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株式会社Relic 代表取締役CEO/Founder 北嶋貴朗氏(全1記事)

“上場なき成長”という選択 「1000社共創構想」で挑むスタートアップの哲学 [1/2]

【3行要約】
・上場を目指すスタートアップが多い中、あえて非上場を選択する経営者が注目されています。
・公務員家系出身のRelic・北嶋貴朗氏は、上場企業での新規事業開発経験を経て「上場しない経営」を選択。
・短期利益より社会的インパクトを重視し、1,000社規模の事業家集団を目指す独自の成長戦略を実践しています。
※このログはスタートアップクラス(スタクラ)のCEOインタビューの記事を転載したものに、ログミー編集部でタイトルなどを追加して作成しています。

公務員家系で育ち、母から学んだ「自ら考えて行動する」姿勢

——はじめに、北嶋さんの生い立ちや、現在のお仕事につながる原体験などについてお聞かせいただけますか?

北嶋貴朗氏(以下、北嶋):うちは公務員家系で、祖父と父は元刑務官で叔父は元自衛隊、親戚にも警察官などが多く、公務員に囲まれた環境で育ちました。父は仕事柄、常に犯罪者を相手にしていることもあり、非常に厳格でした。直接何かを教えられたという記憶は少なく、背中を見て自然と学ぶことが多かった気がします。

一方で、母は放任主義で、「ああしろ、こうしろ」と言われたことはほとんどありません。
勉強そっちのけでバスケットボールなどのスポーツに打ち込んでいた時も一切止められることはありませんでしたし、当時流行していたハイパーヨーヨーやミニ四駆などの趣味に夢中になっていた時も、プロになるまで徹底して自由に打ち込ませてくれました。振り返ると、あれは「何でも自分で考え、自分で決める」という母の教育方針だったのだと思います。

そんな母に強く叱られた記憶は1回だけ、小学生の夏休みの宿題に簡単なキットで作ったものを提出しようとした時です。「みんながやっているからといって、何も考えずに同じことをするのはよくない。しっかり自分で考えて、本当に作りたいものを作りなさい」と自分の意志が感じられない行動に対して厳しく叱られました。

ふだん何も言わない母が見せた厳しさは心に深く刻まれ、「自ら考えて行動する」という母の教えは、今でも私の行動の基盤になっていると思います。

高校は、文武両道を掲げ、映画「ウォーターボーイズ」のモデルになった男子校としても知られる進学校、埼玉県立川越高等学校に進学しました。

中学までは、好奇心旺盛で凝り性という性格から、勉強もスポーツもよくできるほうでした。しかし、高校では驚くほど優秀でバランス感覚に優れた仲間たちと出会い、彼らと過ごすうちに「官僚や大企業の社員などの従来のエリート路線で戦っても、自分は1番にはなれないのではないか」と感じるようになります。

ボクシングに打ち込み、自己管理と強い意志を培った学生時代

北嶋:自分の志や実力で勝負できる起業家という道に強く惹かれるようになったのは、その頃からです。このような流れで、多くの上場企業や優良企業の経営者を輩出する慶應義塾大学への進学を決意しました。

ただ、大学では起業サークルなどには参加せず、先進的なカリキュラムで起業家精神を育むという環境の中で学びながら、週6日はボクシングジムに通う生活を送りました。「社会人になったら仕事一本に専念する」と決めており、学生の間にしっかり心身を鍛えておきたいと考えていたからです。

ボクシングは、減量など肉体的な試練を伴う過酷なスポーツです。ボクシングに打ち込んだ4年間は、困難に立ち向かう強い意志と自己管理能力を培う貴重な時間となりました。特に、自分で練習メニューを考え、目標に向かってひたむきに努力を続ける経験は、現在の仕事にも大いに役に立っています。

起業を見据え、ワイキューブでの挑戦を選ぶ

——大学卒業後、ワイキューブに入社された経緯を教えてください。

北嶋:最初は大企業からベンチャーまで幅広く話を聞いていましたが、もともと「3年くらい働いたら起業したい」と考えていたため、起業家育成を謳っているベンチャー企業でキャリアをスタートすることにしました。

私が就職活動をしていた2007年当時は、リンクアンドモチベーションやワイキューブ、インテリジェンスなど、人材系のベンチャーが注目を集めていました。

中でもワイキューブに興味を持ったのは、創業者の安田佳生さんの著書に感銘を受けたことや、ビジョンに共感を持ったことがきっかけです。自由な社風や若手社員の活躍などが私の理想に合致していたこと、会社が提供する独立支援制度に魅力を感じたことが決め手となり、入社を決意しました。

リーマンショック下、新規事業チームでの奮闘と挫折

——ワイキューブでは、どのような業務に携わりましたか?

