2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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大日方祐介氏(以下、大日方):セッションを始めたいと思います。「日本のインターネット黎明期、Web1, 2からWeb3へ」という題で、まさに日本のネット黎明期から、作る側でやられてきた方々をゲストに……1人いないんだよ。
渡辺創太氏(以下、渡辺):1人いないですね。
大日方:連絡が途絶えました。
(一同笑)
大日方:メタバースの彼方に。なので先に進めていただければと思います。まず、けんすうさんですね。週末にも関わらずありがとうございます。
古川健介氏(以下、古川):ありがとうございます。アルという会社をやっています、古川と申します。インターネット上では、「けんすう」という名前でやっています。
大日方:家入さんの紹介を飛ばします。
(一同笑)
古川:2000年ぐらいからWebサービスを作っていて、要はWeb2.0と言われる前ぐらいの黎明期を経て知っているので、そのあたりの話ができればいいかなと思っています。お願いします。
大日方:お願いします。学生時代に「ミルクカフェ」という掲示板をやられていたんですよね。
古川:そうですね。まだSNSなどが存在しない時代だったので、みんな掲示板と呼ばれるところに匿名で書くという文化が2000年ぐらい前半にありました。私もそういったサービスをやっていた感じですね。当時は今のWeb3じゃないですが、かなりいかがわしいものだと思われていたので、警察沙汰とか裁判沙汰とかがメチャクチャあって、2000年から2008年は警察から100通から200通ぐらい連絡書類をもらったりしていました。
裁判も3件くらいやっていたので、インターネットはそんな感じの、アングラな時代のものだったという感じですね。
大日方:なるほど。そのあとにnanapiを作られたんですね。
古川:そうですね。Web2.0で、日本最後のWeb2.0企業と言われていたのがこの会社です。Web2.0の最後のほうの時代で、モバイルとかソーシャルの波が日本ではあまり来ていなかった。2007年から2009年が何もなかった時代なので、そのあたりの時に起業したハウツーメディアですね。
大日方:なるほど。そして、今はアルという(会社をやっている)。
古川:そうですね。今はアルという会社をやっていて、どちらかというとクリエイターやエコノミー系のこういうアルというサイトとか、クリエイターさんがいろいろなかたちでお金を稼げるサービスを作っています。
大日方:ありがとうございます。よろしくお願いします。
古川:よろしくお願いします。
大日方:じゃあ次はdelyの(堀江さん)。
堀江裕介氏(以下、堀江):堀江です。よろしくお願いします。僕は学生時代にSFC(※慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)をすぐに辞めているんです。そのあと、21歳ぐらいの時に起業しました。1992年生まれなので、皆さんより年齢は5個とか7個くらい上かなと思います。もともとは「BASE」というコマースサービスのオフィスの端っこの1テーブルだけを借りて8人ぐらいで使わせてもらっていました。このテーブル2枚分ぐらいを使わせてもらっていたんですよ。
ここでフードデリバリーサービス、いわゆるUberEatsが(日本に)来る前にUberEatsみたいなものを作ろうと思って大学時代に起業しました。作ったんですが、半年ぐらいでキャッシュが尽きてしまうサービスだったので、これは良くないと思って畳みました。
(一同笑)
堀江:当時はテクノロジーが進歩していなかったんですよ。UberEatsは自転車で配達するじゃないですか。当時、配達員に連絡したんですが、誰からも返信がもらえなかった。仕方なく自分で運ぼうと思って自転車を取りに行ったら、今度は自転車が全部撤去されてしまっていた。置いていいかどうか、確認したんですけどね。いよいよなす術がなくなって、この写真は、僕が渋谷から原宿まで走っていって、それをたまたま誰かが撮ってくれていたシーンです。
渡辺:テクノロジーの問題なのかという。
(一同笑)
堀江:当時はテクノロジーが進歩していなかったので(笑)。
大日方:ぜんぜんスマホとかあったよね。
堀江:テクノロジーが進歩していなかったので、お金がなかった時はマグロの解体ショーとかで食いつないでいました。本当にあともう少しでキャッシュが切れるというタイミングでなんとか生み出したのが「クラシル」というサービスです。
(会場拍手)
堀江:家入さんがいなくなっちゃったというか連絡が来なくなっちゃったので。
石濵嵩博氏(以下、石濱):ちょうど今家入さんから連絡が来て、「今都内に着きました」と。
(一同笑)
石濱:「向います」って。
大日方:都内かー。
堀江:代わりに石嵩さん(石濵嵩博氏)が話をしてくれるということですね。石嵩さんは今、Web2からWeb3への展開を図っている世界的にも珍しい事例ですよね。
石濱:がんばってWeb2からWeb3に移行をさせますので、みなさんもぜひ続いてください。よろしくお願いします。
堀江:何をやられているんですか?
