
2025.02.12
職員一人あたり52時間の残業削減に成功 kintone導入がもたらした富士吉田市の自治体DX“変革”ハウツー
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原健一郎氏(以下、原):さっそく2時45分からのセッションを始めたいと思います。セッションのタイトルは「Road to PMF」で、ピボットが含まれています。この4人でPMFについて話していきたいと思います。まずは自己紹介から始めます。私はDCM VenturesというシリコンバレーにあるVCで働いております、原と申します。よろしくお願いします。
(会場拍手)
原:では、小澤さんお願いします。
小澤隆生氏(以下、小澤):はい、小澤と言います。今、Boost Capitalというベンチャーキャピタルで働いています。昨年までPayPayの責任者やヤフーの社長などを務めていました。よろしくお願いします。
(会場拍手)
原:では、次にCoincheckの大塚さんお願いします。
大塚雄介氏(以下、大塚):Coincheckの大塚と申します。暗号資産の交換所を運営しています。最近では、企業がWeb3の事業を展開する際に、トークンの発行やNFTなどのWeb3化をサポートしています。よろしくお願いします。
(会場拍手)
原:最後に、IVRyの奥西さんお願いします。
奥西亮賀氏(以下、奥西):IVRyの奥西と申します。月2,980円からカスタム電話を簡単に作れるサービスを提供しています。このサービスでは、AIを活用して「明日の18時から3名で予約したい」といった予約の対応などの電話代行や受付が可能です。SMBを中心に広がっており、より成長を目指しています。みなさんの代表電話などでもご利用いただければと思います。よろしくお願いします。
(会場拍手)
原:というわけで、今回のテーマはPMFとピボットです。ピボット経験者としてはCoincheckの大塚さんがいますので、大塚さんを深堀りしつつ、他の投資家や事業家のみなさんからもプロダクトマーケットフィットについてお話を伺いたいと思います。
ピボットは、うまくいかない時に行うものというイメージがあるかもしれませんが、新規事業を立ち上げること自体がある意味ピボットだと思います。例えばAmazonも本屋から始まり、現在はAWSが主要な収益の柱になっています。偉大な会社は新規事業を立ち上げ続けているので、実は多くの人がピボットに関わっているのではないでしょうか。
事業がうまくいっている時でも、新しい事業を立ち上げる必要があります。それがピボットかもしれませんし、事業家として大切なことだと思います。
それでは、Coincheckのピボットについてお話を伺いたいと思います。大塚さん、Coincheckのピボットの経緯や、その時の状況、プロセスについてお聞かせいただけますか。
大塚:そうですね。私たちは資金調達後2年ほどSTORYS.JPというサービスを運営していました。このサービスは暗号資産とはまったく関係のないものでした。サービスを運営している中で、一定の成長は見られたものの、これで良いのかという疑問が生じました。そこで、新しい事業を始めることにし、暗号資産の事業に取り組み始めました。
原:ピボットをした時、社員は何人ぐらいいて、どんな感じだったんですか?
大塚:当時は和田(晃一良)と僕の二人だけでした。なので、組織的なピボットは非常にやりやすかったと思います。収益が上がるまでは組織をスケールしない方がいいですし、ランウェイを延ばすことで挑戦できる回数も増えますからね。
原:なるほど。ピボットというと、軸足をどこかに置いて同じ業界や技術を基にすることが多いと思いますが、Coincheckを選んだ理由やプロセスはどうだったのでしょうか?
大塚:みなさんが起業する時もそうだと思いますが、新しいことを始める時にはすべてがうまくいくとは限らないので、試してみることが大事です。当時の私たちは、海外で伸びている市場や、日本のFX市場の成長を見て、暗号資産市場を選びました。
また、私とエンジニアの和田がtoCの経験を持っていたので、競合がいる中でも自分たちの使いやすいUXで勝てるという仮説のもとでCoincheckを始めました。
原:つまり、海外や国内の市場動向を見て、そこにチャンスを見出し、自分たちの強みを生かしてピボットしたということですね。
大塚:そうですね。その通りです。
原:最後発の時の状況はどうでしたか?
大塚:当時はすでに3~4社が暗号資産交換業を行っており、既にビジネスが回っている状況でした。ただし、多くのプロダクトが非常に金融ライクで、私たちはよりWebサービス寄りの親しみやすいサービスを提供すれば大丈夫だと仮説を立てていました。
原:多くの起業家や投資家の中では、先に3~4社がいるとレッドオーシャンだと考えることが多いです。そんな中で、まだいけると思った理由は何ですか?
大塚:マーケットがまだ来ていないと感じたからです。私たちが始めたのは2014年で、その後ビットコインが伸びてきたのは2017年頃です。2014年当時のビットコインの価格は3万円ほどで、市場がまだ成熟していませんでした。その間、私たちはただただ続けるしかなかったという感じです。
原:なるほど。その2年間の間にPMFを感じたのはどのタイミングですか?
