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人気ブログサービス「note」成長の秘訣とは?|note CXO深津貴之(全4記事)

都市情報デザイン、ロンドンのデザイン教育、thaでの仕事 デザイナー・深津貴之氏をかたちづくった思想のルーツ

つよつよチャンネルは、bravesoft CEO&CTOの菅澤英司氏がエンジニア的に「おもしろい話」や「ためになる話」を届けるチャンネルです。今回のゲストはnote株式会社でCXOを務める深津氏。今回は、幼少時代からthaに入社するまでに学んだことについて語りました。前回はこちらから。

小学校1年生でパソコンに触れ、2〜3年生でプログラミングを始める

菅澤英司氏(以下、菅澤):つよつよエンジニア社長の菅澤です。

池澤あやか氏(以下、池澤):エンジニア兼タレントの池澤あやかです。

菅澤:最近、NoCodeが流行ってきてるんですけど、知ってますか?

池澤:プログラムを書かずにアプリ作れたりするみたいな。

菅澤:開発って、どんどん簡単になってきてるんですよね。そうなってきた時に大事なのは、じゃあ何を作るべきか、どういうふうにそれを届けるべきかというか、デザインというか。

それを今UI/UXと呼んでるんですけれど、先週に引き続きUI/UXの悟りを開いた深津さんを呼んでいるので、後ほどいろいろとお話を深掘りしていきたいなと思います。今日もよろしくお願いしまーす。

池澤:よろしくお願いします。本日のゲストは、株式会社THE GUILD代表、note株式会社CXOの深津貴之さんです。

菅澤:よろしくお願いしまーす。

深津貴之氏(以下、深津):よろしくお願いします。

池澤:よろしくお願いします。

菅澤:出身はどのあたりなんですか。

深津:出身は、神奈川の横須賀です。

菅澤:今思い出してみて、少年時代というか、小学生時代は、何をしていましたか?

深津:初めてパソコンに触ったのがたぶん小学1年生とかで、プログラミングを始めたのが、2年か3年生ぐらいじゃないかなと。

池澤:当時って、どんな環境だったんですか。

深津:PC9801というパソコン(があって)。パソコンの回路がまだ8ヘルツとかの時代ですね。

菅澤:(パソコンは)親が買ってくれた?

深津:うちは自営業だったので、経理用のパソコンとして親が買って。一太郎やLotus1-2-3は、もともと仕事に使っていたものがありました。

池澤:一太郎ってその時代からあったんだ。

菅澤:なかなか普通の子どもはパソコンを触らないですよね。

深津:1年生とか2年生の時は、「ちょっとよくわからない、大人のゲームができる機械」ぐらいのノリだったと思います。その頃にBASICというプログラミング言語を学んで。家庭の方針からか、そんなにゲームを買ってくれる家でもなくて、パソコン使う時にゲームで遊ぶというよりは、プログラミングして、自分でなんかおもしろいものを作るぞ、みたいな感じにシフトしていったのかなと思います。

菅澤:外で遊ぶとかは、そこまでなかった?

深津:横須賀は山と森ばかりなので、山の中で遊んでたりも(していました)。

菅澤:その頃は将来のこととか、漠然と(考えていましたか)。

深津:何にも考えてないと思います。

高校生でBASICを学び、三角関数を扱うように

菅澤:コンピューターが好きな子ども(ということ)で。高校生ぐらいの時には、どれぐらいまでできるようになったんですか。

深津:小4、5ぐらいで『BASICマガジン』というBASICのための雑誌などを自分で買い始めて、ミサイルの角度を計算するために三角関数が必要で、原理は知らないけれど、三角関数は使えるみたいな。

菅澤:すごい(笑)。

深津:「意味はわからないけれど、これを使うと角度が取れるんだぞ」みたいな(感じで使っていました)。

池澤:Processingっていう、グラフィックを描画するようなプログラミング言語があるんですけど、その勉強会を深津さんと、深津さんの仲間たちとやっていたことがあって。その時に、深津さんが三角関数を道具のように使っていて(笑)。すごく感銘を受けました。

菅澤:勉強はどんな感じだったんですか。

深津:英語と国語の成績だけが異常によくて、それ以外はダメでした。

菅澤:そうすると、記憶力がいいってことなんですかね。

深津:どうなんでしょう。僕は読書が好きだったので、長文読解が得意なタイプでした。

都市情報デザイン研究室で人に対する設計などに触れる

菅澤:大学では都市デザインを(学ばれていますよね)。

深津:都市情報デザイン研究室。テクノロジーで生活がどう変化するかのワークショップをやったり。

菅澤:なぜそこに行ったんですか。

深津:単純にそこがおもしろそうだったからです。ちょうど携帯電話やインターネットがちゃんと普及し出した時代だったので。

菅澤:その頃の感覚としては、けっこうエンジニアのほうが近かったんですか。

深津:僕はやはりデザインもやりたかったけれど、プログラミングもやりたかったという感じです。インターネット初期は、両方できる人がかなり多かったと思います。1人でなんでも作るのが一番楽みたいな。

菅澤:1人でホームページ立ち上げるとか、そういうのが多かったですよね。

深津:まだSNSとかができあがる前で、人と人がつながる頻度、インターネット上でつながる頻度は、今よりもちっちゃかったので、おもしろいことをやろうとするなら、自分で全部やるみたいな。

菅澤:都市デザインのところで、今の素養というか、ベースができたんですか。

深津:そうですね。今のベースになるような、ドン・ノーマンの『誰のためのデザイン』のような。ユーザーの行動や人に対する設計みたいな文献を読んだり、習い始めたのはその頃からだと思います。

