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伝統の未来化 - 銭湯から学ぶ文化継承の新しいかたち(全4記事)

「10ヶ月で会社を辞めて銭湯経営」 24歳の挑戦が、消えゆく日本文化を次々と復活させる理由 [1/2]

【3行要約】
・日本の伝統文化である銭湯が次々と姿を消す中、若き経営者が廃業寸前の施設を蘇らせる挑戦を続けています。
・株式会社ゆとなみ社代表の湊三次郎氏は、大学時代の銭湯との出会いから「消えゆく文化への危機感」を抱き、11軒の再生に成功。
・湊氏は「軽装で富士山登山」状態の厳しい現実に直面しながらも、若さと情熱で銭湯文化の新たな可能性を切り開いています。

廃業寸前の銭湯を人気施設に生まれ変わらせた男

——廃業寸前の銭湯を人気施設に生まれ変わらせた男がいます。株式会社ゆとなみ社代表取締役の湊三次郎氏。現在35歳の湊氏は、これまでに京都、滋賀、大阪、兵庫、愛知、三重で計11軒の銭湯再生を手がけ、「銭湯を日本から消さない」をモットーに業界に新風を吹き込み続けています。しかし、その始まりは決して順風満帆ではありませんでした。

高校時代まで銭湯に入ったことすらなかった青年が、なぜ銭湯の世界に魅せられ、24歳という若さで無謀とも思える挑戦に踏み切ったのでしょうか。湊氏の原点を探りました。

京都の大学で「銭湯サークル」を立ち上げたきっかけ

藤井創(以下、藤井):まずは湊さんについてお聞かせいただきたいのですが、大学は京都のほうということで、そこで「銭湯サークル」を立ち上げたとか。そのきっかけはなんだったんですか?

湊三次郎氏(以下、湊):実は僕が行っていた大学は、他の京都の大学と比べて保守的なところがあって、サークル活動もあまり活発じゃなかったんですね。そこにはあまりおもしろいと思えるサークルがなくて。それで、入りたいのがなければ自分でサークルを作ろうと思って、その前から興味があった銭湯のサークルを立ち上げようと思ったんです。

藤井:そもそも銭湯に興味を持ったきっかけは?

湊:僕、高校時代までは銭湯に行ったことがなくて。たまたま神奈川に旅行に行った時に、初めて銭湯に入って衝撃を受けたんですね。若い人からお年寄り、刺青の入っているような人もいて、それが一堂に会していて、ここにはその町の縮図があるって。そうして大学に入って、近所にある銭湯に何度も通って、ドンドン興味を持ったのです。

藤井:なるほど。それで学生時代に京都府内160軒、全国700軒もの銭湯を巡ったんですね。では、その原動力は何だったんでしょう?

湊:やっぱり、それぞれの銭湯にはそれぞれの歴史があって、それがある時急になくなってしまう。そういう経験から、行けるうちに行っておかないと、と思ったんです。


全国700軒の銭湯巡りの原動力は「消えゆく文化への危機感」

藤井:「なくなる経験」というのは、どこかで実際に自分が行った場所がなくなった、みたいなのがあった?

湊:激渋銭湯(古くからの趣を残した、歴史や風情のある銭湯)のホームページを見た時に、京都の白川温泉という銭湯があって、そういう銭湯があることはもう知っていたんですよ。道路に看板が出ていて、「ここの先に銭湯があるんだ」って思っていて、いつか行ってみたいところだったんです。

それが頭にあって、ちょうどあるタイミングで、Webサイトに載っていた白川温泉の記事を見て「こんなすごいところがあるんだ。行ってみたい」。で、すぐ行って。そこは本当にすごかったですよ。

なのに、番台のおじいさんといろいろ話をしていたら「実はもう2、3週間後にはここを潰す」と言っていて「え!? こんなすごいものがあるのに……」って思って、その後も何回か行ったんですけど、もう本当にあっという間に更地になってしまって。そういうのを見て「もったいないよな、もっとこういう場所を残せないのかな」という気持ちが芽生えましたね。

