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成果が出せない=「能力がない人」とみなす能力主義の組織の問題点(全4記事)

20名の会社でGoogleの採用を真似するのはもったいない 人手不足の時代における「脱能力主義」のヒント

近年は人手不足や人材獲得競争の激化が深刻化しています。一方で、個人の能力によって、人を「選び」「選ばれる」能力主義が、職場では根強く残っています。環境、機会、適性など、成果に影響を与える要因が多岐にわたるなかで、成果と能力を直結させる風潮を見直す必要があるのではないでしょうか。

そこで今回は、組織開発専門家の勅使川原真衣氏にインタビューを行いました。本記事では、「能力主義」が職場に広まっていった背景についてお伝えします。

職場で当たり前とされている「能力主義」の問題点

——個人の能力によって、職場では人を「選び」「選ばれる」ことが当たり前とされていますが、この「能力主義」はどうやって生まれたのでしょうか?

勅使川原真衣氏(以下、勅使川原):著作『働くということ 「能力主義」を超えて』の中でも書いていますが、そもそも能力主義は、近代化に伴い、身分制度が廃止されたことで必要性が高まった社会原理と言えます。というのも、廃藩置県などがされた時代、身分制度も廃止されたとなれば、今度は身分に代わって限られた資源、ヒト・モノ・カネや土地、食料などのリソースを、家柄以外の人々が納得できるロジックで配分する必要があったんです。

その時に、「出来の良い人にたくさんあげましょう」というのが、一番手っ取り早く、納得性が高かったのが能力主義の起こりです。つまり、「能力」というのは「出来がいいか・悪いか、できることが多いか・少ないか」という基準です。

なので、もともとは、能力主義は社会に必要とされて生まれた世紀の大発明みたいなロジックなんですよね。

とはいえ、この先も能力主義だけが社会の配分原理としてあり続けることは、さすがに難しいだろうと思っているんですけれども。必要とされて生まれたという背景があるので、「能力主義批判をされている勅使川原さん」とか紹介されると……。「いや、能力主義がすべてじゃない、という意味ですが……」と思っています。

人の分け前(取り分)を決める時に、例えば「顔がいいから」を判断基準にするのは、NGですよね。ルッキズムは立派な差別です。差別というのは要するに、本人がどうしようもないことをあげつらって社会が良し悪しをつけ、不利益を負わせること。これはいけません。加えて、「かっこいい」「かわいい」なんていうと、「え? あの人のほうがカッコいいじゃん」とか、統一的な基準づくりもすごく難しい。

権力者にとって使い勝手が良い「能力主義」

勅使川原:だけど「能力」という名の「貢献度」を基準にした途端に、本人の「努力」次第でいくらでも変えられるような気がしてくる。一見、身分で取り分が決まる時代や、見てくれの良さなんてあいまいなものより、よほど公平で民主的な感じがします。

それであまり批判もせず、「あー、あの人は出来がいいから多くもらえるんだな。私なんてどうせダメだから」みたいに、勝手に納得していく仕組みがまかりとおっていった。「能力」というのは、目に見えるかたちがないのに、社会の配分を決めて然るべきと信じられているくらい、ものすごく影響力がある言葉なんですよね。

それゆえ、不安視している点もあります。たとえば、権力がある人、ないしはもともと土地やお金を持っている人にとっては、「いや、僕は能力が高いからですよ。欲しいならもっとがんばってください」と言えてしまう。

よって、現状の「もらい」を能力の高さに還元して自己正当化し、既得権益を守る方向に働きやすい側面があるんですね。もともと権力に偏りがある状態で導入された制度なので、強者にすごく馴染みが良かったんです。

——能力主義は、権力者にとっては使い勝手が良い制度だということですね。

勅使川原:はい。特に今権力を持っている側、勝者の側にいる人にとっては、「自分はがんばったから、今これだけもらえている」という意味で納得しやすいのだと思います。一方で、今もらいが少ない側の方も、当然発生しているわけですけども。その人たちに対して、「さらに欲しいんだったら、もっとがんばりなさいよ」というロジックがまかり通りますよね。

そうすると、勝っている人にも負けている人にも、「多くもらい続けたいなら、今のままじゃダメだよ」というメッセージが強烈に流布される。なので能力主義制度によって、“一生涯がんばり続ける国民の量産”が可能になってしまった。これが能力主義の功罪ですね。

これからの時代は「優秀な人」を選んでいる場合じゃない

——「できる人が多くもらうのは当然」という考え方が広まったことで、能力を上げ続けることが求められるようになったと。これについてどんな点を問題視されていますか?

