『カイゼン・ジャーニー』とは“問いかけ”

市谷聡啓氏:では話をしていきますね。まずは自己紹介です。市谷と申します。ソフトウェア開発は、長いもので17年もやっていますね。もともとSIerにいたり、サービス会社にいたり、受託開発をやっていたりします。

今は、ギルドワークスという会社を起ち上げて、もう5年経っているという状況ですね。僕の役割は、仮説を立てて検証し、なにが必要なのかを描きながらプロダクトを作るということを仕事としてやっています。

今日は、『カイゼン・ジャーニー』(市谷氏の著書)を出したあとの話をしていきたいなと思っています。『カイゼン・ジャーニー』は、1年前の2月7日に発刊しています。こちらも早いもので、もう1年経ってるんですね。

カイゼン・ジャーニー たった1人からはじめて、「越境」するチームをつくるまで

どんな内容の本なのかというと……『カイゼン・ジャーニー』を読んだ方、どれぐらいいらっしゃいますか?

(会場挙手)

ありがとうございます。だいたい半分以上いました。非常に感謝です。越境しようという人たちのために、具体的なやり方・道具・作戦・考え方といったものを提供して、後押しするための本として作っております。

あらためて、「『カイゼン・ジャーニー』とはいったい何だったのか?」というのを自分なりに振り返ってみました。

その結果、これは私にとっては自分のジャーニーを表現したものだなと。この「ジャーニー」とは、自分の人生を投影したものだなと思っています。

自分がやってきたこと、感じたこと、人の関わりがあったからこそ、この内容ができているわけです。

『カイゼン・ジャーニー』とは何なのか、もう1つの意味は“問いかけである”ということになります。代表的な問いは「あなたは何者なのか?」で、この問いが中心になる物語といえます。私は本を通じて、この問いを世の中に投げたんですね。

投げた時にいろいろ返ってきて。遡ったら当然、本当に最初の感想のツイートというのがあるわけでして、発刊の次の日にいただいているのがこれなんですね。

そのあともいろいろ(感想を)もらっています。もらうたびにだんだん私も「本当にこの本を出してよかったな」と思ったのを、今も覚えています。

越境していく上ではコミュニティが必要

これはぜひリアルに話を聞こう、あるいは会いに行こうと思って、この1年を通じて新井さん(『カイゼン・ジャーニー』共著者の新井剛氏)と一緒にいろんな現場やコミュニティをうろうろしてました。70回ぐらい行ってるわけなんですね。

こういう活動を通じて僕がボールを投げて、返ってきた玉の中には、けっこう強い、重い玉もあってですね。そういう人たちは、もう自分で越境をしていくし、周りの人たちの越境を後押ししていきたいと思う、ちょっと変わった人たちなんです。

こういう人たちと一緒に場作りをしていこうじゃないかということで、いわゆるコミュニティを作って進めていくということをやったりします。

こういう活動の中で、やっぱりこういう場が必要なんだろうなとあらためて思い出しました。越境していく上で、いろんなお互いの理解や工夫を伝え合う場。私にとっても、昔(そういう場が)ありました。偉大なる先輩方がたくさんいまして、そういう人たちからもらった覚えがあります。

そこは組織を越えた学びの場であり、そういう気が狂った人たちの背中を見ると、自分も一歩でも前に行こうという気持ちが強まる。そういう場があったんですね。

この場が今も必要だし、作り続けているつもりです。でも、きっとこの場作り自体を渡していかなければいけないなと思っているんですね。これをちゃんと渡せなかったら、きっとこの場自体が途絶えてしまいます。

なので、私の役割としては、そのスペースを作ること。場を作って、スペースをあければ、そのスペースにきっと誰か、次の世代の人がやって来て、その人たちの場を作るんじゃないかなと。それを見届けるまでは終われないぞと。

このコミュニティというのは、昔は「野戦病院だ」というふうな表現がありました。現場にはけっこうツラミがあるということで、コミュニティに行くと「わかるわかる」みたいな感じで理解が得られる。それでちょっと気持ちよくなると。

でも、野戦病院なので、戻るべき場所ではないんですね。居場所じゃないんですよと。戻っていく場所は現場です。でも、こういう組織を越えたコミュニティがあったからこそ、僕自身も「もうちょっとがんばってみよう」と自分の現場に戻ることできたとも思います。

