2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
株式会社XTIA 代表取締役社長 八木貴郎氏(全1記事)
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アマテラス:八木さんの幼少期はどのような家族構成だったのでしょうか。元々、ご家族などに起業家や商売をされている方はいらしたのでしょうか?
八木貴郎氏(以下、八木):両親と姉、それから現在105歳の祖母です。父は会社員、母は専業主婦というごく普通の家庭に育ち、学校も地元の公立小・公立中・公立高校を卒業しています。
母方の実家は代々大阪で商売をやっており、母は買い物時にはどんなところでも価格交渉をするようなお金にシビアな人でした。また、妻の実家が自営業で、日常的に「このレストランはいくらで買える」といった話題が飛び交っています。そういう意味では、昔も今も「商売」や「経営」が普通の人よりは身近かもしれません。
高校で一念発起して猛勉強を始めたところ、高3で初めて受けた河合塾の模試でいきなり全国1位になり、家族も自分もビックリした覚えがあります。結局独学で大学受験をし、唯一受験した国立大学に無事入学できました。
アマテラス:大学時代はどんな風に過ごしていらしたのでしょうか。当時からベンチャーに興味はあったのですか?
八木:学生時代は思い切り羽を伸ばしましたが、その頃に親しくしていたメンバーとは今でも仲良くしています。マザーズに上場したラクスの中村さん(注:株式会社ラクスの中村崇則社長)やその子会社の浅野さん(注:株式会社ラクスライトクラウドの浅野史彦社長)などは当時の遊び仲間です。
学生時代にベンチャー立ち上げ等の経験はありませんが、中村さんはずっとベンチャー関連の本を読んでいました。私自身は彼の話を聞きながら「自分には向かないな」と感じていた記憶があります。ただ、中村さんのおかげでベンチャー関連のインプットはかなりさせてもらったと思います。
八木:3年終了時に卒業単位が全て取れたこともあり、1年間休学してイギリスのバーミンガム大学に留学しました。そのときに大変刺激を受けまして、大学卒業後に再びイギリスに渡り、ケンブリッジの大学院に入学しました。
ケンブリッジではエンジニアリングを専攻しました。世界各国から優秀な学生が集結しており、日本人は私だけでした。以前の留学で英語はかなり習得したつもりでしたが、初日に教授から「その英語力では間違いなく卒業できない」と言われ、そこからはとにかく勉強漬けの日々でした。おそらく一生で一番勉強した時代です。
アマテラス:就職活動は日本に帰国されてから始めたのですか?
八木:実は卒業前にイギリスで就職活動を開始したのですが、海外組には非常に厳しい就活環境でした。理系採用は学校推薦で枠が埋まってしまうことが一般的で、私のように企業に直接履歴書を送る学生は珍しかったようです。20社程に履歴書を送りましたが、唯一返信が来たのがソニーです。後の上司になる方から「うちに来ない?」と連絡があったのです。
1999年9月に帰国し、10月に面接を受け、12月1日に無事入社しました。フレキシブルに採用する会社ではあったようですが、12月の新卒入社はソニー史上初めてだったようです。
アマテラス:ソニーではどのような部門に配属されたのでしょうか。
八木:最初の5年は研究開発職です。ケンブリッジでもやっていた次世代ディスプレイの研究開発をしていました。新卒入社だったにも関わらず研修を受けたのは初日のみで、2日目からは普通に現場で仕事をしていました。名刺の受け渡しも教わらず、工場研修もありませんでした。
当時は本当に忙しく、毎日午前1時2時まで仕事して寮に帰るという生活でした。結局5年程で部署が解散してしまいましたが、とても良いチームだったので当時のメンバーとは今でもよく会っています。
アマテラス:研究開発を5年経験し、その後別の部署に異動されたのでしょうか。
八木:プロジェクトが目標期間内に成果が出せなかったため部署が解散になり、異動を余儀なくされました。ソニーでは部署が解散したら、次の所属は自分で探さないといけません。それまで研究開発をやっていましたが、次は事業部でリアルなビジネスに携わりたいと考え、携帯電話事業を行うソニーエリクソンに移ることにしました。
当時のソニーエリクソンは、出資比率こそ50:50でしたが、本社はスウェーデンにあり、社員の比率もエリクソン2万人に対してソニー1000人程度という、実質的にはエリクソンに支配された会社でした。エリクソンへの転籍も必要で、人事給与全てエリクソンに準じたものでした。周囲にはかなり止められた覚えがあります。
