2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
株式会社KURANDO 代表取締役 岡澤一弘 氏(全1記事)
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アマテラス:まず、岡澤さんの生い立ちについてお伺いします。現在につながる原体験のようなものがあれば、教えてください。
岡澤一弘氏(以下、岡澤):私の生まれは千葉県で、両親ともに公務員という起業とはまったく縁のない家庭で育ちました。
父方の祖父は非常に厳しい人だったのですが、その反動から父は自分の子どもたちには自由に生きてほしいと考えていたようです。そのため、両親ともに放任主義で、特に進路を強制されることもありませんでした。高校は進学校に通っていたのですが、そういった進学先もほとんど相談なしで決めていました。
今振り返ると、幼い頃からわりとひねくれた子どもだったように思います。家庭でのびのびと育ててもらったからか、学校で教師から言われた通りのことをやるのが嫌いでした。学生時代は勉強よりも部活の軟式テニスにより多くの時間を使っていました。
特に中学時代は、部活を担当した顧問の先生がテニスに詳しくなかったので、私も生徒ながら練習メニューや試合に向けた作戦を先生と一緒に考えていました。もともと、物事をロジックや確率で考えるクセがあったので、そういった面からも監督ポジションが向いていたのかも知れません。
全国大会には届かなかったのですが、県大会や関東大会に出場し、私としては自分たちで考えながら試行錯誤していくプロセスが楽しく、充実した日々を過ごしていました。
軟式テニスは結局大学まで続けていたのですが、当時の部活に対するスタンスは今のKURANDOの根幹にあるマインドと通じるような気がします。
アマテラス:大学を卒業された後は、新卒でキーエンスに入られたと伺っています。どうして就職先としてキーエンスを選んだのでしょうか。
岡澤:明確な志望動機は特になかったのですが、将来やりたいことが見つかったときのために自分を成長させておきたいとは考えていました。そのためにも、難易度の高い仕事にチャレンジできそうな場として、社員の年収がトップクラスのキーエンスを選びました。
キーエンスでは、主にバーコードリーダーを取り扱うハンディターミナル部門に配属されました。入社当時、キーエンスでは「北風政策」というべき、非常にシビアな実力主義を採用していました。成果を出せない社員は不要という空気が社内に漂っており、上司からの指導も常に厳しかったのをよく覚えています。
入社してから2年後ぐらいで方針が緩和され「太陽政策」へと切り替わったのですが、1年で3割くらいの社員が退職していったように思います。キーエンスには4年在籍していましたが、北風と太陽のどちらも経験できたことは大きかったと思います。
また、キーエンスでは収益性の高い組織の完成形の1つを体感できました。ムダの削減を追求していくと何が起こるのか、業績を上げるためには何が必要なのか、給料が高くても辞めてしまう人はどんな思いでその決断を下すのか。一つひとつの出来事から、非常に多くのことを学ばせていただいたと思います。
アマテラス:キーエンスで得た学びのうち、特に印象に残っていることなどあれば教えてください。
岡澤:キーエンスでは、成果を出すために欠かせないリソース配分や物事を分解する視点を叩き込まれました。
たとえばお客さまが「買います」と言ったにも関わらず、購入まで至らなかったとします。その場合、「お客さまが購入の意思、あるいは見込みを持って発言した」ところまでは正しい認識です。でも、そこで「注文書をもらえるはずだ」と思い込むと、認識に誤りが生じます。
商品の購入1つをとっても、意思決定までのプロセスの中で無数の要因が影響し合っています。それらの影響要因をひもとき、どこを改善すればより少ないコストで成果を最大化できるのかを考えて取り組むのが、キーエンス流のやり方でした。
社会には本当に多様な人がいて、それぞれの立場でそれぞれの考え方のもと、意思決定をしています。でも、入社当初の私にはそのことが本当の意味では理解できず、がんばっても成果につながらない日々を過ごしました。
キーエンス流のやり方がようやく身につき、数字が出始めたのは入社して1年経った頃からだったと思います。キーエンスの場合は、成果が上がる仕組みが体系化されているので、その通りにこなせば、大変ではあるものの売上がきちんと上がるようになっています。
ただ、私としては決まった枠組み通りにやるだけでは満足できませんでした。そこから、自分なりの手法で成果を出し、キーエンス流のやり方に勝つためのトライアンドエラーが始まりました。
岡澤:キーエンス流のやり方はすでに完成度が高かったため、そこからさらに手を加えて「岡澤流」を作り上げていくのは非常に困難でした。必死に努力を積み重ね、入社3年目でとうとう「キーエンス流を超えた」と思えるだけの成果が出せました。