「もう一度こういう場を気合い入れて作っていくか」ということで『カイゼン・ジャーニー』を出したときに、想いを新たにしたんですね。

幸いにして、海底に沈んでいる船のようなコミュニティがあったので、それを引き上げることにしました。引き上げるためにはガソリン(パッション)が必要なんですが、『カイゼン・ジャーニー』がまさにそれにあたります。

具体的には「DevLOVE」というコミュニティがあって、5年前ギルドワークスという会社を起ち上げるタイミングでちょっと動きを止めてたんですけど、これを再開させたんですね。

このコミュニティは……「DevLOVE」を知っている人、どれぐらいいらっしゃいますか?

(会場挙手)

ありがとうございます。『カイゼン・ジャーニー』とほぼ同じぐらいですね。これは2008年6月21日に始めていて、すでに11年を超えております。2人から始めて、今5,500人が関わっているという感じですね。

自立する選択が今までよりも増えた

まあ、(コミュニティは)戻るべき場所ではないと言ったものの、「そもそも戻るべき場所っていったい何なのか?」というところを思い返したときに、「これは自分自身の居場所だ」と自分で認め、感じた場所だと思うんですね。

あらためて「居場所というのは、今のこの世の中においてどういうところなのか?」ということを、ちょっと考えてみてもらいたいんですけれども。

たいていの場合、私ももちろんそうでしたけれども、多くの人のジャーニーってたぶん最初は組織選びから始まるんだと思うんですね。僕も、大学を出て、「どこの組織に行こうかな?」みたいなことを一生懸命考えてましたね。そのあとも組織を渡り歩くということをやってました。

なので、その選択の過程で「個人でやる」っていう選択肢はまったくなかったんですね。けれども、この先、人も減っていく中で同じ基準がこの先も続くのかというと、それはちょっとどうなのかと。私はこれが変わっていく……いや、もうすでに変わっていっていると実感しています。

かつては、人間を1人ずつのリソースとして数える時代があったりしました。1人月、2人月とかね。そういう時代はやがて終わるだろうなと。そんなに1人の人間を占有するほど恵まれた場所は、なくなるんじゃないかと思います。

1人の人間が何に時間を使うのかという、その時間の配分(ポートフォリオ)みたいなところが問われたり、そこの最適化が求められたりする時代になるんじゃないか、なっているんじゃないかと思います。組織に所属しないフリーランスの人たちでチームをつくったり、副業がごく普通の選択肢として現れはじめています。一緒に仕事をする相手の立ち位置の、多様性がかなり高まっています。

働き方としては、組織で働くというのがなくなるわけではないですよね。これはやっぱり必要です。一方で、個人で働くというのもさらに増えると思います。もっと言うと、その両方を選ぶこともこれからは珍しくなくなるんだろうなと思いますし、実際になっていると思います。

これはなにが起きているかというと、自立する選択が今までよりも増えたということになるんだと思うんですね。自分で考え、自分で決めて、自分で食っていく、みたいなことですね。

自立というのは“自ら立つ”ということで、ぼっちになりやすいんですよ。でも、やっぱり自立しながら、「じゃあそこから先はもうひとりぼっちの世界です」というのはだいぶつらいので、一緒に働いて、一緒にチームとして値打ちを出せるような機会、場作りが必要だなと感じたんですね。そういう場を「ギルド」と称して、仲間と共に作っていく選択肢をとりました。

任意団体「The Agile Guild」の設立

そのギルドを作る時に、あり方としては、まあ株式会社じゃないだろうと。組合っぽいけど、組合は株式会社以上につくるのに手間がかかるから、組合じゃないなと。ただ自分たちで集まって、「自分たちの信じてるもので値打ちを出していこうじゃないか」みたいな、そういう共同体のイメージ。これを任意団体という法人分類で始めています。

2018年7月20日に、「The Agile Guild」という名前でその任意団体を起ち上げて、運営していっています。

なんで「Agile Guild」なのかというと…「アジャイル好きだからなのでしょ?」って思うでしょ(笑)。

(会場笑)

まあそうなんですけど、これは一応理屈があってですね。もうだいぶ古いんですけれども、Spotifyという会社に「Agile Guild Model」という話があって。

時間の都合であんまり詳しくは話しませんけれども、詳しくは『リーン開発の現場』には…書いていないので……。

(会場笑)

