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シリコンバレーとスタンフォード大学の秘密(全2記事)

「シリコンバレーはかつて日本に対抗するために生まれた」スタンフォード大学研究員が語った、いま日本がとるべき行動

「シリコンバレーは80年代の強い日本に対抗するためにうまれた」と語る、スタンフォード大学アジア太平洋研究所の櫛田健児氏。同氏はシリコンバレーの強さの秘密を語るとともに、低成長時代が続く日本がとるべき行動を提言する。(新経連サミット2015:シリコンバレーとスタンフォード大学の秘密より)

Lyftに最初に目をつけた投資家

松田憲幸氏(以下、松田):ご来場ありがとうございます。まずはわたしから、ひとりひとり、簡単にご紹介させていただきます。まず、アン・ミウラ・コーさんです。この若さで、実は、ジェネラルパートナーではたぶん最も成功している方ではないかという風に思います。

スタンフォード大学で博士号も取られて、Lyftにいちばん最初にインベストされたとのことで、本当にすばらしい方です。また、8歳の娘さんと、5歳と3歳の息子さんと、3人のお子さまがいらっしゃいまして、わたしは、モスト・パワフル・ウーマン・イン・シリコンバレーだと、思っております。

そして、次の櫛田健児さんです。高校までは日本育ち、それからスタンフォード、そしてUCバークレーで博士号を取られ、今は教鞭をとられています。また、スタンフォードのシリコンバレー・ニュー・ジャパン・プロジェクトのリーダーもされています。今日、とてもおもしろい話が聞けるということで、すごい期待しています。

続いては、ハービンダー・シンさんです。今日はインド人からの視点というのもお聞きしたいのですが、もともとIITという、世界でも最も難しいといわれている大学を出られた後、スタンフォードのMBAをとられました。大学で教える傍ら、インベスターをされていて、現在ファンドのパートナーをされおり、Uberにも投資されておられます。

今日は本当にすばらしい、こちらの3人のお話をうかがっていきたいと思います。それでは、アンさんから行きます。本日は、ご来場ありがとうございます。

アン・ミウラ・コー氏(以下、アン):ご招待ありがとうございます。

松田:シリコンバレーでは毎年、3~4千件ものスタートアップが誕生しているそうで、驚きでもありますし、とても印象深いです。

アン:アメリカ国内では、1万から3万件、シリコンバレーに限っていえば、数千件ほどと試算しています。スタンフォード関連のスタートアップ支援ローンでは、各セッションで200から400社の申し込みがあり、昨年は200億ドルを超える資金がシリコンバレーに提供されました。

松田:なぜシリコンバレーからこれほど多くのスタートアップが生まれているのでしょうか。

アン:シリコンバレーには歴史的なルーツがあることは、パネリストのみなさまはご存知と思いますが、スタートアップを育てる環境が、ここにはあるということです。スタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校のみならず、(ビジネス関連の)さまざまな授業が受けられることが、そのひとつです。

それもビジネススクールに限らず、大学のどの学部にいても受講できます。事実、わたしはアントレプレナーシップの授業をエンジニアリング学部で教えています。ここには、豊富な情報と数えきれないほどの機会があります。

松田:ありがとうございます。櫛田さん、お願いします。

シリコンバレーは80年代の強い日本に対抗するために生まれた

櫛田健児氏(以下、櫛田):日本語で失礼します(笑)。

松田:今日すばらしい話を聞けそうなので、期待しています。シリコンバレーは、実は強い80年代の日本に対抗するためにできたそうですが、その話を是非お聞かせください。

櫛田:わたしがプロジェクトリーダーを勤めています、スタンフォード・シリコンバレー・ニュー・ジャパン・プロジェクトがこのあいだ始まったのですけれど、基本的にはシリコンバレーをどうすれば、日本が上手に活用できるかという視点から出発しています。いろいろなタイプの企業、大企業からスタートアップ、アントレプレナー、ポテンシャル・アントレプレナーまで、全員がどういう風に使えるかというのがテーマです。

