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【第2回】「デカ目」のテクノロジー論《MORI2.0》(全5記事)

浮世絵の女性がみんな同じ顔をしているのはなぜ? 日本発の文化「盛り」の歴史と、日本人の美意識の変遷

2019年5月10日、スパイラルにて「『盛り』の誕生 ー女の子のビジュアルとテクノロジーの平成史ー 【第2回】『デカ目』のテクノロジー論《MORI2.0》」が開催されました。平成の時代に現れた女の子たちが表現してきた、大人には理解できない不可解なビジュアル。90年代以降に発達したデジタルテクノロジーの力を得て、今なお変化し続けるビジュアルコミュニケーション「盛り」の変遷から、消費行動のカギを握る女の子たちの意識を探ります。第2回となる今回は、「『デカ目』のテクノロジー論」をテーマに、時代を知るゲストたちがディスカッションを行いました。本記事では、書籍『「盛り」の誕生』を刊行したばかりの久保友香氏による冒頭の講演模様を中心にお送りします。
【第3回】「盛り」サミット《MORI3.0》は、6月7日(金)に開催

日本の文化や美意識は数値化できるのか?

久保友香氏(以下、久保):こんばんは。よろしくお願いします。GW明けで、なかなか疲れた1週間とは思いますが(笑)。その最後の日に、今日はどうもお越しいただきありがとうございます。

まず最初に、この講座が何なのかということと、私の自己紹介含めてちょっとご説明させていただこうと思います。私は、今回この講座のコーディネーターを務めさせていただいております、メディア環境学という分野の研究者であります、久保友香と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

(会場拍手)

久保:今回のテーマでもある「盛り」というものを、ここ何年か集中的に探究しています。元々は「盛り」というか、日本の文化とか、その中にある日本人の美意識のようなところにすごく興味があって、それを研究したいと思っていました。

ただ、この経歴からもわかるように、私は完全な理系でありまして。小さい頃から、言葉とか文字を使うのがものすごい苦手で、数字だけが得意っていう感じで生きてきました。そこで「日本の文化、日本人の美意識みたいなものを数値化できないか」というな目的を、大学院のときから持って研究をしています。

最初は「粋」を数値化できないかとか、「わび・さび」を数値化できないかなど、そんなことをやっていたんですけれども、なかなかこれは難しくて。「できるところからやってみよう」って考えていた時に気づいたのが、日本の伝統的な絵画の中に表れる形に注目するという方法でした。

浮世絵の美人画がどれも似通っている理由

久保:日本の絵画というのは、写実的には描かないという特徴があります。例えば、西洋で15世紀に透視図法ができて、そのあと日本にも入ってくるんですけれども。日本の浮世絵を見ると、どうも透視図法には従わずに描く特徴があります。あえて「デフォルメする」という文化があるというところに注目しました。

そのデフォルメ具合を数値化すれば、日本人の美意識が数値化できることになるんじゃないか、ということに気づいて、そういった研究を始めました。デフォルメというのはどうしても手描きの世界の話なんですけれども、それをコンピューターで描けるようにするための図法を作る、という目的で博士論文を書いて、博士号を取りました。

最初はこのように日本の絵画に描かれる構図に注目してたんですけれども、そのあとは顔に注目するようになりました。日本の美人画を集めたんですが、その美人画の顔というのも、どうも写実的には描いていない。デフォルメをするという特徴があるので、そのデフォルメ具合をまた調べて、そういったデフォルメをコンピューターで描けるような図法を作ることをやっていました。

そこまでは歴史のことをやっていたんですけど、それが現代にも、未来にも繋がる部分がないかを探究するようになりまして、そこで、はっと気付いたことがありました。日本の美人画を調べてたときに、日本の美人画って700年代ぐらいの壁画からずっと描かれている歴史があるんですけれども、例えば浮世絵の美人画とかって、なんか似てませんかね、どれも。美術や歴史の専門家の方から見れば、どちらも違うのだと思いますが、素人目にはそっくり。

