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生涯現役を目指す人へ贈る、エンジニアキャリア論(全2記事)

「70歳になっても自分が欲しいものは自分で作りたい」 川崎修平氏が語る、マネージャーではなくプレイヤーとしての生存戦略

エンジニアのキャリアを歩む上で、避けては通れないスペシャリストとジェネラリストの分岐点。新しい道としてマネジメント職か、それとも生涯現役のプレイヤーか、迷う人も多いのではないでしょうか。 今回は、元DeNAの取締役CTOで、現在は株式会社デライト・ベンチャーズでエンジニアとして働く川崎修平氏に、エンジニアの生存戦略についてインタビュー。後半は、川崎氏のキャリア形成における考え方と、未来のエンジニアの仕事について。前半はこちら。

40代になっても技術にキャッチアップに不安はない

――先ほど、35歳の時にCTOとして渡米したとお伺いしましたが、エンジニアの世界の中では「35歳定年説」というのが、昔からあると思います。それについてはどう感じていますか? 

川崎修平氏(以下、川崎):僕の周りでは「35歳定年説なんてあったよね」という会話しか聞いたことがないので、実際に35歳で定年になった人を僕は見たことはないです(笑)。

先ほどもお話ししたとおり、今は過去に作ってきたものの焼き直しでしかなくて、実は本質的に新しいことというのは非常に少ないです。例えば新しい言語をキャッチアップする時も、だいたい2週間あればいいし、実際は言語自体よりそこに付随する公式ライブラリなどの知識が8割ぐらいを占めます。それらをキャッチアップするのも、基本的には「ああ、あれは(別の言語の)これに相当するのね」という感じ。

第2外国語を初めて覚えるのと、3ヶ国語目を覚えるのとの違いみたいなもので、少なくとも46歳の僕はキャッチアップに関する心配はまったくしていないですね。

同じ世代の人と話していても、「うん、そこで困ることってないよね」となるので、だいたいみんな同じ感覚だと思います。

――なるほど。逆に年齢を重ねることで変わったなと思うことはありますか?

川崎:歳を取って変わったなと思うのは、忘れちゃうこと。

若い頃だと開発したものとか使った技術はわりと覚えていたんですけど、技術はどんどん変わっていくので、「そんな言語あったね」とか、「そんなプロトコルあったね」みたいな感じで、実際に現場で使い続けないと存在すら忘れちゃうというのがあって、その傾向は明らかに強くなりましたね。

例えば、僕はここ数年のフロント側はクライアントのネイティブアプリをずっとやってきていたんですが、Webフロントがだいぶ作りやすくなったので、最近の開発はずっとそちらにシフトしています。

そうすると、ネイティブアプリのほうの言語やお作法などを度忘れしちゃって、昔はすぐにスイッチできたけど、最近はその勘を取り戻すのに時間が必要になったりする。歳を取るとそういう違いがあるなと思います。逆に違いはそれくらいだと思います。

先ほどの裏返しですが、使わない技術は忘れちゃうので、先行投資として勉強しておこうという意識は薄れてきましたね。

これは人によって差はあると思いますが、僕は勉強嫌いですし、使いもしないものを先行投資して覚えても、使う頃には忘れちゃうのでやらなくなりました。

若い人は、使うかどうかはわからないけれども、ちょっと興味でいろいろやってみるとか、やはりそういうところの元気さを違いとしては感じますね。だから、むしろ若者に「そこらへん、ぜんぜん追っていないから教えて」と聞くこともよくあります。

長いエンジニア歴で培った技術のキャッチアップ法

――自分より若いエンジニアに、「ちょっとこのあたり、教えて」みたいな感じでコミュニケーションを取ることもあるんですね。

川崎:そうですね。ガッツリ聞くというより、「俺、そこらへんをまだぜんぜん深く追っていないんだけど、どんな感じ?」というふうに感触を聞くことはあります。

そうするとこのあたりが使いやすくて、このあたりがいまいちイケていないとかを教えてもらえるので、そういう話を聞きながらそろそろ時代が来たかなというタイミングで手を出すという感じですかね。

特にWebフロントは顕著で、技術が目まぐるしく変わっていくので、変化がメチャクチャ大きい時にキャッチアップしようとすると、ついていくだけで精一杯になっちゃうので、ちょっと不毛なんです。

特定の技術もどこかである程度成熟期に入って枯れてくるタイミングがあります。最初のグワッと盛り上がって破壊的な変更がガンガン入ってくる時期は、その流れや勢いだけはウォッチしておいて、実際に自分が手を出すのは安定してから、というふうに半分意識的に、半分無意識的に最近はなっていますね。

――エンジニア歴が長いがゆえに、意識的にも無意識的にも効率的にキャッチアップしているんですね。

川崎:そうですね。屍を見ている量がやはり若者とは違うので。

昔のエンジニアのキャリアは“管理職orスペシャリスト”だった

――エンジニアは30代、40代に入ると、管理職になるべきだという風潮が少なからずあると思うのですが、それについてはどう思われますか?