菅澤:当時も言葉としてUI/UXということは言われていたんですか。

深津:ユーザーエクスペリエンスという単語はまだほとんど言われていない。存在しない時代だと思います。時代的には、10年ぐらい前から先取りさせていただいていたという。

ロンドンのデザイン教育の影響で、コンセプト重視の思考に

菅澤:その後、ロンドンに(行かれた)。

深津:ロンドンに2年半ほど留学を。

菅澤:それはどういうきっかけですか。

深津:その頃はドン・ノーマンとか含めて、モノのインターフェイスに興味があったので。大学時代にインターフェイスなどのプログラミングをやった結果、留学させてもらえそうだったので、するならちゃんと勉強しようかなという感じで。ロンドンのセントラル・セント・マーチンスという学校に、2年半ぐらい留学していました。

ロンドンの大学(での勉強)がたぶん今に一番つながることの1つとして(あると思います)。ロンドンのデザイン教育って、ほぼコンセプト教育なんですよ。造形の話はほぼ一切無しで、ひたすらコンセプト。なぜこれをやるのか。

これがあることで、世の中どう変わるのか。なぜこの色に意思決定したのかとかをひたすら掘ることがメインの学部で。造形美しくするなら、自習時間に自分でやっとけみたいな感じ。

菅澤:(笑)。やはり大事なのはそこなんですね。

深津:なので、自分はそちら側が大事だと考えるようになりました。

菅澤:ロンドンに行って吸収したところはけっこう大きい?

深津:印象的だったものの1つは、プロダクトデザインの学科の学科長のあいさつみたいな時。「かっこいいテレビとか作りたい人は、うちの学科でやらないで、違う学科行きましょう」って言って(あいさつが)始まり出した。

中村勇吾さんからのコンタクトでthaに入社

菅澤:(笑)。(その後)帰国されて、tha(tha ltd.)という会社で仕事に就かれた?

池澤:中村勇吾さんがいらっしゃる、伝説的なWebデザイン会社。

菅澤:Flashですごいグラフィック(を作る)。世界的にもけっこう知られている作品を作ったりする会社ですよね。

池澤:プロダクトデザインとはまた違う。どういう経緯でthaに入られたんですか?

深津:最終的にロンドン留学は中退して帰ってきています。結論として、プロダクトデザインにはメッチャ金がかかるという大きな壁にぶつかって。材料代が高いみたいな。

池澤:確かに。

深津:プロトタイプ作るのすごく大変で。その頃、再び大きな結論としていえたのは。インターネット最高!という(こと)。

菅澤:(笑)。いろいろ学んだ結果、帰ってきたんですね。

深津:「プログラミングしてコピーして配信するのにはまったくお金がかからず、無限にスケールする。すばらしい」みたいなことを心の底から実感して、ロンドン留学してる最中に、ずーっとブログを書いていて。

まだテクニカルなブログとかデザインのブログを日本でやってる人はほとんどいない中で、僕は海外のわりと有名なニュースとか、新しい情報をひたすら最初にゲットしてその日のうちに技術分析とかコンセプト分析して書くようなブログを書いてて。なんか知らない間に、日本のFlashやインタラクティブアートとかの業界で、知名度がモリモリモリって上がってるという、よくわからない状況だったんですね。

で、そんなある日。その頃にはもうSNSができてきていましたが、mixiで中村勇吾さんから急にダイレクトメールが来て。「今度遊びに来ない?」みたいなご連絡をいただいて。

菅澤:その時は中村さんのことを知っていたんですか。

深津:中村さんはインターネット上では知ってたけど、直接コミュニケーションを取ったことはない感じでした。

お声がけいただいて、日本に戻った折にごあいさつ行って、1回ご飯を奢ってもらって。その時にちょっと働く話とかを聞いて。そのまま次の週、夏休み終わってロンドンに帰って、いきなり休学して全部畳んで、日本に帰ってきたという。

深津:クラスメイトからすると、夏休みが明けたら何もなく音信不通にいなくなった人みたいな。その後はtha(入社)という感じで、ずっとFlash職人(をやっていました)。

池澤:アニメーションとか、すごくきれいですよね。

菅澤:当時のそのスタジオというか、社内の雰囲気とはどうでしたか。

深津:静か。

菅澤:静か(笑)。

深津:thaのオフィスは静かということが一番大きい。全員職人みたいな感じなんです。カタカタカタカタ。

菅澤:「スケジュールが大変だ」みたいなところはあったんですか。

深津:スケジュールが大変なのもありましたが、ストイックな人がすごく多かったので、スケジュールとか残業とか関係なく、納得いくまでひたすらやる世界だったかなと。

菅澤:そこで深津さんが学ばれたことは。

深津:今やってる仕事とはぜんぜん違うんですけど、比較的予算も期限も度外視で、ひたすらよくするとどこまでいけるか、みたいなもの。気持ちよくモノが動くことの価値とか、気持ちよく動くモノが、人にどういう影響を与えるか、惹きつけるかとか。そういうことは全部thaで勉強させていただいたかなと。

菅澤:全部今につながっているということですね。都市情報デザインから、プロダクトデザインから、Flashとかで気持ちよさ。

深津:この頃に今までやった全フォーカスしたところにiPhoneがボンと出てきたので、iPhoneのアプリを作ってみよう、勉強してみよう、ということで触り出しました。

菅澤:なるほど。そこからまた急展開していくということですね。次回は、iPhoneが出てきてどうなったのかをちょっと聞きたいなと(思います)。

(次回に続く)

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