違う人が違う人のこと描いているのに、そっくりな顔をしているのがおもしろいなと思っていました。でも、それって現代にも通じてるんじゃないかと、ふと気づいたことがあったのです。それがこういう感じなんですけれども。(スライドを指して)ちょうどそれが、2010年・11年ぐらいだったと思うんですが、どうも現代の女の子の顔を見ても、なんかそっくりに見えるなと思ったんです。

デフォルメを研究していくうちに「盛り」の世界へ

久保:浮世絵の美人画と似てるんじゃないかと思って、現代にも日本の絵画のデフォルメが引き継がれてるということに気付きました。

人間の顔というのは、人間は生物なので、自然のままなら多様性があるはずですけれども、こうやってそっくりな顔になるということは、浮世絵も、現代の女の子も、人工的になにか加工してるということがわかります。

そのことを私はデフォルメと呼んでいましたが、どうも女の子たちはそれを「盛る」と言ってるなっていうことがわかってきました。そこで、デフォルメの研究から「盛り」の研究へと移っていきました。そこから始まって、「盛り」を探求していき、その「盛り」についての本を今回、出版するに至りました。

先月18日に発売しまして、今日あちらで売らせていただいておりますので、よろしければ後でご確認いただけたらうれしく思います。この本に何を書いているかというと、過去25年ぐらいの「盛り」の歴史を書いています。

「盛り」の誕生 女の子とテクノロジーが生んだ日本の美意識

ここ25年、何があったかというと、例えば、すごく顔を黒くして髪を脱色するような、ヤマンバとかマンバと呼ばれるような方が渋谷を中心に現れたり、その後インターネット上で、すごく目を大きくするような女の子たちの写真がたくさん溢れることなどありました。

最近では、「インスタ映え」という言葉がありますけれども、例えば、ものすごいファンタジーな世界で、ものすごいファンタジーなかっこうをして写真を撮るようなことが起きています。

これらって、肌をすごい黒くしたり、目をすごい大きくしたりとかって、別に美しくなろうとしているわけではありません。美しさって、黄金比で表されるとか言いますけれども、そういったものを目指すのとはちょっと違うものなわけです。

「なんでそんなことをするのか」と私は気になっていたんですが、なんでだと思いますか? それに対する私の答えが今回の本に書いてあるんですけれども。キーになる部分だけお伝えすると、私はそこに女の子たちを囲むメディアの環境っていうのが、大きく影響してると考えています。

「盛り」と「美人になること」は似て非なるもの

久保:そしてもう1つ、この本のキーになる部分をお伝えします。「盛り」とは何か、私がずっと25年の歴史を調べて、たどり着いた答えとしては、「お化粧とか服装とか、ライフスタイルとか、自分自身を取り巻くビジュアルを、コミュニティごとの常に変化する基準に従って、可逆に作り、コミュニケーションすること」、こう定義しています。「盛り」とは「美人になること」とは、ちょっと違うものだと考えています。

なぜこのような考察に至ったかというのは、この本全体でご説明しているのですが、この講座はその本を補足するような内容になっています。本の中では、この盛りの25年の歴史を大きく3つに区切っています。最初は、90年半ば以降。これというのは、女の子たちの中に、デジタルコミュニケーションが入ってきたころです。

その頃、私もちょうど高校生だったんですけれども、まずポケベルが子どもたちの間にも普及しました。学校にいながら学校の外の人と繋がりを持てるようになりました。それで、放課後に街を拠点に集まる、学校の枠を超えたコミュニケーションができて、そこで肌を黒くしたり、髪を茶色くしたり、ビジュアルを共有することが起きます。この時期を「MORI1.0」としています。

その後、今度はみんなが携帯電話を持って、インターネットに接続するようになり、そこでバーチャルだけの繋がりが生まれます。そういう中で、今日もテーマにする「目をすごく大きくする」というようなことが起きます。この時期を「MORI2.0」としています。その後、最近になってくるんですけれども、スマートフォンを持って、シーン全体を撮影し、加工して、インスタグラムで公開するっていう時期になっていくんですが、この時期を「MORI3.0」とし、こういった3期に分けています。

