国内外のスタートアップやアーティストが集まる「Tech GALA Japan(テックガラジャパン) -地球の未来を拓くテクノロジーの祭典-」から、セッション「私たちはどう生きたいか -テクノロジーは私たちを本当に幸せにするのか?」の様子をお届けします。株式会社HEART CATCH 代表取締役 プロデューサーの西村真里子氏、Whatever Co. Producer / CEOの富永勇亮氏、作家の上田岳弘氏が「デジタル死後復活」の今後や、テクノロジーとSF作品の関連性について語り合います。
テクノロジーの進歩におけるSFの役割
富永勇亮氏(以下、富永):こちらの事例はまさにブロックチェーンのメタバースで、「Live Forever」モードというのを選択できます。これは創業者の人が、家族の死を経験して、自分自身を生き残らせておくことで、家族と対話ができる場所を作ろうとしているんですね。
しかもこれはぜんぜんフォトリアルではなくて、すごく抽象的な絵なんですけど、人間の本質は見た目ではなくて、もっと中身だと定義していくと、ここで生き続けることも、それはそれで生と言える。でもこれは、自分ではないじゃないですか。もう1つの自分、ベータとかアルファとかですよね。
西村真里子氏(以下、西村):おもしろい。コードも分岐していくじゃないですか。ベータ版とかアルファ版みたいに(笑)。
富永:まさにそうなんですよ。
西村:真里子アルファ、真里子MXみたいに。さて、ちょっとだけ上田さんにお聞きしたいです。1つの穿った見方ですけど、テクノロジーができてくる時、もちろん研究者もがんばっているものもあれば、ある意味サイエンスフィクションに助けられたみたいな、初めにストーリーありきで、人間の創造性をもとに新しいテクノロジーを追いかけるような例もあったと思います。
日本だったら、『ドラえもん』とか『鉄腕アトム』も、もしかしたらロボティクスみたいなところで影響を与えていたと思います。小説家としての上田さんにうかがいたいんですけど、SF小説などのサイエンスフィクションの役割って、これから変わってくるんでしょうか?
上田岳弘氏(以下、上田):どうなんでしょう。サイエンスフィクションって古くは、例えば「タイムマシンがあった場合」みたいな思考実験がオーソドックスなものとしてあったと思うんですけど、具体的な科学分野とか、最新の研究を取り込んだものが、どんどん生まれていっていると思うんですよね。
そういうものって、量子力学とかの分野になると、わりと哲学に接近していくので、突き詰めていくと、極めて純文学的なものと、極めてSF的なものがくっついていくという気はしていて。
逆に、かつてSFだったものがどんどん実現して、「ここから先は哲学だよね」ということを科学者も作家も言い出す気がしています。だから思考実験的なSFは、ある程度出尽くしている気はしないでもないですよね。
西村:おお、なるほど。
幸福度を測る指数というアイデア

富永:なるほどね。でも、上田さんの小説って、例えば「グジャラート指数」とか、当たり前かのように出てくる設定があるじゃないですか。
西村:それ、解説してもらっていいですか? ごめんなさい。
上田:これは僕のデビュー作でもある『太陽・惑星』という作品集に入っている『太陽』のほうに出てくる設定で、「激しい幸福と不幸に耐えられる数値」みたいな。
富永:許容度ですね。
上田:許容度を国民の平均レベルで換算する世界観があって。例えばグジャラート指数30だったら、ご飯を食べているだけで幸せみたいな。
グジャラート指数が100とかになってくると、幸せがすごく高度になってきていて、なかなか実感を得られないと。その代わり、不幸に関しても耐性が高いみたいなもので、僕が勝手に編み出したものです。
富永:これがおもしろいなと。だって、これって現代社会に当てはめてみたら、例えばXの不幸自慢、インスタの幸せ自慢にグジャラート指数を入れたら、むちゃくちゃおもしろいじゃないですか。しかも、グジャラート「指数」なので、株価と一緒で変動するんですよ。
上田:そうですね。
富永:当然、みんなが幸せだったら上がっていくので、「あれ? 自分は最高に幸せなのに、こんなものか」となったり、「最低だぜ」という状況が、そうでもなかったりするんですよね。
上田:そうですね。
西村:いや、お話を聞いていて、ちょっとだけ軸をずらしますけど……。
富永:もうグジャラートだけでいきたいぐらいです(笑)。
ウェルビーイングをどう計測するのか
西村:あ、もっといく? でも、つながるんだけど、今、ウェルビーイングという取り組みで、ちょうどスマートシティ・インスティテュート代表理事の南雲岳彦さんという、ウェルビーイングの大使みたいな方がおもしろいことを言っていて。
彼が言っているのは、今までのスマートシティとか都市の幸せの測り方って、非常にトップダウン的な、マクロデータで「ここはこれだけ過疎地だ」とか、「交通網が発達していないから不幸」みたいなかたちで、一方的に見ていた。それを、住んでいる人の個人個人のデータを取っていくと、「いや、幸せだよ」みたいなところが出てきて。
南雲さんがやろうとしているのは、今までのトップダウンのビッグデータプラス、そこに生きている人たちの、個人の幸せを結びつけてヒアリングをしていきましょうみたいな、「まさにグジャラート指数みたい」と思いながら聞いていました。
富永:そうなんですよ。まさにそうです。
西村:だから私は、ウェルビーイング指数とグジャラートが一緒だなというふうに。
富永:幸福度を測るのはかなり難しいんですよね。それって、自分自身のものなので、フィジカルなのかメンタルなのかを判断するのは非常に難しい。グジャラート指数は平均値を出すことで、自分との距離を測りやすいと思うんですよね。
西村:だって私、お布団に入るだけで幸せで。「あ、こういう幸せもあるじゃん」って指数として出ると、「確かにそれで幸せだ」みたいに、いろんなところに幸せのきっかけはあるんだとみんなが気付ける。それこそ「グジャラート指数3でも幸せ。イエイ!」みたいに見せていく時にめちゃめちゃいい。
上田:なんだか、感慨深いですね。
西村:ちなみに、「グジャラート」ってどこからきているんですか?
