#119 「食べられないをなくす」"お菓子屋スタートアップ"の物語/株式会社TREASURE IN STOMACH 代表取締役 柴田愛里沙さん・OASIS FUND 代表パートナー 橋田一秀さん(全4記事)
【スタートアップ】物理学科出身、未経験でヴィーガン菓子店を起業 「失敗は違うとわかっただけ」で試作を前進に変える考え方 [2/2]
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自己肯定感を上げるのも経営の仕事
柴田:そうですね。IVSとかICCとかへ行くと、起業家の方や、その従業員の方とも会うんですけど、みなさんすごくいい大学を出ていて、ちゃんとすごい会社に入って、ジョインしました、みたいな頭のいい方々が多いんです。要は勉強をすごくされてきた方が多いんですね。
そういう方たちは一定の自信を持っているから、自己肯定感の基準が高い。でもうちの従業員たちは、「ずっと接客してきました」「製造してきました」みたいな方が多くて、コミュニケーションを取ると、そういう世界にいる人たちよりも自己肯定感がちょっと低いんです。
彼女たちも彼らと負けず劣らずすばらしいことをしているし、本当に価値のあることをしているのに、「いや、私、まだまだぜんぜん駄目なんです」とか、ネガティブなワードが多いんですよ。
「いや、もうめちゃめちゃ天才だよ」「なんでそういうことを言うの」みたいな会話をよくしていて。なので従業員と接する時の私のテーマは、「彼女たちの自己肯定感を上げる」なんですよね(笑)。自信を持ってもらうという。
稲荷田:才能はあるから、自信さえ伴えばさらにパフォーマンスも出てくるということなんですね。
柴田:はい。「採用している私を信じて」ってみんなに言っています(笑)。
父の病気でUターン、そして起業へ
稲荷田:(笑)。いいですね。少し話を戻したいんですけれども、広告代理店に最初に入られて、その後、北海道にUターンされているんですよね。これは、もともとUターン希望があったんですか? どういう感じで決めたんでしょう?
柴田:いや、Uターン希望はなかったんですけど、父が膵臓がんになっちゃって、「余命半年です」って、突然母から電話がかかってきたんですよ。
私はお父さんが好きだったので、悲しいし、もう戻ろうと思って、仕事をすぐ辞めて札幌に戻って、札幌でまたWebブランディングの会社に再就職しました。
稲荷田:そこからの起業に至るところもぜひ教えてください。
柴田:Webブランディングの会社は小規模だったんですけど、タイ人向けインバウンドアプリとか、新しいサービスをいろいろ立ち上げていました。人数が少ないので、請求書も自分で発行したり、近くの会社だったら自分で請求書を持っていったりしていました。
タイ人向けのプロモーションをするのにタイに行かせていただいたり、Webのディレクションとかをさせていただいたり、「Adobe Illustrator」を教えてもらってデザインを触らせてもらったり、いろんなことをさせていただく中で、会社ってこうやって回っているんだっていうのを知ったんです。
ただ、そこで勤めている間に父も亡くなってしまって、父の場合は余命宣告があったから、終わりがここで来るね、みたいなのはなんとなくわかってはいたものの、やはり人って死ぬんだなって思って。
どうせなら自分でやりたいことに挑戦してみたほうがいいな、私はそっちの選択肢を選んでみようって思ったんですよね。というのと、あと私、通勤が向いていないなって思った(笑)。
(一同笑)
柴田:当時働いていた会社の社長とは今も仲良しで、「私、ぜんぜん通勤向いていなかったです」とか言っているからいいんですけど。私、父方も母方のおじいちゃんもおばあちゃんもみんな自営業なんですよ。みんな家業とかなので勤め人の血が流れていない。だからDNA的にもたぶん難しかったと思うんですよねって、いつも言い訳しています(笑)。
というのがあって、大学の時はずっとお菓子屋さんでアルバイトとして働いていたんですよね。
稲荷田:あっ、そうなんですね。
柴田:私は覚えていないんですけど、私はその時から「将来お菓子屋になる」って言っていたみたいで。この間、そのお菓子屋さんの社長にたまたま会う機会があった時に、「有言実行していてすごいね」と言っていただいてうれしかったです。
3つの仕事を経験した中で一番楽しかったのが、大学の時のお菓子屋さんでした。なので自分でもやってみようかなということで、いきなり未経験からお菓子屋を開きました。
稲荷田:未経験から?
柴田:ほぼ未経験ですよね……創業していますね(笑)。
未経験でヴィーガン×グルテンフリーに挑んだ方法
稲荷田:パティシエの修行に入るとか、学校に行くとかもせず。というかそもそもグルテンフリーとかヴィーガンとか、教えてくれる人もあまりいない環境だったんですか?
柴田:はい、いないですね。「いけるっしょ」みたいな感じで走っちゃいましたね(笑)。
稲荷田:(笑)。へぇ、すごい。その試行錯誤はどうやって? 最初の商品作りはめちゃめちゃ大変じゃないですか。
柴田:大変だったんですけど、もともと物理のところでトライアンドエラーを身に付けていたのと、私、インターネットが大好きで、検索するのが得意だったから、海外からめちゃくちゃ情報を引っ張ってきたんです。
日本に情報が落ちていない。参考になるレシピもノウハウもない。マクロビオティックとかはあるけれど、長芋とかを使っていて賞味期限が短くなってしまうから厳しい。
そういう時に、アメリカやイギリスなんかはヴィーガン先進国ですし、フランスはおいしいお菓子を作るのが得意だし、日本よりも進んでそうな国の料理家の人がアップしてくれているレシピを翻訳していました。でも、海外と日本の原料はぜんぜん違うので、それを日本にローカライズして調整しながら、レシピを作っていきましたね(笑)。
仕事のつながりが支えになった
稲荷田:今となってはヴィーガン・グルテンフリーって1つのトレンドというか、そうじゃない方でも摂取したくなるぐらい普及してきたと思うんですけど、当時は、まだそんなに浸透していなかったのかなと思うのと、札幌でもあるというところを踏まえると、お客さんはいたのかな? と思ったりするんですけど、そのあたりはどうですか?
柴田:それまでのキャリア的に企画書を書くことは得意だったので広告代理店の下請けのような仕事をしていて、起業して1年目は会社でお菓子屋をする準備をしていたんですよね。1年ぐらい経ったタイミングで、物件も見つけたしお金も貯まったから、クライアントさんたちに「すみません、お菓子屋になるんです」って言って、辞めたんです。
辞めたら、みんなすごくお客さんになってくれて。例えば、北海道の広告代理店の方に提案したら、テレビの視聴者プレゼントにうちのを採用してくれたり。
稲荷田:へぇ、すごい。
柴田:起業してすぐのタイミングで稼がなくちゃというところでやっていた時に出会った方たちがすごく助けてくださったんです。ちょっとずつ広まっていって、テレビ局の方も取材に来てくれて、北海道内のテレビに全部出られたんですよ。
「ヴィーガン? 何だ?」みたいな人も当時は多かったんですが、食事制限をしていた人たちに刺さったので、認知が取れました。スタートが良かったんですよね。でも確かにヴィーガンという言葉はぜんぜん広まっていないので、ご近所の人からは「何だ、あの店?」扱いされていましたね(笑)。
稲荷田:そのまま、札幌エリアでは話題の人気のお菓子屋さんってなって。
柴田:はい。 続きを読むには会員登録
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