私が生み出したアプローチはプログラミングの勉強を独自で行い、その知識を活かしたコンサルティングを組み合わせてからシステム会社に商品を販売する手法でした。付加価値をつけている分、値引き交渉もなく、高いパフォーマンスを出せたのです。
ところが意気揚々とマネージャーに報告を上げたところ、「そのやり方を皆ができると思うか?」と返されました。この返事に、私は何も言えなくなってしまいました。私のやり方を全社員が取り入れることは難しいと分かってしまったからです。
その時に、限られた人しかできないような劇的なアプローチは会社が期待するものとは違っていたことに気付きました。むしろ 1つ1つのインパクトは小さくても誰もが取り組めるような小さな工夫を仕組み化する方が、組織としては有用だったのです。
キーエンスという会社の枠組みに対して、当時の私はある意味、完全敗北したのだと思います。そして負けを認めたからこそ、あらためて自分のキャリアプランを考えるようになりました。
岡澤:キーエンスでキャリアアップを目指すルートも考えましたが、すでに枠組みができあがっている組織の中では、自分が楽しめる未来が見えませんでした。そこで、キーエンスの看板なしでもできそうなことを検討し始めました。
きっかけになったのは、当時たまたま私が社長と懇意にしていた担当先のソフトウェア会社で、セールスをお手伝いさせてもらったことでした。その会社の商材を試しに売ってみたところ、問題なく販売できたため、これなら事業として成り立つと考えたのです。
そしてキーエンスを退職し、セールス支援の会社を立ち上げたわけですが、そこからは紆余曲折でした。最初は小さな会社でしたが、さまざまな人を巻き込んでいく中で事業が多角化し、やがて専門領域に応じて4社に分社化することになりました。
私はその中で物流領域を担当する会社の経営をしつつ、グループ全体の取締役をしていました。事業はどんどん拡大していったのですが、反面、各社の事業の方向性がばらばらになっていき、グループとしてのシナジー効果が生み出せなくなっていきました。
結局グループは解散することになり、有望そうな人を数名集めて物流領域の会社をあらためて立ち上げたのが2013年のことでした。ところが、この会社も徐々に舵取りが難しくなっていき、方向性が示せなくなったため、2019年に他の経営陣と話して、私だけ退任させてもらいました。
岡澤:前の会社の経営から退いた後、しばらくは妻の実家の会社を手伝いました。バブル期から引きずっていた赤字の整理など、さまざまな経営課題が累積していたため、その対応に追われたのですが、最終的には全ての債務をクリアした上で、一定収入が入ってくる状態に着地させることができました。
目の前にあった問題が一気に片付いたことで、あらためて「この先、自分はどうしていこうか」と考えました。これまでの経験を生かして、できればもう一度何かを始めてみたいと思いました。
そこで、ふと頭に浮かんだのが現在KURANDOで提供している物流DXの事業アイデアでした。データ活用による見える化が物流業界の現場で求められていること自体は以前から知っていましたし、サービス提供が実現できれば社会的な意義があることも見えていました。
ただ、初期投資の費用をどうするかが課題となりました。KURANDOのビジネスモデルは初期投資をある程度必要とする上に、その投資分の回収ペースも決して早くないことが分かっていました。そのため、IPOを視野に入れた事業計画としては成立せず、資金調達が難しい状態でした。ですので、需要があるのに、誰も事業化できなかったのです。
アマテラス:そのような難しい状態から、岡澤さんはどうやってKURANDOの事業を成立させたのでしょうか?
岡澤:KURANDOのサービス構想は、物流ソリューションのグローバルカンパニーであるプロロジスさんが賛同くださったことで、事業化への道のりが一気に加速しました。プロロジスさんはIPOによるリターンを求めずに、当社の大株主になってくださったのです。
プロロジスの担当者の方とはもともと、物流領域のソフトウェア開発に関する相談を受けたことがきっかけで、KURANDO創業前から1年ほどやり取りをしていました。たまたまある時、サービスの構想を話してみたところ、「やろうよ」と言ってくださいました。
プロロジスさんはグローバル規模で利益を出している会社です。だからこそ、IPOによる一時的なリターンよりも、KURANDOのサービスを通じて物流業界に貢献できる点に価値を感じてもらえたのだと思います。
プロロジスさんが賛同してくださったことで、私の心にも火が点きました。私のほか2名の共同経営者と共に2019年7月、KURANDOを設立しました。上手くいかなければ撤退や事業売却も視野に入れていましたが、おかげさまでデスバレーも無事に乗り越え、現在は4期目に突入しています。
アマテラス:創業から半年も経たないうちにコロナ禍を経験されたかと思いますが、コロナの影響はありましたか?
