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国産有人宇宙機という夢 - 宇宙輸送インフラ構築への挑戦(全3記事)

宇宙に行くロケットは何十社もあるが「戻ってくる技術」は世界で10社 誰もが宇宙で生活できる世界に必要な、唯一のインフラとは [1/2]

【3行要約】
・宇宙に行くロケットは多数あるが「戻ってくる技術」を持つ企業は世界で10社しかなく、宇宙と地球の経済をつなぐ重要なインフラが不足しています。
・株式会社ElevationSpace小林稜平氏は、東日本大震災をきっかけに災害に強いまちづくりから宇宙建築へと関心を広げ、人が宇宙で生活できる世界の実現に挑戦。
・同社は「軌道上のヒト・モノをつなぐ交通網」というビジョンを掲げ、2040年に100兆円規模になる宇宙産業において、日本発の有人宇宙船開発に取り組んでいます。

災害に強いまちづくりから宇宙建築へ。人生を変えた偶然の出会い

——東日本大震災をきっかけに災害に強いまちづくりを志し、偶然出会った「宇宙建築」という概念に人生を懸けることを決意した小林稜平氏。建築を学ぶ高専生から宇宙スタートアップの創業者へと至る道のりには、「人が宇宙で生活できる世界」という壮大なビジョンがありました。なぜ誰もやっていない「戻ってくる技術」に挑むのか。宇宙と地球の経済をつなぐインフラ構築への挑戦について語ります。

藤井創氏(以下、藤井):小林さんがこの宇宙の分野に入られたきっかけを教えていただけますか?

小林稜平氏(以下、小林):大きく残っているのは、東日本大震災ですね。私がいた秋田はそんなに被害が大きかったわけではないんですが、やはり町が簡単になくなってしまう、壊れてしまう、ああいう災害においての印象が非常に強く自分自身の中で残っていまして。

それで災害に強いまちづくりであったり、建物とかですね、そういったものに関わりたいというのが、もともと建築を志すことになったきっかけです。そこから高専で建築をやろうと思って高専に入った、というのが最初のきっかけでした。

その時は決して、宇宙とかに強い思いがあったとか宇宙少年だったとか、ぜんぜんそんなことはなくてですね。ただ高専で建築をやった中で、当時19歳の時ですかね、高専の5年のタイミングで、本当にたまたま宇宙建築というものにネット上で出会いました。それがきっかけで自分自身の人生が大きく変わったというか、創業につながる大きなきっかけでした。

宇宙建築に出会った経緯は、本当にたまたまネット上でそういうのを見掛けたというだけなんですけれども、ちょうどその時には東北大学に進学することは決まっていました。そういう中で新たに、何か新しいことをやってみたいなと思っていろいろ調べていた中で出会ったのが宇宙建築でした。

建築をやっていた時のモチベーションとしては、やはりまちづくりとか、建築物、あとは土木も含めて、国のランドマークになったりインフラになったりするような非常に大きなプロジェクトだと思っていました。

そういうプロジェクトの大きさみたいなものが、自分の1つのモチベーションとしてはあったんですけど、そういう中で宇宙で建築物を作ると。これってもう地球上を超えて、人類にとってランドマークになるような、そういう大きなプロジェクトだなと思いまして、そこが最初のきっかけでしたね。

藤井:当時は起業することは考えていなかったのでしょうか。

小林:当時の秋田にいた時の自分は、今みたいに起業するとか、そういうことはまったく考えていなかったです。そもそもそんなこともぜんぜん知らなかったといいますか。

宇宙建築を通していろんな活動をしていく中で、けっこう秋田にいながら東京のほうに行って、同じような年代の東京の学生とかと触れたり、実際にそういう建設会社とかで宇宙建築みたいなことをやっている人とか、宇宙関係者とかですね、大人も含めていろんな人と会うようになっていった中で、自分自身の価値観もかなり変わっていきました。

「あっ、宇宙って今、ビジネスとしてこうやって進んでいっているんだ」とか、あと実際に会社を立ち上げて起業するとかスタートアップ産業とか、そういうものも、その宇宙建築の活動を通して知っていくようになって、自分の選択肢の中の1つになってきたというのがあります。

この宇宙建築の活動を通して、いろいろコンペティションに応募したりとか、ありがたいことにいろいろ賞ももらったりもしている中で、もう人生を懸けてこの領域をやっていきたいなというのを、大学3年、4年くらいの時にはもうすでに思っていました。

ただ、それは決して建物を作るっていうところにこだわっていたというよりかは、結局、宇宙建築の活動の中でやっていたのは、建物を作るだけでは当然人が住めないので、どうやって物を運ぶかとか、建物以外の周りのインフラ、例えばエネルギーをどうするかとか、材料とか資源ってどうするのか、食べ物をどうするのとか、けっこうそういう、本当に宇宙でのまちづくりとか産業全体みたいなのは考えていたのが、当時の活動でした。

なので、自分自身がやりたいなということっていうのは、「誰もが宇宙で生活できる世界を創り、人の未来を豊かにする」のが会社のミッションで、そのために、じゃあ、どういう選択肢があるかなというのを大学4年の4月くらいに考えて、その中で絞り込んでいった先に、起業、スタートアップを立ち上げてやるっていうのが一番自分には合っているなと思いました。

そのプロセスの中で共同創業者の桒原(聡文)先生とですね、今東北大学の教授で、あの時はまだ准教授でしたけど、会話する中で起業という選択肢に絞り込んでいったっていうところですね。

藤井:私もこの直前ぐらいに都市デザインの方のインタビューをやったのですが、やはり建物とか箱とかではなくて、その人がどう生活するのかとか、生活の中でどう過ごすかとか。

たぶん宇宙の中でも、単に建物があってそこに人が住むとかではなくて、どうやったら住環境的に充実するかみたいなところとかを考えたりするんですね。

小林:そうですね。やはりそういう意味で言うと、もともとはまちづくりとかそういう文脈から入っていたので、おのずとそういう視点があったのかもしれないですね。

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