CLOSE

20代の成長するキャリアの実践方法(全5記事)

伊勢丹からなぜサイバーエージェントへ? 気鋭のベンチャー経営者らが語った、20代のキャリアの築き方

サイバーエージェント・曽山哲人氏やグリー・荒木英士氏など、人気ベンチャーの経営者らが登壇し、「20代の成長するキャリアの実践方法」をテーマに意見を交わしたトークセッション。本パートでは登壇者が自己紹介をかねて、自らの20代を振り返りました。

登壇者もみんな普通の20代だった

小野裕史氏(以下、小野):今日は本当に素敵なパネリストを迎えてですね、テーマは「20代の成長するキャリアの実践方法」ということで、皆さんここにいらっしゃる方々はほとんど20代ですので、できるだけ具体的に過去のエピソードを交えてですね。

多分ここに聞きに来ていただいている皆さんはここに座っていらっしゃる方、もしくは今日のセッションに登壇している方は「俺とは違うすごい人なんじゃないか?」と勘違いしているので、決してそんなことはなくて。

ちょっと前にはここに座っていたかもしれない、同じ人間なんだぞということを分かっていただけるようなエピソードを交えていただきながら、簡単に20代はこんな人間だった、あと今何をしているかというところを含めて、順番に自己紹介をお願いできればと思っております。

百貨店員から雑誌で見つけたベンチャー企業に転職

小野:まず株式会社サイバーエージェントの曽山さん、よろしくお願いいたします。拍手でお願いいたします。

曽山哲人氏(以下、曽山):皆さん、こんにちは。

会場:こんにちは。

曽山:私はサイバーエージェントで人事本部長をしている曽山と言います。つい先月、10月に40歳になりましたけども。

会場:おめでとうございます!

曽山:ありがとうございます。40歳というのはね、皆さんと比べるとだいぶ離れた年になると思いますが。20代どういうふうにやっていたか、自己紹介も含めてお話しすると、東京で上智大学を出まして、百貨店の伊勢丹に入りました。就職活動をして入ったわけですけども、その伊勢丹には、私は1年間しかいなかったんですね。

1年間何をやっていたかというと、新宿の本店で紳士服を売ってました。それとeコマース、たまたま伊勢丹が始めるというので手伝ったんですね。

そしたらすごい売れて「これはインターネット熱いな」ということで、百貨店業界も良かったんですけども、伸びる分野に行ったほうがいいということで、たまたま雑誌で見つけたサイバーエージェントに入りました。

その当時は社員数が20名で、ほとんど全員が営業の会社でしたのでそこに入って、サイバーエージェント、今はグループだと3,000名くらいの会社になっていますけども、実は3,000名と言ってもざっくりいうと50個くらいのベンチャーの塊から成っています。

去年も16社新しいベンチャーをつくっているということで、私はその中でこの10年間は人事本部長を、その前の6年はサイバーエージェントの中では企業向けの広告マーケティングの責任者、広告営業ですね。広告のプランニングをやってましたので、20代にどういうキャリアをやっていくかっていうのを、事例を含めてお話できればと思っています。よろしくお願いいたします。

小野:お願いします。曽山さんの話は毎回僕も聞いて、非常に刺激的なんですけども。まさに、大手に入ってすぐに辞めて、たまたま雑誌で見つけた会社。ベンチャーに入って、そこから営業から人事という、また全然違うキャリアというのは、またぜひこの後じっくり掘り下げていければと思います。

曽山:お願いします。

研究をするはずが、周囲に刺激を受けて経営者になった学生時代

小野:それでは、立命館大学の琴坂さん、よろしくお願いします。

琴坂将広氏(以下、琴坂):よろしくお願いいたします、琴坂です。まさに参考にならないキャリアなんじゃないかと思います。私はいろんなことをやって、いろんなことを辞めて、迷いながらここまで来たという感じがあります。なぜこうなったかというと大学に入る前、当時モバイルインターネットが出たばっかりだったんですね。

そこでまだ4KBの画像しか表示できないような、こんな小さなスクリーンがあってですね、そこ向けのWebサイトをやるというのがインターネットのスタートでした。

小野:何年ごろの話ですか?

琴坂:1999年ですよ。

小野:i-mode?

