本企画、「キャリアをピボットした人の哲学」では、インタビュイーにこれまでの人生を折れ線グラフで振り返っていただき、その人の仕事観や人生観を深掘りしていきます。
今回は、記者で
『ずるい聞き方 距離を一気に縮める109のコツ』著者の山田千穂氏に、今までの人生を振り返っていただきました。本記事では、109店員から週刊誌記者に転身した同氏が、キャリアチェンジで失敗しないためのヒントを語ります。
渋谷109のカリスマ販売員→記者に転身した山田千穂氏
——山田さんは、記者としてこれまで3,000人以上に取材をされてきた実績がおありですが、大学在学中は、渋谷109のカリスマ販売員としてご活躍されていたと拝見しました。「山田さんが着るとなんでも売れる」と言われるくらい、成果を上げられた秘訣は何でしょうか?
山田千穂氏(以下、山田):そうですね。(販売員時代は)ある程度「この1週間ではこれを売りたい」という目標があって、店長や本社の人が「誰がどれを着れば一番売れそうか」を決めます。「千穂が着ると売れるから」ということで、売り出したいものを着せてもらえていたんですけど。
売るために大事なのが、「私めっちゃかわいい!」とか、「私が着ると絶対売れる!」という思い込み。そういう内側から溢れ出る自信をすごく大事にして着ていました。
というのも、(販売員の)自信があるかないかで、お客さんがこっちを見てくれるかどうかが、ものすごく左右されるんですよね。自信のなさそうな店員さんが注目されたり、「この人すてき」って思われることはなかなかなくて。実際に自信があることよりも、「自信がありそうに見える」ことがすごく大事ですね。
——なるほど。まず第一印象で自信を持っているように見せることが大事なんですね。ほかにはどんなスキルが必要なんでしょうか。
山田:お店全体でいい雰囲気を作るイメージで、「いらっしゃいませ。どうぞご覧くださいませ」と言ってお店に入ってきてもらうこと。
基本的に自分からはガツガツ行かずに、お洋服を畳み直したりしながら、お客さんが気になっているものがあったら(声をかけていました)。まず、向こうから興味をもってもらうことを徹底していました。
憧れの仕事で評価もされていたが退職を決意
——確かに売り込まれると引いてしまう気持ちはわかります。山田さんは、憧れの販売員のお仕事で評価もされていた一方で、20歳頃にはモチベーションが低下気味になっていたのはなぜですか?
山田:私が着るとなんでも売れるとなると、今度は売れているものじゃなくて、売れていない色を着せられるようになるんです。本当は白が一番売れているけど、私が白を着ると欠品しちゃうんですよ。
すると、売れていない黒を着させられるんですね。なので、だんだん自分が好きじゃない洋服だったり、売れていない洋服を着せられる機会が増えてきます。もちろんお客様には、似合わない色を勧めるようなことはしませんでしたが、「まだ白が残っていれば、この方には本当は白を勧めたかったな」ということも増えてきて。
販売員時代の後半は、売れている色が欠品しないうちに売れていない色に着替えて、うまくバランスをとったりしていたんですが、そこの難しさはありましたね。
——自分が気に入っていないものを着なければいけなかったり、売らなければいけないという葛藤があったんですね。その後は起業塾に通われますが、どういったきっかけで起業を目指されたのでしょうか。
山田:21歳の時に出会った、周りに社長さんがたくさんいる子と親友になったことは大きいですね。そこから起業家という存在を知って、いろんな社長さんの本を読む中で、自分のように学歴が高くなくても、起業すれば貧乏を打開できると感じました。
いろんな社長さんが集まる会に足を運んでいる中で、起業塾をやっている作野裕樹さんという社長に出会いました。そこで「起業塾で社長さんのインタビューを始めたいんだけど、よかったらやってみないか」とお声がけをいただいたんですね。
経営者や目上の人にかわいがられる要素
——学生時代から社長インタビューを始められて、大学卒業後に23歳で交流会や司会業で起業されました。やはり人前でお話しするのが得意だったから、この事業を選ばれたんですか?
山田:正直、自分ではもともとそんなに得意だとは思っていなかったんですけど、需要があったんですよね。あちこちで出会った方に「君、すごく盛り上げるのがうまいから、イベントで司会をやってくれない?」と(仕事を依頼されることがありました)。
——学生の頃から経営者の方にお会いし、お近づきになる機会が多かったようですが、何か心がけていたことはありますか?