上田:インドのグジャラート州からです。
富永:やはりあの州なんですね。
西村:でも、ご自身で作られた指数なんですよね。
上田:そうですね。概念は僕が作ったんですけど。
西村:おもしろい。
上田:これを書いたのが、たぶん11年前か12年前なんですけど。
富永:デビュー作の『太陽』ですよね。
上田:その時は、「何を言ってるんだ、お前」みたいな感じだったんですけど、こんな場でまともに語られるとは感無量ですね。
西村:(笑)。
富永:確かに、今さら掘り出してすみません。
西村:スマートシティ、ウェルビーイングとかと合わせながら。
富永:いや、まさにそうなんですよ。今日、絶対に話したかったテーマのひとつだったんで。
死後のデジタル復活における経済格差
西村:私たちの哲学みたいなところから、幸せを感じる話にいきましたけども。あともう1つ、先ほどの勇亮さんの資料を見ていて、サブスクで生き延びられるという部分を、ガーンと思いながら見ていたんですけど。
ここで勇亮さんにうかがいたいんですけど、結局、自分をデジタルでも生き延びさせる時に、お金が必要じゃないですか。そうすると、お金を持っている人がより自分らしい自分を残して、お金がない人は自分の一部だけ残すとか、やはりここでも格差が生まれることに対しての懸念とか、それに対してのケアとかは、今までの議論でありましたか?
富永:やはりお金がかかるんですよね。数千万円かかる。NHKスペシャルの『復活の日』を作った時に、たくさん問い合わせをいただいたんですよ。「自分の家族を復活させたい。おいくらですか?」という、すごい長文の質問があって。
たとえば、当時の相場では声の復活をするだけで1,500万円ぐらいかかったんですよ。さらに、全身をスキャンするとなると、また数千万円かかる。「じゃあ解像度を落としたらいいのか?」という話じゃないですか。でもそれって……。
西村:「5ピクセルで」みたいな(笑)。
富永:そうそう、「低解像度の復活ならいくらです」というのはつらい。まだ技術が追いついていないですけれども、いずれできるようになるので、私は、「できるだけたくさんのデータを取っておいてください」とアドバイスしたんですよ。
西村:すごい具体的。
富永:そうですね。(スライドのバーチャル故人サービス「Revibot」を示して)それがいまや、このサービスでは「故人さまの動画があれば、最短3日から完成」と書いてあるんです。僕は別に回し者じゃなくて、たまたま見つけたんですけど。
西村:マジですご!
富永:俺、「やってきたら良かったな」と思って。ちょっとやり損ねたんです。
西村:いやいや。
富永:10万円と(月額)980円なので。でも、ここまで下がっているんです。当然、プロの手で作るものと、そうじゃないものには差があると思いますが。
西村:わぁ、おもしろい。
富永:金銭的な格差というのは、ある種ここまで縮まっているとは言えます。
復活させるのは誰にとっての自分か
西村:今までAIって、本当にお金持ちが何兆円をつぎ込んで「OpenAIだ」とか「NVIDIAだ」ってやってましたけど、直近の話で言うと、先週、DeepSeekみたいな、すごく安価に作れることで議論になって。
データを取る・取らないというところはいったん置いておいて、エンジニアとかお金を持っていないスタートアップの方も、「自分たちにもAIを作れるんだ」って、ポジティブな話になっていたんですね。
「私たちが死後も生き延びる」こともここまで安価になってくるなら、みんながアクセシブルで、ビジネスとしても非常にメリットを感じる人も出てくるなと思います。
と同時に、やはり先ほどのグジャラート指数の話をしたところで、復活させるために、お金で解決していいのか? それともグジャラート指数で「私、この人を生き返らせたら指数が100になるから、やっちゃう」みたいな判断をするのか。
「今までと違う尺度も作っていかないと」と思うけど、そこのところをうかがいたい。まず上田さんにいきましょうか。
上田:そうですね。こういったデジタルで復活するものは、「他人にとっての自分」をどう生き返らせるかじゃないですか。もしくは、「自分にとっての他人」。
西村:あ、もう自分は死んじゃっているから。
死後も自分のコピーがビジネスを行う?
上田:そう。実感としての「自分にとっての自分」は、また別に議論としてある中で、「他人としての自分」が先行しているのがおもしろいと思っていて。
正直、僕は生きる実感というか、そういったものがおもしろくて作家をやっているので、「自分にとっての自分」を生き返らせるとか、生き延びさせるテクノロジーに重きを置きがちなんですね。ただ、それはどちらかというとバイオテクノロジーとか。
富永:生命的であるということですね。
上田:そうです。なので、こういった「他人にとっての自分」をどう生き延びさせるのかと並行的に進化して、どう接合するのか。たぶん、一方だけではなくて、美容技術とか、アンチエイジングとか、一番理想の時の自分を残していく技術と並行で走っていって、いつかガッチャンコするんでしょうね。
富永:そうですね。復活を望むのは、自分にとっての他人なんです。自分が亡くなった時に子どもがいたとして、子どもにとっての自分を復活させるケースが多そうですよね。
西村:確かに。
富永:一方で、自分を自分として残していくパターン。先ほどのブロックチェーンの話で言うと、ブロックチェーンと連動していると、そこで経済活動が行われるので、死後も経済活動をできるぐらい優秀なデジタルツインを作れば、ある種の不死として生きていける。それは生前の自分を残すことなので、復活とは違うんですよね。