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FIFA ワールドカップ 2022における、ABEMAの技術的挑戦(全2記事)

ABEMAは「W杯全64試合無料生中継」をどう実現したのか? 新たな映像品質と視聴体験のために取り組んだ“5つの挑戦”

「ABEMA Developer Confenrence 2023」のコンセプトは「日本が熱狂できる場を作るABEMAの挑戦と挑戦からみえた新しい未来」です。「FIFA ワールドカップ カタール 2022」、全64試合無料生中継において掲げられた「5つの挑戦」に対する技術者の取り組みと、それを乗り越えたからこそ見えた新しい未来についてお伝えします。ここで登壇したのは、AbemaTV CTOの西尾亮太氏。ABEMAにおける大規模ライブ配信の備えと技術の全容について発表しました。全2回。2回目は、5つの挑戦に向けた取り組みについて。前回はこちら。

5つの挑戦その1 地上波レベルの高画質配信

西尾亮太氏:次に、FIFAワールドカップ 2022に向けてどのように準備してきたかを説明したいと思います。ABEMAではワールドカップの配信にあたり「5つの挑戦」をコンセプトにしていました。「地上波レベルの高画質配信」「サッカー観戦に最適化したUI/UX」「マルチデバイス」「ハイライトの最速配信」「サービスを落とさない」です。

そもそも私たちが地上波レベルの高画質配信を目指した背景には、あるライブイベントがきっかけとしてありました。2022年6月19日に東京ドームで開催された「ABEMA PPV ONLINE LIVE」でインターネットライブ配信を担当した「THE MATCH 2022」です。THE MATCH 2022は視聴するチケットの券売数が50万枚を突破、ライブ配信中のピークトラフィックは4.5Tbpsを記録した大規模ライブイベントでした。

ABEMAはふだんPPV以外にもリニア配信やVOD配信を提供していますが、これらの定常的なコンテンツに比べて、THE MATCH 2022ではテレビなどの大画面デバイスが視聴デバイスとして多く選択されることがわかり、それに伴い高い解像度を取得する傾向がより強くなることもわかりました。

これらの結果から、ジャンルは異なるものの「FIFAワールドカップ 2022」における視聴デバイス、解像度分布も近いものになるのではと考え、視聴者が求める映像品質の高さが通常よりも大きくなると想定しました。

また、「FIFAワールドカップ 2022」で全試合を生中継するのはABEMAだけなので、従来地上波放送を選択する視聴者が地上波放送で視聴できない試合においてABEMAを利用した際に、基本的な映像品質でガッカリしないように、地上デジタルテレビ放送、BSデジタルハイビジョン(2K)放送と同等以上の映像品質を提供したいと考えました。

地上波レベルの高画質配信を実現するために、MAQSと呼ばれる、映像品質を制作、伝送、配信、再生のトータルフローの最適化をする職能横断型の専門部隊が中心となって担当しました。この専門部隊が試行錯誤しながら、ユーザーが視聴する端末上において目的の品質で再生するための伝送および変換条件と、それを再生可能なデバイスのカバレッジを設計しました。

最終的に私たちは、品質を重視したSTRIKERと呼ばれる映像ストリーム仕様と、STRIKERの仕様に対してデコードや再生の安定性が追いつかないデバイスに向けて、DEFENDERという映像ストリーム仕様を作成しました。そしてこの2つの映像ストリームを、ABEMAが対応するデバイスにどのように割り当てるかを注意深く検証していきました。

5つの挑戦その2 サッカー観戦に最適化したUI/UX

「サッカー観戦に最適化したUI/UX」というコンセプトの実現は、コメント、マルチアングル、スタッツなどのUI上の機能を中心に、ワールドカップ配信期間中におけるユーザー体験の最適化に向き合うものでした。アプリケーション上では視聴者に気づかれなかったと思いますが、コメントやマルチアングルなどの提供済みの機能も含め、「FIFAワールドカップ 2022」で視聴者が触れたであろうメイン機能のほとんどは新規で構築されました。

