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あの日ハッカーに憧れた自分が、「ハッカーの呪縛」から解き放たれるまで(全3記事)

「エンジニアたるものハッカーらしくあらねば」 自分自身への“呪い”で苦しんだ過去を振り返って思う、未熟だったこと

「YAPC(Yet Another Perl Conference)」は、Perlを軸としたITに関わるすべての人のためのカンファレンスです。ここで、あらたま氏が「あの日ハッカーに憧れた自分が、『ハッカーの呪縛』から解き放たれるまで」をテーマに登壇。あらたま氏のキャリアを振り返りながら、自分自身にかけていた呪いについて話します。

あらたま氏の自己紹介

あらたま氏:あらたまと申します。よろしくお願いします。今日は表(メイン会場)のお2人のトークがいい感じにぶつけられていたので、今日ここに「誰もいなくてもいい」という覚悟で来たんですけど、満員御礼ということでありがとうございます。

(スライドを示して)おしながきです。今日はこんな感じのことをしゃべっていきます。最初にぶち上げて最後に伏線を回収するつもりでいきますが、時間が足りるかどうかがちょっと心配な感じでしゃべっていきます。

「お前誰よ」というところだと思うので、軽く自己紹介をさせてください。あらたまと申します。新卒でディー・エヌ・エーという会社に入り、今はケーキやスイーツなどのECサイトをやっている株式会社Cake.jpでCTOをしています。

もしCake.jpというサービスを知らない方がいましたら、手元のスマートフォンやPCで「Cake.jp」と打ってもらえばサイトが出るので、ぜひ探してみてください。それで、良かったら使ってください。

趣味はサウナとか。あとは「日本もちもち協会」という、もちもちした食感が好きな人が集うコミュニティを運営していますが、今日はそういう話はしません。

始まりは「すごい人たちがいる環境に身を投じたら自分も強くなれそう」という勘違い

(スライドを示して)これを見たことがある人もない人もいると思います。私が大学の3年の時に、YAPC::Asia 2011で当時ディー・エヌ・エーにいたhidekさん(木村秀夫氏)さんがキーノートをやっていたんですね。ここにちょうど行っていたんですけど。なぜ行っていたかというと、すぎゃーんさん(杉義宏氏)にたまたまインターン先で出会うことがあって、「YAPCというお祭りがあるから、よかったら来てみたら?」と声をかけていただいて、「じゃあちょっと行ってみようかな」と思って行って、(木村秀夫さんのキーノートを)聞いて衝撃を受けました。

もちろん学生だったし、Perlのコミュニティにも初めて飛び込んだタイミングだったので「実際に何がどうすごいのか100パーセント理解できていましたか?」というと、たぶんできていないんですけど(笑)。それでもなんかよくわからないけど漠然と、「こんなにすごい人たちがたくさんいる環境に身を投じたら自分も強くなれるんじゃないかな」みたいなことを勘違いしまして。これがすべての始まりでした。

自分自身にかけた呪い

みなさんのおかげで就職が叶い、hidekさんがやっている部署への配属も叶ったんですが、ここからがけっこう大変でした。

昔からその集団で望まれる振る舞いみたいなものを理解して、そこにメチャクチャ染まるみたいな。「朱に交われば赤くなる」じゃないですけど、(私は)そういうことを地で行くタイプだったので、その頭で「エンジニアたるものハッカーらしくあらねば」とか、「そういう実力をちゃんとつけないといけない」みたいなことを、誰にも言われていないのに信じ込みました。ですが、それに対して別に明確に「こうなったらクリア」みたいなのがあったわけではないんですよね。ゴールのイメージがないから、すごくもがき苦しみまして。今思うと、自分で自分自身に呪いをかけてしまったなみたいに感じます。

そもそも私は2013年の新卒として入って、2011年の時点から2年経っているんですよね。今思うと、2年経つと組織ってほぼ別の組織に変わるじゃないですか。その時の時代だったり規模が大きくなったりといろいろあると思うので。2年前の何かを引きずったまま入ってしまったなみたいなことを考えていました。

あの時にhidekさんが話をしていた「いわゆるハッカー」みたいな像に関しても、2年も経てば組織も大きくなっていて。そもそもhidekさんは直接のマネージャーじゃなくて、本部長というすごく遠いところに行っていたりして、(2年前とは)状況もぜんぜん変わっている。その中で、自分だけが着いていけていなかったんじゃないかなみたいなことを(今振り返ると)考えていたりするわけなんです。

ただ少なくとも、(会社に)遅く来て遅く帰る人がハッカーみたいなわけではなさそうだということだけはわかるぞと。当時の上長はnekokakさん(小林篤氏)だったんですが、新卒がnekokakさんに呼びつけられて「お前ら朝遅いぞ」と(笑)。「そんなたるんでいるようじゃダメだ」とメチャクチャ怒られる。「すみません」みたいな。「そこで先輩の背中を見ちゃってすみません」みたいな(笑)。そういう感じだったので、少なくとも(自分が目指すものは)それではなさそうと。