その中で我々は大学なんで、研究はもちろん、日本では知られていてもアメリカではあまり知られていない情報発信などの活動を行っていこうと思っています。

この活動で特に重要なのは、例えばこれを聞いてびっくりされる方もいるのですが、日本のアントレプレナーの平均年齢が40歳だということです。そうすると、大学発ベンチャーの意味も変わってくるし、学生がんばれっていうのも意味が変わってくるわけです。

そもそも、シリコンバレーは海の向こうにあるって、遠いところではなくて、親近感が持てるような近いところなのだというメッセージを発信したいと思っています。例えば、シリコンバレーからやってくる破壊的なイノベーション、いわゆる黒船ですが、黒船を造っている造船所も見にくることができて、結構オープンなのです。

本来、シリコンバレーという場所は、大企業のエコシステムとスタートアップのエコシステムが共存しています。人材が大企業や大学から出ていき、そこから買収などによって、また大企業に入ってくる。この共存したエコシステムは、オープンイノベーションといわれています。

このエコシステム、オープンイノベーションがどのようにして成り立ったかは、松田さんがおっしゃったように、歴史的には、実は日本の影響がかなり大きいのです。70年代、80年代、アメリカオイルショックの後、それに追い打ちかけるように、日本の製造業がどんどんパワーアップしていきましたね。それによって、輸出や、ものづくり系、製造業など、アメリカの大企業が滅多打ちにされました。

もともと、アメリカの大企業のシステムは、日本の大企業とよく似ていました。終身雇用、年功序列、垂直統合、自社買い、R&Dなどは、かなり日本型に近かったわけです。ただ、日本に製造業で負けたので、アジャストしました。

そのアジャストの方法は、デザインの方に特化して、ハイバリューの方に向かって、製造をアウトソーシングしてなどなど、対日本の作戦を大企業が採ったわけです。そういうところからオープンイノベーション生まれているんです。

そういう風に考えると、打倒日本、新しい経営環境にアジャストできなかった企業や、オープンイノベーションに切り替えられなかった企業は淘汰されていきました。残った企業は、日本の脅威に対してアジャストできた企業で、それがオープンイノベーション、それでシリコンバレーのエコシステムを作りあげたという背景があります。

それを知ると、今度は日本がシリコンバレーを上手に活用するべきだと思います。対抗者として入っていって、向こうがアジャストしてという感じのポジティブなふうに見ると、上手く位置づけられるのではないかと思います。

松田:ありがとうございます。今のシリコンバレーは、強い日本があったからできた。じゃあ次のもっと強い日本を作っていけばいいってことですね。

櫛田:そういうことです。

松田:ありがとうございます。ハービンダーさん、シリコンバレーが、どうしてこれほど多くの成功したスタートアップを輩出したのかという理由に付け加えることはありますか?

シリコンバレーで修行したあと、自国に帰るようなエコシステム

ハービンダー・シン氏(以下、ハービンダー):シリコンバレーには良いエンジニアがいて、良い大学があり、資金を提供する良いサプライヤーがいたこと、世界中のベストな人材がいることなどは言うまでもありませんが、アントレプレナーを支持する土壌、そして失敗に対して寛容であるというカルチャーが、このユニークな環境を作り上げたのではないでしょうか。

松田:大勢のインド人がシリコンバレーに来ていますが、今やインド人なしにはシリコンバレーは成り立たないような状況ではないですか(笑)。

ハービンダー:それは過大にお褒めをいただいたことになりますが、大勢の人が、インド、中国、イスラエル、そして世界中の人がシリコンバレーに集まっていることは事実です。

先日、オーストラリアからのアントレプレナーとランチの席で話したのですが、彼はオーストラリアで起業して、シリコンバレーに移ってきました。彼が言うには、成功するには成功した人たちが集まる中心地にいなければならないということでした。磁力のように惹きつける力が、ここシリコンバレーにはあるのです。

