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#106 株式会社スーパーワーム 古賀勇太朗 氏(全4記事)

昆虫から油を搾りジェット機の燃料に 2.8億円を資金調達した若手起業家が“命を燃やして”目指す未来

【3行要約】
・株式会社スーパーワームは昆虫由来のバイオ燃料を開発しているスタートアップで、2025年7月に2.8億円の資金調達を発表しました。
・代表の古賀氏が自身の半生を振り返り、過去の起業経験や事業のきっかけとなったがん宣告、起業家精神のルーツなどを語ります。
・古賀氏は昆虫の持つ可能性に着目し、エネルギー危機の解決に向けて事業拡大を進めています。

昆虫由来のバイオ燃料を開発

稲荷田和也氏(以下、稲荷田):声で届ける起業家の物語『Startup Now』。MCのおいなりです。本日のゲストは、株式会社スーパーワーム代表取締役 古賀勇太朗さんです。

スーパーワームさんは、昆虫由来のタンパク質、バイオ燃料を開発提供されているスタートアップでございまして、2025年の7月、プレシリーズAラウンドで2.8億円の資金調達を発表されたばかりとなります。古賀さん、よろしくお願いします。

古賀勇太朗氏(以下、古賀):よろしくお願いします。

稲荷田:今回ご出演いただいた経緯なんですが、第86回、Andes incの藤田(徹)さんと、TRUST SMITH & CAPITALの安藤(奨馬)さんの配信をSNSで告知したタイミングで、古賀さんから「ぜひうちも取材してほしい」とおっしゃっていただきまして。大変ありがたいんですけど、この番組自体はもともと認識していたのでしょうか?

古賀:すみません、ぜんぜん知らなかったんですけど。

稲荷田:そうですか(笑)。

古賀:(笑)。「なんだか、おもしろい番組があるんだな」と見ていまして、それでぜひと思いました。

稲荷田:正直、知名度はまだまだだなと思いつつ、知ってほしいのもあってSNSとかをやっているので、大変ありがたいなと思います。今回ご一緒させていただいて、スーパーワームさん、古賀さんの回はすごくおもしろくなりそうな予感がしていますので、また新しい認知も増えたらうれしいなと思っております。

前編では古賀さんの人生の物語をひもといていきますが、その前にまずは事業について、1分程度で簡単に教えていただけますでしょうか。

創業2年ほどで量産化直前まで到達

古賀:はじめまして、株式会社スーパーワーム代表の古賀と申します。弊社は宮崎県に拠点がありまして、スーパーワームという昆虫を大量に養殖して、昆虫から油を搾って、それをバイオ燃料の原料にすると。

それがSAF(Sustainable Aviation Fuel 持続可能な航空燃料)と呼ばれるバイオジェット燃料になったり、あとはバイオディーゼル燃料、重油の代替みたいなものになっていくという事業をやっております。今はまだ少ない量しか養殖していませんが、だいたい年間1,000万匹ぐらい養殖しています。よろしくお願いします。

稲荷田:お願いします。1,000万匹って単位がわからなすぎて、すごく多そうだなと思うんですけど、実際、どういう規模感なんですか?

古賀:年間10トンの量です。ただ、燃料という業界に切り込もうとするのであれば、まだぜんぜん、本当に米粒以下のような規模で、まだ研究開発としてやっております。

稲荷田:とはいえ、創業は2023年でしたっけ?

古賀:2023年の5月です。

稲荷田:2年強で量産の手前の規模まで作っているのは、けっこう早いんじゃないかなと思ったりします。このスピード感ってどんな感じなんですか?

古賀:ディープテックと呼ばれるカテゴリーにしては、比較的早いスピード感で進められているのかなという感覚ですが、もっと早く進めたいなと思っています。

昆虫や生物が大好きだった少年時代

稲荷田:いいですね。なぜその領域なのかは、たぶん後編が中心になると思いますので、いったんここで区切らせていただいて。続きまして、古賀さんの学生時代とか、ご経歴を中心としたような自己紹介を、1~2分ぐらいでいただけますか。

古賀:好奇心旺盛な少年でして、今の事業とつながるんですが、特に昆虫や生物が大好きで。昆虫博士や動物博士になることを夢見ていた少年でした。

基本、切り口としては生物学が私の人生(のトピック)でして、高校では生物部に所属していました。弊社のCTOの望月(優輝)という人間がいるんですが、2人で干潟にいる白いカニをひたすら観察して。

稲荷田:学校が一緒だったんですか?

古賀:そうですね。生物部で、ひたすらその研究をしていたりとか、大学に行っても生物学を専攻していました。望月とけっこう仲が良かったので、一緒にいろんなプロジェクトを走らせたりしながら遊んでいた時期がありました。

その後、私は熊本大学に行って、普通の学生はだいたい会社員になったり教員になったりすると思うんですが、私は最初から起業すると決めておりまして。

2人の祖父から起業家精神を学ぶ

稲荷田:なんでですか?