ググっていただいて。はい。フェアですよ。このモデルを参考にしています。

会社ではないので社員規定はないんですけど、自分たちで決めますよと。ただ、大事にするものがなにかないとバラバラになっちゃいますから、我々は「チームのために」ということを1つ、軸に置こうということでやっています。

思えば、会社があればこそチームができるのかというと、そうじゃないんじゃないかと。ちょうどこの場で今思い出しましたけど、チームでFAする人が出てくるような時代です。

おたがいに共通する信念みたいなものがあって、「我々はこれを大事にしたい。これをセンター(中心)に置いてやっていくんだ」という想いがあって、それが共通理解になって、であればこそチームが成り立つんだろうと思うわけです。なので、組織を拠りどころにする必要は、もうないかもしれません。

そういうチームの有り様を決めるのは、細かい話をすると、いくつかの観点があって。考えてみると、「役割」「交流の場」「ルール」「共有されたミッション」など、これはスクラムガイドと通じるところがあるなとあとでわかったんですけれども、この4つの観点を真面目に考える必要があるなと思います。

というふうに思ったときに、「理想的なチームっていうのはこういうことなんだな」というのにあらためて気づいて、「中村主水すげえな」っていうのを思い直した感じですね。

(会場笑)

デブサミで中村主水が出るのは、たぶんこのセッションぐらいだと思うんですが。はい。

自分が何者かになれる可能性に気づく「むきなおり」

そんなギルドのため、DevLOVEの起ち上げ直しをやっていると、コミュニティが物理的に広がっていきますね。意味的な広がりもあります。僕にとっては世界がちょっと広がっていった感じですよね。

そのなかで前へ進んでいきたいというところですが、正解もないし、誰かが正解を教えてくれるわけじゃない。というときに自分が方向性を決めていく上での1つの軸は、やっぱり“問い”で。「自分は何者なのか?」ということ。

これは別に『カイゼン・ジャーニー』を書き終わって、終わりではなくて、常に自分の中にあって、その場やその時々で「自分って何なのだ?」「何をする人なのか?」ということを問い続け、その答えというか自分が良い感じと感じる方向性に基づいて前へ進むということをやっています。

という意味では、「むきなおり」ということが大事でして、基本的には何者でもない自分がなにかになれる可能性に気づくという時間は、意図的に作らないと偶然に頼りすぎてしまうということで、自分に向き合うような時間はやっぱり作っていきたい。

僕がどういうむきなおりをしたかというと、僕は長らくこういう構造で世の中を見ていました。

こういう玉ねぎみたいな感じですね。これをどんどん遡っていくことが越境だと思っていたんです。これをやってきて、「越えられない境界はないんだ」と今ココでは思っています。

「これどうやって越えるの?」みたいな話は大事なんですけど、散々いっぱい話してきたので、この越え方の話はもうしません。ぜひSlideShareを見てもらえたらなと思うんですけど、越えられます。はい。

(会場笑)

むしろこの構造を前提において、これを遡ろうとしているかぎり、当たり前ですけど、この構造(自体)は超えられませんよと。

なので、この構造を捨てるというか、違う観点に立たなきゃいけないなと気づいたんです。それはなにかというと、こういう感じです。

これは、「こうありたい」「こんな感じにしたい」「こんな状況にしたい」「こんな関係にしたい」「こんな現場にしたい」「こんな開発をしたい」、そういう自分の価値観・想いというもので、自分たちの居場所を作り直す、アップデートするような。

だから、「この先はそういうことをやらないと、どうも先に行けなさそうだ」ということに気づいたわけですね。

「取引」から「共創」へ

じゃあ「誰かが良い感じに作っていけるのか?」というと、そんなわけはないと。だから、自分でやるしかないという話になるわけです。

ただし、自分でやるんですけれども、「自分たち」でやるところがやっぱり必要で。1人でやれることは時間にも能力にも限りがありますから、「こうありたい」のWhy(理由、思い)が共有できるものなのかどうかが大事ですね。

GuildHub具体的にどんなことを描いているかというと、人と人との関わりの基準を、取引だけから共創というものに持っていきたいと思っています。

この取引と共創って何なのかというと、取引のほうは、なにか対価を支払うので役務を提供します。実績が大事ですね。「きちっと約束どおりやるぞ」と。こういうのは非常に大事で、これがなくなったら困るので、この取引の関係も大事なんですよ。