大塚:サービスを始めて1年ほど経った時、ユーザーが増え、使われるようになっていました。当初は最後発だったので手数料をゼロにし、流動性を高めました。その後、手数料を導入してもユーザーが増え続けたことで、PMFを感じました。また、暗号資産は当時は現在と異なりうさんくさいものに見られていたため、大企業が参入しづらく、逆にそれが私たちにとってのチャンスでした。
原:つまり、市場の動向と自社の強みを見極めた上でのピボットが成功につながったということですね。
大塚:その通りです。
原:そのPMFを目指している1年の間、STORYS.JPの元の事業はどうしていましたか?
大塚:一人のインターンが担当していて、僕と和田は一切関わっていませんでした。
原:一応続けてはいたんですね。
大塚:そうですね、一応続けていました。
原:PMFを迎えた時、社員は少なかったかもしれませんが、株主などの反応はどうでしたか?
大塚:いま思えば申し訳ないのですが、株主には一切言わずに勝手に始めてしまいました。事業が伸びてきた後に説明しました。
原:その時の反応はどうでした?
大塚:「そうなんだ」という感じでした(笑)。
原:(笑)。
大塚:私たちは恵まれていました。佐俣さんや和田さんがGPだったので、彼らの中で完結でき、説明責任が少なかったことは非常にラッキーでした。
原:Coincheck以外にもいくつかアイデアがあったと思いますが、他にはどんな候補があったんですか?
大塚:もともと私はLinkedIn的なサービスを考えていました。ビジネスパーソンが個人でつながるサービスです。リーンキャンバスなども試しましたが、和田が解像度を持っていなかったため、あまりうまくいきませんでした。実際にプロダクトを作る人が課題感を理解し、言語化できることが非常に重要だと学びました。
原:では、IVRyについてお話を伺いたいと思います。小澤さん、最近投資家としてIVRyに投資されたんですよね?
小澤:はい、そうです。
原:IVRyの成長やPMFについて奥西さんにお話しいただきたいです。また、調達の裏話などもお聞かせいただければと思います。
奥西:IVRyにたどり着くまでに、経験上、10個事業を作れば、1つくらいは当たるのではないかという仮説を持っていて、その7個目がIVRyでした。最初の6つの事業をやりながら、多くの人に使ってもらえるサービスを目指していました。IVRyを公開した時、最初の1ヶ月で顧客からの反応が他と比べて非常に良かったんです。
簡単なリスティング広告での反応や、顧客からのニーズの強さが明確に見えました。最初の顧客からは「管理画面はまだないけど、明日にでも使いたいから電話番号を発行してくれ」と言われるほどでした。これにより、IVRyが市場にフィットしていると確信しました。
原:7つの事業を試すのにどれくらいの期間がかかりましたか?
奥西:7ヶ月です。
原:1ヶ月に1つのペースですね。
奥西:そうです。学生時代にエンジニアリングを学んでいたため、自分でもコードを書きながら、リクルートでのプロダクトマネジメントの経験も活かして、最小限の仮説検証に絞ってプロダクトを作っていました。
原:例えば、その7つの事業ではどういうのをやっていたんですか?
奥西:例えば「大阪 天気 服装」と検索する人向けに、どんな服を着たらいいかを提案するメディアを作りました。それは数十万セッションぐらいまで伸びましたね。他にもいくつか試しました。
原:BtoCのメディアなどは、数字がすぐ跳ね返ってくるのでわかりやすいですが、BtoBを選んだ理由や判断基準は何ですか?
奥西:BtoCはSEOなどで仮説検証に3ヶ月から半年かかることが多いです。それに比べてBtoBは、n=10~100ぐらいの検証が2~3ヶ月ででき、契約プロセスまで進むことができます。仮説検証が早くできる点が大きかったですね。
また、BtoCのほうが市場を掘り下げる必要があり、時間がかかります。BtoB SaaSは、「掘るのやーめた」と撤退しやすいので、最初の起業としてはBtoB SaaSのほうがファイナンス的にも会社経営的にも安定しやすいです。まずはそこから始めることにしました。
原:その7個の事業を立ち上げたタイミングでは、資金調達はしていたんですか?
奥西:いいえ、していませんでした。受託開発をしながら、その収益でリソースをうまくアロケーションし、1ヶ月に1個ぐらい新しい事業を作っていくという感じでした。
原:1ヶ月経って振り返って、さっきの大阪ファッションメディアみたいな事業はどうしていましたか? 止めたんですか?
奥西:最近までそのままにしていて、たまにサーバーが落ちるとお客さんから「使ってるから戻してほしい」と連絡が来ることもあり、その度にリブートしていました。
原:当時の社名はIVRyだったんですか?
