【3行要約】・銭湯再生の成功例として注目される梅湯(サウナの梅湯)ですが、湊氏は「偶然か再現可能なノウハウか」という検証から多店舗展開へと踏み出しました。
・湊氏は「ハード改修なしでもソフト面の改善で銭湯は伸びる」と指摘し、ロビー改装と地道な足を使う仕事で集客を倍増させる手法を確立。
・第三者承継という新たな選択肢を業界に示した湊氏の取り組みは、「やめるか続けるか」の二択だった銭湯業界に新たな可能性をもたらしました。
前回の記事はこちら 湊氏が見出した銭湯再生の方程式
——2年の歳月をかけて梅湯(サウナの梅湯)の再生に成功した湊氏の頭に浮かんだのは、「ここで培ったものがほかでも活きるのかどうか試したい」という想いでした。梅湯での成功は偶然なのか、それとも再現可能なノウハウなのか。
その検証から始まった多店舗展開は、やがて銭湯業界に新たな可能性をもたらすことになります。若手スタッフの育成、効果的な集客手法、そして業界の常識を覆す第三者承継の実現。湊氏が見出した銭湯再生の方程式に迫りました。
梅湯成功後の挑戦「他でも通用するか実証したい」2号店から急速展開
藤井創(以下、藤井):今はほかの銭湯さんも見られていますよね。ほかの銭湯の再生をやり始めたきっかけというのは何かあったんですか?
湊三次郎氏(以下、湊):そもそも梅湯を始めたきっかけが「銭湯をなんとか残していきたい」って、若気の至りで「ここを復活させたら無敵じゃん」というのがあったので。3年目くらいであらかた梅湯が回り始めて、ここで培ったものがほかでも活きるのかどうか試したいという。実際銭湯も減っていますし。
で、2軒目をずっと探していまして、そうしたらちょうど2軒目が滋賀で契約できたので、そこで始めました。ここで梅湯でやったことが活きるかなというのをやり始めたら、そこを引き継いでオープンして2ヶ月後くらいに、また仲の良かった銭湯2軒が「もうやめる」って言うから「えっ!?」てなって(笑)。
ちょうどその2号店をやった時に、2号店のほうで銭湯をやりたいような同世代が集まっていて、将来的にやりたいと。モチベーションの高い人たちが修行の場所的な感じで集まっていて、その中で軸になる3人がいたので、1人はそこの店長をやってもらって。
一人ひとりに「店長どう?」って言って回って、「やる」って言われて。そこで2号店をオープンした半年後には3、4号店をオープンして、という感じでほぼ無計画。もうお金があったら使う、みたいな感じでしたね。
藤井:将来的にやりたいって言った若い方々は、どうしてそう思ったんでしょうか?
湊:やはり銭湯が好きでなんとかしたいという、僕と同じようなモチベではあったと思うんですけど。ただ本当に僕はたまたま梅湯をぽっと契約できたんですけど、今考えればあれはなかなかできないことだったのではないかと。基本的には断られるんですよね。
で、(そういった若者が)どうしたらいいかわからない。銭湯業界的にもそういう若者の受け皿がない状況だったので、じゃあうちで2号店も始めるから、そこをスタッフで立ち上げからやって経験したらって言ったら集まってきた感じです。
藤井:そういう若者は意外と多いというか。
湊:一定数そんな人がいるんですよね。
集客の王道は「地道な足を使う仕事」ビラ配りと愚直な接客が最強
藤井:なるほど。ちなみに、銭湯って世の中にいっぱいあると思うんですけど、けっこうひとつの地域に固まるものなんですか? 例えば京都だと京都市とか。
湊:そうですね。京都府内でもやはり京都市内に一番集まっていますし、京都市内でも山科区はもうほとんどないですし、西のほうとかもない。南の別の市に行ったらもうなんにもないので、けっこうそれはありますね。
藤井:今の滋賀の3軒とこの京都と、ほかにもいろいろ再生をやられていて、今11軒ぐらいやられていると思うんですけど。その中でやっていて最も効果的だった人の集め方って、やはり最初のビラ配りみたいなのが一番ですか?
湊:結局そういうことですよね。自分たちで足を運んで、そういうことをするかどうか。お金を使ってどうこう、代理店を使ってとかいろいろあるかもしれないけど、結局は、まずは自分たちの足でやることとか接客とか、そういう本当に初歩的なことをやるのが大事だな、と。
テクニック的なところもあるかもしれないですけど、そういうのって頭の良い人しかできないから。(自分が)そうじゃないってわかっているので、愚直にそういうことをやろうよって思っています。
その中で徐々に良い店を作っていければ、時間はかかるけど勝手にお客さんは増えてくるのかなって。