2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
トリプル・ダブリュー・ジャパン中西敦士氏(全1記事)
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アマテラス藤岡清高氏(以下、藤岡):まずは、中西さんの生い立ちについて教えてください。
中西敦士氏(以下、中西):兵庫県の明石市で生まれ育ちました。私は3人兄弟の末っ子で両親、祖父母と共に生活していました。
祖父は会社を経営していました。もともとは農業をしていましたが、事業を変え、山を買って土を土建屋に売る仕事をしていたのです。
私が小学4年生の時に祖父は亡くなりましたが、その葬儀で「おじいちゃんあーだったよ、こーだったよ」といった話を聞いている内に、「経営者って面白いかも」と思うようになりました。
また、その頃はビル・ゲイツがWindows95を発売した時期でもありました。「大学中退の若者がいきなりすごい事になっている」と衝撃を受けました。
それらの出来事が重なり、小学校6年生時の「将来何になりたいか」がテーマの文集に私だけが「社長」と書きました。その頃から起業を意識していました。
藤岡:中学、高校時代の話を聞かせてください。
中西:中学校の地理の先生が印象的でした。彼は、「これからの時代は大学行って会社勤めするのではなく、ビル・ゲイツみたいに時代を作っていく人間になる必要がある」と言っていました。そこで改めて、私は「社長になろう」と思いました。
藤岡:大学時代は何をされていたのですか?
中西:大学は体育会レスリング部に入っていました。と同時に、「いち早く社会に出たい」という気持ちがあり、大学1年生時に人材会社でインターンをしました。
3年生時には中小企業論、競争戦略論のゼミに入りましたが、1年間学んで「もうゼミはいいかな」と思い、辞めました。そして、ゼミを辞めると同時に、自分で起業することにしました。
とりあえず会社の登記をし、何をやろうか考えました。「ロボットベンチャーが面白いのではないか」と思い、ロボットベンチャーをやることにしました。
知人を何人か集めましたが、誰も何も作れません。そこで、ロボットを簡単に作れるデモキットを買いましたが、それでも全くどうしたら良いのかわからず、眺めることしかできませんでした。
そこで、いくつかのロボットベンチャーに飛び込みで話を聞きにいきました。すると、驚くことに「ロボットビジネスの立ち上げには35億円位は必要だ」と言われました。「そんな大金は集められない」と思い、ロボットベンチャーの立ち上げ断念しました。
中西:「ベンチャー企業を経営している人の元で一度経験を積む必要がある」と考え、ベンチャー企業に入りました。
藤岡:その会社では何をされたのですか?
中西:もともとは受託をしていた会社でしたが、「自分達でも新しい新規事業をやろう」という事で、パソコンなどでチラシが見られるようなサービスの立ち上げに携わりました。
チラシというのはローカルな情報が多いものです。それに対して、ネットの良いところは広い世界の情報を見られることです。そのため、チラシのような細分化された情報をネット上に必要とする人は少なかったです。
そこで、チラシに掲載されないような情報を集める必要があると考え、提案しましたが、会社として実現できませんでした。
新規事業をやっていく中で、「もっと社会について勉強する必要がある」と感じるようになりました。そこでコンサルティング会社に入ることにしました。
藤岡:コンサルティング会社に4年程在籍されましたが、どんなことをされたのですか?
中西:私が働いていた当時は、会社として新しい事業を模索している時期でした。そんな中、私はモンゴルから馬肉を輸入して売る仕事を担当することになりました。
当時アメリカが馬肉の輸出を禁止したと同時に、馬肉の一番の輸入元であるカナダも輸出を禁止したため馬肉の供給が止まりました。そこで、私たちはモンゴルに注目しました。モンゴルから馬肉を仕入れれば、馬肉の供給が止まらずに済むからです。
その他にも、大手通信会社の新規事業立ち上げや、総合商社の新規事業立ち上げ等も行いました。
中西:コンサルティング会社で4年間働いている内に「サラリーマンとして出世していくにはどうすれば良いか」は見えてきました。しかし、本来は自分で起業するための勉強として入ったのに、「このままだと一生起業せずに終わる」と思うようになりました。
当時、私には自分で事業を一から起こせる自信がありませんでした。「このままではダメだ」と思い、1回、方向転換を決意しました。「人生のピボットだ」ということで、途上国で修行することにしました。
藤岡:なぜベンチャーに飛び込むのではなく、途上国へ行こうと思ったのですか?
