20年以上にわたり突出したIT人材を発掘・育成してきた「未踏事業」。その魅力を発信した「未踏会議2025 MEET DAY」の中の本セッションでは、AIエンジニア/起業家/SF作家の安野貴博氏や、作家の九段理江氏、お笑い芸人/作家の又吉直樹氏、編集者の九龍ジョー 氏が登壇。本記事では人間に「忖度しないAI」がもたらす可能性について語ります。
AIが苦手な「ボケ」と「純文的な問い」の線引き
九龍ジョー氏(以下、九龍):これ、ちょっといいですね。テーマ2を出してもらえますか? 「私にとってのAI」という、まさに今そういう話に入っていきましたけれども。このAIというのがなかなか抽象的な質問でもあるんですが、又吉さんは「親友だ」っておっしゃっていましたね。
又吉直樹氏(以下、又吉):はい。もともと僕はAIとかに詳しくなくて、今も知識自体はぜんぜんないんですけど。そういうものがすごい速度で広がっていますよね。体験すると、物を作る人間側の独自性ってかなり揺らいでくるじゃないですか? それが、どんな感覚なのか知りたくて使い始めたのが最初なんですよね。
九龍:それはAIの側ですか? 自分の独自性(が揺らぐということですか)?
又吉:僕のです。要はAIがどんどん進化していった時に、課金は必要だったとしても、それを全員が共有できるようになるわけじゃないですか。
九龍:なるほど。
又吉:だとしたら、課金したら全員が共有できるその枠の中に自分の能力のすべてが収まっていた場合、新しく作品を作る意味がだいぶ薄れるというか。もちろん僕自身の体験とか考え方はあるにせよ、そこを明確に確認しておきたかったんです。
九龍:なるほど。逆に言うと、「ここはまだぜんぜん負けていないな」というか、「ここはまだぜんぜん任せられないな」という感じもありますか?
又吉:そうですね。例えば、新しいちょっと変な考え方みたいな、ほかの人に突っ込まれてしまうような極端なことを言った時に、それはやはりできない。過去の膨大なデータから……。
九龍:なるほど、発想の飛躍といいますか。
又吉:はい。それをそれぞれ結びつけてはしゃべってくれるんですけど、ボケなのか純文的な問いなのかぐらいのラインのことは、まだAIは現時点では苦手なんかなっていう。
AIが「人間が理解できるレベル」に忖度してくる
九龍:このあたりは九段さん。特に純文学とかは、AIのいわゆるロジカルシンキングとまた少し違う領域かなと思ったりもしますけれど。
九段理江氏(以下、九段):そうですね。純文学という同じジャンルで又吉さんも書かれていますが、AIを使うのはまず難しい。でも私は、「95パーセントをAIに書いてもらってください」というご依頼をいただいた時はちょっとワクワクしたんです。AIは人間よりも高い知性を持っているという前提があるじゃないですか。
95パーセントも使っていいんだとしたら、もう人間にも誰にも理解できないような、本当にAIだけがわかる知性の小説。訳がわからないものがきっと出てくるだろうということを期待していたんですけど、結局AIはこっちに忖度して調整して人間が理解できるレベル、人間が感動できるレベルのものしか出してくれないというところが、なんかがっかりしましたね。
九龍:もっと暴走してほしいんですね(笑)。
九段:そうそう。もっと暴走してほしかったんです。
又吉:確かにね。
九段:まったく新しいもの、未知のもの。人間が見たことのないものを作ってほしかったんだけど、がっかりでした。その能力は絶対にあるはずなのに、やはり忖度するっていうのが。
“人間に忖度しないAI”の思考課程を見てみたら…
九龍:安野さんは我々がAIに触れる前の段階から、もうずっとAIに関わっていらして、ここから先はどういうふうに進化していくのかというロードマップもある程度見えているかなと思うんですけど、そのあたりの(AIの)暴走については、どうですか?
