2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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榎本悠介氏:じゃあ、次のところにいっちゃいますね。
ちょっと僕のキャリア観みたいなところも少し話していきたいと思っています。どうやって今の考え方に来たかをお話しします。
どういうふうにみんなは考えているのかなって純粋に気になっていて、3年後にこうこうこうなっていたいから、こう思ってますみたいな感じなのか、なんもわからんみたいな感じなのか、どういう感じなのかなと僕も気になっていて。
すごくざっくりした話なんですけが、2種類あるなと思っています。目標をしっかり立てて、強い目標を強い気持ちで立てて、けっこう戦略的に動く。「3年後にこういう領域で起業するぞ」みたいなことがある。その上で、「じゃあ、メガベンチャーに今入って」とか、スキルを得て、仲間を得て、転職するとか、そういった、「登るべき大きな山をきちんと決めたいぞ」目標型のタイプと、「いや、ちょっと計画立てるとかむずいっす」みたいな、「とりあえず目の前のことをやろうかな」、「おもしろそうなことがあったらやるっす」みたいな感じの場当たり型タイプ。
どっちがいいとは今は言わないんですけど、みなさん、どっちになりたいですか? チャットでお願いします。
「2」「目標」「目標」「2」、あぁ、割れてる、割れてる。すごい。すごい、けっこう割れるんだ。ありがとうございます。
あぁ、いいっすね。短期的には「1」、長期的には「2」、いいなぁ。「1」人気。もう本当に割れているな。
僕は、もともと目標型じゃないといけないのかなって思っていたんですよね。目標型のほうが格好いいじゃないですか(笑)。すごく強い意志があって、それに向かって逆算してとか、すごく格好いいので、「1」がいいのかなと思っていたんですけど、もし「1」じゃないと駄目と思っている方がいたら、そうでもないよ、そんな強迫観念は要らんよ、みたいなところを今日は話したいと思っていました。
どっちがいいとかじゃないよというので、それぞれちょっと見ていきますね。
目標型については、これじゃないと目指せない、目指しにくい場所は、正直あると思うので、絶対に絶対に目指すべき目標があるなら、もちろんこれだと思います。
本当に極端な例だと、普通の人が、普通に手なりでそのまま生きていて政治家になれるかというとなれないので、そこはさすがに目標が要るでしょうとか、そういった、今の延長線にないところに強く行きたいんだったら目標が要ると思います。
あとは、目標といっても、別にガチガチに固定する必要はありません。仮決めで、「この山かな?」と思っていたけど、探索の中で「違うわ」みたいに、自分の中でループを回して判断するのもぜんぜんありかなと思います。
逆に、場当たり型は、正直けっこういるんですよね。僕の周りだと場当たり型のほうがよっぽど多いかな。いわゆる出世とか活躍している人に聞いても、「別に計画してここまで来たことなんてないよ」と言う方が多いです。
「目の前のことを全力でやってきました」とか、「知り合いがいておもしろそうな会社だったので来ました」とか、「めちゃくちゃ検討して複数社を見たわけじゃないです」とか、「計画的にこの歳でこうやっていたいのでこうなっています」とかはなくて。
みなさん、全力で目の前の坂を登って、なんか、ふと景色を振り返ると、「なんか山を登っていたな」「けっこういい景色だ」みたいな感じのことを考えられている人が多いなと、周りを見ていて思います。どっちがいいとかじゃありませんが、場当たり型でも成果を出している人はかなりいるなというのが正直な感想です。
僕は、完全に場当たり型だったんですね。どんなふうに場当たり型で生きてきて、どんなふうに学んでいったかをちょっと話していきたいと思います。
時々、「3年後にCTOになりたい」という話とかを聞いたりするんですけど、役職って「俺はデータなになにになるんじゃ」とか、「VPなんとかになるんだ」とか、あまり目指すもんじゃないなと正直思っていて。
役職って概念自体がどんどん発明されたり細分化されたりしているんですよね。横文字がたくさん並んでいて、もうよくわからないんですけど。
最近だと、データ関係だけでも役職名は10種類以上あるんですよ。僕も細かい区別はわかっていないのでたぶんもっともっとある。
データ周りとか、技術の進歩によって明らかに職種が生まれているものもあれば、もともとあった業務の体系化や細分化によって定義されるものもあります。
役職を目指すというよりは、必要なことをやっていったら結果的にそういう動きになっていましたみたいな。後世の人がそういう役職名を命名していましたくらいのほうが、けっこういいムーブかなと思っています。
なので、僕はけっこう場当たり型というか、「やるべきことをやったら結果的にそういう役職ってついてくるんじゃない?」みたいな考え方をしています。