でも、私にとっては黙っていたら放っておかれる一方、何かしようとすると皆が集まってきて本当に実現させてしまう環境は刺激的で、外資系特有の「オーソリティ(管理者)よりもインフルエンス(現場で影響力を持つ人間)の方が意思決定権を持つ」という社風も非常に気に入っていました。当時、ソニーエリクソンのスマホ事業の調子が良く、日本でもダントツ1位になったXperiaブランドを輩出したのもその頃です。現場に近いところに意思決定権があるので「自分が会社に貢献できている」という面白みを感じながら働いていました。
その後ソニーエリクソンはソニーに買収され、ソニーモバイルという会社になりました。社風も日本らしくトップダウンでのものづくりが始まり、市場を感じながら自分達で製品開発をすることはできなくなりました。スマホ市場自体も以前よりは面白味がなくなってきたタイミングでもあったので、未練はありましたが、最終的に辞める決断をしました。
(インタビューは2020年夏に移転したXTIA社の新本社にて行われた。左:八木氏、右:アマテラス藤岡氏)
アマテラス:時系列としては少し戻りますが、30歳で起業されたお話もお聞かせいただけますか?
八木:私が30歳の時に結婚しました。妻はタイ出身で、MBAホルダーの銀行員だったのですが、日本語が流暢ではない中で就職するのは難しいと思い、起業を勧めました。アパレルを選んだのは、単純に私が興味のある分野だったからです。妻が起業し、週末は私がサポートする形でスタートしました。
初めはタイから服を輸入して、毎週末フリーマーケットで販売していましが、土日を使っても売上は5万円程度で、このやり方はスケールしないという結論に至りました。そこで始めたのがeコマースです。私自身はネットで服を買うことに当初懐疑的でしたが、2年後には年商1億円超となりました。
アマテラス:立ち上げに成功したのですね。
八木:楽天などでも神奈川県1位、南関東でも3位といった賞を頂きました。資金調達ゼロでよく経営できたと自分でも思います。色々な方から成功の秘訣について質問されますが、私自身は思いついたこと全部やってみて、成功・失敗の結果が出たところでいかに学習して修正できるかが大事だと答えています。ラクスの中村さんも最初はIT学校からスタートして、そこから今の業態にピボットしています。思った通りにはほとんど行かないのがビジネスなのだと思っています。
利益の全てをビジネスに投入し、週末は2人で朝まで仕事をして、私はそのまま会社に行くという生活を5~6年続けたところでようやく落ち着いてきた感があり、10年経ったところで完全に妻に任せることにしました。ピーク時にはタイと合わせて社員数も30名程に増えましたが、今は自動化を進めており、事業は拡大させつつ社員数は縮小の方向です。
アマテラス:そこからいよいよ光コム(XTIA社の当時の社名)に参画されるわけですが、ご参画の経緯を教えて下さい。
八木:現在当社の取締役をしている、ソニー時代の同期だった村木から紹介されたのがきっかけです。「技術力は申し分ないので、事業立ち上げに協力して欲しい」と言われ、ひとまず話を聞いてみました。ノーベル賞にも繋がった独自の技術を実用化しており、技術的には確かに見たことのないレベルでした。
一方で、財務諸表などを見ると、経営の改善には時間がかかるなという印象がありました。私が事業を立ち上げる際、あらゆる意思決定において継続性の有無を最重要の判断基準としています。この会社を見た時に正直継続性があるビジネスには見えなかったことで、引き受けることを躊躇しました。
ただ、私が参画した際は事業の舵取りは全て任せるという話があったことと、世界に通じる技術を持っているのにチームとして未完成だったところに魅力と可能性を感じたことが、最終的に私の背中を押したのだと思います。
アマテラス:2018年に参画された頃はどんな状況だったのでしょうか。
八木:実は入社直後に「今後10か月は売上がゼロになる」と言われ、予想以上に深刻な状況だと気が付きました。その頃官民ファンドであるINCJから資金調達をしたものの、売上ゼロで勢いよくキャッシュの消費は続いている状態で、PLを作成したところ近く倒産の危機を迎えることが分かりました。
本格的に経営に切り込まないとまずい状況でしたが、前年度に初めて年商1億円を超えたという成功体験があったことで、会社全体として危機感がありませんでした。社員のメンタルを変える時間的余裕はなかったので、当座の危機を回避するために私自身が前線で旗を振って4か月で3億円を売り上げました。
アマテラス:入社早々トップ営業をされたわけですね。そこで何かその後に繋がる気付きや発見はありましたか?