一方、これだけでいいのかといったときに、そのプロダクトを作る、事業を作る、なにかを成し遂げるといったときに、この絵の下の共創の関係というのが大事になるわけです。

「それいいですね。ぜひそれかたちにしたいですね」「こういうことで貢献したい」という想い。それに対する感謝、「やってくれてありがとう」みたいな気持ち。ここが、まあ照れくさいし、「なんだそんなもの」と思われがちなところかもしれないけど、これはすごく価値があるんじゃないかと思います。

なぜなら、こうした想いこそが、「もっと前へ進んでいこう」「もっとこだわりをもってつくろう」、良いものやことを残そうという原動力になるわけです。

なので、そういう価値観で仕事ができるように自分の居場所をアップデートしていこうと思ったんですね。お互いに信頼できる環境が、たぶん前提になるだろう。それがギルドだったりコミュニティという場所だ、と。そこで今、“ともにつくる”ということにどう向きあっていくのかという取り組みを進めていっています。

3つの境界を乗り越えるための取り組み

“ともにつくる”ということを一歩も二歩も進めていくなかで、やっぱり問題というか境界もあります。

それは、作り手の中における境界です。それから出会い、遭遇を阻む境界。作り手と、なにかを作るということを必要とする人たちが、まず出会わなければいけませんからね。それから、遭遇して「じゃあ一緒にやっていくぞ」と一緒に作っていくんですけど、そのまさにともにつくる中での境界。境界が3つあると感じていて、それぞれ乗り越えていくぞというのが、今直近の僕の活動になりますね。

まず作り手の中の境界ということで、私の場合は主にギルドでの話になるわけなんですけれども、このギルドというのはいろんな人間が集まってきます。「副業です」「フリーランスです」「こんな開発してきました、こういう開発はしたことありません」「チームで開発したことあります、ありません」、いろんな人が集まってくるんですね。なので、この多様性が幅の広さという点でギルドの武器であり、一方でまとまりにくいという欠点にもなります。

そこでまず、仕事をするやり方について合わせなきゃいけないと。それってけっこう時間がかかるんです。プロジェクトが始まって「じゃあチームビルドしましょうか」というのは、それでは遅い。3ヶ月のプロジェクトで1ヶ月もチームビルディングだけしてたら前へ進めませんから。即応可能性みたいなものを上げなきゃいけない。そして、そのためには、プロジェクトの外がカギになると。プロジェクトを始めるときには既にチーム感が無いと間に合わない。

プロジェクトの外の活動、コミュニケーションを増やしていくということで、ギルドの中に「クラス」という概念を持っています。これは、要は学校の学級です。クラスに集まって、委員長がいて、「最近どうなの?」みたいなことを会話しながらやっていくという感じですけど、それを進めています。今、7クラスあります。

一方、遭遇というところですね。現場や組織というのは活動を進めていく上で、なんらかの専門性が必要なわけですね。その専門性が手元にない、あるいは出ていってしまった、ということは珍しくないわけです。人材の流動性が高まる一方で。

他方、専門性を担う専門家の人たちも“流し化”の傾向があって、フリーランスや、流しのアーキテクトとか、「自分、ピンでやっていきます」という感じが増えていってるなと感じます。この「組織や現場と、専門性との間の境界を越えていこう」という取り組みが必要だなと思うんですね。

それで直近「Shihan Works」という名前の取り組みを始めようとしていて、アジャイル開発や、オブジェクト指向、アーキテクチャ、マーケティングなど、それぞれその人が得意とする技、専門性を提供していく。こういった人たちとの出会う場所を提供していこうということを始めています。

この顔ぶれは、だいぶおかしな顔ぶれでして、こういう人たちが一堂に会して会社をやるってことは、まずありえないですね。はい。絶対合わないです。

(会場笑)

でも、こういう取り組み(事業)であれば、「じゃあ一緒にこの場に提供していこうか」というので、チームとして(作業などを)することができると。会社ではなく事業として、こういったことを始めています。

共創の境界を越えるためのツールとプロセス

もう1つがその先の話で、共創における境界を越えようということです。

どういうところを越えたいかというと、「プロダクトオーナーと開発者の間の境界」ですね。これはもう、ここは常に生まれやすいところんです。ここを相互に越えられるようにしたいというのが狙いことです。

