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新設100億円ファンドから、日本を再興する起業家を生み出す物語/Theta Times Ventures 北尾 崇さん(全4記事)

【スタートアップ】メキシコ起業の挫折が原点に 創業者に寄り添う投資家になるまで

【3行要約】
・「いずれは経営者になる」と高知で誓った少年は、20代で言葉も通じぬメキシコへと渡り、未知のウイルスと戦うクリーンテック事業を立ち上げました。
・Theta Times Ventures社の北尾崇氏は、現地での採用や規制の壁に翻弄され、事業を託して帰国した「道半ばの悔しさ」こそが投資家としての原点だと語ります。
・スマートな成功だけではない、泥臭い創業期の苦しみを知るキャピタリストは、今の複雑な時代にどう起業家と伴走しようとしているのでしょうか。

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高知で育ち、幼い頃から経営者になる未来を思い描いていた

稲荷田和也氏(以下、稲荷田):ありがとうございます。ここまでThetaさんの概要や、それに紐づく投資のトレンド、スタートアップの動向についてお話しいただきましたが、今度は北尾さんご自身についても、もう少し踏み込んでお聞きしたいと思っています。

かなりさかのぼることになるかもしれませんが、本当に生い立ちの部分ですね。どんな環境で北尾さんが生まれ、どんなご家庭で育ったのか。意外と、そういったところにも今につながるヒントがあるのではないかと思っています。

そのあたりから、ぜひ教えていただいてもいいですか。

北尾崇氏(以下、北尾):はい。僕の生まれは高知県で、18歳まで高知にいました。1歳の時に親父が他界しています。

稲荷田:そうなんですか。

北尾:そういう意味では、母親に育ててもらった、という感じでした。一方で、家系的には父や祖父がずっと経営者や政治家をやっていたので、そういう環境もあって、自分もいずれはそうなるんだろうな、そういうことをしていくのかな、と思っていました。

中学・高校生くらいの頃から、会社を始めたり、経営したりするんだろうな、ということは、もう頭にありましたね。

大学生の時には、もうそういう感覚だったので、すぐ起業しようと思っていました。周りは大阪で訪問販売の会社を立ち上げる、みたいな動きをしている人もけっこういて、それはそれでいいと思っていたんです。

一方で、僕自身はもっと大きなビジョンでやりたい、という思いがありました。高知県から大阪に出てきた時、街は夜でも電気がついているし、人も多いし、もう信じられないような気持ちでした。

でも、大阪でこう感じるなら、世界はもっと広いな、と思ったんです。地球儀や世界地図を広げた時に、日本ってやっぱりその一部でしかなくて、もっと広い世界がある。そう思った時に、でかい会社をやりたいなと。でかい会社をやるなら、やっぱり世界だろう、と。

それで、いろいろなビジネスコンテスト、しかも海外のビジネスコンテストにもかなり出てました。当時、アメリカとメキシコでビジネスコンテストを行うNPOのプログラムがあり、そこに参加したら、たまたま優勝したんです。そこで、メキシコで起業することになった、というかたちです。

稲荷田:メキシコですか。

北尾:はい(笑)。


世界に出たいという思いが導いた、メキシコでの学生起業

稲荷田:すごい。その時代って本当にITスタートアップの黎明期というか、IT系に興味を持つ人も場合によっては多そうですけど、そういったトレンドには乗らなかったんですか?

北尾:そうですね。僕が大阪にいたのは2010年〜2011年頃で、あと2〜3年ずれていたら、また少し違っていたと思います。ただ、ちょうど2010年〜2011年あたりは、まだインターネットの世界に入りにくい感じがあったんです。

iPhoneが普及し始めた2012年頃まで日本にいたら、また違ったかもしれません。ただ、メキシコでやっていたのも、空気中のウイルスや菌を除去・除菌する、そういうビジネスだったので。

結果的に、メキシコで3年過ごして、2015年〜2016年に帰ってきた時には、もうほぼ浦島太郎みたいな状態でした。

稲荷田:(笑)。

北尾:2015~2016年って、東京では特にアプリとかメディアとかインターネットがすごかったんで(帰国した時は)「はて?」みたいな感じでしたね。

社会課題への意識と没頭が、後から専門性をつくっていった

稲荷田:学生起業で、しかもメキシコという、日本ではそこまでなじみのない国での挑戦だったわけですよね。さらに、クリーンテックや衛生・感染対策のような領域でもあって、いくつもの難しい要素が重なっていた気がします。そのあたりは、実際どのように進めていったんですか。

北尾:そうっすね。もうそのアイデアで優勝しちゃったんで、これでやるしかないかみたいな。

稲荷田:はい。

北尾:ファウンダー・マーケットフィットなんて偉そうなことを言っていますが、当時の僕は大阪大学経済学部の学生で、理系でもありませんでした。

ただ、その頃のメキシコでは新型インフルエンザが広がっていて、多くの方が亡くなっていました。中国でのコロナのように、メキシコでは2009年〜2010年頃、新型インフルエンザが大きな社会課題になっていたので、その追い風に乗ろうとして始めた事業でもあったんです。

一方で、自分も父を早くに亡くしていたこともあって、健康への意識はすごく強かったですし、病気に対する意識も強かった。そこが少し原動力になっていたところもありました。

ただ、そういうことをがむしゃらにやっていると、その領域に嫌でも詳しくなっていくんですよね。そういう意味では、3年かけて、その領域に詳しくなっていったのかなと思います。

