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株式会社RevComm 代表取締役 會田 武史 氏(全1記事)

課題は日本のコミュニケーションコストの高さ 営業電話の生産性を上げる「音声解析AI」の伸びしろ

電話営業を可視化する人工知能ソフトウェア「MiiTel(ミーテル)」を展開する、株式会社RevComm。本記事は、2019年11月に行われたTechCrunch Tokyoピッチコンテストにて最優秀賞を獲得した同社の代表取締役の會田武史氏のインタビューです。起業の経緯やビジネス構想、今後の展開について語っていただきました。※このログは(アマテラスの起業家対談の記事)を転載したものに、ログミー編集部で見出しなどを追加して作成しています。

幼少期より祖父・父から経営を学ぶ

藤岡清高氏(以下、藤岡):會田さんの生い立ちについて伺いたいのですが、幼少時のご経験等で現在に繋がるものはありますか?

會田武史氏(會田):私の祖父がミドリという文具の会社を創業し、父が継いで2代目として経営していたことが、私のその後の選択に大きな影響を与えています。

父の会社が作っていたのはBtoCの文房具で、これを自分のクラスの3分の1が使っており、「これ、會田くんのパパの会社の商品でしょう?」と言われる環境にありました。小学生の頃から「ビジネスで世の中の仕組みを作る」という手触り感を強く感じることができました。

これが「世のため人のためになる」、「感謝を忘れない」というマインドセットに直結し、今でも私の根底として強く存在する思いでもあります。

藤岡:「感謝を忘れない」というのはどういった背景があるのでしょうか。

會田:小さな頃から全社員が集まるパーティなどに連れて行かれることがあったのですが、帰りの車の中で「とにかく感謝をしなさい。こういう社員の人たちの努力が世の中の仕組みを作り、武史のクラスメートのもとに届けられ、その対価で今の武史の暮らしがあるのだ」と言い聞かせられていました。今振り返ると、そんな時期から世の中でお金が回る感覚を学ばせてもらっていたのですね。

また、祖父も父も本当に人生を楽しんでおり、シュリンクするマーケットの中で変革にもがくプロセスにおいても楽しそうだった姿は少なからず私の起業に影響を与えています。例えば、父の代ではキャラクタービジネスを一切止めたのですが、その時にも「これからはデザインが来ると思う」と楽しげに語ってくれました。短期的なPL悪化が見えていても、中長期のビジョンを掲げて価格主義から機能的価値と情緒的価値への方針転換をする過程は私から見てもおもしろく、大変勉強になりました。

今振り返ると、あれが親父の教育だったのかなと思っています。何かしろと言われたことはありませんでしたが、思考プロセスを見せられることで私も自然と学んだ気がします。

小4で「ビジネスで生きる」と定め、高2で「ビジネスを通じて世の中を幸せにする」と決意

藤岡:小さな頃は何になりたいと考えていたのでしょうか。

會田:人と同じことが嫌だったので、小3までは七夕で「ゴミ収集員になりたい」と書いていました。しかし、自分のすべきことを真剣に考える中で「自分でオーナーシップを持ってビジネスをする」、「日本を世界に発信する」という思いが湧いてきて、さらにその頃の反抗心から「親父やじいちゃんを同じ分野で超えて行きたい」という野心が生まれました。

中高時代の大きな出来事は、高2で哲学に出会ったことです。試験の中に出て来た鷲田清一先生という哲学者の作品があまりにおもしろくハマってしまい、その後はひたすら哲学書を読み続け、大学受験も馬鹿馬鹿しくなり推薦で決めてしまいました。

当時の私は「生きるとは何か、自分とは何か」などと考え続けていましたが、行き着いた結論は「人間は幸せのために生きる」ということでした。そうすると次に「幸せとは何か」という疑問が出て来るわけですが、幸せの主語はあくまでも自分で、自分が幸せになるために生きるのではないかと考えました。

であれば「自分とは何なのか」という話になるのですが、いろいろな人たちとの関わりの中にいる自分を客観視することで、「會田武史という人間は他己があり初めて自己がある極めて相対的な存在であり、すなわち自分だけの絶対的な幸せなどはあり得ず、他人を幸せにした結果として自分が幸せになるのだ」という結論に至ったのです。私はこれを「自己相対性理論」と呼んでいます。

藤岡:小学生で「ビジネスでやっていく」という軸を定め、高校で「人を幸せにして自分も幸せになる」と決めたのですね。

會田:人を幸せにする方法はいろいろありますが、私は「ビジネスを通じて世の中の仕組み作りをしよう、世のためになり人を幸せにして、その結果として自分が幸せになろう」という確固たる信念を高2で持ったわけです。