石濱:「Yay!」というSNSをやっています。それが今ずっと伸びてきているんですが、やはり「Twitter」や「Discord」にどうしても勝ちたいなと思っていた時に、偶然Web3の波が来て、僕たちの思想とすごくマッチする方向性でサービスを進めることができそうだったので、Web3転換というところで、Web2からWeb3に思いっきり業態変換して、これからやっていくところです。
ちょうど2022年2月末に、16億円調達自体はできたので、ここから引っ張っていけたらいいなと思っています。なんとか結果を出したいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。
大日方:よろしくお願いします。今日来てくださっている方はけっこう学生が多くて、中には16歳、17歳の高校生の方もいるんですが、当時、けんすうさんはどういうかたちでWeb1やWeb2を見ていて、どういうところにワクワクしていたんですか?
古川:僕がWebサービスを作り始めたのは2000年とかで、みなさんが生まれているか生まれていないかくらいだと思いますが、当時で、インターネットでできることがやり尽くされたと言われていたんですよ。
大日方:そうなんですか。
古川:「もうないね」とマジで言われていて、その中で僕もニッチな大学受験生向けに作ろうとやっていたんですね。2004年頃にSNSがドンッと出て、SNSが出た2年後ぐらいにWeb2.0という言葉が流行ったんですが、そのぐらいの時に「こんな本名を使ってリアルの人物と紐づいたかたちで人がつながるサービスをやっていいんだ」という驚きが強烈にありました。みなさんはぜんぜんピンと来ないと思うんですが、当時の人にはかなり衝撃だったというのは感じたんですね。
大日方:当時は匿名で使うものという感じだったんですか?
古川:匿名で使うもので、インターネットに本名を出したり顔写真を出したら危ないと言われていたんですよ。殺されるみたいな感じがあったんですよ。そのあとモバイル側に来るんですが、覚えているのはやはり2007年とか2008年ぐらいにグリーの田中社長(田中良和氏)や、「2ちゃんねる」をやっていたひろゆきさん(西村博之氏)とか、それらの方が「これからはモバイルだ」とか、「これからは動画だ」と言っているのを、みんなは「こいつ何を言っているの?」という感じで見ていたんですね。信じられないかもしれないですが、GREEの田中さんが「みんながモバイルでやるようになる」とか、一生懸命説明をしないといけなかったんですよね。
大日方:そうなんですね。
古川:そういうのがあって、2010年、2011年ぐらいから本当にモバイルの波がドンッと来た。そんな感じの大きな波を体験しました。
大日方:なるほど。当時も今もWeb3で盛り上がってきている感じで、Web2が世界を変えるみたいな、そういう盛り上がりは社会全体とか、もしくは若者の中であったんですか?
