【3行要約】・「見て見ぬふりをした」いじめ体験から生まれた無力感が、黍田氏のキャリア選択の根底にあり続けています。
・黍田龍平氏は中学時代の友人を守れなかった罪悪感を「返済」するために、教育活動や起業に取り組み、社会変革を目指す道を選択。
・大学進学が当たり前の環境に疑問を持ち、17歳で単身フィリピン放浪という異色の経験を経て、今も自らの原体験から生まれた使命感で活動を続けています。
前回の記事はこちら 中学でのいじめが無力感の原点になった
稲荷田和也氏(以下、稲荷田):最初はお父さんのきっかけでやっていたものの、自分からやりたくなっていった理由とか、選んだものの理由とか、そのあたりから当時の黍田さんの価値観も知りたいなと思うんですけど、何かヒントはありそうですか?
黍田龍平氏(以下、黍田):中学校の時にいじめがあったんです。いわゆるその場の空気で、権力者が言ったら、知っていても誰も言わないみたいなのがあって。(いじめられていたのは)めっちゃ仲のいい友だちだったんですけど、僕も言えなくて、結局転校しちゃうみたいなことがありました。その時すごく無力感をおぼえたんです。
今でもずっとそうなんですけど、当時の学生活動も今の会社経営も、社会のための使命感とか、あまりきれいごとではなくて、僕が中学校2年生の時、クラスで感じた時の無力感とか、何もしてやれなかった自分の罪悪感を少しでも返済したいみたいな、自分の良くも悪くもエゴみたいなところがけっこう強いんです。
「あれってじゃあなんで起きたのか?」って考えた時に、当時、論理的思考力とか、「いや、それって違うよね」みたいな指摘できる学校の生徒を増やしたら、「いや、それはおかしいでしょ」みたいなことを言う人が増えるんじゃないかなと思っていて。
学生団体の時は、教育系のグループディスカッションをみんなでやったり、セミナーじゃないですけど外部の講師の人を呼んでワークショップをやったり。当時はそういった背景でけっこうやっていて、今でも自分の無力感を原動力にやっている感じです。
罪悪感が今も自分を動かしている
稲荷田:痛烈な体験だったとは思うものの、クラスには20~30人ぐらいいるわけじゃないですか。それを今もなお背負っている人って、そんなにいないんじゃないかなとも思って。黍田さんはなぜそれを背負って信念に変えたんでしょうか?
黍田:何ですかね。シンプルに、たぶん当時の自分がピュアにショックを受けたというのがあって。やはり「一番仲が良かったのに見捨てちゃった」みたいな、罪悪感がけっこう大きかったんです。だから、本当はエゴでしかないですよね。
今もたまにその友だちとは話したりしますが、彼は別に僕に根に持っているわけでもなく、「なんで言ってくれなかったの?」と言ってくるわけでもないです。
稲荷田:「社会のせいだ」とか「学校のせいだ」という同調圧力(だったから仕方ない)じゃなくて、無力感が残ったってことですか。
黍田:そうですね。今でも事あるごとに感じるので。そういった無力感を返済できる手段としてというのが大きくて、やっている感じです。
進学が当たり前の空気に違和感があった
稲荷田:なるほど。めっちゃ気になったのは、大学に入る前に1年間のギャップイヤーを取得したところです。これは大学に入る前に、いろいろ自分で動くということですよね。
今となっては、就活の手前で休学して留学するとか、「ギャップイヤー」というフレーズをたまに聞くんですけど、大学進学前はギャップイヤーという言葉も聞いたことがなかったし、そんな選択肢をぜんぜん知りませんでした。それはどうやって知って、なぜ取ったんですか。
黍田:圧倒的に後付けで、僕も当時ギャップイヤーを取ろうと思ってギャップイヤーを取ったわけじゃなくて、現役の時に大学受験をしていなかったんです。
稲荷田:え? なんでですか?