きれいごとではなく究極のエゴでそう決めたわけですが、結果的には世のため人のためになっていることもあり、ここまでぶれることなく来ています。

やりたいことを求め、資格取得やアメリカ留学した大学時代

會田:大学は、指定校推薦で中央大学に入学したのですが、スポーツも真剣に取り組みたかったので体育会陸上部に入ることにしました。中央大学の陸上部は伝統のある名門で、基本的にスポーツ推薦のインターハイ優勝経験者などがゴロゴロしており、高校まで誰かの背中を見て走ったことのなかった私もあっという間に挫折しました。

ただ、入学時より「将来はビジネスをやりたい」と考えていましたから、練習の傍ら簿記の資格取得をしたり留学準備をしたりもしていました。今考えると、あの頃は私が最もがんばった時期かもしれません。

藤岡:留学について教えて下さい。現地ではどんな生活をされていたのでしょうか。

會田:大学2年から3年にかけて、交換留学制度を利用してアリゾナ大学に行きました。勉強したいと思っていたエラー・カレッジ・オブ・マネジメントでは留学生を受け入れていないと門前払いされましたが、副学長と個別交渉して特別に許可をもらい、マーケティングやアカウンティングなどさまざまな授業を受講させてもらいました。

当然日本人はゼロで英語には苦労しましたが、授業で発表したり、周囲のサポートを受けながら徐々に対応できるようになりました。

住まいはシェアハウスで、現地の学生達と4人で暮らしていました。ここも「現地の人と暮らしたい」と思い、街で” for rent”の看板が出ているところにいきなり行き、交渉して入れてもらったところです。

起業に失敗したルームメイトから刺激を受け、NPO活動等に取組む

藤岡:現地の学生からはどんな刺激をもらいましたか?

會田:リーマンショック直後なのに学生はみなピンピンしていたのが印象的でしたが、中でも強い衝撃を受けた出来事がありました。

当時のルームメイトが「ホットドッグのEC販売をする」と起業したのですが、数ヶ月後に半ば予想通り失敗し、借金を抱える結果となりました。その時に彼が「タケシ、失敗しちゃったよ。次は何やろうか?」と明るく言ったのです。

何が衝撃だったかというと、「やりたいことがない」ことを言い訳にして何もしない自分がそこにいるという事実です。自らがやりたいもの探しの旅をしながら、自分の「できる」を広げる、すなわち「できない」を潰すことに熱心な、無知の知の分からない馬鹿な若者であることに気が付いてしまったわけです。

そして、すぐNPOプロジェクトを立ち上げました。アリゾナにはメキシコ移民が数多くいたのですが、彼らがやっている車の修理工場やメキシカンタコス店などの個人商店のコンサルをすることにしました。我々ビジネススクールの学生にとっても、会計管理の知識を生かすチャンスだと考えました。

彼ら個人商店はキャッシュだけを見て感覚的に経営をしているので、そこに会計管理の考え方を入れると劇的に改善しました。そうするとプライシングや見せ方も変わって行き、さらに売れるようになる、というプロセスが本当におもしろく、私自身「ビジネスはやっぱりおもしろい」と再認識することができました。

また、父の友人が経営するカリフォルニアの広告代理店で約4ヶ月間インターンをさせてもらいました。当時はTwitterやFacebookなどソーシャルメディアの勃興期で、まだこれをマーケティングに生かすという知見がなかった。我々のようなヘビーユーザーである学生の方がむしろ先を行っており、意見が通ることがありました。

インターン中には美術館のソーシャルメディアを使ったプロモーションプロジェクトのリーダーをさせてもらい、ソーシャルメディアマーケティングの基本を学ぶことができました。最後まで非常におもしろい経験をさせてもらえた留学期間だったと思います。

大学卒業後、一旦は商社に就職

藤岡:日本で大学に戻られた後も、ビジネスは続けられたのでしょうか。

會田:ソーシャルメディアを活用したマーケティングアイデアコンテストを行うアプリムという学生団体を数名で起ち上げました。その他にも社団法人を起ち上げたり、アメリカで携わっていた国際NPOの日本法人のプロジェクトマネジャーをしたりしましたし、大学生として勉学に励み陸上にも打ち込んでいましたから、今考えてもどうやって時間を作っていたか分からないくらいです。よく気合と根性のゴリゴリ体育会系に思われますが、こう見えても一応主席で卒業しています(笑)。

当時は、「そうやって取り組んでいるうちに、本当にやりたいことも見つかるのでは」という甘い考えも多少ありました。学生起業も考えて色々な人に話を聞いて回ったりもしましたが、結局どれもアメリカのタイムマシン経営だったりして、燃えるような熱意を持って取り組めるビジネスには巡り会えませんでした。

そこで、一旦「自分でオーナーシップを持って」という考えを捨てて、三菱商事に就職することにしたのです。

藤岡:三菱商事では、どのような分野のお仕事をされていたのでしょうか?