中西:日本のベンチャーに入ることも検討しましたが、当時はリーマンショック後でベンチャーの状況もやや厳しいものでした。
そんな時、テレビで「ベトナムは平均年齢27歳で、毎年経済成長5%、10%だ」と放送しているのを見て、衝撃を受けました。日本では想像ができない世界で、「どういう世界なのだろう」と興味を持つようになりました。しかし、いきなり途上国に行くのは、ツテも何もないので不安がありました。
「しんどいな…。いつまで今の生活を続けるのだろう」と外でご飯を食べていた時に、「世界を笑顔にする協力隊」という青年海外協力隊のポスターを見つけました。
すぐに青年海外協力隊について調べ、試験を受けることを決めました。青年海外協力隊では派遣される国を3カ国から選べるのですが、「できるだけ発展していて、自分でビジネスができるところが良い」と思いフィリピンを選択しました。結果、試験に合格し、フィリピンに行くことが決まりました。
藤岡:フィリピンでどんなことをされたのですか?
中西:フィリピンに行くにあたり、私に与えられたミッションは「マニラ麻を育てる農民の収入を向上させる」でした。
現地の人たちは、プランテーションでマニラ麻を育て、そこでできた繊維を使ってバッグやさまざまな民芸品を作ったりしていました。従来のボランティアの方々は、そのデザインを変えたものを作り、日本人に売って収入を上げるといったチャリティのようなことをやっていました。
私は「チャリティだと収入増加は持続しない」と思い、「持続することをやりたい」と考えました。そのためには、本質的にマニラ麻の売上を上げる必要があります。また、収入を上げるには、売上を上げると同時に、コストを下げる必要もあります。
売上を上げるには、新しいプロダクトを作らなければならないと考え、注目したのが衣料でした。マニラ麻の特徴は繊維の強さと軽さです。マニラ麻を使えば、3分の1の軽さで、2倍強いジーパンができることがわかりました。そこで、ジーパンを作ることに決めました。
コストを下げる方法ついては、パイロットプランテーションを作って、効率化を測ることで実現が可能だとわかりました。
とは言え、それを作るにはお金が必要です。そこで、現地の日本企業などに飛び込んでいきました。「CSR(企業の社会責任)的にパイロットプランテーションを作りませんか」と声を掛けたところ、「面白いね」と言ってくれる企業があり、お金を出してもらえることになりました。
そこから農場を広げて、マニラ麻を育て、ジーンズを作りました。フィリピンでの経験は、プロダクトを作ったり、会社を経営したりする上での原体験となりました。
自分で一からジーンズを作った経験から、「自分から積極的に動けば何とでもなる」、「こうやればお金も付いてくる」、「色々な協力してくれる人がいる」といったさまざまなことを学びました。これらの学びは、自分で会社をやる自信に繋がりました。
藤岡:そこからアメリカに渡ったのはなぜですか?
中西:私が青年海外協力隊だった時、最後去る半年ほど前に『思い出予算』というお金がもらえました。『思い出予算』とは、現地の人に何か寄贈するための予算でした。
そこで、何か欲しいものがあるか聞いところ、多くの人が「iPhoneが欲しい」と言ってきました。そのことで、私は「iPhoneって凄い」と感銘を受けたのです。
そもそも私が派遣された場所は通信もあまり整ってない場所でした。そんな地域の人たちにも「欲しい」と思われることが「本当に凄い」と思いました。
普段から作ったジーパンを見せたりしていたのですが、「へー」みたいな感じでとくに興味を示しませんでした。それに対してiPhoneへの喰い付きや目の輝きは凄まじく、とても印象的でした。
そうしたことがきっかけで、アメリカに行く決意をしました。
藤岡:アメリカで起業されたわけですが、その背景を教えてください。
中西:まず、アメリカのシリコンバレー近くにあるカリフォルニア大学バークレー校のMBTというプログラムを受講しました。このプログラムは12ヶ月間のプログラムで、最後の4ヶ月間は地元企業でインターンシップができるものでした。更に、受講後1年間アメリカで働ける権利がもらえました。
最初の4ヶ月は「1個でも『F』をとったら終わり」というプレッシャーもあり、勉強に追われていました。しかし、「自分で会社をするために来たのに、このままではやばい」と思い始め、「起業するにはシリコンバレーでどうすべきか」を考えました。
そして、ベンチャーキャピタルでインターンすることに決めました。三田会にベンチャーキャピタルで働いている人がいないか問い合わせたところ、紹介していただけました。その出会いをきっかけに、イベントの手伝い等をしました。
その会社はインターンの募集をしていなかったのですが、私の根性を評価していただき、インターンとして受け入れてくれました。
また、ビジネスアイデアを考え続け、20個程のアイデアがありました。インターン先で「インターン後はどうしたいのか」と聞かれ、「起業したいので、ベンチャーキャピタルに就職する気はないです」と伝えました。
すると、起業アイデアを聞いてくれることになり、20個ほどのアイデアについて話しました。そして、それらのアイデアの中からトリプル・ダブリューのプロダクトである『D Free』が評価されたのです。
その足で、シリコンバレーで起業している社長の元に行き、「ちょっと聞いてください」と言って、アイデアを聞いて貰いました。その彼も『D Free』を面白いと評価しました。
「プロのベンチャーキャピタリストとプロの起業家が面白いといっているのだから間違いない」と思い、本格的に『D Free』をやることにしました。
藤岡:サービスを開発する上での壁はありましたか?