作戦は2つあります。1つはデジタルツールで支えるお話、もう1つはプロセス的な話ですね。

まず、やっぱりツールはツールでそれなりの役割があるということで、プロダクト開発のためのツールを作って、MVP(Minimum Viable Product)として提供し始めようとしているんですね。

具体的には、プロダクトオーナーが主にプロダクトの仮説を立てるところ、「こういうユーザーを対象にしよう」「こんな問題を扱おう」「こういう解決しよう」といった仮説と、開発チームが主となってコードに仕立てていくために必要な、プロダクトバックログの間を統合しようということを、この道具の中で実現していきます。

具体的にどんな感じなのかというのは……やはり時間の都合で話せないため、どこかで声をかけてもらえたらなと思っています。

そういうコミュニケーションの基盤になるようなものを用意しつつ、プロセスとしては、仮説検証とアジャイル開発が、“ともにつくる”ということのために、まだまだ必要かなと思っています。

これもいろいろなところで話しているので今日は話しませんけれども、「正しくないものをつくらないようにしよう」というのが、根本的な戦略になっています。

少し触れておくと、そもそもなにを作るべきかという問いへの正解は誰にも言えないという話になり、それはもうあらゆる回答がすべて候補になるってことなんですね。それから、どこに視線を置くかということも、1箇所に置いておけばいいというわけじゃないと。いろいろ動かしながらその対象に向き合わなきゃいけないということになります。

ということになると、常に振れ幅が最大になるんですよね。「事業の観点」で考えていて、「一方、それを実現するプロダクトコードは大丈夫か?」とか。そういう振れ幅に振り回されないようにありたい。

そこで1つの考え方としてあるのは、「手段に恋をしない」です。あらゆる手段が候補になるから、「この手段ですべきだ、これでしか行かない」という捉え方をすると、それ以外の選択肢がとれないので、選択の幅、可能性を狭めてしまいます。

そうではなくて、「いったいこれは何のためにやるのか?」という目的に立ち返り、選択の幅を用意する、つくり出すようにする。つまり、「目的に忠誠を誓う」という立ち位置をとる。同時に、「この目的で本当によかったんだっけ?」という目的自体を、問い直し続けなきゃいけないということになります。

こういう「正しいものを正しくつくる」ということに5年ぐらい向き合ってきて、いろいろわかってきたこともあります。これを今、本にまとめていて……(『カイゼン・ジャーニー』の)翔泳社さんじゃないんですけれども、2019年の夏頃に出る予定です。タイトルもまだ決まっていませんが、内容的にはいま話したようなことがテーマになるので、もし見かけたら、そのときはお手に取っていただければと思います。

どんな作品に自分の名前を残すのか

境界を越えるという手段をもとにして、具体的にはどんなものを越えていくのかについて少しだけ触れて終わりたいと思います。「逆境からの越境」ですね。

本当は1個1個紹介したいんですけれども、今日は目次だけ。地域の中での越境の話。大企業の中での新規事業における越境。海外の現場での越境。

そして、さっき言った取引と共創の関係のところを具体的に進めるためには、やっぱり仕組みが必要で、そういうためのプラットフォームというものを作っていっています。この4つが僕の今の越境ですし、また時に折に触れて伝えていきたいし、なにか一緒にやれることがあったらうれしいなと思っています。

ということで、2007年のデブサミから始まった私のストレンジ・ジャーニーは、今もまだ続いております。「いつまでやってるんや?」という声があがるかもしれません(笑)が、このとおり。まだまだ旅を続けますよ。

最後に、僕が大事にしているもう1つ、問いを残して終わろうかなと思います。

自分の活動・作品・プロダクトに限らず、何に自分の名前を残すのか? どういう作品を残すのか? ということを意識しないと、ぼんやり仕事をして「なんとなくアウトプット残ってます」みたいなことになりかねないなと思っています。「どんな作品だったら自分の名前を残しても恥ずかしくないか?」「エンドロールがあるとして、自分の名前を載せるとしたらどの作品なのか?」ということを、仕事の中で考えられると、よい意思決定に繋がるのではないかなと思います。

ということで、これで私の話は終わりたいと思います。ありがとうございました。

(会場拍手)