2024.12.19
システムの穴を運用でカバーしようとしてミス多発… バグが大量発生、決算が合わない状態から業務効率化を実現するまで
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丹羽隆之氏:レアゾン・ホールディングスのCTOで、さらに今期からCHROも務めている丹羽と申します。本日は「CTO目線でのキャリア形成論 〜『エンジニア35歳定年説』 は真っ赤な嘘〜」という内容でお話しします。僕はプログラムオタク、コンピューターオタクなのでお祭りのような雰囲気は苦手なんですが、陰キャなりに盛り上げていこうと思います。
まず自己紹介をします。昭和46年生まれの50歳です。きっと、今見ているみなさんのお父さんやお母さんのほうが年齢が近いのではないかと思います。先ほど言ったとおり、コンピューターオタクで、小学生の時からPCを触っていました。当時はNECのPC-6001やPC-8001が出てきた頃で、その後PC-8801やPC-9801が出てきて、中学の入学祝いにPC-9801VM2を買ってもらってずっと触っていました。
スライドに趣味を記載していますが、特に映画が好きで、中でもSFものが大好きです。コンピューターグラフィックスをやりたいと思って、慶應大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)に入学しました。もしかしたらこの中に後輩がいるかもしれませんが、当時はできたばかりで、僕は1期生でした。ちなみに横にある写真は数年前に香港に行った友人が送ってくれたもので、僕がスカイダイビングをしている写真が空港のトラムに使われていたそうです。特に広がる話ではありません。
(スライドを指して)アジェンダとして、これらの話をしようと思います。在籍した会社とキャリアを分けていますが、僕はここがミソだと思っています。みなさんの今後の人生は、自分の持っているスキルやキャリアで勝負していくべきで、自分が所属している会社で勝負するのはやや昭和的だと思うので、ここでは会社とキャリアを分けています。会社についてはサクッと説明します。
在籍した会社は現在で10社目で、日本では転職回数が多いほうだと思います。ちなみに、この中で今でも残っている会社は3社。買収・吸収・合併された会社は3社。事業停止などでほぼなくなっている会社は4社で、やはりIT業界は移り変わりが激しい業界だと感じます。会社に入って3ヶ月で事業停止したり、事業の状態が悪化してレイオフされたりした経験もあります。
余談ですが、買ったマンションが耐震偽装で建築法違反となって建てた会社が潰れてしまったり、子どもの入園前に幼稚園が破産騒動を起こしたり大変だったので、周りからは逆の意味で「持っているやつ」と言われています。予想できないことが起きるのが人生なので、どれもその最中は本当に大変でしたが、徐々に耐性が付いて、今では良いネタだと思うくらいになっています。
ここからの内容は、正直に言うとみなさんの参考にはならないかもしれません。みなさんは学生なので、使ったことのない言語の技術書のサンプルコードを見たくらいの気持ちで見てもらえればと思います。ご覧のとおり、35歳を超えてもわりとキャリアを変えています。
場所は日本とアメリカ。対象はアーケードゲーム、コンシューマーゲーム、PC、ブラウザー。担当はクライアントからサーバー、DB、スマホなど、本当にいろいろ開発してきました。就労期間は長いところで6年弱、会社都合ではなく自分の意思で転職した場合では1年半くらいです。
ところで、みなさんに質問というか、考えてほしいことがあります。日本のエンジニアの平均就労期間はどの程度でしょう? (スライドを指して)こちらは2017年のデータなので、今はもっと短いのではないかと思います。アメリカのデータはGeekroidというサイトから持ってきましたが、もともとBusiness Insiderで集計したものです。
日本のデータもそこから持ってきました。アメリカのUber、Tesla、SquareなどのITベンチャーやユニコーンと呼ばれるような会社でもほとんど3年以下です。Googleからギリギリ3年です。ここには載せてはいませんが、中国のIT3大企業と言われるアリババ、テンセント、バイドゥは完全に3年以下。DiDiやofo、Mobikeなど、ライドシェアやシェアリングエコノミー系の企業では1年以下という集計が出ていました。
さて、日本ではどうでしょう。日本では、極端に勤続年数が長い企業と、アメリカのベンチャーとあまり変わらない短い企業に分かれているようです。そこには平均年齢が35歳以下の企業もちらほら見えます。これがエンジニアの35歳定年説の理由の1つかなと思います。ただし、勤続年数が短い会社がブラック(企業)で、長い会社がホワイト(企業)ではないと思っています。これに関しては今回の趣旨と少しズレるので割愛しますが、聞きたいことがあれば最後のQ&Aの時間に質問してください。
