生成AIの進歩により、エンジニアの働き方や役割に変化が生じる中、CTO経験者が再びエンジニアとして現場に戻る「振り子キャリア」が注目されています。今回は株式会社IVRyの成田一生氏、株式会社MIXIの佐々木達也氏、Nstock株式会社の田中清氏の3名が、それぞれの視点から「振り子キャリア」を選んだ理由を語ります。
6年間の執行役CTOを経てエンジニアに転職
じゃが氏(以下、じゃが):登壇者の紹介に移っていきましょう。最初にmirakuiさん、お願いします。
成田一生氏(以下、成田):成田と申します。mirakuiとも言います。IVRyのTシャツを着ているとおり、株式会社IVRyで働いています。今日はみなさんにIVRyのオフィスに来ていただきました。
僕のキャリアのすごく長い部分は前職のクックパッドで、14年間いました。最初はインフラのエンジニアを半分ぐらいやっていて、後半はマネージャーをやりつつ、6年間は執行役CTOとして経営に関わってきました。
実は最後の1年はCTOを次の人に交代して、「自分はIC(インディビジュアルコントリビューター マネジメント業務を担当しない専門職)をやるぞ」と言って、新規事業のエンジニアをしたり、あとはイチからKotlinを覚えてアプリのコードを書いたりしました。ICとして1年間そういうことをして、その後にIVRyに転職をしました。
IVRyには「いちエンジニアとしてやらせてほしい」と言って入らせてもらいました。会社がすごくわがままを聞いてくれて、マネージャーはせずにいちエンジニアとして、最近は主にプラットフォームエンジニアリングとか、SRE周り、データエンジニアリング周りをやっています。今日はよろしくお願いします。
(会場拍手)
システム障害がキャリアを考えるきっかけに
佐々木達也氏(以下、佐々木):佐々木と言います。僕は今、MIXIでエンジニアをしているんですが、前職ではEdTech(教育領域のITサービス)をやっていて、学校向けのサービスに10年弱ぐらい関わっていました。

最初は本当に立ち上げからだったので、そんなにマネジメントをする人がいなかったこともあり、自然と自分がマネジメントをやり、最終的にCTOをやって、最初の7年ぐらいを過ごした感じです。
ただ、自分の場合はそのタイミングでけっこう大きな障害を起こしてしまって、やはり技術面をもう1回きちんとキャッチアップする必要があるなと思って、役割をエンジニアに戻しました。
人数も増えて、もっとマネジメントが得意なメンバーもいたので、「その人がやるほうが会社としてもいいな」と、バトンタッチをした感じです。その後の1年半ぐらいは、また一エンジニアとして経験をさせてもらいました。
今はMIXIでまたエンジニアとして仕事をさせてもらっている感じです。そのあたりの話もたぶん、この後に話したいなと思います。
そして、今ちょっと(スライドに映る自分の写真を)見て思い出しました。この写真で着ている服がIVRyのロゴと同じ緑色なので、IVRyの人じゃないかという感じがあるんですが。
(会場笑)
これは私服でたまたま緑の服を着ていただけです。今はMIXIで働いています。よろしくお願いします。
(会場拍手)
田中清氏(以下、田中):Nstockの田中と申します。今は6社目になります。もともとキャリア的にはSIerをやって、その後はコンサル系をやって、その後はサイバー(エージェント)に行くんですけど。その数年前にリーマン・ショックがあって、かつ、いろんな新しい技術がばーっと入ってきたところで、「ちょっと1回、戻んなきゃやばいんじゃない?」と思ってサイバーへ入って、ずっとサーバーサイドのエンジニアをやっていました。
その後に、前職となるメドレーという医療系のITの会社に入りました。最初はプレイヤーをやっていたんですけど、いろいろ必要なことをやっていたら、気づいたら最後はCTOになっていました。やりたいからやったとか、そういうことは特に考えてやっていなかったんですけど、結果、そうなっていたかなという気がします。
2023年末ぐらいに、いろいろライフステージの変化もあって会社を辞めて、関西出身なんですけど、そっちに帰りました。
その後、Nstockとちょっと縁がありまして。ちょうど今自分がやっているのが「セカンダリー」という、非上場の段階でSO(ストックオプション)が行使できる社内取引所を作ろうと新規でやっているんですけど、それがすごくおもしろそうだったので入りました。今はいちエンジニアとしてやっている感じですかね。よろしくお願いします。
(会場拍手)
じゃが:申し遅れました。本日モデレーターを務めさせていただきます、Nstockのエンジニアをしています「じゃが」と申します。今日はよろしくお願いします。
(会場拍手)
「振り子キャリア」を選んだ理由
じゃが:ここでは、マネージャーとプレイヤーであるICを行き来するようなキャリアを「振り子キャリア」と呼んでいます。お三方ともそういったキャリアを選ばれていると思うんですけど、「どうしてそのキャリアを選んだの?」というのを、さっそくアイスブレイク的に聞いてみたいなと思っています。今の自己紹介の流れとは逆向きに、たなきよさんからお願いします。
田中:これは始まる前に3人で話していました。この2人(田中氏と佐々木氏)は、そんなに強い理由がなくて、成田さんが一番しっかり考えられていました。そこでいろいろいい話が聞けるかなと思うので、私はちょっと軽めに答えていこうかなと思います。
私はそんなに「マネージャーをやろう」「プレイヤーに戻ろう」と考えて行動しているわけではありませんでした。やはり「やりたいな」「必要だな」と思った時に、どっちが適しているかを自分で選んでやってきたら、結果、マネージャーになったりプレイヤーになったり、というのを繰り返してきたのかなと思います。
なので、本当に深い理由は特にありません。その時はきっと理由があったと思うんですけど、(この話は)ちょっと、うっすら流していこうと思います(笑)。
佐々木:振り子キャリアを選択した理由は、さっきの(自分のキャリアの)話にもちょっとつながるんですが、僕の場合も今の田中氏のお話と似ています。別に「CTOをやりたい」とか「マネジメントをやりたい」ということは特になくて、たまたまそのフェーズにおいて会社で必要な役割をやる人がいなかったので、それは自分がやるべきだなと思ってやっていました。
ただ、サービスの障害があったりして、あらためてエンジニアとしてのキャッチアップをしなきゃいけないなと、すごく反省というか後悔がありました。当時の会社にもちょっと無理を言って、次の体制を作って、「自分はいちエンジニアに戻るかたちでやらせてください」ということをやったのが、振り子キャリアを選択した理由かなと思っています。
今後はわからないですけど、ひょっとしたらまた数年後には、「やはり大きいことをやりたい。そのためにはチームを作ってやらなきゃ」となるかもしれないなと思っています。その時にこのエンジニアの経験が活かせるといいなと思っています。そんな感じです。