遠い目標を作るのって難しいですよね。僕は、こんなスピード感でAIが進化するとわかっていなかったんですね。これをどれだけの人が予想できていたんだろうというので、そのくらい、劇的に変わる世の中なんだから、目標を作ってもちょっと難しいですよね、というのが、正直思っているところです。
なので、「目の前のことをめっちゃがんばって楽しく生きるのがいいんじゃない?」というのが、ちょっと今日言いたかったことでございます(笑)。
あと、自分のキャリアをちょっと見ていきますね。どういうキャリアかというと、学生時代の最後の1年はエンジニアをしていました。ほかは『ボンバーマン』というゲームとかでけっこう遊んでいました。先ほどの話で言うと、誰も使わない自己満足なWebサービス、価値のないサービスを独自で作っていました。
卒業後はディー・エヌ・エーに入って、APIのプラットフォームを運用したり、新規事業を作ったりして、その後、Gunosy、LayerXに移っていきました。
ちょっとずつ見ていきます。ディー・エヌ・エーに新卒で入った時は、もう完全に場当たり的でした。インターネットが大好きな人だったので、インターネットの会社だなと思って、最初に内定をもらったので入ったみたいな、本当に場当たり的ですね。なにも考えてないって言ったほうがいいかな。
「一番技術力がつくところに入れてください」と言ったら、きちんと配属してもらえて、そこは本当にありがとうございますという感じでした。
入ったのは、ゲームのプラットフォームのAPIを運用する部署でしたね。もう、信じられないくらいのアクセスが来るAPIのアーキテクチャを学べたり、いろいろなサードパーティのゲームが載っているAPIとして絶対に落としてはいけないので、信頼性の高いAPIの開発手法などを学べたのは、すごく良かったのですが、何ですかね、僕は当時ちょっと、斜に構えて生意気だったので成果が出ておらず異動になりました。悲しい。
僕のことをきっと誰かが考えてくれて、いい場所にアサインしてくれて、新規事業のプロジェクトだったんですね。初めて、そこで新規プロダクトの立ち上げをやらせてもらいました。
ゲームとかアニメとか漫画とかが好きな人向けのニュースアプリ「ハッカドール」の立ち上げをやりました。
(コメントを見て)えっ、知っている人がいる。うれしい。えっ、めっちゃうれしいんだけど。えっ、ハッカドール、知ってんの? ありがとうございます。あれの立ち上げをやっていました。
4月にチームが組成されて、「8月のコミケにリリースしろ」「4ヶ月しかないけど、お前らは4ヶ月でリリースしないと、ピピーだよ」みたいに言われて、泣きながら作るみたいなチームでした。
エンジニア3、4名で狂気的なスケジュールで作ったんですけど、そこで本当にいろいろなことを学ばせてもらいました。本当に少人数で新規事業を作るのってこんなに速いんだとか、プロフェッショナルなエンジニアってこう考えるんだとか。
プロダクトマネージャーの人に、「別に機能を実装できないとかはないです。やろうと思えば全部作れるので、一番いい仕様をとりあえず考えてください」みたいなことを言っているのを見て、「めちゃくちゃカッケーな、この人」みたいに思ったり。
立ち上げの時は、テストもドキュメントもほぼない状態で作っていて、当時の僕はすごく安定したAPIを作る部署から来たのでめちゃくちゃ衝撃的だったんですけど、今だと、なるほどねみたいな感じですね。
あとは、すごい裁量と責任がありました。コードレビューがなかったので、なにかあったら全部自分のせいだよねみたいなかたちで、全部自分の責任なので、もう死ぬ気でやるしかないみたいな文化だったし。
あとは、このハッカドールって、地上波アニメにもなったようなアプリだったので、すごくみんな、プロダクトとキャラクターに対してこだわりがあって、ニュースアプリなのに、中でシューティングゲームができたり、意味わからないものをみんな愛を持って作るとか、そういうサービスでした。
いろいろ学ばせてもらった後に、Gunosyというニュースアプリの会社に転職しました。LayerX代表の福島(福島良典氏)に以前から誘われていて、「これからはアドテクノロジーの時代だ。広告の技術の時代だ」って熱弁されて、なんかよくわからないけどおもしろそうだったから行くか、みたいにまた場当たり的に行きました。
なので、場当たり、運、場当たりみたいな感じでここまで来ていますね。
一応、この時はもうちょっと考えていて、ディー・エヌ・エーにいた当時はPerlしかできていなかったので、Perlだけだとそろそろ怖いなと思って、エンジニアリングスキルの幅を広げて、Goできるなって思って、行ったところもあります。
あとは人間なので給与に関する野心もあって、給与上がるなというのもあって転職したところもあります。でも一番は、なんかおもしろそうだなと思ったというのが理由です。
アドテクをやるために入ったんですけど、一瞬でアドテクじゃない部署に異動になって、今のLayerX全社CTOの松本(松本勇気氏)とタッグで新規事業開発をするチームになりました。
本当にいろんなことを学ばせてもらいました。サーバーサイド以外のアプリとかフロントとかの開発スキルが得られたり、マイクロサービスにめちゃくちゃ真剣に取り組んだ結果めちゃくちゃつらいことも学びました。
