【3行要約】・決済サービス「Jamm」を提供する株式会社Jamm CEOの橋爪氏は、コンサル経験を経て「ノリと気分」で起業したと語ります。
・一見軽やかな起業の裏には、日米の金融サービスの差に着目した緻密な調査がありました。
・社名にはボブ・マーリーの曲からインスピレーションを得た「意識的な参加」という思想が込められています。
前回の記事はこちら 反骨精神から日本での就職活動へ
稲荷田和也氏(以下、稲荷田):(大学で金融を学ぶことになったエピソードを受けて)いいですね。それで新卒で現地に就職したわけじゃなかったんですか?
橋爪捷氏(以下、橋爪):そうですね。卒業後、そのままアメリカに残る気はまったくなくて。
稲荷田:まったくですか!?
橋爪:はい。受けもせず。
稲荷田:え!? なんでですか?
橋爪:レジュメも出さず。そのまま日本で就職しようと思って、日本のマッキンゼーに入社しました。
稲荷田:え、なんだか「現地で就職したらいいのに」って思っちゃいますけど、どうしてそんなに決めきっていたんですか?
橋爪:高校の同級生のお父さんがCEOだったりすることが多くて。それこそ投資銀行のCEOとかが学年にも2、3人ぐらいいて。なんか、「あいつらのために働きたくねぇ」と思って。
稲荷田:(笑)。
橋爪:(笑)。「絶対に投資銀行はアメリカで受けねぇ!」と思って。なので、なんていうんですかね。既得権益に貢献したくないみたいな。
稲荷田:(笑)。
橋爪:ちょっと反骨精神が強くて、アメリカを離れた感じです。
アメリカ生活で強化されたアイデンティティ
稲荷田:へー。日本でチャレンジするのは別に、それはよかったというか。
橋爪:そうですね。日本はそもそも、彼らから遠いというのはあるんですけど。そもそも日本にいれば、自分なりに、日本社会に一定の貢献はできるんじゃないかと思って、日本に移ってきました。ちょっと偉そうですけど(笑)。
稲荷田:いえいえ、とんでもないです。アメリカにずっといたら、別に日本への思いがなくなっちゃうとか、そもそも(思い入れが)生まれにくいこともあるかもしれないんですけど。そういうのは、なかったんですか?
橋爪:逆に、明太おにぎりを学校に持って行って「気持ち悪い」みたいなことをめちゃくちゃ言われていた中で、やはり「日本人だしなぁ」って思うことがけっこうあったので。
それって、「いや、お前らに馬鹿にされようが、別に俺は日本人である」っていうところは変わらなかったので、そういう意味では、より一層“日本人感”は強まったのかなと思います。
本格的な日本生活は22歳から
稲荷田:日本にそれまで長期滞在をしたことがなかった?
橋爪:22歳で来たんですけど、アメリカの夏休みって長いので、それまでは毎年、日本の現地の小学校に通ったり、体験入学って言って2、3ヶ月ぐらい(過ごしていました)。
小学校以降も毎年おじいちゃん、おばあちゃんに会いに来るみたいな感じで(笑)。毎年1ヶ月か、最低でも2週間ぐらいは日本にいたりしました。
稲荷田:じゃあ別にアメリカナイズドされすぎて日本に帰ってきて、逆に孤独感とかはなかったですか?
橋爪:そうですね。とはいえ、日本の体験入学でも、またいじめられたりしたので。
稲荷田:えー!?
橋爪:「ここは僕のいるべきところだ!」っていうのはまったくなかったんですけど。とはいえ、日本に帰ってきて親戚に会って、おいしいご飯を食べて帰るという感じだったので(笑)。まぁ、「日本、居心地いいな」という感じは、若干していましたけど。
稲荷田:ちょっと寂しさはあれど、でも日本っていう国自体は好きではあったということですかね。
橋爪:そうですね。はい。
マッキンゼーから不動産テックへ
稲荷田:就職してからは、どんな感じだったんですか?
橋爪:就職してから約3年半ぐらいコンサルをしていたんですけど、チャレンジングではありました。まぁ、最初の頃は楽しく仕事をしておりました。
とはいえ、コンサル業自体、自分で何かをやるわけではなく、クライアントである企業の方に「こうしたほうがいいんじゃないですか?」みたいな提案をして、(それで)動いてもらうところまでが仕事の大半だったりするのかなと思っていたので。
どちらかというと、このまま提言をし続けて20代が終わっちゃうのもあまり良くないなと思い、「スタートアップの世界に飛び込んでみよう」となったのが、26歳ぐらいの時でした。
稲荷田:そこからいきなり起業ではないんですよね?
橋爪:そうですね。1回、株式会社estieというスタートアップに転職しました。当時は20人いるかいないかぐらいの規模感で入ったんですけど、そこに2年ぐらいおりました。
稲荷田:どんな会社でしたっけ?
橋爪:不動産テックをやっている会社で、今はいろんな不動産アセットのデータまわりを構築したり、SaaSを提供している会社です。私が入った時は本当に、1個目のPMFしそうなプロダクトが徐々に売れてきたみたいな。
稲荷田:相当アーリーなタイミング。
橋爪:そうですね。ビジネスメンバーも取締役とかを除くと4、5人目ぐらいの人数の時に入って。本郷の部室みたいなところに出社して、という感じでした。