川崎:20年前とかはそもそもロールモデルがまだない時代だったので、当時も「自分たちは50歳になったら何やるんだろうね」と思っていたし、管理職に行くしかないと言っていたのは、その頃の感覚だと思います。そして実際のところ、今でもそういうところが多いでしょう。

管理職は管理職でとても重要で必要な役割ですが、ずっと現場としてものづくりする役割にも名前が付き始めていて、そういう働き方をしているロールモデルもだんだん出始めてきているので、そこは各自が好きなほうを選べばいいんじゃないのかなという気がしています。

昔は管理職orスペシャリストだったんですよね。管理職を選ばないスペシャリストも、その道の第一人者みたいな感じでした。

最近のバズワードとしてローコードやノーコードが流行っていますが、エンジニアでずっとやっている立場から言うと、突然出てきたものではなくて、ローコード化は、大昔からずっと連続的に起こっています。

文字を表示して、自動的に改行するテキストを書くのは、昔は全部自分で計算して書かなくちゃいけなかったのが、今は普通にコンポーネントを置いて、そこにテキストを設定するだけで出る。それって、ローコードですよね。

僕がDeNAに入った頃は、自分が実現したいことをやるためには、検索エンジンなりなんなり、全部自分で作らないといけないというか、けっこう低レイヤーなところまでガッツリ濃いことをやらないと全部組み上げられませんでした。

最近は、やりたいことに対して必要なパーツが揃ってきているので、同じコーディングと言っても、やっている作業の内容や、必要とされているスキルの質はムチャクチャ変わっているんですよ。

昔は、普通のサービスを作るというだけでも、けっこう低いレイヤーのところまで自分で作らなくちゃいけなかったんですが、今は、どのSaaSが使いやすいかとか、どのライブラリが使いやすいか、いろいろなところにあるコンポーネントをどうつなげるかなど、どちらかというとコーディネーターの仕事なんですよね。

今はエンジニアというより、エンジニアリングデザイナーという感じで、コードを書くことによってシステムをデザインする、プロダクトをデザインする、プロダクトの周辺で回っている利用者も含めたビジネス全体を含めシステムデザインするのが、エンジニアがやるべき仕事の1つになってきていると思っています。

――エンジニアという仕事の本質が以前と変わりつつあるということですね。

川崎:すごく高度なアルゴリズムを書けるのも、それはそれで仕事によっては大事ですが、一方、いろいろな手段が使えるようになった中で、どうすればやりたいことを実現できるかを考えつつ、並行して自分でそれを組み上げるコードを書くような仕事がますます求められ、需要が上がってくると思っています。

1つのことに超尖っているというスペシャリストという道だけでなくて、全体をコーディネートしてやりたいことを形にするという、そういうコーディネーター的な働き方というのがこれから増えてくる……そういう役割に名前が付けば一気に流行ると思っているんですけどね。

エンジニアだと思っている仕事がエンジニアじゃなくなる可能性がある

――では、これからの時代に生涯現役のエンジニアでいることは、そこまで難しくはないとお考えですか?

川崎:そうですね。逆に、自分が今までエンジニアだと思ってやってきた仕事がエンジニアの役割ではなくなってしまう可能性はあるかもなとは思っています。

実際にノーコードを活用したり、そうではなくても、ビジネスの人が普通にコーディングを覚えて書くようになり、プログラミングがあまり特別なことじゃなくなってくるかもしれません。

今でも、プロダクトを深くまで考えようとする起業家が、プログラミングもできるようになると「その人はエンジニアなのかな。じゃあ、俺は何なんだろう?」と、ビジネスとエンジニアの境界が曖昧になってきます。

もう少し具体的な例を挙げると、スタートアップなら既にマーケや事業責任者が、分析環境が整っていないために、自分でSQLを書いて事業の状況を分析したりもしています。

それも元々はエンジニアの仕事でもあったりするので、そのあたりの境界がますます曖昧になってきています。なので、自分はずっとエンジニアだと思ってやっていて、やっていることも変わっていないんだけど、気がついたらエンジニアというより、ほかのラベリングのほうが合っているという未来が来るんじゃないかという気はしています。

生涯エンジニアでいるために必要な心構え

――確かにそうですね。自分はマネジメントではなくて開発側にずっといたいとなった時に、それをやり続けるために必要な心構えは何でしょうか?