北嶋:私が就職活動をしていた頃がワイキューブのピークで、そこから業績が急激に悪化する状況下での入社でした。リーマンショックの影響もあり、メイン顧客である中小企業の新卒採用が抑制され、会社の主力事業だった新卒採用コンサルティングの売上が大幅に減少していました。

私は研修の成績が認められ、副社長直下の新規開拓や新商品開発・新規事業開発をミッションとするチームに配属されました。ここでは、既存商品の販売方法の変更やターゲット顧客の拡大(新卒採用支援から中途採用支援へのシフト)、新卒採用支援で培ったノウハウを活かした研修・人材育成、ブランディングや営業のコンサルなど、新たな収益源の創出に幅広く取り組みました。

結果として、ある程度の成果や売上を創ることはできた一方で、会社全体の経営状況が厳しい中で思い切った仕掛けをすることは難しく、自分自身の力不足もあり、残念ながら会社の屋台骨を支えるような新規事業の創出の実現には至りませんでした。

その後、会社はワークシェアリングの名のもと社員の一部休業を開始し、クライアントを持たない新規事業チームはほぼ休業対象となります。給与は6割しか支給されず、再び仕事に戻れる保証もなかったため、「このまま若い時期を無駄にするわけにはいかない」と考え、最終的に転職を決めました。その後、残念ながらワイキューブは民事再生となりました。


新規事業専門コンサルで体系的に学んだ“0→1”の力

——その後のキャリアについてもお聞かせください。

北嶋:勢いのあったベンチャーが失速していく様子を内側から見るという経験は、経営者として多くの学びを得る機会となりました。ワイキューブの社員は非常に優秀でしたが、新規事業の立ち上げや危機対応には限界があり、この経験を通じて、0→1で事業を立ち上げることの難しさと重要性を痛感しました。

そこで、将来の起業に向けて新規事業開発の経験を積んでおきたいと考えるようになり、新規事業専門のコンサルティングファームへの入社を決めました。ここは前身である三菱商事とソフトバンクのジョイントベンチャーからスピンアウトした会社で、新規事業の企画・プランニングに強みを持っていました。

当時社員はわずか10名ほどでしたが、BCG出身の代表をはじめとする経営陣と多くのプロジェクトに取り組み、新規事業開発に必要なスキルを体系的に学ぶ中で、事業に対する意識や高い目標に向けて努力する貪欲な姿勢を身に付けることができました。

DeNAからのヘッドハンティング、そしてRelic創業へ

——コンサルティングファームを退職後、DeNAに転職された経緯についてもお聞かせください。

北嶋:コンサルティングファームでは多くの新規事業の立ち上げに携わることができた一方で、事業開発や企業変革におけるコンサルタントの役割には限界があることも痛感しました。

そんな中で、自ら事業を立ち上げ、自分が責任ある立場で新たな挑戦をしてみたいと考えるようになり、起業の準備を始めることにしました。

ところが、その頃に立て続けに起きた家庭の事情により、起業を延期せざるを得なくなります。当時は転職活動も一切しておらず、一時は途方に暮れていました。そんな状況の中、偶然DeNAからヘッドハンティングの電話が入ったのです。

当時のDeNAは、ゲーム事業の成長が停滞し、新規事業に注力しようとしているタイミングでした。もともとDeNAの祖業であるEC分野に興味があったことや、私のそれまでの経験が活かせるということで話はトントン拍子に進み、2週間後には入社が決まりました。

DeNA入社後、最初に配属されたのはEC出店者の新規開拓を行う営業部門でした。入社初月から歴代最高の圧倒的な成果を上げたことで、翌月には新規事業開発部門の立ち上げメンバーに抜擢されるという幸運に恵まれます。

ここではECを中心とした新規事業の立ち上げに取り組みました。特に大手企業とのオープンイノベーションによる事業開発では多くの苦難や失敗もありましたが、大きな成功事例も生み出すことができました。

そして、これらの経験を積む中で「自らの手で日本企業のイノベーションを共創し、加速するプラットフォームやインフラを構築したい」という思いが強まり、29歳でRelic創業を決意しました。

——結果的に、DeNAでの経験を経て創業して良かったかもしれませんね。

北嶋:間違いなくそう思います。Relicの創業メンバーの5人中4人がDeNA時代の同僚ですし、転職の経緯も含めてこれは運命だったと思っています。DeNAには感謝しかありません。

創業初期を支えたのは、かつての顧客との信頼関係

——2015年の創業から9年が経過しました。特に創業初期にはさまざまな困難があったと思いますが、最も苦労したのはどのようなことでしたか?