黍田:それこそ中高一貫校で、いわゆる医者の息子や弁護士の息子がいたら、みんな大学へ行くことが当たり前という価値観なんですよ。
稲荷田:そうですね。
黍田:大学進学率はたぶん98パーセントとかだったんですが、僕としてはそこがけっこう違和感でした。
お金がかかるとかじゃなくて、「なんで行くんだろうな?」みたいな。ずっと納得感がなかったんです。「就活のため」と言われても、肌触り・手触り感がなかったんです。でも、親も「受験をしなくて何をするの?」みたいにすごく心配していました。
稲荷田:心配しそうですね。
単身でフィリピンへ
黍田:東京はそういう人もたぶんいると思うんですけど、鹿児島なので、なおさら周りにそういった人もいなくて。「何かしないとな」って思ってアルバイトもしたんですけど、2週間ぐらいしか続かなかったんです。「マジでニートだな」と思って、「持ち金でどこか行けるところはないかな?」「海外に行くか」みたいなところで。
フィリピンとか、他にも転々としていたんですけど、当時は何も考えていなくて、自分の人生に何か意味を持たせるために行った感じで、後から「あ、これギャップイヤーなんだ」みたいな。語学学校に通うわけでもなかったのでギャップイヤーというのが正しいのか……本当にただ放浪していただけなので。
稲荷田:あ、(語学学校に通っていたわけ)でもないんですね。
黍田:(通うわけでも)なく、とりあえず行くみたいな。
稲荷田:大学入学前だから、まだ18歳とか?
黍田:17、18の年ですね。
稲荷田:単身でフィリピンですか?
黍田:単身でフィリピンに。
稲荷田:何をするんですか? 行ってからどう過ごすんですか?
黍田:いや、何もすることがないんですよ(笑)。
稲荷田:そうですね(笑)。行ったはいいけど。
黍田:ホテルとかも取ってなかったので。
稲荷田:しかも何ならね取れないね。
黍田:eSIMも今ほど普及していなかったので、本当にやることがないし、クソ暑いし、連絡がつかないし。だから放浪ですよね。
稲荷田:放浪(笑)。
黍田:途中でeSIMを買って連絡が取れるようになったんですよね。
稲荷田:しばらく連絡も取れなかったら、親御さんはめちゃめちゃ心配ですよね。
黍田:そう。しかも、スーパーの人やストリートチルドレンは英語を話せるけどタガログ語で話しかけてくるので、マジで何を言っているかわからなくて。
2~3日、夜野宿していたんですけど「暑いしキツいな」というのがあって、ホテルを取りました。ホテルもドミトリーみたいなところで、1泊何ペソだったかな、もう忘れちゃったんですけど、すごく安いところに泊まっていました。
フィリピンって、本当に川に排せつ物を垂れ流すみたいな、お墓に住んでいる子どもたちがいるんですよ。やったら少し謝礼がもらえるボランティア掲示板があって、その炊き出しのボランティアに参加して、そこで語学学校に通っている日本人と会いました。
稲荷田:あー、やっとじゃあ。
黍田:2週間ぶりにやっと日本人と会ったので、その日本人と遊びつついろいろしていましたね。英語じゃないので、ぜんぜん語学力って上がらないんですよ(笑)。
稲荷田:確かにそうですね。
黍田:なので、セブやマニラを転々としていました。何か学べたかというと、別に何も学べなかったという。「生き抜く力。以上」みたいな感じしか学べなくて(笑)。
稲荷田:(笑)。
黍田:特段語学力も上がらない感じで帰ってきたら、やはり親が「大学には入学してほしい」という感じだったので、受験勉強をして。
稲荷田:それはしたんですね。
黍田:そうですね、一応やって入学した感じです。それがギャップイヤー編ですね。
稲荷田:いいですね。「そこでこういう学びがありました」みたいな、「今につながっている」とかがあえてない感じが(笑)。
黍田:いや、ないんですよね。「留学して価値観が変わりました」とか、学びなのかと言われたらわからないですよね(笑)。