川崎:まずは疲れ過ぎないこと。あと、すごく月並みですが喜びというか、やりがいをきちんと感じることですかね。

今の人にあえて言うこともないのかもしれませんが、やはり持続可能な働き方をしないといけないので無理し過ぎないこと。

若いうちは気合でなんとかなるし、気合でガンガン進めたほうが伸びるケースもあるので、むしろどんどんやったらいいんじゃないとは思いますが、歳を取ってきたら、相応にやり方をきちんと考えたほうがいいんじゃないかなと。疲れないというのはマイナスを減らすことですよね。喜びをちゃんと得るというのは、プラスを増やすこと。その両方のバランスをきちんと取って、できるだけ自分にとって働くということがプラスに近い状態を維持することが理想です。

人によって何がプラスになって何がマイナスになるかは違うと思いますが、そこのバランスをうまく取る。また、自分の身体的、頭脳的な変化もあるし時代の変化も出てくるので、自分も環境もずっと同じであるとは考えないことも大切だと思います。

定期的にそのあたりの棚卸しというか、今だったらどうするのがいいのかなと、たまに振り返って、働き方のハック的なことを適宜やっていったほうがいいと思います。

ずっと忙しいと5年単位とかでまったくそんなことを考える暇もなかったりはしますが、現状のかたちが本当にベストなのかは、ある程度のタイミングで考えたほうがいいですね。

――逆に、生涯エンジニア志望の人が会社からの依頼で、マネジメント側になってしまったとして、川崎さんならどういうふうに声をかけますか?

川崎:マネジメントもスペシャリストもどっちも悪くないと思うし、「本当に嫌だったら別に辞めりゃいいじゃん」「別にマネジメントをやらないできちんと生きていく道なんていくらでもあるよ」と言った上で、マネジメントをやる意味も当然あるので、「そこから先は自分で決めることじゃない?」と伝えると思います。

ただ、それしか選択肢がないと追い込まれる必要はない。自分はどちらも選択する権利があるのだから、その先は自分がどっちを選ぶかというだけの問題だと思いますね。

便利だと思ったものを自分で作れるだけのささやかな技術力は死ぬまで持っていたい

――今もプレーヤーとして働く中で、川崎さんが幸せを感じる時はどういう時ですか?

川崎:月並みですが、やはり使っている人の反応を見た時はうれしいです。あと、起業家やそのメンバーが、ちょっとこれは難しそうだよなと思っていることに対して、「このアイデアやプロダクトでなら実現できるよ」と見せた時に、「なんか俄然テンションが上がってきた」と喜んでワクワクしてくれるのが一番楽しく、うれしい状況ですね。

僕はすごく怠け者なので、仕事が大嫌いなんですよ。基本的には仕事はしたくないんですが、例えば10年間仕事をしなかったら、たぶんこの世界に戻ってくることはできない。そうすると、先程挙げたような楽しみを分かち合うこともできなくなっちゃうので、価値を提供できる程度には、腕をなまらせないように、ちゃんと道具の整備はしておかないといけないと思っています。

――仕事が大嫌いとは意外です。

川崎:僕は、上を目指すというよりも70歳とかになった時に、「こういうものがあったら便利だな。20歳の時の技術力があったら自分で作れたのに、もう俺は作れないや」となったら、それはすごく不幸だと思っているんですよ。

そういう意味で、今はどんどん上を目指すというよりかは、自分が欲しいと思ったもの、これがあったら便利と思ったものを自分で作れるだけのささやかな技術力を死ぬまで維持していたいという感じですかね。

出来上がったプロダクトでどう世界が変わるのか見てみたい

――仕事をしている中で、川崎さんがつらいなと感じるのはどういう時ですか?

川崎:つらいのは、コーディングしている時ですね。あとはお金をもらっている事業でバグが出るとかです。一般的にエンジニアがつらいと思うところは、やはり同じようにつらいですよ。

あとは、キャリアが長いので、新しい案件が来てもだいたい見積もりがつくんですが、ここは読めないなという要素が4つとか5つ重なってくると、今でも不安に押しつぶされそうになっちゃいますね。

――つらいのもありながら、今までずっと続けているというところに関して、川崎さんの原動力は何なんでしょうか?

川崎:そもそも自分にとっては、最近の仕事としてのコーディングの8割はつまらない単純作業で、おもしろいところはせいぜい2割ぐらいしかないんです。ただ自分がやりたいと思ったものが出来上がって世に出たらどうなるのか、それがどう使われるかは、やはり作ってみないと読めないところなので、大袈裟に言うと、出来上がったものでどう世界が変わるかを見てみたいというのが大きいですね。そういう意味でもやはり使ってくれる人の反応がすごく楽しみ。

自分がかかわってきた事業は、やはり大きく育ってほしいなと思うし、そこで一緒に働いた人で「川崎さんと仕事をしていた時、すごく楽しかった」と言ってくれる人が増えることが一番の喜びかもしれません。

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