結果として、目の前のことをがんばることが、一種のファウンダー・マーケットフィットをつくることでもあるのかな、と。自分の当時を振り返ってもそうですし、今、いろいろな会社で成功している若手起業家を見ていても、そう思ったりします。

稲荷田:本当に両方ですよね。ファウンダー・マーケットフィットもあれば、それを乗り越えるような没頭力というか集中力みたいなものもある。

北尾:そうですね。


異文化の中で仲間を集め、現地で事業を立ち上げていった

稲荷田:おそらく現地のメンバーも巻き込んで組織としてやられていたと思うんですけど、どうやっていたんですか。

北尾:これは、ビジネスコンテストでプレゼンをして、優勝したことで、現地でいろいろな人を紹介してもらったり、つないでもらったりしたんです。そうやって仲間ができていった、という感じでしたね。ただ、文化も言語も違うので。

稲荷田:そうですよね。

北尾:もう最初からてんやわんやというか、何が何だかわからない状態でした。メキシコはスペイン語ですし、挨拶の仕方も、基本的にはハグをして、頬に軽くキスをするようなノリがあったりして。

ほぼ日本しか知らなかった自分からすると、それだけでも最初の半年くらいは、目が回りそうな感じでしたね。

稲荷田:(笑)。そうですよね。

北尾:だけど、そうですね。ビジネスコンテストはいいきっかけでしたね。

導入は進んだが、規制の壁にぶつかり事業を託して帰国

稲荷田:事業面では、比較的スムーズに立ち上がっていったのか、それともいろいろなハードルがあったのか、あるいはピボットのようなこともあったのではないかと思うのですが、そのあたりは率直にどんな感じだったんですか。

北尾:そうですね。最初からメキシコ人と一緒にやってて「こうやって売ればいけるでしょ」っていうのが、けっこういろんな人からアドバイスもらって。それで紹介もしてくれたので。いわゆる病院とか養護施設とか、いろんなところに営業をかけていって、そこで導入してくれているところがやっぱけっこうあって。

マスクは基本しないので。ただ身体的にハンディキャップを背負ってるような方の、いい環境をつくらなきゃいけないっていうのもあったので、そこになんかはまっていったって感じでしたけど。

北尾:そうですね。最初からメキシコ人のメンバーと一緒にやっていて、「こうやって売ればいけるでしょ」というかたちで、いろいろな人からアドバイスをもらっていました。紹介もしてくれたので、病院や養護施設など、いろんなところに営業をかけていったんです。そこで導入してくれるところも、けっこうありました。

メキシコでは基本的にマスクをしないという背景もありましたし、身体的にハンディキャップを抱えている方にとって、よりよい環境をつくらなければいけないという課題もありました。そうしたニーズにはまっていった、という感じでしたね。

難しかったのは、最初はDHLやFedExで個人輸送のようなかたちで送っていたのですが、途中から物量をかなり大きくしてやるとなった時に、ちゃんと貿易として送らなければいけなくなったことです。

そこで税関のチェックが厳しくなって、「これは何なんだ、この商品は」と聞かれるようになりました。扱っていたのは二酸化塩素という物質で、大幸薬品さんが今クレベリンでやっているものに近いのですが、当時はまだそれが普及する前くらいの時期でした。しかも、それが気体として出るというのも、商業的にはあまり例がなかったので、なかなか説明が通らなかったんです。

その結果、FDA、つまりアメリカの認可を取らなければいけない、という話になって、「それはきついな」と。2年かかると言われました。僕もまだ24歳くらいで、さらに2年、何も動けない中でメキシコにずっといるのは厳しいなと思って、そのタイミングで、24〜25歳くらいの時に帰ってきました。事業はメキシコ人のメンバーに譲渡して、その後は彼らにやってもらう、という感じでしたね。

稲荷田:いわゆる大きな会社に大きく売却しましたというよりかは、本当に譲ってきた感じなんですね。

北尾:そうですね。僕も知り合いの経営者の方にお金を借りてスタートしていたので、譲渡する時にお金を一部お譲りいただきましたけど。どちらかというと、もう託していったという感じですよね。


悔しさと苦しさが、創業者に寄り添うVCとしての感覚を育てた

稲荷田:ある意味、道半ば的なところもあったとは思います。実際、その時の北尾さんの感情はどんな感じだったんですか。

北尾:いや、もう、すごく悶々としていました。本当に「いける」と思っていたんです(笑)。もちろん、そんなに簡単じゃないとは思っていたんですけど、マーケットやニーズの筋はかなりいいんじゃないか、という感触はありましたし、反応も良かったので。

しかも、それをメキシコでやるという時点で、他のメキシコ人にはなかなかやりにくいことでもあったと思います。当時はまだジャパンクオリティへの期待もかなりありましたし、そういう意味では「おお」という手応えもありました。ただ、やっぱり難しい。そんなに簡単な領域ではないんだな、とあらためて思いました。

だからこそ、すごく悔しい思いもありましたし、その経験があるから、創業期やシード・アーリー期のスタートアップの苦しみのようなものは、日本に帰ってきてVC業界に入った直後から、かなり意識していましたね。

当時の自分は、会社が大きくなっていくプロセスを見ていたわけではなかったので、そこは十分にわかっていなかったと思います。ただ、少なくとも、他のVCやキャピタリストの方の言葉に対して、「自分だったら少し気になるな」と感じる感覚は持っていたんです。

それは、自分が苦労してきたことの積み重ねが効いているんだろうなと思いますし、そういう意味では、メキシコで起業してよかったなと思うところでもありますね。

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