藤井:なるほど。そんなにすごかったんですか。

湊:古い建物で、本当に中で時間が止まっているような。寺社仏閣みたいな場所とかって、厳かな雰囲気で、空気が違って止まっている感じがするじゃないですか。それがこういう一般的なお店にそのままあって、すごいなって。

それも自分自身が全裸になってお風呂に入って、全身を使ってそれを体感するみたいな。ちょっと普通とは違う入浴体験をして、そこがすごく良かった。

いわゆる激渋銭湯が、全国に散らばるようにあって、そこはやはりそういう空気感があって、これが現代まで残っていることの凄みだったりとか。そこで100年とか何十年という歴史がずっと脈々と続いているって、すごいことだよなって。

それがここで終わってしまうことに、何かできないのかなと。銭湯って人とは違うから。人って生命だから明確に寿命があって死にますけど、建物とかの場合だったらなんとかできるんじゃないかなって。

実際それで何代にもわたって変わらず続いてきているところがあるので、そこで「銭湯を残していけないのかな」と思ったのと。

銭湯マニアの人たちとか銭湯業界の方とかと知り合い始めて、やはり銭湯がなくなっていく現状に対してすごく憂いているというか。どうにかしなきゃという話にはなるんですけど、具体的なアクションが何もない(笑)。

自分も学生で一銭湯ファンで、こうしたらいい、ああしたらいいとは言うけど、別に言ってるだけという。そう言っている自分自身の現状がイヤで、何かやりたいけど何もできないみたいな。

アパレル会社を10ヶ月で退職、銭湯への想いが再燃

藤井:そんな状況が続いていたんですね。でも、大学を卒業されてすぐに銭湯にいったわけじゃなくて、1回アパレルの会社にお勤めになったんですよね? お勤めになっている間も、銭湯のことはずっと頭の片隅にあったんでしょうか?

湊:そうですね。そもそも最初は就活もろくにしていなくて、銭湯を将来やりたいってことを相談していた名古屋の銭湯のご主人に、「1回やっぱ社会に出たほうがいい」って。

お風呂屋さん業界ってそのまま継いじゃう人がいるから、社会一般的な仕事の流れとかがわかっていない人とかも多くて、それも停滞させている原因じゃないかという話もあって。

その方は大学を出てから1回会社員をやって実家に戻っているので、そこから見るとやはり……ずっと風呂屋一筋という方だと硬いというか、そういう方もいらっしゃって。「これからやっていくんだったら、1回社会に出たほうがいい」って言われて。

藤井:やはり銭湯は継いでいく文化なんですか? 何代、何代と続いていく感じで。

湊:そうですね。基本的に家族経営で家と一緒にくっついてしまっているので、それも継業の難しさにはなってくるんですけど。

それで、ごもっともな意見だと思ったんですが、とはいえ、進路に関してはどうしようというところがありまして、専攻がブラジル文化だったんですが、その時はぜんぜん関係がない経営だったりとか、どちらかというと地域政策についてすごく興味がありました。

なので大学院にそっちの勉強をしに行くか、学部生をやり直すか、就職するかみたいなところで、とりあえずいったん就職しよう。で、一番興味があったアパレルの会社を受けたら受かったので行ったって感じです。

藤井:ちょっと外に出て働いてみましょうって働いて、でもそのあとまた結局戻ってくるというか、働いてからまた戻ってこられたと思うんですけど。それは一応何年とか決めて戻ろうと思ったんですか?

湊:いや、なんにも考えてなかったです。最初はけっこう「この会社でがんばろうかな」と思って入ったんですけど、とはいえやはり大きい会社だったので、自分がやりたいことなんてやれるわけもなく。1つの歯車、駒でしかない。

これが、じゃあもうちょっとキャリアを積んで本社勤めになって、事業部を任せられてってなっても、会社なのでけっこういろいろ厳しいんだろうなって。だったらもう自分が何かやり始めて逆輸入したほうが早いかもしれない。

その時はとにかく自分でやったほうが早いと思ったので、あと長くいてもあんまり得るものがないと思って、とっとと辞めようということで、もう10ヶ月くらいで辞めましたね。


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