琴坂:当時のJ-PHONEのJ-SKYとか、i-modeがスタートしてすぐから始めて、当時はCHTMLという非常に単純なものだったので、高校生でもできたんですね。そこに何か起業するとかそういう夢があったわけではなくて、何か楽しいことをやっている友達がいたので、その友達と一緒にやり始めたらすごくおもしろくなってしまったんですね。

その経営がおもしろかったっていうところが頭の中に残っていたみたいで、本当は留学して研究をするはずだったのに、慶応SFCの環境情報学部というところがあって、おもしろいらしいと。おもしろいところに、今からでも9月入試が間に合うっていうところで、AO入試でぽーんと入ってしまいました。

入ってしまうと、本当は研究するはずだったのに、自己紹介のときに「モバイルインターネットをやっていて、勝手サイトでトップ3に入ってました」なんて言ってしまうとですね、もう会社をやり始めていて困っている人間に「じゃあうちに来い!」なんていきなり言われてですね。

当時まだ小さかった会社、実はここにいる荒木さんともあとで一緒にやることになったんですけども、その会社に遊びに行ってみたら「会社の経営よろしく」って言われたんですね。

「え!」ってもちろん思ったんですが、その会社のメンバーがみんなすごいんです。中学校、高校とインターネットを触ってきた世代なので、当時のヤフーのウェブサイトとかよりも、もっときれいなものをつくれる同年代がたくさんいたんですね。

ちょっと周りを見回してみると、荒木さんみたいなデザインもできるし、技術もできるし、話もわかる人いて、そういう人たちが集まってきたんですね。これはおもしろいと。これは本を読んでいる場合じゃない、仕事をするしかないんじゃないかということで仕事を始めました。

仕事をやりはじめて、営業本部長みたいな立場で楽しかったんだけども、途中で違うこともやり始めて「自分はやっぱり技術者としては一流になれないから、小売の会社の立ち上げにも参加しちゃおう」とかですね。

怪しいと思っていたコンサル会社に就職

琴坂:さらには私の実家はあまり裕福じゃなかったのでお金が必要で、生活費が稼げるように「今度は中小企業向けに、ソリューションを提供しよう」みたいなことをやったりですね、そんなことをやりながら大学生活を送っていたんです。けど、また「これ、多分違うな」と思ってですね。

やっぱり自分は研究をしたかったし、30歳くらいでお金持ちになっても多分、自分はこのままいっても幸せじゃないと思ったので、まずは鍛えてもらおうと。鍛えてもらうために何かあるんじゃないかと思ったときに、マッキンゼーという怪しい会社があってですね(笑)。

もちろんこの怪しい会社を最初から探したわけじゃなくて、卒論書かなきゃと思って、適当にインターネットで情報を探したんですね。そうしたらPDFがたくさん出てくるから、引用しようかと思って見ていたらとてもおもしろい研究論文を発見したんです。

「あ、こんなレポートを書いている人がいるなら、これは日本でもいいんじゃないか? 日本でも研究できるんじゃないか?」と思ったらマッキンゼーという会社でした。

正直、それまで自分がまがりなりにも会社経営をしてきた中で、コンサル会社って怪しいと思ってたんです。結局言うだけだろと、だけど「ここならいい」と思ってそこに入りました。さらにそこで1年半くらいやった後に、そろそろ留学でもしたいと言ったら「金払って海外行くくらいなら、金払ってやるから海外行け」って言われて、ドイツに行くことができました。

ドイツに行ってからは、大人しくドイツで仕事すればいいんだけどもおもしろくなかったので、いろんな国、オスロ、ヘルシンキ、ドバイ、カタール、シンガポール、香港とかで数ヶ月ずつくらい仕事をしていました。

経営から研究者に、普通とは真逆のキャリア

琴坂:そこまでしても、やっぱり研究っていうのが頭を離れなかったので、このままいったらコンサルタントになって研究できなくなってしまうから、オックスフォードに行きました。そこで研究を始めて修士をやって、博士をやって、助手をやって。博士をやりはじめたころに、やっぱり自分は研究なんじゃないかと思いはじめました。

小野:何の研究をなさったんですか?

琴坂:経営です。国際経営ですね。それも別に国際経営をやりたかったわけではないんですね。元々は社会心理学をやりたかったんですが、学部時代も経営しかやっていないし、コンサルタントもやっていたから、自分が研究できるところというと経営学しかなかったから経営学を選んだ。ということです。そして、去年ぐらいに立命館に帰ってきて、ここにも何人かいるけれども、皆と一緒に楽しくやりながらですね、日本を変えようと言っていると。そういう感じです。

小野:振り返ると、まさに学生時代から経営を自らやる側で、その後マッキンゼー、コンサルティングファームに入り、その後学者を目指す道で。

琴坂:真逆なんです、普通の人間と真逆なんです。普通、博士になって技術をみにつけて、コンサルタント会社に入って、そのあと起業だ! ですよね。真逆を行ってしまった変なキャリアなので、どのくらい参考になるか分かりませんけど。

