「ハコモノより人の関係性を」ドイツの公園で学んだ自由な街との関わり方
藤井:都市デザインの話をすると、やはり先ほど触れたように行政というか建物というか、ハコモノ自体に注目が集まりがちかなと。
住んでいる人とかそこで暮らしている人もそうですし、生活の在り方とかもあんまり注目がいかないで、どういうものを建てたらいいかみたいな話にいきがちだと思うんですけど、そういうのとはちょっと違うということでしょうか。
石川:そうですね。それこそ高校生の時は、「公園を作る人」になりたかったんですけど、確かに昔からそういうパブリックスペースとか、より開かれた場所の在り方やデザインみたいなものには、すごく興味があったかなと思います。
それこそ
ポッドキャストでも話したんですけど、けっこう原風景としてドイツで遊んでいた公園が私の中ですごく印象に残っていて。「インディアン・プラッツ」という……「インディアン公園」という名前なんですけど(笑)。
そこがプレーパークという、日本語で言うと「冒険遊び場」といった公園スタイルで、羽根木とか、東京にもあるんですけど。
そこでは火が使えたり、ノコギリが使えたり、泥まみれになったり、水があったり。他にも滑り台があっても柵がないから危険みたいな、そんな自由と責任がスローガンなんですけど、自分たちで危険なことを察知して、その場所にあるもので状況を作っていく、あるいは遊びをクリエイトしていくような態度を身に付けるような公園なんですね。
そこでは与えられたものはなくて、自分たちでそこの場所のおもしろさを見いだして使いこなしていく、そんな実感みたいなものをゲットしたのがあの場所だったなと。それがなんとなく原風景にあって、そういう場所の使い方、あるいは街との関わり方がもっとできないかなって。……日本に帰ってきて、ちょっと窮屈に思っていました(笑)。
藤井:日本が窮屈になっちゃう原因って、どこらへんにあると思いますか?
石川:そうですね。今感じるものと当時感じるものは別だったと思うんですけど、高校生の時の私は、もう電車が大変過ぎました。
藤井:なるほど(笑)。
石川:もう日々の満員電車と、そこにいる人たちの無の表情に(笑)。「なんでこんなにがんばっているのに、みんな苦しそうというか、ちょっとつらそうなんだろう?」みたいなことは、ずっと思っていたりとか(笑)。
あと一番感じたのは、先ほど言った無言のルール。多民族国家ではないので、そこを対話して解決するとか、見える化して協議するみたいなスタイルがないじゃないですか。
藤井:確かに。
石川:みなさん、よく言われる「空気」みたいなものだったり、ここはこういう場所なんだというものを察知する能力がすごいし。今はだいぶ察知できますけど、当時はそういうのがあんまりわからなくて、「なんでここはこうなっている?」とか「なんでみんなはこれをしているんだろう?」とか、そういう無言のルールみたいなものに関心を持ったし、ある種そこに息苦しさを感じたところもあったのかなと。
ベネッセからロフトワークへ 渋谷で仕掛けた「シビックプライド」づくり
藤井:そこからベネッセに行かれて。そう言えばベネッセにいた時は、編集もなされていたとか。
石川:そうなんですよね。
藤井:私も今、編集なので(笑)、その経歴が気になります。
石川:はい(笑)。私がなぜベネッセというか教育業界に入りたかったかというと、受験一辺倒ではなくて、感性を育てるような教育を、慈善事業ではなくて、ちゃんと事業としてできないかと思っていて。それこそいろいろな教育手法があって、今はいろいろな選択肢もだいぶ出てきたと思うんですけど。
学校の在り方とか教育の在り方というものの閉塞感みたいなものもすごく感じていて。やはり先ほど言ったとおり、アーバニストって個人なんですけど、街を作っている個人の意識とか感性みたいなものが変わるということがけっこう本質的なところだと思っていて。そこへのアプローチというのはすごく大変なんですけれども。
当時の私、今もそうですけど、人の教育環境とか周りの環境を変えることで、その人が例えばAとBという選択肢があった時に、ぜんぜんセンスのないAを選ぶのか、それともより価値のあるBを選ぶのかって、そこってやはり見てきたものとか、受けてきた環境というものが形作っていくと思うので、そういった領域に関心があったというのが、最初、教育業界に行った理由になりますね。
藤井:それから、ロフトワークに行って。
石川:はい、そうですね。ロフトワークに行ったのは、もちろん企業というか組織の、ムードや自由度がすごく高くて。私が入社した時は5、60人ぐらいで、今はたぶん100人超えだと思うんですけど。ちょうどいい規模で、やってみたいことがすぐできるような状況だったかなと思っています。
場づくりがしたいという想いでロフトワークに入って、先ほど言ったような企業の共創空間のデザインとか計画だったりとか。
あとは渋谷のまちづくりのプロジェクトいたので、それこそ渋谷の再開発、(渋谷)ストリームとかができる前だったんですけど、新しい建物ができてしまうと、やはり街側としてもこれまでのカルチャーが失われちゃうんじゃないかという懸念もしていて。
当時「シビックプライド」という、市民の誇りをどう醸成していくかみたいな概念が注目されていた時があって、「シビックプライドを作りたい」というオファーが来たんですよ。
その時は、「シビックプライドって作ろうと思って作れるものじゃありません」というような回答をした覚えがあって。「だったら、みんなで何か街をもっと楽しむとか活用することで、その態度を身に付けていくようなことをしませんか」ということで、渋谷の中でいろいろなスモールプロジェクトを実践するような取り組みをしていました。
藤井:確かに、いろいろなものがどんどん開発されていったちょうどその時期、そうなる直前ぐらいですかね?
石川:そうですね。2016年〜2018年とか、たぶんそれぐらいの時期ですよね。
藤井:渋谷はまあまあ好きなんですけど、その時はなかなかあんまり好きになれなくて……。いろいろなものがあるというふうな(笑)。
石川:けっこう様変わりしましたよね。
藤井:そうそう(笑)。

(次回につづく)
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