「マイクロにしすぎた結果がこれだよ!」というスライドを出したら、1,000以上「はてなブックマーク」がついて、めちゃくちゃ炎上する、みたいなことが起こったりもしました。マイクロサービスは、あまりお勧めしません。まぁ、今もやっているんですけど。
あとは、「数値は神より正しい」というけっこうおもしろい企業文化があって。新機能を出したらABテストして、異常があったら全部ロールバックするという文化だったんですよ。「ようそんなフィーチャーフラグやるな」くらいに全部ABテストをしていて、けっこう狂気的な文化でした。
あとは、マーケティングやビジネス上の座組の大切さを今さら知るという。どんだけいいプロダクトを作っても届かない時があるとか、あるいは、プロダクトの差がなくてもビジネス上の座組で勝つことがあるとか、そういうのも今さら知りました。
ほかには、エンジニアがほかの職種に入る大切さもめっちゃあるんだなというのもわかりました。当時、なぜか「『Facebook』とか『Twitter(※現「X」)』とかに広告を出したら、ユーザー獲得費用をもっと安く獲得できるんじゃない?」みたいなことを雑に言ったら、「じゃあ、お前、やれよ」みたいな感じで、マジで自社のバナー広告や動画広告を出して、Gunosyとか新しいアプリとかのユーザーを獲得する担当になりました。もはやまったくエンジニア関係ないんですけど。
でも、やってみたら、けっこう業務効率化がエンジニアリングでできたり、分析したら、不正なアドネットワークを見つけたり、けっこう効果があったので、「あっ、エンジニアがいろんなことをやるのは、大事なんだな」みたいなことをあらためて思いました。
次に、LayerXの立ち上げですね。これは、またしても場当たり的で、もともとGunosyで最後のほうに、新規事業開発室長という名前で、ブロックチェーンの研究開発チームを立ち上げたんですね。これはもう、代表から「作って」って言われて、「わかった」って言って作ったんですけど。
それが、実はLayerXの元となったかたちです。なので、最初の2、3年は取締役CTOだったのですが、それも別に狙ってなったわけではなくて、Gunosyで新規事業を作るぞという中でいくつかやっていた1つが、たまたまこのキャリアにつながったかたちです。
LayerXを立ち上げた当時は、必要なことはなんでもやる必要がありました。メンバーが10人もいない頃からやっているので、エンジニアだからこれやる、やらないとか言っている場合じゃなくて、本当になにもかもがむしゃらにやる必要がありました。
(スライドを示して)ここに書いてあるのは半分以上エンジニアに関係ないですね。仮想通貨。今で言う暗号資産のマイニングで、とにかく電気代が安いところだと事業がうまくいくので、電気代が安い気がすると、ロシアとかモンゴルとかに飛んで探したり。
あとは、インドのブロックチェーン案件をコンサルして、まったくインド英語わからんとか。あとは、けっこう営業もやっていましたね。取引所とかに、ブロックチェーンの監査やりますよみたいな営業したり。それこそ三菱UFJ信託銀行さんとか銀行さん向けにブロックチェーンのプロジェクトを営業したり、コンサルしたり、開発したり、けっこう慣れないことをやっていました。
あと、新しい会社なので当然カルチャー作りをしたり、もうひたすら採用して、ひたすらブランディングして、発信してとか、あとは、経営とかマネジメントとか、本当にやったことがなかったんですけど、もうやるしかないのでやっていました。
今だと、バクラク事業というSaaSですね。ブロックチェーン事業は、ちょっと正直うまくいかなかった。数値上、まだまだいけたんですが、スケールする事業にすぐにできる自信がなかったというのでピボットして、SaaSの事業を立ち上げました。
今だと5個新規プロダクトがあるんですが、全プロダクト、自分含め、本当に少人数で、ヒアリングから仕様、設計、開発をやるという動きが型化できていて、僕自身もだいたい半分以上の時間、まだコード書いているかな。
というので、冒頭に言ったプロダクト開発に関する価値観が作られていったというかたちになります。なので、今は半年に1個くらいのペースで新プロダクトを立ち上げています。
この中で、本当に少人数でフルスタックで背中を預け合って開発するのってマジで大事だなというのがわかったり、本当、ドメインにダイブして使われるものを作ったら、きちんと使われて事業が成長するんだとか、そういったのを現場の中で学べました。
そして、今僕は、客観的にはたぶん偉い立場なんですけど、まだまだコード書いて、全部自分でもやれるようにしています。
というので、これまでにない規模のチームで急成長する事業を作っているんですが、こんなことは昔、まったく想像していなかったです。ただただがむしゃらにやっていたらこうなっていましたという感じ。楽しいからいいか、みたいな感じです。
(次回へつづく)
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