勅使川原:右肩上がりに人口が増加していたり、大量消費がされている高度経済成長みたいな社会であれば、能力主義で人を選抜していく制度でも、問題はないと思います。でも、人口減少、人手不足が深刻化する中で、おそらく今後も大量消費社会にはならないですよね。

こういったことを考えると、「能力」という、わかるようなわからないような基準で人を選び抜いていくのでは、社会が回っていかないと思います。

能力主義は基本的に間口を狭めるという意味の選抜機能を伴うので、人数が精鋭化していくわけです。でも人口減少社会においては、選んでいる場合じゃないよねと。「能力が高い人が社内にいない」「外から持ってこなきゃ」と躍起になるよりは、今あるもの、いる人に気づいて、うまく組み合わせていくほうが現実的かなと思っています。

——なるほど。勅使川原さんがこの能力主義の問題に気づいたきっかけは何だったのでしょうか?

勅使川原:初作の『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)という著作に書いたんですけれども、自分自身が「リーダーシップ」という能力についてまったく違う評価をされたことがありました。小学校4年生の時の担任は、私のことを「リーダーシップがあってすばらしい」と言ってくれたんですが、5~6年の時の担任からは、「リーダーシップがありすぎて問題だ」と叱られた経験がありました。

たぶん(5~6年の時の担任の)先生は私のことが嫌いだったんだと思うんですけど。能力の問題にすると、好き嫌いという個人的な問題を、あたかも相手の能力のせいにして、事を進めることができちゃうんだなと。それを12歳で初めて感じたのがこの問題に関心を持ったきっかけかもしれません。それから30年近く、根に持っているということですが(笑)。

社員数20名なのにGoogleの採用を真似する企業

勅使川原:いまだにリーダーシップの研修やアセスメントも多くて、すごく売れるんですよ。なぜなら、「リーダーシップ」をこの目で見たことがある人はいないわけです。だけど、コンサルが「専門家はリーダーシップを測れるんです」と言い切ってしまえば、任せるしかないんですよね。なので、ビジネス的にはめちゃくちゃいい商品ですよ。

会社側は「(あなたは)リーダーシップが低いから、この先の昇格はありません」と言えてしまうので。本人は「ああ、そうか。そしたらリーダーシップを学べる学校でも行くか」となる。商売上はとてもうまく回っているんですけど、「これは問題解決のために問題が設定されている状態なんじゃないの?」と指摘しています。

——権力のある人から「能力がないから」と評価されたら、「自分が悪いんだ」と受け入れてしまいますよね。大企業やスタートアップなど、組織の規模にかかわらず変えていく必要があるのでしょうか。

勅使川原:大企業はまだ(人を)選べる状態なので、実は能力主義をやめるインセンティブがあまりないように思います。なので、大企業の方には刺さりにくい話なのかもしれません。私の顧客や、この本を読んで反響をいただく方も、中小零細企業やスタートアップの方が多いです。

もともと限られた人数で回しているところは、「優秀な人は来てください」と言うよりも、脱能力主義で、人の組み合わせを考える方向のほうが、よほど現実的だと思います。でも中小零細企業は、「大企業がやっていることがいい施策だ」と思い込んでいる節があるのが非常にもったいない。

『職場で傷つく~リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』という本に書いたんですけど、20人のデザイン会社さんとかでも、「Googleがやっているから」と言って、採用面接でフェルミ推定をやってしまったり。本当に必要ですかというようなことをやってしまっている現状があるので、警鐘を鳴らす意味も込めて、脱能力主義のヒントをお伝えしています。

「成果を出せない」ことと「能力がない」ことの違い

——規模の小さい組織ほど、能力主義から脱却するメリットが大きいんですね。そもそも、「成果を出せない」ことと、「能力がない」ことは、どう違うのでしょうか?

勅使川原:社会学では、「能力」という言葉自体を、仮に構成された概念だと考えています。私はその前提に加えて、能力とされているものは、「誰と」「何を」「どのようにやるか」という3つの視点によって、いかようにも変わると思っているんです。

「あの人がチームに入っていると、急にうまくしゃべれなくなっちゃうな」とか、逆に「あの人の前だと、なんか自然に振る舞えるな」ということもあるじゃないですか。そういう相性みたいな、人と人との組み合わせ。ないしは、やりやすい仕事・やりにくい仕事という、人とタスクの組み合わせ。

その組み合わせがいい時が、「あの人は能力があるね」と言われる瞬間であって、人によって「能力」とされるものに多寡があるわけではないと思っています。なので、成果が出せない状態を第三者的に見た時に、「あの人は能力が低いからね」と思うのではなくて、「組み合わせに問題があるんじゃないかな?」という視点を持つ。

特にマネジメント側が「なんか変な仕事の任せ方をしちゃっているのかも」「自分の目にはこう見えるけど、あの人といる時はすごく笑顔だな」と、客観的に振り返ることが不可欠です。

個人の側でも、うまく成果が出せない時に、「ああ、俺ってこういう人間だから」と内側に入っていくんじゃなくて。「自分が寝食を忘れてやれることって、こういうことだな」とか、「これを今の上司の前で『やれ』って言われると急にできなくなっちゃうけど、昔の上司の前だとできていたよな」と思い返すとか。自分の向き・不向きを明確にしていくことが、自分を取り戻していくことなのかなと思っています。

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