八木:実はここが製品開発における大きな転換点となりました。入社から数カ月頃、当社の装置を導入している自動車メーカーに頻繁に足を運んでいました。その時に現場の方から「他のメーカーの計測装置だと複雑な部品の測定ができない」という話を耳にしたのです。
その自動車メーカーでは、加工後の機械部品の形状を測定して不良品を発見していました。他社の装置は単一波長のレーザー光を照射し、対象物からの反射の角度を基に距離を推定する三角測量の原理を応用した測定方法を採用していましたが、凹凸が入り組んだ物体だと死角が生まれて計測できないという欠点がありました。
一方、光コムの装置は真上から光を投射し真上に反転した光を観察することで、複雑な形状でも死角なしで、しかも短時間で計測できる強みがありました。この違いへの気付きを基に、光軸を中心に回転する鏡を取り付けることにより円筒の内径を精密に測る装置を開発し、結果どこの企業にもない価値を提供できるようになったのです。
アマテラス:そこから経営は改善したのでしょうか。
八木:「確かにこれは世界を変える技術になり得る」と当社のポテンシャルに共感して買ってくれるお客様は増えましたが、3億円売り上げてもキャッシュアウトぎりぎりの状態は続いていました。
私は自分なりに明確なポイントを持っているのですが、不動産以外のビジネスは原価率が低くてリピート率が高ければ、どんなビジネスでも継続的に儲かります。私は継続性を大事にしているので、原価率よりもリピート率を先に見ますが、当時はリピート率が高い状態ではありませんでした。ようやく社内も「これはまずい」と理解してくれ、私に全て任せるとなったのが2019年1月です。
そんな状況だったのでまず資金調達に取り掛かりましたが、この際事業モデルも一気に変革しようと考え、次の資金調達はまだ見ぬ新しいビジネスモデルに共感してくれるところを探しました。するとニコン、JUKI、双日が新たに、さらにINCJからも新しいビジネスモデルへの転換を条件に追加出資が得られ、やっと経営が安定しました。
(JUKI製検査装置との光学カメラ×光コムセンサーのハイブリッドタイプ)
アマテラス:ビジネスモデルの転換というのは、具体的にはどのようなものを目指しているのですか?
八木:多少未成熟な製品でも受け入れられるチャンスのあるITビジネスと違い、我々の業界は完全に成熟しており、相当高いレベルの製品を出さない限り売れません。我々の技術は間違いなくオンリーワン・ナンバーワンですが、自社で製品の完成度を上げるにはかなりの時間が必要です。そこで、アライアンスビジネスを考案しました。
私は『インテル型ビジネスモデル』と呼んでいるのですが、ニコンやJUKIなど大企業の製品の心臓部となる技術を提供し、製品自体は彼らがつくります。『インテルインサイド』のようなサブブランドを付けてもらって発売するというモデルに切り替えたわけです。これがはまり、これからまさに事業拡大に入ろうというところです。
このビジネスモデルには拡大要素がありますが、この事業だけに頼る一本足打法にしたくないので、できれば3つ程持ちたいと思っています。2つ目が検査をプラットフォーム化して月額ビジネスを立ち上げることにしました。1つ目が安定化したので、これは少々冒険できます。3つ目はまだなく、2年程かけて小さな芽を植えていこうと考えています。
アマテラス:後から参画した八木さんがそこまでの変革を行ったことで、社内の軋轢や抵抗勢力的な存在はなかったのでしょうか?