山田:『ずるい聞き方 距離を一気に縮める109のコツ』の中にも書いてあるんですけど、「アスマ精神」。明るい・素直・真面目というのが、最も大切だと思っています。イベントって、司会者が明るくないと成功しづらいんですね。
それからイベントをやるにあたって、依頼主の意思を素直に受け入れてくれないとやりにくく感じるでしょうし、真面目に時間どおりにイベントに来てくれないと困る。このアスマ精神が、上の方たちからかわいがってもらえた要素だと思います。
——目上の方にも臆せず話しかけに行ったりするような、マインドの部分も重要そうですね。
山田:そうですね。新聞を読んで「この社長に会いたい」と思ったら、セミナーに行ったり、飛び込みでパーティーに行ったりとか。もちろん門前払いということもたくさんあったんですけど、そういう好奇心が自分の行動力の源になっていたと思います。そうやっていれば、10人中1人ぐらいは会えるんですよ。1回成功したら「やれるじゃん」と、また続けて会いに行っていました。
人は24歳から価値観が凝り固まっていく
——起業の経験で学びになったことがあれば、おうかがいできますか。
山田:インタビューで社長さんたちからいろんな言葉をお聞かせていただいて、ものすごく勉強にはなったんですが……。特に印象に残っているのが、「人は24歳までに経験したことや聞いたことで考え方のベースができちゃうから、24歳までにいろんな人と会って、生き方の基盤を築いたほうがいい」と言われたことです。
それ以降は価値観が凝り固まってしまうので、柔らかくするのってすごく難しいようです。なので、24歳までに会える人に会って、やりたいことをやる。自分には何が向いていて、人から何が求められていて、何で食べていくべきなのか、よく考えようと思って行動していました。
起業を経験するも、就職を選んだ理由
——この時の経営者の方の言葉が、その後のキャリアを考えるうえで後押しになったんですね。1年の起業ののち就職されましたが、どんな軸で選ばれたんですか?
山田:私は子どもがすごく好きで、栄養士の資格を取っていたこともあり、保育園の栄養士を選びました。あとは、経営者の方にいろいろお話をうかがう中で、1回誰かの下で働いてみたいと思ったんですよね。
やっぱり起業して社長になってしまうと、「これやって」「あれやって」と、最初から人に指導することばかりなんですよね。でも、自分自身が1回指導される側を経験しないと、言われる側の立場がわからないと思って、就職したんです。
それで「こういうふうに言われると嫌だな」というのはとても勉強になったんですが、その会社で大きな目標を持たれている方があまりいなかったので、ここでずっとやっていくのは無理だなと思って、1年ぐらいで辞めちゃったんです。
社長さんたちはみなさん、会社をこうしていきたい、ああしていきたいと、常に目標を持っていらっしゃったんですけど、その会社で上司だった方は、「とにかく今いる地位で淡々とやってければいいや」という人が多かったのです。
この会社員時代に、「やっぱりこのままじゃダメだ。いろんな人に話を聞いて、自分を成長させなきゃ」と思って、副業でライターを始めました。私は(仕事選びにおいては)違うと思ったら早めに見切りをつけるのも、ある程度は必要だと思っています。
——当時は、「就職したら3年はその職場にいなきゃいけない」という風潮が今より強かったのかなと思います。
山田:私の場合、副業ライターを始めたことで、保育園の栄養士よりも取材がしたいと思ったので、1年ほどで見切りをつけちゃったんですけれども。もしぜんぜん違う業界ではなく、保育系、栄養系でずっとやっていきたいと思っていたら、3年はいたほうがいいと思います。
同業種なら、新人時代はほとんどやることも変わらなかったりしますし、次の職場でも絶対に経験を活かせると思うので。
20代のうちにしておきたいこと
——山田さんは高校生の頃から、コンビニや引越し業者、飲食業、コールセンターなど、30種類近くものアルバイトを経験されていらっしゃいました。なかなかない経験だと思うのですが、社会に出てキャリアチェンジを成功させるうえで、役立ったことはありますか?
山田:やはり自分と向き合っていないと、自分の望むキャリアは築けないと思います。私は大学生は、勉学に加え社会人になる前にいろいろなアルバイトを経験するための期間なのではないかと思っています。
最近は大学時代に起業される方も増えていたり、実際起業したあとに1回就職される方も多いと感じています。だから、大学生のうちにアルバイトでいろいろな仕事を試してみることが、起業や就職をする時に自分の向き・不向きを知る上で必要だと思うんですよね。
あとはキャリア準備としてできることは、やりたいと思っている職業に就いている人に、「実際にどうやって就職をして、今どういう気持ちで何に悩んでいて、現段階で私にできる準備は何だと思いますか」とたくさん話を聞く。
できれば20代のうちに、基盤としてやっていきたい仕事を見つけられると、後のキャリア形成がしやすいのではないでしょうか。私のテーマである「人に話を聞く」というのは、いろんな媒体で潰しが利くというか、やれることじゃないですか。なので、20代のうちにそこに気づけて良かったと思っています。
例えば広報でずっと生きていくと決めるのでもいいですし、なんでもいいんですよね。今の会社じゃなくても「自分はこれをやりたい」というものを見つけられたら、すごくいいですよね。
——異業種に行ったとしても使えるような、基盤となるスキルを身につけるということですね。
山田:それを20代のうちに見つけてほしい。そのあとは、最初のうちは何でもがむしゃらにやることが必要だと思います。私は25歳で「記者をずっとやっていきたい」と決めたので、5年ぐらいはがむしゃらに、寝ないで仕事をしている時期もありました。
その後は「文字起こしは嫌だからやりたくない」とか、ある程度自分でやること・やらないことを決めてもいいと思うんですが。最低でも3年、できれば5年はがむしゃらにやると、その先に見えてくるものがあると思います。