この講座では、各時期に焦点を当てて、そこで起きた現象を取り上げていく、ということをやています。

女の子が「デカ目」にしはじめた時代の考察

久保:その時代の作り手であったりとか、受ける側であったり、時代の証言者の方をお呼びして、その時期を表すトピックについて考えていくということをやっています。

そして今回、第2回なんですけれども、この「デカ目」という、女の子がすごい「デカ目」にしたという時期に焦点を当てて、なぜそれをしたのかというようなところを最終的に考えていきたいと思いまして、そこにふさわしい、一緒に議論するにふさわしいゲストの方をお呼びいたしました。

ではここで、ゲストの3名の方、お呼びしたいと思います。準備はよろしいでしょうか? 順番に、まずプリントシール機メーカー フリューさんの、稲垣涼子さんです。お願いします。

(会場拍手)

久保:それから、つけまつげなどのメーカーで老舗である、コージー本舗の玉置未来さん。よろしくお願いします。

(会場拍手)

久保:さきほど、この今日焦点を当てる時代を、高校生ぐらいで生きていらして、今大人気のフリーライターでいらっしゃる、夏生さえりさん。お願いいたします。

(会場拍手)

久保:じゃあ、とりあえず座っていただきまして。ゆっくりといろいろご紹介いただきますので、簡単に自己紹介をしていただけますか? 稲垣さんからお願いします。

ゲストとの浅からぬつながり

稲垣涼子氏(以下、稲垣):フリュー株式会社の稲垣です。よろしくお願いします。

私は、2005年にフリューの前身であるオムロンエンタテインメント株式会社に入ってから、ずっとプリントシール機、一般的にはプリとかプリクラという人もいますが、その商品企画をしてました。

その企画をする上で、やっぱりターゲットである若年女性をずっと見てきたので、そこから「GIRLS'TREND研究所」という研究所をフリューの中でやっております。で、そこの所長もしております。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

(会場拍手)

久保:では玉置さんお願いします。

玉置未来氏(以下、玉置):株式会社コージー本舗の広報をしております、玉置未来と申します。よろしくお願いいたします。

私は、コージー本舗に2006年に入社しまして、二重まぶた化粧品を扱うメーカーで。PRに携わりながら、商品開発なども今しております。今日はよろしくお願いいたします。

(会場拍手)

夏生さえり氏(以下、夏生):はい。フリーのライターをしております、夏生さえりと申します。今日は「私はなんでここに並んだいるのかな」と思いながら座っている感じなんですが(笑)。

1990年生まれで、2000年のときには20歳ぐらいですかね。2010年の「盛り」の時期には20歳ぐらいで、大学生っていう感じだったんですけど。今日は、「私、そのプリ機撮ってました」とか、「つけま、つけてました」みたいな感じの、ゆるいコメントをしていけたらいいかなと思っています。

(一同笑)

夏生:どうぞよろしくお願いします。

(会場拍手)

久保:よろしくお願いいたします。私は、お三方ともよく知っていまして。稲垣さんとはもう10年前ぐらいに、最初こういった研究を始めるときに、まずプリがどうやって作られているのかっていうことを探りに行きました。最初他の会社に行ったんですが、その後フリューさんにうかがって、すっかり長くなり、最近は共同研究という形で、一緒に研究もさせていただいています。

そして玉置さんも、やっぱり最初は10年ぐらい前になるかなと思うんですけど、つけまつげのことを教えていただきたいということでうかがって、そこからいつもお話をうかがってます。

さえりさんは、最初「かわいいとは何か」というテーマで、さえりさんの方から取材をいただきまして(笑)。今度は私と稲垣さんと一緒に、「プリ帳HISTORY」という、女の子たちにご自身のプリ帳について語ってもらうという企画をWeb上でやってるんですけれども、そこでゲストとして来ていただきました。