八木:社員はむしろ変革を望んでおり、想像していたよりもずっと早くに受け入れて頂いたと思います。入社して1年半たったところで社内アンケートを取りましたが、非常に高い評価でした。ソニーエリクソン時代に学んだ「オーソリティよりもインフルエンス」がここで活きて、事業に関しては社内に良いインフルエンスを作れたので、そういった軋轢は感じませんでした。事業を立ち上げた第2創業者という感じで社員から受けとめられているようです。
一方で、経営陣は新しい戦略ややり方の受け入れに抵抗というより、わからなかったのだと思います。社員の多くは入社2年未満だったのに対して、経営陣は入社から10年以上経っていました。すぐに変わるにはあまりにも長い時間が経過しており、個別にじっくり話し合うとともに、私自身が先陣切って戦略の立ち上げを行い、実績を作っていくことで、後からだんだんと納得してもらった感じでしょうか。
アマテラス:組織変更もされたと思いますが、そこに関して抵抗等はありませんでしたか?
八木:新しいビジネスモデルに応じて組織も変えようとしましたが、組織変更に慣れていないこともあり「どうして?」といった反応もありました。そこは個別で話すしかないと考え、特にこの会社を以前から支えてきた方達に対してはじっくり話をして納得してもらいました。
ただ、売り切りビジネスを邁進していた社員等には、私のインフルエンスが大きくなっていくことで肩身の狭い思いをさせてしまったと思います。当時の営業本部に所属していた社員は、結果的に全員退職しています。
アマテラス:新たな人材の採用状況はいかがですか?
八木:これは時間のかかる作業です。私が参画した時、最初に構造改革に着手しました。構造改革は言ってみれば破壊と創造ですが、破壊する前には次に何を創造したいかを明確化し、皆がそれに共感できていることが必要です。長い歴史を持つ会社だったことで、ここの作業に少し時間を要しました。今は共感が得られ、現在の組織を1回壊して新たに作り上げる段階になったので、次にこういう人材が欲しいというのが見えてきたところです。
我々のような技術の会社では専門性が現場に近いところに貯まって行くので、意思決定も現場に近いところに持って来ることでPDCAサイクルの回転率を上げられるのではないかと考えました。そうすると、欲しい人材は自ら意思決定をできる人です。会社のビジョンや哲学に沿って、統率を維持しつつ意思決定は現場に置こうということです。
内部でもチームを作って育てていこうと頑張っていますが、同時に新しい人材を外部から招聘し、徐々に良い芽が出て来ているように感じます。気概を持った方にぜひ来て欲しいと思っていますが、やはりそういう方は起業や外資系企業に行く方が多く、私たちも会社の魅力をもっとうまく発信していかなければと反省しています。
アマテラス:私から見ると、優秀な方としっかり話をされて口説ききっていることが多いと思うのですが、どんなところを重視しながら採用をされているのでしょうか?
八木:まずは、私自身の「継続的な価値を会社の中に作りたい」という思いに共感してもらえる人物かどうかを、採用時には大切にしています。そこがはまらなければ、良い給料を提示したところで難しいでしょうし、世の中にはもっとその人に合う魅力的な会社があるだろうと思います。
当社は少し前まで水道橋の雑居ビルに入っていたのですが、魅力のない職場はモチベーションを下げるので非常に辛かったです。私が好きな後藤新平の言葉に「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。」というのがあります。継続的な成長は、人材を残さないと絶対にできません。しかし、あの事務所では良い人材を集めるのは難しいと感じました。
とはいえオフィス移転は簡単なことではなかったので、そんな中でも当社に来てもらうため、共感してもらい、一緒に働きたいと思ってもらう努力は全力でしていました。共感ができているメンバーは継続的な成長に貢献する人材になるということを経験上痛感していましたから、採用時と採用後に表と裏があるようなことも絶対にしませんでした。
(右:八木氏と、左:人事等管理部門を担当する光石氏)
アマテラス:社長就任から間もなくコロナウイルスによる影響が大きくなったかと思いますが、どのような影響がありましたか? また、八木さんはその影響をどのように受け止めていらっしゃるのでしょうか。
八木:ここまで世界で同時に起こるビッグムーブメントは10年に1回位でしょうから、今は色々な動きが出る瞬間、言い換えればビッグビジネスのチャンスだと感じています。実際、Uberなどもリーマンショックの時に生まれています。
検査の自動化は固定費削減のため不況時にこそ投資される傾向にあるので、我々のビジネスにとっては好機到来と考え、現場ではアンテナを高くして情報収集を続けています。実際、これまで入り込めていなかったティア1(一次請負)・ティア2(二次請負)について、コロナをきっかけに入り始めています。
2つ目の柱として立ち上げている検査プラットフォーム事業についても、コロナの影響で投資力が下がっている中小企業によりマッチすると考えています。コロナの影響で加速できそうな気配があるので、このチャンスには是非乗って行きたいと考えています。
アマテラス:今後は海外展開を考えていらっしゃるとのことですが、そこに向けた壁を感じることはありますか?