岡澤:当社にとっては、コロナ禍は完全に追い風となりました。 むしろコロナ禍によって社会が変化し、リモートワーク主流に切り替わったからこそ、KURANDOの事業は大きく成長したといえます。
当社のサービスはSaaSモデルを採用しており、導入後すぐに費用対効果を感じていただけるように料金設定を安価に抑えています。サービス導入までには通常5回程ミーティングを行いますが、もし毎回現場を訪問していたら今の価格を維持できなかったでしょう。
当社のサービス提供先の物流倉庫は駅から遠い立地が多く、リアルだと訪問効率が非常に悪くなります。現場への訪問ありきでサービスを展開していたら、今の4倍近く人員を増やしても売上は半分以下という極めて厳しい状態も十分起こり得たと思います。
その場合にはサービスの価格も値上げせざるを得ませんから、顧客獲得のスピードも大幅に遅れていたはずです。代理店制度を使うにしても、市場のシェアもなかなか拡大できず、最悪のケースではサービスが陳腐化してそのまま頓挫してしまっていたかもしれません。
現在新たなサービスリリースに向けて準備を進めているのですが、当初の想定よりも1年近く前倒しで進めてこられました。もちろんさまざまな想定外や課題はありましたが、それを補って余りあるほど、時期的に恵まれていたと思います。
アマテラス:KURANDO社の事業展開と社会の変化が上手く噛み合ったということですね。その他、人材採用で苦労されているスタートアップの方も多いのですが、その点はいかがでしょうか?
岡澤:リモートワークが主流になったことで必要な人員も減りましたし、アマテラスからも優秀な人材を紹介いただけたおかげで採用は順調です。今の私が人材で困っていないのは、20代後半から苦労し続けてきた会社経営の経験があってこそです。
今に至るまでに失敗も多々ありましたが、マネジメント経験を多く積んできたからこそ、今の20代や30代のメンバーが何を感じ、どんな課題を抱えているのかを予想できます。そして、彼らが求める経験や知識も明確にイメージできるからこそ、適切なリターンを提供できるのです。
KURANDOでは、私がキーエンス時代に学んだことを活かしつつ、北風政策とは真逆のマネジメントを採用しました。個人がハイパフォーマンスを発揮しなくても組織として一定以上の成果を出すことができ、誰もが無理なく働ける組織を作りたいと考えたのです。
一般的な会社だと、たとえば業務時間の縛りの中で一定割合、効率が悪い仕事をしているケースがあるかと思います。当社の場合は、勤務時間や休憩時間にも明確な縛りを設けず、出退勤の管理もゆるやかにしています。休みも基本、自己申告制です。
もちろん企業なので利益は求めますが、急成長を求めない分、組織の歪みが生じにくいという利点があります。私たちは人事設計のムダをなくし、お客さまからありがとうと言われる仕事だけをしながら、メンバーにしっかりと報いる組織でありたいのです。
アマテラス:IPOを目指さないからこそ緩やかに成長させるスタイルを選択できたということかと思います。今までに参画されたメンバーは、どのような反応を示されましたか?
岡澤:当社は4期目の会社ですが、メンバーからはよく「年季が入った会社のような落ち着きがある」と言われます。そういった他にはないKURANDOならではの部分を気に入ってくださった人が当社に参画してくれたように思います。圧倒的な成長を追い求める熱さよりも、物事に正しく向き合いながら成果を出していくことを大切にしたいというクールな人の方が、当社とは合うようです。
私は、KURANDOを通じて、一般的な株式会社や上場会社では決して実現できない新たな会社の仕組みを作りたいと考えています。経済成長を第一に追い求めず、経営者の利益や株主への還元を優先せず、働く人たちにちゃんと報いる会社にしたいのです。
もちろん経済原則的に成立しづらい仕組みだということは理解しています。現状のKURANDOは、大株主のプロロジスさんと共存関係にあるからこそ成り立っています。そのため今後経営者が交代したり、資本関係が入れ替わったりすれば、今の体制は維持できなくなる可能性があります。
だからこそ、私が引退するまでには、今のKURANDOの在り方を揺るぎないものにできるよう、しっかりとした道筋を作りたいと考えています。
最終的には、圧倒的な成長を目指さなくても業界トップになれる会社、そして社員が猛烈に働いていないのに他社よりも成果を出せる会社として、KURANDOを1つのモデルケースにしていきたいと思っています。
アマテラス:最後に、今後の展望について教えてください。
岡澤:物流業界はこれまで無駄が多く、下流工程を受け持つ下請け企業がそのしわ寄せを受けてきた状態でした。無理が生じても、現場の方々の努力によってどうにか吸収してきました。しかし、その分全体を見ればロスが多発し、効率の悪化につながっていました。
私はもともと性格的にロスや非効率が嫌いですし、長らく物流の現場を見てきたからこそ、全体の最適化に寄与したいと考えました。そのためには、物流をオーダーしている卸や小売に現場の実情を理解してもらえるように「見える化」する必要がありました。
より多くの荷主に現場のデータが共有されていけば、「物流のムダを意識し、全体を効率化したほうが結果的に得をする」という意識が業界関係者に浸透していくことでしょう。そうすれば、物流業界を持続可能にするための基盤ができあがっていくはずです。
そのためにも、KURANDOでは今後さらに新たなサービスをリリースし、物流センター全体でのシェア拡大を図っていきます。
当社はまだ業務委託スタッフを入れても20名足らずの小さな組織です。まだ完成しきっていない組織だからこそ、経営陣とも近い距離で一緒に仕組みを作っていく楽しみがあると思います。当社のスタンスに共感してくれる方とぜひいろいろとチャレンジできたらうれしいです。
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