古川:日本だとWeb2.0と言われて、メチャクチャ懐疑的でしたよね。バズワードだった。「今さら何を言っているんだ」とか「ブログなんて来ないよ」とか、そんな感じでしたね。
一部の人が熱狂をしていて、GoogleがすごいとかYouTubeが世界を変えるといった中で、わりとみんな懐疑的で、意外かもしれませんがテレビ局の人やYouTubeの人などがインターネットで動画を見るようになると思って、ネットにいち早く飛びついて、2004年から2007年ぐらいまでけっこうがんばっていた印象があるんですが、「結局来ないじゃん」と言って止めちゃう人が多かったイメージがあります。
大日方:そうなんですね。
古川:「テレビのほうがぜんぜん影響力があるじゃん」と。結局YouTubeも2018年ぐらいにならないと芸能人が本格参加をしなかったですね。
大日方:そんなに最近だったんですね。
古川:だからテレビ局の人からしてみると、来ると言われていたけど15年経ってもまだテレビのほうがすごいじゃんという感覚だったので、おそらくWeb3も10年後や15年後に本格的に来るから、この5年ぐらいでWeb2.0企業の人がWeb3をやって、「やっぱり来ないじゃん」と5年ぐらいで撤退するとかはありそうだなと思っています。
大日方:なるほど。
堀江:マス広告をインターネットが超えたのは2021年とか。
古川:最近ですよね。
堀江:20年ぐらいかかった。
古川:だからナナメウエさん(株式会社ナナメウエ)みたいなのを見て、「うちもWeb3をやるぞ」と言って参入するけど、撤退するというパターンはここ3年、5年ぐらいであると思います。
大日方:これは石濱さんにかかっていますね。
石濱:任せてください。
(一同笑)
石濱:僕が成功をすれば、みんな「追えー!」となるから停滞期がないですよね。僕たちが爆死したらダメだね。
堀江:本当にそうなるんじゃない?
古川:本当にそうだと思います。
渡辺:大丈夫? そんなにプレッシャーをかけて。
石濱:大丈夫。もっと来てほしい。
(一同笑)
石濱:もっと!
古川:一番困るのが中途半端な成功なんですよね。そこそこ行ったけれど「delyのほうが大きいよね」みたいなことを言われると、「うーん」となっちゃうような感じがしますね。
石濱:じゃあ2年以内に、この2倍ぐらいのオフィスに(ならないと)。
(一同笑)
渡辺:delyの上に、3階ぐらい。
石濱:2フロア!
(一同笑)
堀江:僕らも取ろう。
渡辺:けんすうさんに質問なんですが、おっしゃっていたとおり波が来て、当時はそれこそ有象無象にサービスがあったと思うんですよね。その中で消えていった会社もいっぱいあるし、生き残った会社もいっぱいあると思います。そのWeb1からWeb2の中で生き残ってきた会社は、なにか共通点があるんですか? そしてそれはまたWeb2からWeb3への波に活かせそうなことなんですか?
古川:一番生き残っているのはサイバーエージェントさんだと思うんですが、彼らの戦略はけっこう最後発なんですよ。ブログの最後発で、みんながワーッとブログサービスを作っていた時代があって、ライブドアという会社も昔あったんですが、その中でサイバーエージェントは最後の最後に手を出して、みんなからとてもバカにされていたんです。今さらブログを始めてるよみたいな感じで。
でも「アメーバブログ」でブワーッと勝ったり、ソーシャルゲームも、どちらかというと時代の最先端の人たちがやっている中で、わりと後発だったけれど成功したりしているので、市場ができてから入ってきて成功しているのはサイバーエージェントかなと思っています。
渡辺:後発なのになぜ勝てたんですか?
古川:成功する人たちの失敗を見ていたり、「ブログって書いていいんだ」とみんなが思い始めた頃に、芸能人にバッと営業をかけて連れて来て、メジャー感を出したりしたからですかね。
渡辺:それはWeb3でも近いですよね。今は先発の人たちがユニスワップとかやってくれているのでそれをしっかり見て、改善をどんどんしていけば今からデックス作ってもチャンスはあるということですね。
古川:ぜんぜんあると思います。みなさんはぜんぜんピンと来ないと思うんですが、Googleが出た時に「今、検索エンジンなの?」とずっと言われていたんですよ。最後発だし、あれはもう儲からないビジネスモデルだと証明されているし、大学生がちょっと小粋なサービスを作ったみたいな感じでした。でも精度がいいね、というのが2000年とかその前ぐらいじゃないですかね。
なので、今はWeb3で早くやらなきゃと思っている人たちが多いと思うんですが、意外とまだ早すぎる可能性があるというのは感覚的にはありますね。
(次回へつづく)
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