僕のキャリアに戻ります。コンピューターグラフィックスをやりたくて大学に入って卒業しましたが、入社した時は配属予定だったコンピューターグラフィックス系の部署がなく、最初のキャリアはゲームセンター向けの開発プログラマーでした。ただ、どうしても映像系のコンピューターグラフィックスに関わりたいという気持ちが強く、25歳の時に転職してアメリカのロサンゼルスに行くことになりました。
そのスクウェア(現:スクウェア・エニックス)という会社で、バトルのリードエンジニアとして作ったのが「パラサイト・イヴ」というゲームです。当時ハリウッド映画で活躍していたCGスタジオや、そこにいたメンバーがたくさん転職してきていました。やりたかった夢が1つ叶った時期でもありました。
その後、ロサンゼルスではなく、ハワイのスクウェアのスタジオで「ファイナルファンタジー」の映画を作るプロジェクトがありました。もともと映像をやりたかったので参加したいと思ったのですが、それまでの経歴がゲームに特化していたので、並行して作っていた「ファイナルファンタジーIX」にバトルのリードエンジニアとして参加することになりました。
このプロジェクトが自分の転機だと思っています。2本続けて当時100万本以上売れたゲームに関われたことで、やり切った感がありました。当時、みなさんは子どもなので覚えていないかもしれませんが、CD-ROMを入れ替えて遊んでいたんですね。複数のディスクに対して、イベントや敵のマップのデータをどのCD-ROMに入れるかを各社Excelで管理していましたが、マップやイベントは変わるのでそこに僕は面倒くささを感じていました。なので、このプロジェクトではDBを使ってデータの管理を行いました。
そこで、DBはすごい、おもしろいと思って、その将来性を感じました。また、ハワイで開発をしていたので、毎日デバッグ用のデータを日本に送るんですが、当時はまだギガではなく、メガでもギリギリ行かないくらい遅い通信速度でした。データを早く送るためにTCP/IPのプロトコルの勉強をして、ネットワークにも興味が出てきた時期でもありました。
30歳で日本に戻ってきて、次はDBとネットワークの仕事ができる会社に転職しようと思い、システム開発を行っていた野村総合研究所(NRI)という企業に転職しました。当時はオラクルという会社がすごく伸びていて、DB専業のベンダーでもありましたが、ベンダーフリーでいろいろなアプリケーションに触れて比較できたほうが楽しいかなと思って、NRIを選びました。
NRIはBtoBのシステム開発、つまりSIerなので、クライアントから言われたアプリケーションではなく、自分が作りたいものを開発したいと思って35歳で会社を作りました。なので、35〜37歳は代表取締役プログラマーと名乗っていましたが、自分で創業した会社です。みなさん「おぉ」と思うかもしれませんが、実は失敗でした。
開発したくて会社を作ったのに、仕事をやればやるほど従業員の給料を払うとか、契約書をまくとか、開発以外の仕事をやらなきゃいけないんですね。みなさんが仕事を始めて自分の会社を作る時には、ぜひそれを考えてほしい。エンジニアは陥りがちだと思います。
会社では、エンジニアが開発に専念できるように、それ以外のたくさんの仕事を他の人がやってくれています。そういうことを考えずに会社を作ると、開発がしたいのに結局できないということになります。ちょうどそんな葛藤を抱えていた頃、以前アメリカのスクウェアで一緒に仕事をしていたメンバーが、一緒にやらないかと声をかけてくれたので、37歳で再度アメリカでエンジニアをすることになりました。35歳を超えてもエンジニアとして仕事ができています。
そこでやっていた仕事を紹介します。2008年から2011年にかけてなので、みなさんも記憶しているかもしれません。この頃は少し前から「Second Life」が流行って、メタバースの時代と呼ばれていました。『東京ウォーカー』を作っているKADOKAWAから『バーチャルワールドウォーカー』という雑誌が出て、「セカンドライフでデートが10倍楽しくなる」というタイトルの記事が出ました。IBMがSecond Life上でSIMを買って、全世界の支社と会議をするというような取り組みも行っていました。日本企業も、日産、HIS、三越、野村証券など多くの会社がSecond Life上でいろいろなことをやっていました。
日本でも、今「ELDEN RING」で話題のフロム・ソフトウェアが「meet-me」という東京を再現したメタバースをやっていました。Googleは「Lively」というメタバースですね。どちらももう終わっていますが、そういうものが流行った時代でした。新しい会社は、ゲームや映画の技術を使って、超ハイエンドグラフィックスでやろうと取り組んでいました。
「Second Life」などは人が作ったものをコピーして売ることが横行していましたが、権利保護の仕組みを導入すればクリエイターも儲かってwin-winだね、というかたちでやっていました。最近よく「メタバース+NFT」と聞きますが、実際にやっていたことはほぼ同じ。当然、NFTのようなブロックチェーンの技術を使っていたわけではなく、普通のDBでの権利の情報を持っているかたちでしたが、当時は似たようなことを考えていました。