八木:海外で成功している日本のベンチャーはほぼ皆無だという厳しい現実があり、特に世界中にパワープレイヤーがいるSaaS等ITビジネスでは難しいと思います。ただ、個人的には技術力の分野では可能性があると感じています。我々のような技術ベンチャーは日本でも稀有な存在ですし、世界に大きなチャンスが広がっているかもしれません。
現状、そこに向けた最大の壁は資金力だと思いますが、今後資金調達もしくはより大きな利益を得ながら、割と近い段階で世界展開を検討しています。アライアンスによって我々の技術力を提供することで製品力を一気に上げるビジネスモデルと、それをさらに発展させたビジネスモデルの2つの動きを観察し、ある程度のリピート率が確認できれば世界でも通用するはずだと考えています。
アマテラス:過去に海外展開がうまく行かなかった企業と同様のパターンに陥らないために気を付けるべきポイントはどのようなところでしょうか?
八木:欧米と比較した時に、日本の経営理論は少し未熟に感じます。iPhoneが日本で成功しているのは良い例だと思いますが、彼らは契約において完全にキャリアをコントロールしています。アップルは「年間どのくらいiPhoneを販売しなければ違約金を支払う」という契約を結び、キャリアとのパワーバランスを逆転させています。
日本ではパーツ等を供給する側を“下請”と呼びますが、海外ではこの関係が往々にして逆転します。例えば、コーニング(米国本社)という会社はガラスを生産していますが、彼らは技術力と供給力を武器にして、様々なメーカーと「発売する製品の○割以上をコーニング製にしないと供給しない」という契約を結んでいます。
日本企業は内部コンピテンスだけで事業を立ち上げがちですが、海外展開をするのであればこのような契約社会を理解しなければいけませんし、サプライヤーマネジメントや物流のコントロールができるか、その中でしっかりとマウントポジションを取れるような強い武器を持っているか、そういったところが重要なキーになって来ると思います。私自身は、我々にはマウントを取って行くだけの技術力があると考えています。
アマテラス:2020年1月に社長就任、2月に「光コム」から「XTIA」に社名変更をされました。今後の展開が大変気になるところですが、短期・中期・長期的にどのようなビジョンや課題をお持ちかお聞かせいただけますか。
八木:まず短期的には、事業をどう伸ばすかです。先ほどの「財を残す・事業を残す・人を残す」で言えば、短期的には確実に事業です。事業モデルを転換し立ち上げて行く。特に2020年は2つ目の事業を起ち上げて行きますので、そこにしっかり集中したいです。
中長期的には確実に人です。社員にとってここが成長する土壌でなければ、会社の継続的な成長は考えられません。私達はここに来てくれた人が成長できる機会を用意しますので「ここで成長してやろう」という強い野心やビジョンを持つ人が集まってくれればさらに会社も成長する、という好循環に繋がることを期待しています。
アマテラス:今年はコロナウイルスの流行という予測不能の事態も起きましたが、このような時期にXTIA社に参画する魅力や働きがいなどについても是非お聞かせ下さい。
八木:現在の社員数は50名ほど、フェーズとしては事業開発フェーズ、シリーズCが終わったところです。事業を立ち上げるというのは達成感もあり、そういう意味では今が一番楽しい時期のひとつではないかと思っています。
また、ここまで高い技術を備えた技術ベンチャーは国内でも稀有な存在です。世界に通じる技術に自負と誇りを持ちながら仕事ができるというのは、小さなベンチャーではなかなかないことだと思います。さらに「継続的成長は人の成長」としっかり会社哲学に埋め込んでいることで、大きな成長を野心として持っている人には、その機会が無限に用意されているはずです。
アマテラス:昨今はコロナ禍で明るい話題が少ない中、本日は楽しみなお話がたくさん伺えました。ありがとうございました。
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