その中核となった観点が、ライブイベントという配信機能です。従来のABEMAのリニア配信機能は、マニフェスト上でコンテンツを切り替えることによって、ライブコンテンツ、VODコンテンツ、リニア編成型のチャンネルで提供します。「ABEMA PPV ONLINE LIVE」の配信機能は、イベントごとに専用のチャンネルとして活用するかたちでこれを応用して生み出された機能です。

これらはこれまでのABEMAを支えてきた中核機能でしたが、特定のライブイベントを最高品質かつ大規模のユーザーに提供するという観点では、解決することが難しい課題をいくつか抱えていました。具体的には、ライブコンテンツごとの最適化を行うためにエンコーダーの変更を調整したり、特定コンテンツのみでストリームの安定性をさらに向上させたりなど、コンテンツに特化した対応を施すことが仕組み上難しかったのです。

「FIFAワールドカップ 2022」および今後のライブ配信での活用を見据え、ライブイベント配信機能として、周辺機能ごと新規に作成することにしました。ライブイベント配信機能では、前述の地上波レベルの高画質を実現する新しい配信システムを中心に、それらを複数活用するかたちでマルチアングル機能を構成しました。

周辺機能として、従来のコメント機能をより効率的な処理に組み換え、試合情報としてスタッツ機能を新たに追加しました。

しかしながら、これまでの実績を遥かに上回る負荷が想定されるライブ配信に対して、新規に構築された機能をぶっつけ本番で安定稼働させることは現実的ではありません。

そこで私たちは、稼働実績とデータを収集するために「プレミアリーグ」に注目しました。「プレミアリーグ」は最高峰のサッカーコンテンツであり、映像はもちろんのこと、サッカー視聴におけるユーザー行動の類似性が高く、ありとあらゆる面で「FIFAワールドカップ 2022」に使用するシステムのデータを得るには適したコンテンツでした。

新システムによる「プレミアリーグ」の配信にはトラブル発生の可能性もあったため、従来の番組はそのままに、高機能ベータというかたちで新システムで構成された番組を並行して展開するテストを実施しました。これらの検証では、画質が狙ったとおりの品質でリアルタイムに表現されているか、さまざまなデバイスで滞りなく再生されるか、スタッツなどの機能が意図したかたちで表現されているか、などを重点的にチェックしました。

また、配信期間中に起こるイベントに対してユーザーがどのような行動を取るかをチェックし、想定している負荷シナリオが実際のトラフィックに近いか、その負荷が十分に効率的に実装された結果であるかを確認していきました。

「プレミアリーグ」での検証は「FIFAワールドカップ 2022」の開幕直前まで継続し、それまでの配信データの分析と改善によって、準備段階で考慮可能な範囲の信頼性を確保できました。

5つの挑戦その3 マルチデバイス

さて、「マルチデバイス」というキーワードがコンセプトに存在しますが、そもそも私たちは各種ブラウザ、Androidデバイス、iPhone、iPad、テレビ型デバイス、ゲーム機など、さまざまなデバイスにサービスを提供しています。

ではなぜ「FIFAワールドカップ 2022」において、マルチデバイスがキーワードになったのか。それはほとんどの機能を新規で構築したことと、過去最高品質の画質を提供するために新しい映像ストリームを作成したことに起因します。

従来のサポートデバイスすべてに対して、新規の機能を短期間で展開することは、非常に挑戦的な取り組みです。また、新しい映像ストリームが各デバイスで安定して再生可能かの検証にも多くの時間を必要とします。

ABEMAにはマルチデバイスに継続的な機能開発を実施するための共通化や効率化がいくつか存在しますが、正直な話、「FIFAワールドカップ 2022」の開幕タイミングではいくつかのデバイスへの対応が間に合いませんでした。最終的に、「Nintendo Switch」への提供が11月22日、「Apple TV」への提供が11月27日となりました。