松田:インド出身で、シリコンバレーで創業した人はどれくらいいますか。

ハービンダー:わたしの記憶が正しければ、ベンチャー系企業の3分の1がインド出身だったはずです。

松田:インド出身のエンジニアも大勢いますよね。

ハービンダー:そうですね。NASAのエンジニアの15%はインド系です。

松田:インド出身の人たちは、シリコンバレーで修業を積んだ後、母国に帰られることもありますね。インドとアメリカの間で、人の流れがあるわけですね。

ハービンダー:それがとてもユニークなスタートアップのソースだと、わたしは思っています。インドに限らず、中国やイスラエルにも言えることですが、アメリカの教育システムで学び、グーグルやアマゾンで働いたあとで、母国に帰っていくことがあります。

家族がいるからとか、ビザの問題であるとか、帰国する理由はさまざまです。最近、インド系のスタッフなしには成し遂げられなかった、60億ドル相当の投資案件がありながら、ビザの関係でその人がアメリカに留まることができなかったということもあります。ですから、そういった理由で、すばらしい人材が母国に戻っていくこともあります。

松田:それは、驚きました。

スタンフォードとシリコンバレーの共犯関係

松田:それでは次の話題へ行きましょう。スタンフォードとシリコンバレーの関係について話しましょう。アンさん、お願いします。

アン:小学校の頃、スタンフォードとシリコンバレーの深い関係に気づきました。スタンフォードにはすばらしい教授陣がいることだけではなく、学術界と実業界に人の循環があることです。事実、スタンフォードの数学部の学長が、大学を辞めてわたくし共の会社が投資している会社に入社しました。また、教授が研究休暇を取ることもあります。

スタンフォードとシリコンバレー実業界の関係はとても深いのです。成功したアントレプレナーやベンチャーキャピタリストだけではなく。これはよく知られていることですが、スタンフォード大学内にも、投資のチャンスが豊富にあります。そのため、わたしたちはスタンフォードのエコシステムに多くの時間を割いています。

スタンフォード大学の、どの授業でも受講してみればおわかりになると思いますが、数えきれないほどのアントレプレナーやベンチャーキャピタリストが大学や大学院の生徒の中にいます。それが、大学と実業界の密な関係のソースでもありますし、大学で学んだ学生が、シリコンバレーに留まることにもなります。

スタンフォード大学で学んだ学生の大部分は、卒業後もサンフランシスコ近辺に留まります。それがこの地域の成功要因でもあります。日本にはすばらしい教育システムがあります。東京で大学を卒業した人が東京に留まり、それが東京という都市の成功要因でしょう。このようなエコシステムがシリコンバレーの成功要因だと考えれば、ご理解いただけると思います。

松田:東京には全国から学生が集まってきます。それを世界と日本と考えると良いですね。よくわかりました。ありがとうございます。

ハービンダー:少し、付け加えさせてください。スタンフォードがイノベーションを育てていることはよく知られていますが、それ以上に重要なのはスタンフォードが、実業界とのパートナーシップ、また実業界から学ぶことに積極的であるということです。それは特筆すべきことです。

最近、スタンフォードが発表した数字によると、4万もの会社が、スタンフォードにルーツがあるそうです。これは、540万の人が27億ドルの年収を得ている計算になります。これらの会社が一国を成せば、世界第10位の国になります。

産業界の問題意識をもとに、学術界でセオリーが生まれる

櫛田:それに付け加えますと、スタンフォードは非常に目立ちますが、例えばフォーブスのアントレプレナーシップの順位では、ナンバーワンはスタンフォードで、第2位がUCバークレーですね。ただ、UCバークレーは公立で、あまり宣伝をしないので、スタンフォードと比べると、あまり目立ちません。

この2大大学に支えられて、人材の循環と、あとは多様な関係というのが生まれます。例えば、こういう問題が解けたら、半導体では飛躍することができると。あるいは、こういうアルゴリズムを創り出せば、ヒトゲノムを分析するにあたってかなり進歩できるという問題意識を産業から取り入れ、博士課程や研究所などで研究します。それには、産業界から参加する人もいれば、教授や研究員が企業の研究室に参加することもあります。学術界と実業界に人の出入りがあるわけです。

そのような環境では、学術界の人も産業界の人も最先端の問題意識、最先端のセオリーを生むことができます。それによって大学のレベルが上がり、さらに優秀な人が集まってきますし、産業界でも最先端の技術を使ったビジネスができます。要は、大学から一方通行で産業界に技術が出ていくのではなく、技術や情報が相互に交換されているのです。