古賀:私、祖父が両方とも起業家で、どちらも造園業と、土木業みたいなことをやっておりました。なので、起業という選択肢が比較的身近にあった環境で育ってきました。なので、最初から「起業するぞ」という思いで東京に出てきて。

最初はブロックチェーンの事業をやって、その時は「DAO(Decentralized Autonomous Organization ブロックチェーンを用いた分散型自律組織)のプラットフォームを作るぞ」みたいな。その時から普通のビジネスではなくて、社会に大きなインパクトを与えるような、社会変革を起こす事業を行いたいと思っていました。(なので、)最初はDAOのプラットフォーム。

ただ、意外と難易度が高かったんです。当時、タイ人の彼女がいたので、「東南アジアでもっと大きな事業を立ち上げる」という思いで、タイに起業ビザを取得しに行って。

その時はフリーランスのシステムエンジニアみたいなことをしながら、ゲーム配信のプラットフォームを作ろうかなと思っていました。日本で言うと、(ゲーム配信アプリの)「Mirrativ」みたいな感じですね。というのも、タイ人って仕事中でも何をしている時でも、常にスマホを開いてゲームをやっていて。

稲荷田:へぇ、そうなんですね。

古賀:そういった自分の中での発見というか、観察した上でわかったことがあって。なので、いわゆる無駄な時間ではないですけど、「(ゲームを)配信して、他の人が見ることが価値になったらおもしろいな」と(思って)やっていたんです。

コロナ禍、がん宣告をきっかけに世界一周旅行へ

古賀:ただ、その事業を半年ぐらい進めていた時にコロナが始まったんですよ。タイで事業ができなくなっちゃったので日本に帰国して、次は何をしようかといろいろ考えていました。その時に私、がんになったんですよね。

稲荷田:がんですか。若いのに。

古賀:そうですね。25歳の時にがんになって、足にイボができて、切り取ったらがんであると。

稲荷田:え? 足のイボのがんがあるんですか?

古賀:症例の写真とかに載るレベルで珍しいみたいなんですけど、そういうがんになって。今は寛解して元気なんですけど。

稲荷田:そうですか。良かったです。

古賀:25歳でがんになって、例えば3年とかで死んでしまうかもしれないと思った時に、僕は別に落ち込まなくて、「どうせ死ぬんだったら、何か成し遂げてから死のう」と思って、世界中の美しい景色を見てから、この人生に終わりを告げようかと。そんな、ちょっとヒロイックな気分にもなりまして、世界一周してきたんです。

持続可能なエネルギーを追求し、昆虫へ行き着く

古賀:ただ、その世界一周でいろいろな輝かしい景色を見ることもあったけど、(同時に)物乞いとか、食のサステナビリティとか、その時に始まっていたウクライナの戦争とか(を目の当たりにして)、エネルギーのサステナビリティみたいなところに世界の課題があることに気がつきました。

そこに関してすごく興味関心がありました。日本に戻ってきた時に、幸いにもがんがある程度治っていて大丈夫そうだったんです。(そんな中で)私は宮崎県出身で、生物学が専攻で、そのような大きな体験をして、世界の課題にも気づいた。「自分にできることは何だろうか? この命を燃やしてできることは何だろうか?」と思った時に、この事業、昆虫というものにたどり着いたんです。

というのも、昆虫はタンパク質も油も作れる。これは食とエネルギーのサステナビリティを解決するキーなんじゃないか、みたいな。ピンと閃いたというか、いろいろリサーチしている中で発見したんですね。そんな感じの人生を送ってきました。

稲荷田:ありがとうございます。今の起業の話、また戻っていきたいんですけど、僕は今、保育園に通っている子どもが2人いるんですけど、そこにも昆虫博士的な子っているんですよね。めちゃめちゃ昆虫が好きで、「これ何?」って聞いても名前がわかるみたいな。まさに当時古賀さんはそういう少年だったんですか?

古賀:当時はそういった少年だったと思いますね。

プログラミングと生物学の共通項

稲荷田:とはいえ、そこからその子たち全員が高校で生物部に入ったりとか、研究者になるとか、そういう領域で起業するかというと、そこまでじゃない気もするんです。ちょっと言語化しづらいと思うんですけど、なんでそんなに昔から生物が好きだったんですか?

古賀:やはり子どもにとって、昆虫は身近にいるすごく不思議な存在だと思っていて。その中でも、高校の時に出会った望月が、当時からプログラミングの天才だったんですよ。Intelの世界大会で発表しているようなやつだったんです。

その望月に影響を受けて、自分もプログラムを学んでみました。生物というものが、実はただ動いているわけじゃなくて、遺伝子などのプログラムによって動いているところが、自分の中ですごく(共通していて)興味を持っていました。あとは、生物に限らず研究者になりたいと思っていました。

稲荷田:そう思われていた時期もあったんですね。

古賀:というところもあって、高校では生物部に入りました。普通の人が運動部とかに入っている間に、自分はもっと研究領域で何かのスキルを手に入れたいなと思っていたんですね。

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