北嶋:ビジョンや価値観の実現のためにあえて上場しないことを決めていたこともあり、初めの数年は資金繰りに苦労しました。VCなどからの出資に頼れないため、まずは現在「事業プロデュース」と呼んでいる、新規事業開発やオープンイノベーション、社内ベンチャー制度などを一気通貫で支援する事業でキャッシュを稼ぎ、そこからプロダクト投資を行うというかたちを取っていました。

しかし、この戦略では十分な投資を行うほどの利益が出ず、プロダクト開発が思うように進まないという課題に直面しました。

そんな創業初期の苦境を救ってくれたのは、コンサル時代のお客さまでした。退職から3年が経過しても待っていてくれたお客さまが何社もあり、起業のご挨拶に伺うとお仕事を依頼してくださいました。

あの時、手を差し伸べてくれるお客さまがいなければ、今の私たちは存在しなかったかもしれません。

仲間集めに1年以上、信頼と条件で口説いた創業メンバー

——資金と同時に多くの経営者が苦労するのは仲間集めだと思いますが、北嶋さんはどのように創業メンバーを確保されたのでしょうか?

北嶋:創業メンバーは会社の将来を左右する非常に重要な要素だと考えていたので、1年以上の時間を費やし、慎重に準備を進めました。Relicを単なる支援モデルではなく、スケーラビリティのあるビジネスを構築するためには、自社のプロダクトやプラットフォームが不可欠です。

そのためには優れたCTOをはじめ、良い開発チームが必要だと考え、技術的なバックボーンだけでなく、会社のビジョンに共感し、共に成長していける人物を時間と情熱を惜しまず選定しました。

——簡単なことではなかったと思いますが、どのようにしてメンバーを説得したのでしょうか。

北嶋:これまで一緒に仕事をした経験がある人の中から、優秀かつ会社のビジョンに共感してくれる人、また私との相性が良く、得意分野が重ならない人を探しました。

そして事業に必要な人材だと判断したら、事業プランを丁寧に説明し、共に挑戦したいという想いを伝えながら一人ずつじっくりアプローチしました。ありがたいことに、大多数のメンバーが参画にすぐ賛同してくれました。

構想のおもしろさやビジョンへの共感もあったと思いますが、それ以上に私との間に強い信頼関係があり、「北嶋となら一緒に何か成し遂げられる」と思ってくれたことが決め手になったと自負しています。

ただし、彼らもすでに家庭を持っており、安易にスタートアップへの参画を勧めることはできません。そこで、前職と同等の給与水準を保証するなど、可能な限り生活への不安を解消できる条件を提示しました。


日本経済新聞社との提携が、事業成長の転機に

——プロダクト開発が思うように進まなかったとのお話がありましたが、この壁はどのように打開したのでしょうか?

北嶋:資金面での制約もあってなかなか進まなかったプロダクト開発ですが、日本経済新聞社と事業パートナー契約を締結し、クラウドファンディングSaaS「ENjiNE」を活用した「未来ショッピング」の開発・リリースが大きな転機となります。

日本経済新聞社との提携は、長期間に渡る企画提案や交渉の末に実現したものです。この共同事業の成功により、プロダクトとプロフェッショナルサービスが両輪で回り始めました。
さらに、日本政策金融公庫の資本性ローンや民間金融機関からの大型資金調達も追い風となり、ようやく「事業の成長が加速し始めた」と実感できたのは、創業2年目の夏ごろだったと思います。

プロダクトとプロフェッショナルサービスの両輪で一定のPMFを達成し、資金調達の成功が後押しとなったタイミングで、プロパー社員の採用を本格的に強化しました。それまでは7〜8名の小規模チームで運営していたため、この変化は大きな一歩でした。

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