「これじゃない感」だけを抱えて生きていた

じゃあCPAN Authorになったらいいのかというと、そういうわけでもなさそう。そもそも主従が逆というか、業務だったり趣味だったりで何か成し(遂げたい)たいことがあって、そのためにCPANモジュールを開発する。そういう(順番な)はずなんですよね。

「CPANモジュールを開発したいからする」ということってあまりないと思っていて。私が入ったタイミングでは(ディー・エヌ・エー社内で)ひととおりのユースケースがすでにカバーされた状態で。どのモジュールもけっこうステーブルだったんですよね。

そういう状態と、あとは私自身の実力がまだ追いついていなかったみたいなところで、あまりコントリビュートするタイミングがなかったり。あとは「じゃあYAPCに登壇したら一人前って言えるの?」みたいな。2014年に初めての登壇を果たすわけなんですが、「なんかこれじゃないな」みたいな(笑)。しゃべってそれなりのフィードバックとかもいただけて、すごく良い経験にはなったけど、自分が「一人前のハッカーですと言えますか?」というと「ちょっと言えないな」みたいな。そういう「これじゃない感」だけを抱えて生きていて。

キャリアを進めていく上での大きなターニングポイントと葛藤

じゃあ(その時に)何が見えていて何が見えていなかったのか。「石の上にも3年」という言葉がありますが、時が経てば自分の強みとか弱みがなんとなくわかってくるじゃないですか。組織においても全員が全員、技術にツンツン尖っている必要はなくて、みんなが相補的に補えるような動きをして、みんなで成果を出すことが大事なんだと。事業を成長させていくことが大事なんだということも、この頃にはある程度理解できていたかなと思います。

じゃあ自分がどういうことが得意だったかというと、「抽象度のコントロール」というんですかね。そういったところがけっこう他の人に比べて得意かもしれないなと。あとは、仕事を進める上でいろいろな人と連携をすると思うんですが、そういう時の綻びみたいなものを見つけられたり修復できたりするのは、自分にある強みなんじゃないかみたいなことが朧気ながら見えてきました。

これが見えたのはなんでかというと、1年目の頃にnekokakさんにむちゃぶり、むちゃぶりじゃなかった(笑)。「プロジェクトマネージャーをちょっとやってみない?」みたいな感じで、実装の傍らでみなさんをつなぎ合わせるようなロールも担わせてもらっていて。今振り返ると、それが自分自身の強みに気づくとか、キャリアを進めていく上での大きなターニングポイントになったなと思うんです。

「自分にベクトルが向いているうちは何をやってもダメ」

だけど、それも先ほどの思考を引きずっていると、「なんか自分は正規ルートに乗っていないな」みたいな。「技術力でメチャクチャ突き抜けていくのが良いとされている環境の中で、こうやって搦め手を使って価値を発揮していくのは、果たして本当に正しい成長の姿と言えるのかどうか」みたいな。そういう葛藤を謎に持っていました。

それでさらに不安や焦りを感じたりしていたなと、当時を振り返ると思うわけですね。今思い返すと当時は後輩に対してメチャクチャ正論パンチをしていたんです。今日(ノベルティで)手袋をもらいましたけど(笑)。メチャクチャ正論パンチをしていて、なんかその様をジゴロウさん(山口徹氏)に見られて「いやー、あらたまもマッチョになったね」とか言われたりしていました。

だからなんだという話なんですが、今思うと、正攻法の成長ルートには、たぶん自分も少なからずしっかり乗っていたと思うんですよね。そこに対しても評価はそれなりにいただいていたと思っていて。なんですが、いかんせん周りが強すぎて、なにも見えていなかった。

この間、この話を当時の同期にしたら「いやいや……」と。「そんなことを考えていたの? そんなことを考える必要がないぐらいちゃんとやっていたよ?」みたいなことを言ってもらって。「そうだったんだ。へー」みたいな。今に至るまでその認知が修正されていないという感じだったんですね。

この間、とある方のとある投稿で、ディー・エヌ・エーのファウンダーの南場さんの話を引用していたのを見て「いや、そうだな」と思ったんですが。

本当になににおいても「自分にベクトルが向いているうちはなにをやってもダメ」というのが本当にそのとおりだなと思って。どういうことかというと、もちろん自分がどうありたい・どうなっていきたいかみたいなものを持つのはすごく大事なことなんです。

だけど、自分がどっちに進むのか・進みたいのかみたいな話だけじゃなくて、乗る船の行き先をちゃんと理解して、そこにいかに速く・良くたどり着けるかみたいな。どう力をつけていって、その力をどう揮ったらいいのかを理解して動けるかが大事なんだなと今は思うわけですね。

当時はどうだったかというと、自分はどうありたいかは持っているつもりだったんですけど、それすらもふんわりしていた。どうなったらゴールかということすら自分の中で言語化もできていなかったところが、一番未熟だったポイントだなと思うわけです。

ちょっと休憩します。ここ(まで)でだいたい15分のつもりなんですが、2分押しぐらいですね。ちょうどいいと思います。次にいきましょう。

(次回に続く)

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