5つの挑戦その4 ハイライトの最速配信

ハイライトの最速配信について。私たちが「FIFAワールドカップ 2022」においてライブ配信の他に重要視していたことは「ライブで視聴できなかったユーザーや、試合全体を見る時間がないユーザーに対して、いかに迅速にハイライトを提供するか」でした。今回の配信時間帯の多くが深夜から早朝に該当していることも、ハイライトを重視した要因の1つです。

ハイライトをいち早くユーザーに提供するために重要なことは、ハイライトの対象となるシーンが発生してからユーザーに提供するまでに発生する映像制作フローを高速化することです。これらの高速化には、ABEMAのサービス開始以降クラウド上に構築し、柔軟な運用を目指してきたメディアアセットマネジメントが大きく寄与しました。

現在の私たちのメディアアセットマネジメントシステムにより、従来のマスタリング、QCのみならず、素材管理としてさまざまな拠点に即座にメディアファイルを展開することが可能になり、また、オンライン編集環境を実現しました。「FIFAワールドカップ 2022」におけるハイライト配信では、これらのシステムを最大限活用しながら各種フローの見直し、合理化を実現することで、最終的にイベント発生から30分以内で品質制御されたコンテンツを配信することができました。

5つの挑戦その5 サービスを落とさない

「FIFAワールドカップ 2022」に向けたコンセプトの最後は「サービスを落とさない」です。シンプルですが、これが非常に難しい挑戦となりました。全64試合のインターネット配信を失敗させるすべてのシステム要因を限界まで排除することを掲げ、純粋なユーザーアクセスによる負荷対策と各種コンポーネントで発生しうる障害対策、外部からの想定外のアクセスによる攻撃対策に力を注ぎました。

まず必要なのは、配信キャパシティの見積もりです。配信キャパシティの設計では、ざっくり言うと、1人あたりのビットレートとピーク同時接続数を掛け合わせたピークトラフィックを予測する必要があります。

1人あたりのビットレートの算出は、「THE MATCH 2022」における配信実績データ、つまり現在の出力仕様と解像度取得分布からユーザーの視聴環境におけるネットワークパフォーマンスがどれくらい期待できるかを算出し、そのネットワークパフォーマンスに対して「FIFAワールドカップ 2022」の出力仕様から配信時にどのように解像度が分布するかを計算しました。

ピーク同時接続数の算出は非常に難しい課題でしたが、過去のワールドカップの地上波放送時の視聴率データから、対戦カードごとにどれくらいの注目度があるか、そして配信時間帯によってどれくらい変化するかを計算し、そこから仮に地上波で放送された場合に視聴率がいくらになるのか、予測を算出しました。

これに対して地上波とABEMAの同時配信、またはABEMA単独配信時における地上波とインターネットでの視聴数比率を算出し、ABEMAにおけるライブ同時接続数がどうなるかを予測しました。この各試合のピーク同時接続数に1人あたりのビットレートを掛け合わせ、定常的に発生するふだんのトラフィックを足し合わせることでピークトラフィックを算出しました。

負荷・障害・攻撃 それぞれの対策

こうして予測されたピークトラフィックの負荷に対する備えとして、機能の優先順位を整理し、コンポーネントごとの負荷係数を割り出して全体のキャパシティを設計するとともに、大規模な負荷試験を実施しました。また、有事の際の流入速度の制限機構やトラフィック消費の制限機構を実装しました。

障害対策としては優先機能の稼働率目標を見直し、不足領域においてクラウド上のリージョンの冗長化、マルチCDNのバランシング、切り替え機構の開発、そして問題発生時の復旧速度の向上を目指しました。

攻撃対策では、エンドポイントが外部に公開されるサブシステムの脆弱性を全面的に精査し直し、単純なDoS攻撃に対する防御機構の再設定、発生時のオペレーションの構築を行いました。

結果論で言うと、これらの対策のイベントの開幕タイミングにおける完成度は80パーセント程度で、期間中にさまざまなデータの分析と改善を実施しました。各試合の配信を行いながらシステムの負荷を入念にチェックし、アクセスログを解析し、これまでの準備に用いた計算上の想定からどれくらい乖離があるかを判断しました。

