【3行要約】
・都市の作り手と使い手の断絶が課題となる中、「アーバニスト」として両者をつなぐ活動を展開する石川由佳子氏の取り組みに注目が集まっています。
・教育業界からクリエイティブ業界へ転身した石川氏は、ドイツと日本の公共空間における自由度の違いから問題意識を持ち、都市との関わり方を模索。
・石川氏は「個人がいかに都市とクリエイティブに関わるか」という視点から、渋谷でのシビックプライド醸成など、人と街の新しい関係性づくりを提案しています。
「都市の作り手と使い手をつなげたい」アーバニストという生き方
——都市の作り手と使い手をつなぐ「アーバニスト」として活動する石川由佳子氏。国内外のさまざまな都市で、個人が街とクリエイティブに関わる方法を模索してきました。教育業界からクリエイティブ業界へ転身し、国内外のさまざまなまちづくりに携わってきた石川氏が語る、これからの都市と人の関係性とは。
藤井創氏(以下、藤井):やはりここはちょっと避けて通れないかなというところで。まずはアーバニストという言葉を肩書として使われているかなと思うんですけど、なかなかアーバニストという言葉を知っている人がそこまで多くないので。
そもそもアーバニストという言葉の定義と、どうしてアーバニストという肩書で活動することになったのかをお聞かせいただけますか。
石川由佳子氏(以下、石川):アーバニストは、日本語の辞書で引くと2つ(意味が)書かれていて、1つが「都市計画者」、もう1つが「都市の生活を楽しむ人」で、アーバニストの定義はけっこう広い言葉かなと思っています。ちょっと前に、東大の中島直人先生が、アーバニストの本(『
アーバニスト ——魅力ある都市の創生者たち』)を出されていたりもしていますね。
私はヨーロッパで過ごしていた時期もあったんですけど、海外だとアーバニストという言葉は自然に使われていて、日本だとなかなかそういう言葉がないな、というところがまず1つありました。
あと、もう1つ大きいのが、都市で暮らしていると、都市の作り手と使い手が、ある種のトップダウン、あるいはボトムアップみたいな構造があって、その交わりがなかなかないというところに、課題意識を持っていました。
例えば都市を作る人でいうと、行政だったり建築家だったりという、専門性を持った人が街をリードしていく。あるいは町内会とか、街に何か資産を持っている人が街をリードしていくような認識があったり。
そもそも街の人が、特に開発とかで変わるものに対しては、声を上げたりとかはあんまりしないし、自分たちの街の使い方みたいなところも、いろいろなルールや、公園で禁止のサインがたくさんあるのもそうですけど、なかなか使い手が自由に使えない現状があったりする。作り手と使い手をもっとつなげていくようなことをしたいって思っていて。
その時に重要になるのが、アーバニストという人材だなと思っていて。アーバニストって個人を指すんですよ。なので、その個人というものがどのように都市の中で振る舞い、街というものをもっとクリエイティブに使っていくのか。
そういう個人の集積で、もっと街はおもしろくなるんじゃないかというところから、個人を表すアーバニスト、そして何かしら都市に対して、あるいは街に対してアクションを仕掛けていくような態度を持った人たちというところで、この言葉を意識的に使いたいなと思って始めました。
藤井:なるほど。アーバニストという言葉自体を知ったきっかけというか、そもそもそこに興味を持ったきっかけは?
石川:そうですね。私は建築とかではなく、都市社会学を専攻していたんですけど、その学問の中ではもちろん言葉として使われたりというのもありましたし、ある種……私は小中学校でドイツにいたんですけど、高校の時に日本に戻ってきて。
そこでけっこう環境の違いみたいなこととか、習慣の違いみたいなところで、「なんでここにいる人たちの振る舞いとか無言のルールみたいなもので、こんなにも風景が変わってしまうんだろう?」みたいなところを思っていて。その時に、建築というかまちづくりとか地域のデザインみたいなものに興味を持ったのが、この領域への最初のステップだったかなと思います。
藤井:そのドイツにいた時と日本にいた時の違いって、来てすぐ感じたものですか?
石川:徐々にという感じですね。もちろんいろいろなものがまったく違うと思うんですけど、やはり一番は、関係性の作り方みたいなものが違うなと思っていて。
ドイツだと目が合ったら挨拶するとか、街の中にも自由に遊ぶ場所があったりとか、そういうのがありましたけど、日本だと「これは駄目」って言われてしまったりとか。
近所の人あるいは電車で出会う人とか、そういう人たちとの対話や交流もぜんぜんないし、圧倒的に人口密度が違ったので(笑)。そこのギャップで、「この街と私は、どう関係を築けばいいんだろう?」みたいな戸惑いはあったという感じがしますね。