【3行要約】・紙の本は電子書籍にはない「没入体験」という価値があるが、出版業界では原価率の厳しさや電子書籍の台頭など様々な課題に直面しています。
・ 明石の出版社ライツ社代表・大塚啓志郎氏は「紙の本はサウナのように自分と対峙する唯一無二の体験」と語り、2人代表制や生成AIの活用で出版の新たな可能性を模索。
・ 起業を考える人には「計算」「チームで挑む」「いい約束をする」の3点を重視し、言い訳のできない環境づくりが成功の鍵だと提言しています。
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紙の本は「映画」や「サウナ」と同じ体験価値がある
紙の本に近い体験は「サウナ」くらいしかない——そう語るのは、明石の出版社ライツ社代表・大塚啓志郎氏。時間をかけて自分と対峙する「没入体験」こそが、紙の本の唯一無二の価値だといいます。生成AIを「偉そうぶらない最高の上司」として活用しながら、「いい約束」で自分を奮い立たせる。最終回では、ものづくりとテクノロジー、そして仕事を楽しくする秘訣を聞きました。
藤井創(以下、藤井):在庫はあまり抱えないようにされているんですか?
大塚啓志郎氏(以下、大塚):在庫は少なめですね。売れなかったら潔く断裁しますし、重版も髙野が最低限の部数でコントロールしています。ただ、原価率が年々厳しくなっているので、ある程度刷らないと利益が出ないという難しいラインではあります。
藤井:電子書籍も増えていますが、やはり紙の本へのこだわりはありますか?
大塚:こだわっているというより、大手の漫画以外は電子書籍でそこまで売上が上がっていないのが現実だと思います。一般書を出している出版社は、結局紙じゃないと売上が立たない。うちも電子はまだ1割くらいです。
あとは、単純にデバイスとしての読みやすさで紙には敵わないんでしょうね。紙のほうが圧倒的に没入できるじゃないですか。電子だと通知が来たりして集中力が削がれる。
おもしろいエピソードがあるんですが、創業して2、3年目の頃にIT系の会社が営業に来たんです。「iPadに原稿を読み込ませて、そこから映像が立ち上がるシステムを開発しようと思っているんです」と言われて。「いや、それ映画やん」って(笑)。
藤井:(笑)。確かにそうですね。
大塚:その時に僕が話したのは、「体験そのものが違うのがいいと思うんです、紙のほうが」ということです。この紙の中で完結できる体験というのは、映画やゲーム、アプリ、SNSとはまったく違う体験だからこそ残っていくんじゃないかって。ガラパゴスになっているからこそ、勝ち続けていける。
紙の本って、他に近い体験があまりないんですよね。強いて言うなら「サウナ」くらいですかね。
藤井:サウナですか?
大塚:似ていますよね。時間をかけて、ひたすら自分と対峙するだけ。サウナは熱さと対峙して、自分と対話する。キャンプで焚き火を見ている時間もそうかもしれません。そういう、自分と対話する「没入体験」として、紙の本は唯一無二なんだと思います。
「ものづくり」と「お金」のバランスが取れた2人代表制
藤井:現在、代表取締役を2人で務められていますよね。これには何か理由があるのでしょうか?
大塚:最初は僕が社長で、髙野が副社長でした。僕が先輩だったからという理由で。でも、いろんな企業と契約書を交わす時に、編集側がやりとりする契約と、営業側がやりとりする契約って内容も相手も違うんです。
髙野が副社長だと、彼が専門の契約でもわざわざ僕に確認を取ってハンコを押さなきゃいけない。これだとスピード感が落ちますよね。法律を調べたら代表を2人にできるとわかったので、「じゃあ2人とも社長にして、それぞれ専門の契約書を巻けばいいやん」となって、そうしました。完全に実務的な理由です。
藤井:編集と営業が同レベルで動けるというのは強みですね。
大塚:そうですね。お互いへのリスペクトがあるのが前提ですが、バランスがすごくいいんです。年齢は髙野が上だけど、社歴は僕が先輩。妻同士も友だちで、子ども同士も友だち。そして同じようにお金がない状況から独立したという背景も一緒。
よくあるのが、編集のほうが断トツで本が好きで、営業はお金の計算をするというパターン。そこで情熱の温度差が生まれて喧嘩になることが多いんですが、うちは逆なんです。実は髙野のほうが僕より本が好きなんですよ。逆に僕のほうがけっこうお金の計算を意識している。
役割としては「ものづくり」と「お金」なんですが、資質的なものが逆なので、お互いのことがわかるしバランスが取れる。だから離れていかないんだと思います。
生成AIは「壁打ち相手」として最高の上司
藤井:最近は生成AIが話題ですが、出版の現場で何か影響はありますか?
