGI」というWebサーバーを使ってYahoo! JAPANをホスティングしていました。

「FiloCGI」はみなさん初めて聞いたと思いますが、アメリカのYahoo!創業者、ジェリー・ヤンとデビッド・ファイロの2名のうち、デビッド・ファイロが作ったWebサーバーが「FiloCGI」です。この「FiloCGI」を使って「Yahoo! JAPAN」のサービスを立ち上げた、ということです。

その後、Yahoo! JAPANとしてはFreeBSDやApacheなどを使ったり、最近ではLinuxコンテナをベースとした開発環境をYahoo! JAPAN独自で開発をして、その上でサーバーを動かしてコンテンツを提供しています。もともとはアメリカのYahoo!の技術をベースにYahoo! JAPANを始めていますが、今はほとんど独自技術、独自で開発した技術にシフトを遂げた。それがYahoo! JAPANの25年間の技術的に大きな出来事の1つだったと思っています。

IT企業の社会的な役割も増えた

そしてもう1つ25年間で技術的に大きかったこと。それはIT企業としての社会的な役割が増えたことです。例えばどんな役割が増えたかというと、まず情報社会。情報社会において、技術が情報社会を発展させる。その発展に貢献しなければいけないところや、日本はとにかく災害や社会の課題が多い国でもあります。

その災害や社会の課題を、インターネットのちからを通じてどれだけ解決できるかが求められてきたのもこの25年です。そして、インターネットのサービスは、ユーザーのみなさんがパソコンやスマートフォンを使います。それに加えて、私たちもサーバーを使って。とにかく電気を使う事業です。

日本は資源がそんなに豊かな国ではないので、特に電気ですね。持続可能な社会へ挑戦するために、計算機1つを取っても省エネのマシン、データセンターも省エネ型のデータセンターを自ら作ることによって、Yahoo! JAPANを構築しています。私たちは情報技術のちからを使うことで、日本、そして日本に住む人々や、社会の課題をアップデートするために、Yahoo! JAPANとして走ってきたのが25年の歴史です。

(次回につづく)