タクシー業界から異業種へ、41歳で2度目の転職
——経営を考える立場になり、これまでと視点を変える必要があったんですね。この後に大国自動車交通株式会社の社長に就任され、タクシー業界の社長からセブン&アイ・ホールディングスのフォーキャスト社に入社されます。ここで転職を決意されたのはなぜですか?
濱:このままタクシーのプロとしてタクシー業界で生きていくか、経営のプロとしての道を歩くかを考えました。当時、日本交通の社長だった知識賢治さんは、カネボウの社長、テイクアンドギヴ・ニーズの社長、日本交通の社長をしてきたから、僕から見ると本当にプロ経営者だったんですよね。
僕が20代の時に「経営者はすごくかっこいいな」「自分の父はすごいな」って思ったように、自分は経営者としてキャリアを築きたいとすごく思っていたので。このままタクシー会社に残るよりも、ちょっと外で勝負してみたいなと思って、タクシー業界を出ました。
毎年秋に職務経歴書を書いて転職活動
——なるほど。41歳から別のキャリアを選ばれたということで、大きな決断だったのではないかと思います。ミドル世代の方は、自分の年齢を考えた時に転職になかなか踏み切れないという方も多いと思いますが、濱さんはどうお考えですか?
濱:昔は「35歳転職限界説」と言われていました。なので僕も37歳で初めて転職した時から、自分の市場価値はどのぐらいあるんだろうと、けっこう気になっていたんですよね。
このロジックでいくと、年齢によって市場価値が下がっていきますよね。でも、それに抗うぐらい1年ごとに経験値や価値が上がっていって、市場価値が下がるよりも上がるスピードのほうが速くなれば、自分の価値は上がっていくんじゃないかという仮説を立てました。
やったこととしては、毎年秋ぐらいに、タクシー業界での経験を職務経歴書に書いて、ヘッドハンターの人と会って転職活動をしていたんですよ。どのぐらい自分の市場価値があるかを確認して、時には面接もしながら「自分はこういう会社に内定を取れるな」ということを確認していました。
フォーキャストという会社に42歳で転職したのは、キャリアとか年収とかを考えた時に自分が望む条件でいけるなという手応えがあったので、そんなに不安を持たずに決断できました。なので、(転職の際には)自分の経験を棚卸しして再現性があるかをちゃんと俯瞰して見ておくのが大事だと思いますね。
戦略がないと、組織は個別最適化していく
——ありがとうございます。この後にフォーキャストに入社されて、セルフレジで省人化をかなえるようなスーパーマーケットの事業をされていたと拝見しました。グラフでは「組織があまりよくなく事業は苦戦」と書かれてらっしゃいますが、どんな問題点がありましたか?
濱:いや、組織が難しかったですね。例えるなら、文鎮です。文鎮って横に長いじゃないですか。ああいう感じで、トップの下にGMが広がっていた。セブン&アイのグループから来たジェネラルマネージャーと、社外から来たジェネラルマネージャーが半々ぐらい、総勢10〜12人ぐらいいたんですね。
組織化されてないから、みんな自分の範囲で個別最適になってしまっていた。トップが全部横断的に意思決定したり、物事を決めていくような組織でもなかったんですよ。だから、なかなかいいサービスを提供することができなくて。1店舗目はすごく苦戦したんですよね。一人ひとりの能力が高かったから2店舗目は挽回したんですけども、時すでに遅しでした。
勘と経験に頼った経営は再現性がない
——そうした際に、事業を成功させるためにどう組織を変える必要があったのでしょうか。
濱:組織をつくる上では、やっぱり戦略と実行が重要だなと思いましたね。「組織は戦略に従う」「戦略は組織に従う」という2つの考え方があります。要は組織だけだと、やっぱり個別最適になって、自分たちがオペレーションしやすい方向にいっちゃうんですよね。でも戦略がしっかりあれば、組織は戦略に従うんです。
セブングループって、イトーヨーカドーとか、郊外向けの大きなスーパーマーケットはありましたが、当時は首都圏に小さいスーパーマーケットがなかったんです。
だからここに対してちゃんと戦略を立てて、その戦略を実行するのに適した組織にして実行計画を作っていかないとダメだなと思っていました。最初にそれを考えずに、それぞれの組織をつくってしまうと、個別最適になってしまう。そうすると、会社として横串を通すのが本当に大変です。
「うちの会社はこういうことを目指すんだ」というビジョンと、それを実現する戦略と、戦略を実行する組織と、組織をどう動かすかの行動計画。この部分をちゃんと横串にしてやっていかないとダメだなと思いましたね。
だから、実際に手を動かすのは経営企画の方だと思いますが、やっぱり社長が「戦略が大事だ」と思わないと、戦略ドリブンな会社にならないんですよね。勘と経験の世界になってしまうと再現性がないから、たまたま1回目がうまくいっても、2回目は失敗することもあります。
45歳で社長に就任、赤字を脱却するためにやったこと
——なるほど。まずは経営者がそうした意識を持つことが大事なんですね。この後は、43歳でフォーキャストの事業が撤退、44歳でワイヤレスゲート社に3回目の転職をされます。45歳で、以前から憧れだったという社長に就任されます。退任までの3年間はどんな経緯がありましたか?