大塚:めっちゃ助かっていますね。僕も一人の編集者として、社内のメンバーに相談することもありますが、四六時中相談できるわけではありません。そんな時に、壁打ち相手としてAIは最高です。
「こういう帯を考えたんだけど、どう思う? この帯だったらどういう人が読むと思う?」と聞くと、「こういう人が読みます」と返ってくる。「なるほど、じゃあ狙いと違うな」と修正できる。偉そうぶらない、すごくいい上司みたいな感じです(笑)。
藤井:なるほど(笑)。
大塚:自分が書いた原稿を読み込ませて「『はじめに』を書いて」と言ったら、こだわらなければそのまま入稿してもいいくらいのレベルで返ってきます。「おお」と思いますよ。もちろんそのまま使うことは絶対ないですが、編集視点のないライター、ただ素材を出すだけのライターからすると、これは脅威だろうなと思います。
ただ、AIの文章は「違和感はない」けれど、まだ「ビビビッ」とは来ないんです。平均点、レベル5くらいの文章。でも、使いようによってはおもしろいことができる。
例えば今、レシピ本を作っているんですが、「レシピ本をビジネス書っぽく作る」というコンセプトなんです。その原稿を生成AIに「ビジネス書として書いて」と投げると、ありがちなビジネス書っぽい文章が出てくる。それを本当にビジネス書として出してもおもしろくない。でも、「このAIが書いたビジネス書っぽい文章を、レシピ本として出す」と考えると、価値がガラッと変わるんです。「ビジネス書みたいなレシピ本が出た!」ってなる。
使いどころや文脈を変えることで、AIが秒殺で作ってくれる「平均点」が、すごく価値のあるものに変わる。そこが今のおもしろいところだし、人間の使い方次第だなと思っています。
夢を見る前に計算せよ。そして「いい約束」をしよう
藤井:最後に、これから社会に出る若い方や、一歩踏み出そうとしている方に向けてアドバイスをお願いします。
大塚:まずは「ちゃんと計算すること」ですかね。
藤井:(笑)。現実的ですね。
大塚:「起業したい」とか「独立したい」と言っている人に限って、夢ばかり語ってぜんぜん地に足が着いていないことが多い気がします。
僕らが真っ先にやったのはExcelでの計算でした。年間どれぐらい売れて、原価率がいくらで、利益がこれだけ残る。ランニングコストがこれだけかかるから、銀行にいくら借りる必要がある。これを最初にやりました。銀行からお金を借りる時に必要になるものですから、「現実を見よう」というのは大事ですね。
よく「怖くなかったですか?」と聞かれますが、あんまり怖さは感じなかったんです。だって、Excel上では一応「いける」って出ているから。
藤井:確かに(笑)。
大塚:もちろん、まったく別の事業で独立するなら難しいかもしれませんが、同じ業種で独立するならそれくらいの計算は立てられるはずです。10年前の自分たちに声をかけるなら、「よく計算した、ナイス!」と言ってやりたいですね。
あとは、「一人でやらないこと」。一人出版社って多いんですが、経営がうまくいっているところは少ない印象があります。一人で始めると、どうしても「お金がないから」とか「一人だから」という言い訳ができてしまう。
僕らは最初から4人で始めました。自分たちにできないことがあるとわかっていたから、頼れる人を入れて、その人たちが食べていけるように借金もして、「強くてニューゲーム」の状態でスタートしたんです。言い訳ができない環境を作ったからこそ、うまくいったんだと思います。
藤井:なるほど。最後に、楽しく仕事をするための秘訣があれば教えてください。
大塚:「いい約束をする」ことですね。
例えばリュウジさんの『
悪魔のレシピ』を出した時、「料理レシピ本大賞を取ります」と約束しました。取れなかったらめちゃくちゃ怖いですけど、実際に取ることができたんです。その約束があったから頑張れた。
一番尊敬する先輩の『
マイノリティデザイン』という本を出した時も、「いつかあなたの本を出したい」とずっと言い続けていました。それも約束の一つですよね。
僕は自分に甘いので、自分一人では頑張れないんです。でも、誰かとした「いい約束」は、自分をいいところに押し上げてくれる。ワクワクする毎日を送るためにも、結果を出すためにも、誰かといい約束をするというのはすごく大事なことだと思っています。
藤井:その約束があるからこそ、力が湧いてくるんですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。