小野:おもしろいですね。また後ほどじっくりと聞かせていただければと思います。ありがとうございます。拍手をお願いいたします。

アルバイトだと思って面接に行った学生ベンチャーで社員に

小野:続きまして、グリー株式会社の荒木さん。元々琴坂さんと一緒に働いていた時代があるということで。

荒木英士氏(以下、荒木):はい、荒木です。よろしくお願いします。

小野:よろしくお願いします。

荒木:僕はですね、現時点で32歳なんですけども。ちなみにこの琴坂さんも結構歳に見えますけど、33歳で1個しか違わないんです。まだ32歳?

曽山:私が40歳、琴坂さんが32歳、荒木さんが32歳ですね。

荒木:同い年なんですけども(笑)。僕はですね、大学は慶応SFCにいたんですけども、入学してバイトしなきゃなと思って。ファミレスとか居酒屋でやるのもいいんだけど、せっかくなんでSFCっぽいところに行こうと思って。

学生ベンチャーがあるらしいということを聞いたんで、とりあえずバイトに行ってみようかなと思って面接に行ったら出てきたのが雇用契約書で、そこで社員にさせられたという。

琴坂:それ、俺だよね(笑)。

曽山:アルバイトだと思って受けに行ったら、社員に。

荒木:そうなんですよ。正直よくわからないけど「おもしろいからいいか」と思ってやったっていうのが、この業界に足を踏み入れるようになったきっかけです。

グリーが業態を変化させるたび、その最前線にいた

荒木:それが18のときだったんですけども、それからその会社でいつの間にか取締役になっていて、経営して3年ぐらいやってからですね、ほかの会社にバイアウトしてその会社にジョインして。そこでも2年くらい働いて、それでグリーの創業……ちなみに明後日で10周年なんですけど。

曽山:おめでとうございます!

荒木:ありがとうございます。創業直後だった5人くらいのときのグリーにジョインして、今に至ると。なのでちょうど10周年なんですけど、この10年を考えると、自分の20代っていうのはほぼインターネット業界どっぷりの10年であり、その大半がグリーと一緒にやってきたというところです。

グリーでは、最初その5人くらいのところに入ったんで、開発、プログラミングから、プロダクト・デザインから何でもやるっていうのをずっとやってきていて。どんどん会社が大きくなって、ソーシャルゲームとかも始めてですね。

SNSをやってるときはSNSの担当者、ゲームを始めたときは立ち上げをやって、モバイルをやるときはモバイルの責任者やって、と常に運良くですね、グリーが自分たちの業態を変化させていくときに、その最前線にいられました。

2011年ちょうど4年前ですね。海外展開を始めようという話を言い出して、実際5人くらいでサンフランシスコに行って、アメリカの拠点を立ち上げるというところを最初からやりました。

なので、ここ3年くらいアメリカにいて、立ち上げるところまでやって。そういう意味でも、プロダクトから事業から、海外展開に至るまで、新しいことをやってこれたなぁというのが、結構おもしろかったなと思っているところです。

この後いろいろ20代のキャリアについて掘り下げていくと思うんですけども、そんな中で思ったこととか、得られた経験とかを説明できるといいかなというふうに思ってます。ありがとございます。

小野:ありがとうございます、よろしくお願いします。ちょっと僕も、荒木さんの経歴を知っていながら勘違いしそうになったんですが、グリーに入られたときにはまだ大学生……?

荒木:卒業直後ですね。

小野:でも、その前から経営をやっていて、っていうことですよね?

荒木:はい。

小野:グリーは、入られたときは5名だったということなんですけど、今は?

荒木:今はグループで1,800人とかですかね。

小野:そういうことですよね、ありがとうございます。

続きを読むには会員登録
(無料)が必要です。

会員登録していただくと、すべての記事が制限なく閲覧でき、
著者フォローや記事の保存機能など、便利な機能がご利用いただけます。

無料会員登録

会員の方はこちら

関連タグ:

この記事のスピーカー

同じログの記事

コミュニティ情報

Brand Topics

Brand Topics

  • 各地方の豪族的な企業とインパクトスタートアップの相性 ファミリーオフィスの跡継ぎにささる理由

人気の記事

新着イベント

ログミーBusinessに
記事掲載しませんか?

イベント・インタビュー・対談 etc.

“編集しない編集”で、
スピーカーの「意図をそのまま」お届け!