中西:サービス開発の壁としては、一番辛かったのが2015年夏頃です。「Ready for」(クラウドファンディングサイト)で資金を集めたため、開発の締め切りが決まっており、「どうやって開発していこう」といった状態でした。
「どういう人に当たれば解決できるのか」をさまざまな人に聞き、その人をずっと辿っていくといったことをやっていました。それで、多くの方からアドバイスもらいました。「これ以上聞く人はいない」くらいに聞きました。
苦しみはありつつやってきましたが、徐々に専門のバックグラウンドを持った九頭龍さん(最高技術責任者)、回路設計のスペシャリストである川田さん(上席技師長)といったハードウェア側の人材が採用できてきたので、サービス開発での苦しみはだんだんと無くなってきました。
藤岡:前例のないモノやサービスを作る上で、信用の壁はありましたか?
中西:信用の壁は、早い段階から専門職の方たちに顧問になってもらうことで乗り越えました。
全ての人が気持ちよく排泄のできる世の中を目指しているコンチネンス協会という組織があるのですが、そこの介護士や看護師、首都圏支部長に顧問になってもらいました。
私たちのサービスに興味を持ってくれる人は多いと感じていたので、次々と仲間に引き入れていき、使ってもらい、効果を実感してもらう。そして、その人たちに「やっぱりこれはいいね」と言ってもらうということを意識的にやっていました。
藤岡:中西さんが感じている今の会社の課題は何ですか?
中西:2015~2016年にあった、「とにかくドンドン作れ」「作らないと死ぬぞ」といったような感じがだんだん薄れてきつつあることに課題を感じています。組織が大きくなる時には必ずどの組織も味わう、「大企業病」のようなものがもう出てきつつあるのではないかと思っています。
今はプロセス重視になっているので、そこをもう少しアウトプット重視に変えて行く必要があると思っています。
藤岡:トリプル・ダブリューでは今どんな方を求めていますか?
中西:人物像としては私たちが大切にしている3つの要素を兼ね備えている人に来て欲しいです。
1つ目が、自分に自信があるが、謙虚であること。2つ目が、腕に覚えのある人。そして、3つ目が徹底的にユーザー目線であることです。
「誰を幸せにするか」。しかも「その人を本当に幸せにしたい」と思うことが大事です。おじいさん、おばあさんと膝を突き合わせて、「この人は一体何に苦しんでいるのだろうか。これをどうすれば解消されるのだろうか」と自分ごととして感じ取ってやっていけるというような人を求めています。それはエンジニアだろうが文系だろうが関係ありません。
誰にサービス、付加価値を提供しているのかを深く本質を正確に捉えて、「その人のためにどうするか」を考えられる人に来て欲しいです。
藤岡:今のトリプル・ダブリューで働く魅力を教えてください。
中西:今の私たちは、チームだったところから、ようやく組織になっていくというフェーズです。今までの下積みがあるので、スピード感を持って仕事ができる環境にあります。採用も来年には4~5倍の規模にする予定です。
とくに理系については、基礎技術と機材は揃っており、また、人材も厚くなってきています。リソース面では大企業に比べれば劣るかも知れませんが、裁量権を含めて、自由にできるところに大企業にはない面白みがあると思います。現在はリソースも充実してきており、できる範囲の幅がドンドン広がってきています。
藤岡:本日は素敵なお話をありがとうございました。
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