実際の人の循環も、一般に思われているよりかなり柔軟なんです。例えば、アンさんのようなスーパースター卒業生が授業を持って、教えることもありますし。

ただし、最初からアントレプレナーではないし、起業には特に興味がないという学生もいっぱいいるのです。スタンフォード、UCバークレーは総合大学ですから、各専門分野の勉強にフォーカスして、アントレプレナーのアの字も知らない人も結構いる訳です。

だたし、専攻を選ぶのは、入ってから2年目くらいなので、もともとやりたかったことと違うことに刺激されて、アントレプレナーになろう、アイデアを追いかけようとした時の環境が揃っています。まわりのエコシステムもそうですし、大学内でのさまざまなプログラムも存在しています。

それは遠い海の向こうの話だから、そこでうまくいっているとしても、日本とはあまり関係ないということでもなくて、日本企業が、シリコンバレーの研究所にどんどん参加することも可能です。ですから、それをどういうふうに活用するか、というところに、どんどん注目していただければと思います。

スタンフォードにはルールがない!?

松田:アンさん、スタンフォードのスタートアッププログラムについて話していただけますか。

アン:少し付け加えさせてください。ご質問には、その後でお答えします。先にもお話した通り、スタンフォードではさまざまな学部で30クラスほど、起業に関する授業が行われています。

わたしはエンジニアリング学部で教えていましたが、ほかにも、医学部、ロースクール、経営学部、バイオエンジニア学部など、全学部向けにアントレプレナーシップの授業があります。ピーター・ティール、サム・アルトマンが客員教授として、コンピュータサイエンス学部で教えることもありますので、スタートアップやアントレプレナーシップに関して学ぶ場所としては最適です。

また、もう1点述べたいことは、スタンフォードはルールにはとても緩いということです。2つ例を挙げてお話しましょう。

わたしが、この仕事を始めた当初のこと、何人の人がいたかは正確に記憶していませんですが、10人未満だったと思います。そのひとりの家を仕事場にしていたのですが、ローガン・シーアスの当時のガールフレンド、現夫人がスタンフォードのロースクールにいました。

わたしたちは取締役会をする会議室がありませんでしたが、オフィスを捜す代わりに、わたしたちはロースクールの寮に忍び込んで、寮の共有スペースで会議をしました。誰も、充分なリソースを持っていませんでしたからね。スタンフォードは、それには関知しませんでした。知らなかったのかもしれませんけど。そういうことには、大学はOKなんです。

松田:最初の取締役会ということですね?

アン:ローガン、ジョン、わたしと、現在のインベスターたちです。最初の取締役会は、ロースクールの寮の共有スペースで行われました。

次の例は、わたしの個人的な経験ですが、スタンフォードが柔軟であるという例です。わたしは2008年に、ベンチャーキャピタル会社としてFloodgateを共同創業しました。その当時、わたしは博士課程におりました。博士課程3年目に、最初の子供を産みました。

5年目の途中で、もうひとりの子供のような存在の親になりました。それは、自分のベンチャーキャピタル会社です。わたしは博士課程が修了していないのに、会社を創業することを担当教授に話すことにとてもナーバスになっていました。ところが教授はとても喜んで、支えてくれました。彼は、わたしが博士課程を無事終了するために、どんな手助けをすべきか考えてくれました。

さらに、Floodgateの創業6か月目に、わたしは2人目の子供を妊娠しました。その状況で、教授とわたしは、博士論文をどう完成させるかの戦略を立てました。そして、2人目の子供を出産したら6週間後に、わたしは博士論文の口頭試問を受けました。それは尋常なことではないでしょう。少し変なことかもしれませんが、スタンフォードでは、それが「ありえない」ことでもないのです。

この例で、スタンフォードがどれほどアントレプレナーを支えてくれるかを、ご理解いただけると思います。スタンフォードにはルールがありません。教授が、この不可能と思えることを可能にしてくれました。

松田:驚きました。お話してくれてありがとう。

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