2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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落合陽一氏(以下、落合):じゃあ、我々が今メディアをどう考えたらいいのかを考えてみましょう。人間知能は五感でものを得ます。例えば目と耳と、触覚とそういったような五感と、筋肉によるアウトプットと、あと脳による処理と言葉もしくはメディアを通じてのコミュニケーションを取るわけです。
そのうえで機械知能がいったい何をやっているかと言ったら、多様なセンサーや多様なアクチュエータやもしくはCPU、GPUを使って電気的なコミュニケーションを取ると。
この中で人間のメディアと人工のメディアが多彩に入り組んだ社会があって、これはただ単に映画のロジックでテレビに情報をつないで、それをコミュニケーションしてくる社会とは違っている。
我々の興味の中で、例えばそれは言葉で発したときにインタレストのフックを作るのか。もしくはものを掴むときや歩いているときに、あるいは誰かと言葉をコミュニケーションするときに興味のフックを掛けるのか。広告のあり方が、ただ単にディスプレイの中だけではなくて、我々の身体性そのもの、生活そのものに溶け込むようになってきている。
それは、あらゆるところにフックが存在することを意味しています。人間はそもそも情報のやり取りをする身体を持っていて、例えばディスプレイからなんらかの波動が出て、それを使って情報のコミュニケーションを取る。
それを分解した挙句、生活のあらゆるところにそれが入ってきてしまったということは、おそらくある1つのパイ、つまり劇場なら劇場、テレビならテレビ、インターネットならインターネットのある一部分をどうやって分割するか。
もしくはそれを切り売りするかということだけじゃなくて、テクノロジーを使って、我々がどうやって情報と対峙するか。そのあらゆる境界面に、広告や情報伝達やコンテンツ産業の枠組みがあると思います。(スクリーンを指して)これは僕が博士論文のときに書いた図なんですけどね。
そういった情報のやり取りをするときに、僕は「専門は波です」って言うんですけど。専門について語らないというのもあれなんで、1分だけ時間をください。
波で何をしているかと言うとですね。波動がこうあります。波動を水面に石を投げるように分布させていくということは、たぶんみんなできると思います。そうしたときに、じゃあ波源をいっぱい増やして、出てくる波を増やしていくと、いっぱい波紋ができます。水面に石を投げてるときとか。
そうしたら、対象の点にその波を集めてくるには、どうしたらいいかと言うと、ちょっと時間をかけて石を水面に落としてあげれば、なんか波が集まりそうじゃないですか。そんなふうに、音や光というのは、遠くに合わせるとしたら遠くに向かって波を出すことができる。
こういうことを視聴覚にどうやってやっていくかと言うと、例えば今まで空間にビームを撃つようなスピーカーはあったけど、手前の下のあそこの1人だけに音を聞かせたいときにどうやって音を出したらいいかなと。
みなさんもうわかりますよね。スピーカーをたくさん並べて、このスピーカーから出てくる音がそこ(音を聞かせたい人のところ)で強まるように制御してやればいいわけです。
こういったことを今まで機械的にできたかと言うと、これはコンピューターで計算しないとたぶんできなかった。つまりコンピューターで計算して、どうやったら我々一人ひとりに音や光を届けられるかというのは、今までの単純な二次元の画面を見ていた状態から一歩、三次元空間に進歩した。
例えば、日本語と英語を別々に打ち分けたりとかできるわけですよ。そうするとすごく意味がある。「こっちは日本語の人座ってください、こっちは英語の人座ってください、こっちは中国語の人座ってください」というのは、インカムを付けるより非常にやりやすいこともあるわけです。
そういったものをどうやって空間に分布するのかというのが、僕が大学で主にやっていることです。大学でアカデミックにそれを計算したあとはいったいどうなるかと言うと、そういうテクノロジーを使って、おじいちゃんおばあちゃんの耳元で音を鳴らせば、補聴器として非常に強いかもしれないし。
はたまた、これを使って美術館や駅やそういった(大勢の人が集まる)ところで、人によって違うコミュニケーションを取るためには、会社でやっているような社会実装と要素技術開発というものをセットにしないとならない。そうしないと今の大学というのは進まないから、それを使ってどうやってコミュニケーションを取るかということをずっと考えています。
だから波面を作ったり、3Dプリンタでも形成したりする中で、どうやってディスプレイでコミュニケーションしていくかということが専門です。波動をどう制御できるか、ものを空中に並べてディスプレイやスクリーンを作ったりする。
もしくは、これはレーザーを使った場合ですけど、レーザーをところどころ収束するようにすれば、例えば空中にタッチディスプレイを作ったりですね。はたまた空中に点字を打ってコミュニケーションを取るというような、オーディオビジュアルの今までにない使い方、テクノロジーが出てきます。
それが人間に対して違う情報伝達(を可能にする)。例えば視覚だけじゃなくて触覚だとか聴覚だとか、そういったものが出てくるんじゃないかというような要素技術を大学では主に研究しています。
そんなことと社会がどうつながっていくのか。僕が1つのキーワードだと思うのは、我々のオーディオビジュアルもしくは運動性能、もしくはそれが個人に対して最適化されていることと、それをコンピューテーショナルなデバイス、例えばスピーカーだとかディスプレイが我々の情報を持っているというのは、非常に等価なことだと思います。
僕にとって最適化される音と光は、僕の超個人情報ですよね。もっと具体的な例としては、例えば視聴覚のことを聞く。でも聴覚の聞こえが悪くなってきた人は、おそらく自分がどういう聴覚分布を持っているか、みんなが(それぞれに最適な聴覚分布を)持っています。
これって、究極の個人情報だと思うんですよ。でも、おそらくみなさん視覚も聴覚も運動能力もすごく必要です。例えば、人間にどうやって最適化された情報伝達や、もしくは波動それ自体が届くのかは、おそろしく重要な問題なわけです。