その後「プリとかわいいの関係」のようなテーマでまたさえりさんから取材いただいたりと、行ったり来たりの関係をさせていただいて、いつも刺激をいただいております。

ポケベル時代にはじまった、学校の枠を超えたコミュニティ

久保:こういった3人でお話ししていきたいと思うのですが。まず引き続きで申し訳ないんですけども、ちょっと最初に私から、この「デカ目」がすごく進んだその時期の時代背景を、私の専門のメディアの環境っていうところを中心にご説明したいと思います。

前回、実は第1回ってことで、90年代ぐらいに注目して行ったのですが、どうしてもそこから説明したいなというところがありまして、そこからご説明させていただこうと思います。

さっきも話したんですが、やはり90年代後半からというのは、女の子たちのメディア環境というのに大異変が起きました。それまでは基本的に、子どもたちのつながりは、どうしても学校の中に閉じていました。どうしても学校の外でのつながりを持ちたい、という人は、学校を休んで溜まり場に行って、みたいな。ちょっと不良というようなことをしなきゃいけなかったんですけれども。

この頃、1994年ぐらいから、一般の女の子にポケベルが普及するということがありました。ポケベルはその前からあったんですけれども、結構高くて、ビジネスマン向けのものだったんです。通信自由化によって、これまでNTTだけでやってたものが、そうではない新しい会社も入ってきたりと競争が起きてくる中で、低価格化して、女子高生をターゲットにした商品などが出てくる中で、浸透していきます。

そうすると、一般の不良ではない子も、学校に行きながらにして、学校の外の人とつながることができます。そして放課後に、街を拠点に集まるような、学校の枠を超えたコミュニティがけっこう多くできます。

ちょうど私はその頃高校生だったりしてたんですけれども、街で集まるようになると、街の中で、別の学校だけどあの人知ってるというような街の有名人だったり、一般の高校生なんですけどちょっと有名みたいな子が、ぽつぽつと出てくることがありました。

それを吸い上げたのが出版社です。

女子高生の「目立ちたい!」を吸い上げた出版社の試み

久保:それまでの雑誌というのは、専属モデルさんとかが取り上げられていたんですけれども、そうではなくて、一般の高校生だけど街で有名な子を雑誌で取り上げることが起こりました。そうするとまた状況が変わりました。

有名なところでは、94年にできた「東京ストリートニュース!」、95年にできた「Cawaii!」、それから「egg」という雑誌があるんですが、そういうものができてくると今度は「街の中で目立って雑誌に取り上げてもらいたい」という子たちが出てきます。街の中で目立つためにどうしたらいいかということで、どんどんと派手なかっこうをする子が表れました。

金髪が、メッシュからガンメッシュになって、さらに真っ白になっていくというようなことがあったりとか、もっと肌がガングロからさらに真っ黒になったりとか。そういうことが進んで、先ほども出てきたようなマンバとかヤマンバとかっていうところに至るわけです。

そういうかっこうができる子というのは、どうしてもやっぱり学校の校則が緩いような学校の子だけになります。真面目に学校の校則を守っているような子たちは、諦めることが多くなります。そういう子たちの話を聞いたんですが、現実には派手になれないけれど、プリの上では派手になることが、けっこうされていたと言います。その中では髪も明るくなったりとか、肌も白く、現実よりも派手になれると。

その頃、高校生や大学生のコミュニティで、サークルというようなのが渋谷などを中心にできてきていて。そういったサークルというのはイベントを主催するわけなんですけど、イベントで配布するパンフレットのようなものが、ちょうどDTPとか技術も発展した中で印刷も安くなって、自分たちで自費出版することが起きてきます。そこの中の写真は、必ずプリの写真を使うようになりました。

自分たちがお金を出せる範囲で雑誌に近いものを作り、そこにプリでちょっと派手な姿を作る。実際には派手にはできないし、ストリート雑誌にも載ることはできないけど、自分で作った雑誌の中でプリで派手になるようになり、そういう中で「盛り」という言葉が広がってったのではないかなと私は考察しております。

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