【3行要約】 ・AI編集ツール「StoryHub」を提供するStoryHub株式会社 代表取締役CEOの田島将太氏は、大学卒業後にシリコンバレーでインターンを経験し、自由な働き方に衝撃を受けたと語ります。
・帰国後はコンサルティング企業に入社するものの、日本的な企業文化に違和感を覚え、スマートニュースに転職。データ分析スキルを駆使して顧客課題の解決に貢献しました。
・「コンテンツを届けるだけでなく作る部分」の重要性に気づき、独立して新たな挑戦を開始。当初目指していた事業をピボットした経緯についても紹介します。
前回の記事はこちら 大学卒業後、シリコンバレーでインターン
稲荷田和也氏(以下、稲荷田):(学生時代の経験の話を受けて)なるほど、ありがとうございます。そして、サンノゼにインターンに行かれたんですかね。これはそもそも、もう内定が決まった状態で、どうして行かれたんですか?
田島将太氏(以下、田島):そうですね。大学4年生の時だと、社会人として働くイメージがまだぜんぜん持てていなかったというのもあります。あとは、やはりシリコンバレーがすごく盛り上がっていたタイミングでもあったので、そういう別の働き方というか、人々が話題にしているシリコンバレーの働き方を1回ぜひ体験してみたいなと思って、自分で探して手配して、インターンというかたちで行きました。
稲荷田:その中での発見や世界が広がった感覚って何かありましたか?
田島:そうですね。大学4年生ぐらいの時に日本の会社でもインターンをしていたんですけど、シリコンバレーのスタートアップと真逆な感じだったので、それはすごくおもしろかったです。
稲荷田:何が違ったんですか?
田島:細かいところで言うと、普通にみんな、職場に犬を連れてきていたり。何かお祝いがあった時に、みんなでシリコンバレーから車で1時間弱ぐらいのサンタクルーズという街へ行って、ビーチで業務時間中にお祝いしていたり。「なんてフリーダムなんだ」と思いました(笑)。
あとは、やはり成果を出すことが一番に掲げられているので、それ以外の働き方は本当にみんな自由でした。何時に来て何時に帰るとかも含めて。
働き方に対する意識が変化
稲荷田:僕はまだシリコンバレーへ行ったことはなくて、イメージだけでいくと、本当に根を詰めてずっと仕事をしているイメージだったんですけど、そうじゃない部分もあったということなんですね。
田島:そうですね。もちろんずっと仕事をしている人もいましたし、仕事の時間とプライベートの時間がけっこう混ざっているなとは感じました。
稲荷田:1つのいいやり方というか、理想の1つだなという感じはされましたか?
田島:正直、理想かどうかはわからないなと思ったんですけど。
稲荷田:そうなんですね。
田島:でも、いろんな働き方があるんだなという意味で、選択肢の幅が広がったかなという気はします。
稲荷田:なるほど。そしてそのタイミングで、バックパッカーとして海外へも行かれていましたよね。
田島:そうですね。せっかくカリフォルニアまで来ていたので、「このまま日本に帰るのももったいないかな」と思って、そこからメキシコを3週間ぐらい、1人でバックパッカーをしたりしていましたね。
ネットを使わず、現地調達のバックパッカー旅行
稲荷田:しかも、ほぼインターネットがない状態で旅をした、みたいな。
田島:そうですね。その時はやはり、自分(が今まで経験したことがないような)現地での体験を大事にしたいなと思ったからです。一応、『地球の歩き方』だけは持っていったんですよ。(事前に)宿も取らず、インターネットにもつながず、交通手段も何も予約せず、行きと帰りの飛行機だけ予約して、着いてから考えるスタイルで行ってみたんですよね。
メキシコの街の中心には「ソカロ」と呼ばれている広場がたいていあって、そこに情報や宿が集まってきたりしています。なので、まず街に着いたら歩いてソカロまで行って、そこでその街の雰囲気を感じながら宿を探して、他のバックパッカーと情報交換しながら旅をしていく、みたいなことをしばらくやっていました。
稲荷田:めちゃおもしろいですね。IT時代の逆張りという感じがしますし、生き抜く力がすごく養われそうですね。
田島:たぶんその時は、ひたすら自分の人生で体験したことがないものを求めていたのかなと、今になって思い返すとそんな気がしますね。
入社したコンサル会社での違和感
稲荷田:そういうのも含めて、やはり価値観の揺らぎもあり、就職先を見直したというのもあったりはする? そこはあんまりリンクしていないですか?
田島:そうですね。でも、それはちょっとある気がしますね。やはり最初に入った大手のコンサルティングの会社は、外資系ではあったんです。けれども、クライアントが日本の会社なので、やはりけっこうしっかりしているというか、シリコンバレーの会社とぜんぜん働き方が違って、「僕が合っているのはこっちじゃないだろうな」とは思ったんですよ。
稲荷田:へぇ、そうなんですね。
田島:その時に、スマートニュースさんからお誘いをいただきました。スマートニュースは当時50人くらいだったかな。
稲荷田:それぐらいだったんですね。
田島:かなり西海岸のカルチャーを採り入れようとしていた会社で、こっちのほうが働き方が合っていそうなのと、あとは自分自身が作れるレバレッジが大きいかなと感じました。
(最初に入社した)コンサルティング会社は、誰がコンサルタントとして活動しても一定の成果が上がる仕組みが作られていて、それは本当にすごいなと思ったんですよ。誰が担当に付いても、世界中で共有されているナレッジベースに乗って穴埋めしていけば成果物ができていくみたいな。ただ、「だったら自分じゃなくてもいいんじゃないか?」と思ってしまいまして。