奥西:最初はPeoplyticsという名前でした。最初は人材データ分析をやりたくて始めたのでその名前でしたが、IVRyを始めてから丸1年ぐらい経った時に最初の資金調達をして、そのタイミングで社名もIVRyに変更しました。
原:IVRyに一本化することに確信が持てたんですね。
奥西:そうですね。最初はステルスではないですが、あまり目立たないように仮説検証していました。しかし、資金調達のタイミングで目立つことになるので、PeoplyticsとIVRyの2つのブランドが分かれるのはもったいないと思い、IVRyに統一しました。
原:7個のアイデアをピボットしながら探索している間、何名ぐらいでどのような体制でやっていたんですか?
奥西:従業員は0名で、業務委託で1~3名ぐらいがフルタイムかフルタイムに近いかたちで関わっていました。あとは副業で関わる業務委託の人たちもいました。
原:全員が何でもできるエンジニアという感じですか?
奥西:エンジニアやデザイナーが基本でしたが、最初は軽くセールスタッチが必要だったので、BizDevやセールスもできる人がいました。
原:当時、どうしてこのアイデアを思いついたんですか? さっきCoincheckの話では、ユーザーとしての経験やCoinbaseの存在がヒントになったと言っていましたが、何がヒントになったのでしょうか?
奥西:代表電話の番号を僕個人の携帯番号で登録していたんです。営業電話が毎日のようにかかってきて対応に時間がかかっていたので、ずっと無視していました。そうすると、銀行の融資の本人確認電話も無視してしまい、「銀行融資が本人確認通らなくて落ちました」と言われたんです。
原:なるほど。
奥西:たまたまキャッシュには問題なかったので次の銀行を探して融資をゲットできましたが、たった1度とれなかった電話がクリティカルな問題になる可能性があると気づきました。本当に必要な要件の電話は全体の10パーセント程度かもしれないけど、その中に死ぬほど大事な電話があったら一発アウトになります。
かける側は自分のタイミングでかけられますが、受ける側は誰からの電話かもわからず、自分のタイミングで出られない。この非対称性を受ける側がコントロールできる世界の方が日本は良くなるのではないかと思い、作り始めました。
原:ある意味、自分がユーザーであり、自分が欲しいものを作ったということですね。
奥西:そうですね。最初はそのペインがきっかけでした。
原:Coincheckもそういう感じですよね。
大塚:そうですね。
原:ちなみにCoincheckのMVPみたいなものはありましたか?
大塚:ありましたよ。最初は本当に小さいもので、ビットコインしか買えなかったですし、取引も限られていました。最初の1~2ヶ月は和田晃一良が24時間対応していました。寝ている間も入金があればすぐに対応するという感じでした。
原:けっこうマニュアル対応ですね。
大塚:マニュアルだったので、問い合わせもたくさん来ました。いまではあり得ないのですが、事業の初期はすべて無視していました。それしか方法がなかったですね
原:IVRyのMVPはどんな感じでしたか?
奥西:15行程度のPythonスクリプトとLP(ランディングページ)、資料だけを作って、リスティング広告をかけて問い合わせを受けていました。「どういう電話を作りたいですか?」と聞いて、そのままスクリプトにCSVを読み込ませて提供していました。
6月の2週目にアイデアを思いつき、6月末に受託開発の納品をしました。エンジニアに「これ作れる?」と聞いたら、脇汗をかきながら「作れます」と言ってくれました。それで6月末にリリースしました。
原:そのコードはまだ残っているんですか? それとも作り直したんですか?
奥西:作り直しましたが、最初はそのコードが基盤でした。そこから拡張して作り続けています。
原:じゃあ、それを基にして「これいける」と思った段階でどんどん開発リソースを投入していったんですね。
奥西:そうです。結局、セールスタッチしてヒアリングして設定するというプロセスがかかると、月額2,980円で提供するのは難しいです。日本では全員が使うのが当たり前になるほうが良いと思います。そのためにセルフオンボーディングできるように、ライトタッチでオンボーディングできる仕組みを作ることが重要だと考え、管理画面を作りました。
原:なるほどね。当時はまだ調達前ですよね。そういう時って、誰かに相談したり、「これどう思う?」みたいな話をしたりしていましたか?
奥西:相談はちょくちょくしていましたよ。原さんとも話しましたよ。
原:あ、そうでしたっけ?
奥西:(笑)。
原:その時ですね。
奥西:たぶんそうです。リクルートの同期にも話しましたし、いろんな人に聞いてもらいました。でも、だいたいみんな「いや、電話とかないっしょ」と言っていました。でも、自分はあると思っていたので、自分の中の仮説ポイントを絞って、そこをヒアリングしていました。
原:なるほど。小澤さんがIVRyに投資したのは最近のラウンドですよね。その時、何がすごいと思ったんですか? 大きな事業、例えばPayPayなども見てきているので、相当可能性を感じていると思いますが、何を見たんですか?
小澤:電話です。
原:電話。
奥西:(笑)。
小澤:結局、PayPayは現金をデジタル化するという考えでした。電話も非常にアナログなもので、誰でも使っているものをデジタル化する、サーバー経由にするということです。現金をサーバー経由で扱うのと、音声データをサーバー経由で扱うのは、基本的に同じ考え方です。PayPayを作った時と同じ感じです。
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