濱:社長は3期やりましたね。創業者が16~17年ぐらいやってた会社で、最初から「3年間でこのぐらいまでやりましょう」みたいな話があったんです。Wi-Fiの事業をやっていたのですが、僕が入った時は契約数も売上も利益も下がってるし、株価も社員の士気も、もう全部が下がっていたんですよ。
5年以上良くない状況が続いている会社だったので、これをどういう順番で上げていけばいいんだろうと、最初は考えました。赤字の状況はまずいので、少なくとも黒字に乗らないといけない。「どう考えてもこんなに費用はかからないだろう」と思ったので、黒字にするためのタスクフォースを作って、コスト削減をして黒字にして、販管費を使えるようにしました。
そのあとは、確か36ヶ月ぶりくらいに会員数を右肩上がりにした。6年~7年ぶりに単年純増となり、社員の士気もだいぶ良くなってきました。そこで新規事業をやろうと、外国人向けeSIMの販売の仕掛けをしたのがちょうど3年目ぐらいの時でした。
株価は上がらなかったんですけど、ちょっとずつ良くなり始めてきたタイミングで。生え抜きの取締役も育ってきたし、ここでバトン渡すのがいいかどうかということを関係者と話し合いをして、「退任しよう」という感じでしたね。
平社員時代が長かったからこそ「助けてもらえる人」になれた
——その後で、株式会社ハマティニクスを設立して好きなことを仕事にされたということなんですね。
濱:はい。ありがたいことに多くの会社から「役員をやっていただけないか」とか「この会社を経営してもらえないか」ってお声がけいただいたのですが、「行きたい!」ってピンと来るものがなくて。
業務委託、プロジェクトベースで10社ぐらいやっているうちに、自分自身が何をやりたいのかと考えるようになりました。そこで日本の未来の国力がやっぱり気になるし、先ほど「自分のWantにもっと早く気づけたらよかった」とお話ししたように、中高生のキャリア教育が大事だと感じるようになりました。
自分の子どもはちょうど中学3年生とか小学生高学年とかだったので、息子たちのためにも、グロービスの先生たちと一緒に中高生向けのサービスを立ち上げたりしています。中高生のお子さんをお持ちのお父さんお母さんはよかったらハマティニクスのホームページをご参照ください。
あと本も書きました。『なぜか助けてもらえる人の小さな習慣 チャンスと味方がみるみる増える(東洋経済新報社)』というタイトルなのですが、この本を書いた理由は、自分自身は長く平社員だったんですけれども、平社員の時の経験や習慣のおかげで、周りに助けてもらえるビジネスパーソンになることができ、それが結果的にやりたい仕事を見つけた時に大いに役に立ちました。
いつかやりたいことが見つかった時に向けて、焦らずに「助けてもらえる人」になるための習慣を積み重ねる人が増えていくといいなと思って、45個のコツにまとめたこの本を書きました。
関連サイト:
『なぜか助けてもらえる人の小さな習慣 チャンスと味方がみるみる増える』