やはり事業にはライトタイム・ライトプレイス、適切なタイミングと市場の状況が重要です。タイミング的には2008年にリーマンショックが起きて、投資が全世界的に絞られるという状況。さらに、当時流行っていたのが100ドルPCと言われたネットブック。EeePCもそうですが、大流行りしていて、ハイエンドグラフィックスに振っているサービスにはタイミングが悪かった。
2009年にiPhone 3GSの発売があって、PCをターゲットにしたプラットフォームの流れは、世の中のスマホがiPhoneへシフトするのと逆行していたため、うまくいきませんでした。ギリギリのタイミングでiOS版を出したりしましたが、時すでに遅しでした。アメリカでレイオフ、つまり僕は即日解雇されました。40歳超えのエンジニアだった僕は大丈夫だったのでしょうか。
2011年末に日本に戻ってきましたが、スライドに書いてあるとおり、まだまだ大丈夫です。それまでやってきたクライアントエンジニアやサーバーエンジニア、システムアーキテクトのほか、英語でのコミュニケーションが可能という総合的な経歴が急に価値を持ち始めました。これは、それまでWebの技術だけで成り立っていたガラケーに変わって、クライアント側とサーバー側のすべての技術が合わさる必要があるスマホが台頭してきたからです。
ここまでやってきたことや知っていることなど、経験に価値が出てきたという感じです。レイオフを食らって落ち込んでいましたが、人生はわからないなという感じです。そこからベンチャーとスタートアップ2社でサーバーエンジニア兼CTOを務めたあと、上場会社の執行役員を2年務めて、現在所属するレアゾン・ホールディングスに転職しました。この時、46歳でした。
40歳を超えて転職をするにあたっては、さすがに人生最後の転職のつもりで、プライオリティを考えて転職活動をしていました。その時、日本のメガベンチャーと言われる会社や外資系のIT企業からも話をもらいましたが、社会人人生の折り返しと考え、どんな会社で働きたいのか自分を振り返ってみたんです。その時、大きすぎる会社は合わないと思った。
また、スピードが遅い会社も一度ライトタイム・ライトプレイスができなくて失敗しているので合わない。労働時間がきっちりしている会社も合わない。僕はルーズなほうなので、そういう会社はやめてレアゾン・ホールディングスを選びました。
この会社に転職して本当によかったと思える点は、入社年数に関係なくやる人、あるいはやりたい人にチャンスをくれる会社であることです。また、今までの経験以上に新しい挑戦ができると思っています。例えば、「menu」のようなフードデリバリービジネスや、元テレビ東京のプロデューサーの佐久間宣行氏がやっている「NOBROCK TV」というYouTube チャンネルも当社で取り組んでいます。
また、ゲームでは、スライドの左端にある「ドラゴンスマッシュ」、通称ドラスマを作っています。AWSでも取り上げてもらえるくらい新しい取り組みを決行していて、10対10のリアルタイム対戦を実現するために新しい技術を使っています。ゲーム好きな方に刺さる内容なので、興味があればぜひググってください。
事業紹介になりますが、フードデリバリービジネスのmenuもおもしろいです。日本国内では第3位のフードデリバリーサービスですが、当然、上にはUber Eatsと出前館がいます。ほかにも海外勢がたくさん入ってきていますが、それらよりは上です。
そう考えると、我々のサービスが上位2社に勝てない理由はないと、会社も僕自身も思っています。Uber Eatsは全世界で同じアプリケーションで同じようなサービスを展開していて、いわゆる費用対効果がメチャクチャ良いグローバルスタンダードと言われるモデルです。それに対して我々は日本のローカル会社ですが、それで負けが決まるわけではないと感じました。
そもそも食事は、メチャクチャ文化の影響を受けるローカルなものなので、日本の会社である我々が負けるわけにはいかないと思っています。実際にmenuだけに出店してくれている有名店もありますし、食材に合わせたきめ細かい対応を重視している会社が多いので、グローバルスタンダードにはできない、きめ細かい対応ができていると思っています。
また、レアゾン・ホールディングスはゲーム、メディア、広告などいろいろな事業をやっているので、例えばガチャやコラボなど、いろいろな取り組みができます。ゲームでは絶対にない『ONE PIECE』と『ポケットモンスター』のコラボという奇跡的なことがmenu上で起こります。
テクノロジー面でも、昨日(※登壇時2022年3月17日)当社のエンジニアがライブコーディングを行いましたが、menuはReact Nativeというフロントエンド技術を使っていて、日本でも有数の規模のアプリケーションだと自負しています。興味のある方はぜひインターンへの応募をお願いします。
(次回へつづく)
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