安野貴博氏(以下、安野):そうですね。今、九段さんがおっしゃっていたのは非常におもしろい話で、我々が今よく使っている言語モデルは、我々に忖度するように、ある種迎合するように訓練されているんですよね。そういうものばっかりなんですけど。
研究の過程で今出つつあるものは、忖度させないんだけど賢いモデルを作っている時って、AIの思考過程みたいなものが我々にも見えるんですよね。ユーザーにも見えるんですけど、訳がわからないんですよ。人間とぜんぜん違う思考過程をたどっていたり、1文ごとに中国語と韓国語と日本語が入り混じってちゃんぽんになったりする現象がいろいろあって。
今のお話を聞いていて、あのAIの意味がわからない思考過程みたいなところをつぶさに見て考えていくと、実はけっこうおもしろいかもなと思いました。
九龍:最近「DeepSeek」とか。
安野:まさにそう。
九龍:推論型の(AIで)途中の経過が見られる時に、さっき英語で考えていたのにいきなり中国語で考え出したぞみたいな。あの時にちょっとだけ、ぞわっとする時があって。
安野:そう。人間の知性の考え方とぜんぜん違う、みたいなね。
九龍:日本語で話しかけたら、なんか知らない言葉でいきなり考え出したっていう。
又吉:それって、その考えるテーマに対して、一番適切な言語を選択している?
安野:その可能性があると思います。
又吉:そうだとしたらおもしろいですよね。
安野:そうですよね。
芥川賞の審査で「AIを使っているか」の電話が
九龍:中国語であれ英語であれ、自分がわからなくても人間の使っている言葉ですけど。さっきの九段さんの話でいくと、もう訳がわからない言葉で語り出す可能性もありますよね。
九段:そう。だからこれからリリースされますけど、正直言って95パーセントAIを使ったやつは、期待したほど知性のあるような小説にはなっていないです。
九龍:パッと見て「あっ、AIだな」とか、「あっ、ここは人間だな」っていうのがなんとなくわかるんですか?
九段:うん。わかるようにはなっていると思います。最近、芥川賞の審査員の平野(啓一郎)さんがおっしゃっていたと思うんですけど、最近は芥川賞の候補に残ると本人に電話がかかってくるんですね。又吉さんにもお電話が来たと思います。
又吉:はい。
九段:その時に、「今回AIを使っていますか?」みたいな確認が入ったらしくて。「でも、それはやはり審査員の仕事でしょう?」とも、どこかで思うんですよね。AIがどこを書いていて、人間がどこを書いていてというのを「見極める」じゃないですけど、結局上がってくるのは作品の質であって、それを確認することが本質的なのだろうか……。まぁ、著作権の話もありますからね。
九龍:そうですね。でも、「万年筆で書いていますか? パソコンで書いていますか?」に近いレベルの話にも、これからなっていくような気もしますね。
九段:そうですね。
安野:テキスト以外の外の情報で審査員がどういうふうにジャッジを変えるのかはけっこう気になりますね。「あんまり変えてほしくないな」っていうのは書き手としては思いますけど。
九龍:成果物で勝負するというか。
安野:そうそう。その人のバックグラウンドの情報でこれは価値が高いなとか低いなって思われちゃったりしたら、嫌だなと思いますけど。
AIが“人間に理解できない物語”を書くのはまだ難しい
九龍:そうですよね。医者だから医者の小説を書けるって話じゃないですもんね。
又吉:そうですね。やはり僕はAIが人間のまったくわからない物語を生み出すのはまだかなり難しいんじゃないかなと、ずっと触っていて思います。5年後はわからないですけど現時点で書かれたものを読んで、「こんなものは読んだことがない。むちゃくちゃおもしろい」と思ったら、それはまだ人間の手によるものの可能性が高いと僕は思うんですよ。
九龍:なるほど。
又吉:使い方としては、「自分がこういう構造の物語を考えている」と言った時に、あまりにも似たような作品が……普遍的なものやったらしょうがないんですけど。
テクニカルな部分とか発想の部分で新しいと思ったものが、すでに何人かがそれを生み出しているということをAIにジャッジしてもらって、「じゃあ、やめておこう」って使い方が今は一番、僕にとってはいいライン。だから確認するまでもないんじゃないかと思います。AIは大喜利とかめっちゃ弱いですよ。
九龍:(笑)。
安野:いや、そうですよね。
又吉:俳句とか、もうぜんぜん。やはりそのへんは難しいんやろうなと思っています。