さらにクライアント、サーバー両方の実装上の効率化ポイントを探り、適宜アプリケーションをリリースしていきました。私たちにとって幸運だったのは、期間中に徐々に視聴ユーザーが増加し、段階的なデータの計測と改善が成立可能な流れになったことでした。

ライブ配信における今後の展望

コンセプトの実現については以上ですが、最後に「FIFAワールドカップ 2022」の配信を終えて、今後のライブ配信の展望についてお話ししたいと思います。

今回のワールドカップ配信では、従来のライブ配信機能を刷新するライブイベントという新機能を構築することで、新たな映像品質の提供と、インターネットライブ配信ならではの視聴体験を実現できました。

今後はこのライブイベントの機能を、スポーツライブを中心に既存のリニア配信でのライブや「ABEMA PPV ONLINE LIVE」に逆展開するかたちで、すべてのライブコンテンツをワールドカップ配信レベルの品質で提供できるようにしたいと考えています。

また、ライブイベント機能が展開されることで、コンテンツごとの映像品質の最適化を行うことができます。今回提供した映像ストリームのSTRIKERおよびDEFENDERは、サッカーの会場やカメラワークを想定したものでしたが、今後はサッカーだけでなく、野球や格闘技、音楽ライブなどの会場の演出やカメラワーク、背景に合わせて、最も効果的な映像品質で出力できるように新たな映像ストリームを構築していこうと考えています。

単純な映像品質だけでなく、ワールドカップ配信ではマルチアングルでの複数同時視聴やセカンドディスプレイとしての視聴、試合情報を提供するスタッツ機能も好評でした。今後もインターネットライブ配信だからこそできるライブ観戦の新しい視聴体験を設計して、提供していければと思います。

配信を通して感じた2つの技術的課題

一方、今回の「FIFAワールドカップ 2022」の配信を通して、大きく2点、技術的課題の解決を考えていく必要性を感じました。

1点目は、遅延と同期の課題です。今回私たちは画質を見直した映像ストリームだけでなく、低遅延を目指したストリームの準備を進めていましたが、期間内に配信要件を満たした上で、さまざまなデバイスにおいて安定して再生可能なストリームを実現することができませんでした。

昨今、複数のメディア媒体から同一のライブコンテンツが提供されたり、1人のユーザーが複数のデバイスを駆使してマルチアングルで視聴したり、複数人でインターネットごしに同一のライブコンテンツを視聴したりすることは珍しくありません。デバイス間での遅延の大きさや同期のズレは、視聴体験を著しく損なう要素になりかねないため、今後は遅延と同期の改善に取り組んでいければと考えています。

2点目は、画質と配信キャパシティに関する課題です。画質を向上することは、基本的に1人あたりに必要なビットレートを増加させることにあたります。また、現在のインターネットライブ配信に標準的に用いられる配信方式は、視聴者の増加に比例して配信キャパシティを消費します。

その結果、大規模なインターネットライブ配信ではインターネット自体に大きな負荷をかけることになります。今回私たちは、「FIFAワールドカップ 2022」の配信時にすべての視聴者のQoEデータを監視していましたが、一部の試合においては特定のインターネットサービスプロバイダでの顕著な再生品質の低下が観測されました。

極論を言えば、現在の技術スタックで今回以上の規模のインターネットライブ配信を実施していけば、インターネット自体に問題を起こす可能性も少なくはないと考えています。今後ABEMAでは、コーデックや配信方式、キャッシュ構造の見直し、トラフィック制御の仕組みを改善していくことで、これらの課題の解決に向き合っていければと思います。

私からの話は以上です。「ABEMA Developer Conference 2023」は、「FIFAワールドカップ 2022」に用いられた技術の詳細を余すところなくセッションを構成しています。ぜひ興味のあるセッションをご視聴いただければと思います。

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