そういったことを考えたときに、我々の社会は少なくとも撤退戦になる。インフラストラクチャーを減らしていかないといけなくなる。人間が減っていって、オーディオビジュアルな対応になる。
それは1個1個ハードウェアで対応していったら、限界費用が高すぎておそらく対応できない。ソフトウェアでデザインしない限りは、それはたぶんできないわけです。
おそらく撤退戦になるときに(必要になる)もう1個が、例えば江戸時代とかはよくやってたわけですけど、重層型経済。藩で独自に使えるお金(藩札)を刷るとか。
それは、自治体によって金融政策と財政施策にかけられるパラメーターが少ないので、独自の通貨を発行したり、もしくは例外や特例を認めたり、文化を考えたり、多様性を維持したりしていかないといけないんだと思います。
こういった問題があることを、我々は広告ツールやもしくは最適化テクノロジーを使って、どうやって人に伝えることができるでしょうか。
我々の社会は今まで(スクリーン)左側の中央化された社会で、それは1つのユニファイドな、1つの統一されたプラットフォームがあって。例えば、車なら車メーカーが作るようなプラットフォームがあって、それを使って政府の認可や品質保証を経て社会に出てきたわけです。
そうじゃなくて、人が減っていく、もしくはユーザーが活発にそれに関与しないといけないときには、どうやってユーザーコミュニティがそれを使えるか。もしくはプログラムによる承認ができるか。あるいはエンドユーザーにとってハッカブル(修正可能なもの)であるかということがすごく重要になってきます。
これはメディアメッセージについても同じことです。今まで例えばメディアメッセージの方針というのは、おそらくクオリティコントロールされた1つのプラットフォームがあって、そのプラットフォームをどうやって使っていくか。例えばテレビCMを打つなら、クオリティチェックをひたすらやる。
しかしながら我々が今やらないといけないのは、それを分散型にしたときに、どうやってメディアメッセージを損ねないような仕組みづくりができるか。もしくはエンドユーザーを巻き込みながら、それをハッカブルにできるかということがキーワードになっているんじゃないかなと思うわけです。
この前、日本フィル(ハーモニー交響楽団)さんと一緒に、耳で聴かない音楽会というプロジェクトをやっていました。この子たちは人工内耳が付いていたり、「Ontenna(オンテナ)」が付いているのがわかるように聴覚支援学校の学生さんたちなんですけど。
これは視覚を使って音楽をやるとか、聴覚、触覚を使って音楽を伝達するようなことをマスコミュニケーションとしてやっているわけです。これはすごく僕の中では意味がある試みだと思っていて。
ワンショットのイベントとして意味があるんじゃなくて、「我々は聴覚や視覚の多様性に対して、どうやってテクノロジーを使って向かい合うか」ということを広告を使って伝達しようとしているわけです。
例えば、これはもともと博報堂さんと一緒に作ったライブジャケットという全身で音楽を使うスピーカーがあって、それがもとになっているわけです。そういったコミュニケーションの1つとして、感覚を多重化させて、多様になっていくオーディオビジュアルに対応させることが1つ重要なファクターになる。
それは例えば昔、20世紀にジョン・ケージとかマルセル・デュシャンが「網膜のための絵画ではない」とか「聴覚のための音楽ではない」と言っていたことに非常に近い。
我々は音楽を耳だけでは聞かないし、触覚でも表現できるし。例えば視覚をどうやって触覚にするのか。もしくは聴覚に変えるのか。そういったようなクロスボーダーな枠組みは、コンピューターができて情報化できるようになってから初めて互いに交換可能になったのだと思います。
そういうようなダイバーシティが可能になってきたから、そういうメディアメッセージは個別に届けていけばいいのかと言われたら、それを個別に届けられるマスメッセージが必要なんです。
つまり、「一人ひとりが多様になっている」というようなマスメッセージがないことには、個別に閉じて(しまうので)、隣の人がぜんぜん何をやってるか知らない不安がある。一人ひとりに違う情報が届いている不安というのは、おそらく1つの大きなマスメッセージじゃないと解消できない。
そういったようなマスメッセージで解消するという最後のチャンスが、僕は2020年のオリンピックだと思っているんですね。それをやらない限り、我々の社会が不協和を起こす。
つまり、そういった個別最適化された情報伝達が一人ひとりにやられるようになって、コンピューターを使って最適化できるようになったとしても、大きな社会メッセージとしてそれができるということを証明しないといけない。
その中でもう1つ重要な要素は、それがハッカブルだということです。(スクリーンを指して)これは筑波技術大学でオンテナを作られている富士通の本多さんとやってたプロジェクトですけど。
実際にエンドユーザーが、音で聞こえたことをプログラムとして書いて、自分は耳が聞こえないけれども、例えば桜木町で降りたいときに「桜木町」って聞こえたら特殊な振動をするように、自分でプログラムできなくてはいけない。
つまり、これはプロダクトとして最低限の機能をもって配るのではなくて、エンドユーザーが安全な範囲でハック可能になっているような製品ということです。こういうものはマスプロダクトではない。それはもはやパーソナルコミュニケーションに近いんだけど、そういったものをどうやって作っていくかというのは、1つ大きなファクターです。
それがさっき言っていた、国からお金をもらってやっている大きなプロジェクト(国プロ)だと思っています。つまり我々の社会がどうやって多様化した問題をコミュニケーションデザインによって発見して、それをカスタマイゼーションできるようにしたり、最適化できるようにして、情報のソフトウェアの枠組みで配るか。
つまり、「安全だけどハッカブルなもの」が社会にないといけない。そういう安全だけどハッカブルなものって、おそらくはメディアコミュニケーションでも必要なわけです。
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