會田:商材として自動車を扱い、中東10カ国とトルコ・ウクライナ・コーカサスを担当していました。業務内容はトレーディング・新会社設立・クロスボーダーM&A・セールス/マーケティングのコンサルなど多岐に渡っており、6年間の在職期間で経験できるビジネスはほぼ網羅的に経験しました。

失敗することのリスクよりも、挑戦しないことのリスク

藤岡:起業のきっかけは何だったのでしょうか?

會田:転機は入社6年目、ウクライナに居た時でした。充実した毎日を送っていたのですが、ある週末の日にふと自分の将来を想像したときに「このままでは、いずれ挑戦をしなかった自分を後悔する瞬間が必ず訪れる」と感じ、そんな将来に強い焦燥感を覚えたのです。留学時にルームメイトを見て感じた、行動しない自分に対する嫌な気持ちが蘇って来ました。

学生時代は勉強に逃げることができました。先ほども少し触れましたが、勉強をすれば時間は潰れるし安心感も得られますが、実は知らない・できないを1つ潰すとその先に倍くらい知らない・できないが増えてキリがないのです。そうして無知の知を本質的に理解せず、同時に何もリスクを取って挑戦していない状況に陥るわけです。

そんな状態で一生を終えることは、私にとって恐怖でしかありませんでした。結局、失敗することのリスクよりも挑戦しないことのリスク(「自分」が「だれか他の自分」になってしまうこと)の方が圧倒的に大きかったわけです。

「AI×Communication」領域に狙いを定め、検討の末に生まれた「MiiTel」

藤岡:新規事業を興すにあたり、どんなことを軸に「やりたいこと」を絞り込んで行かれたのでしょうか。

會田:やりたいことは、「今後3~5年で大きな波になる要素技術×日頃の自分がPain(苦痛)に感じていること」という2軸で考え「AI×Communication」という結論に至りました。そこからさらに具体的な経営戦略・戦術に落とし込み、現在提供している「MiiTel」に行き着くことになります。

最初の「今後3~5年で大きな波になる要素技術」で思い浮かんだのは①量子コンピュータ、②ブロックチェーン、③AIの3つでした。中でもAIは2010年代のディープラーニングの発展により、フィージビリティの高さや人間の予想を遥かに超える無限の可能性を感じました。

また、「日頃の自分がPain(苦痛)に感じていること」は「高いコミュニケーションコスト」でした。日本人の労働生産性はG7の中で最下位に甘んじています。生産性を「能率×効率」と考えたとき、高い教育水準や倫理観を持つ日本人の能率はある程度の水準が担保されている一方で、効率には問題があると感じました。その主要因は高いコミュニケーションコストにあると分析し、ここに一石を投じることで日本の生産性は飛躍的に高まるのではないかと考えました。

藤岡:「AI×Communication」から経営戦略に落とし込むプロセスについてもお聞かせ下さい。

會田:初めに「経営判断AIを創出するプラットフォームを創る」というゴールを決めました。それには経営判断のビッグデータとAIエンジンが必要ですが、AIエンジンは既にテックジャイアントが取り組んでいますので、経営判断のビッグデータを集めるプラットフォームに専念することにしました。

そこから4事象分析やヒアリング等を半年行い、たどり着いた結果はインサイドセールスでした。この間に10回ほどピボットしました。

弊社の主力サービスである「MiiTel」はインサイドセールスやコールセンターの生産性を大幅に向上させるツールですが、初めからMiiTelというアイデアがあったわけではなく、このような思考、仮説・検証プロセスで「誰の」「どんな課題を」「どのように解決するか」を突き詰めた結果がMiiTelだったのです。

MiiTelは①課題の大きさ、②課題解決可能性、③市場規模の大きさ及び拡大可能性、④社会的意義の4点を高いレベルで満たすことができると判断しました。

「壁を感じたことは一度もありません」

藤岡:起業されてから2年半程、順調に業績を伸ばしていらっしゃるように感じますが、會田さんにとってはどの辺りが壁だったとお考えですか?

會田:私自身が鈍感なのかもしれませんが、壁を感じたことは一度もありません。

銀行預金残高が7万円になった時も、むしろモチベーションが高まったくらいで、悩むことはありませんでした。預金残高的には困窮する時もありますが、PLとキャッシュフロー、BSは頭に入っていますし、コントロールできると考えています。

藤岡:信用の壁はいかがでしたか?特にBtoBだと、最初はご苦労があったかと思いますが。

會田氏:壁と感じたことはありません。実績がない状態からのスタートですから営業の成功率も低いわけで、100人に会ったら98人に「何この人?」と思われるのは当然です。残った2名の方に共感してもらえるよう熱意と志を持ってやっていました。

これはずっと私自身が考えてきたことですが、「マインドセットのベクトルがしっかり合うこと」、「強い熱量があること」、「自分自身を信じること」の3つがあれば、そして世のため人のためという信念があれば絶対に伝わる相手はいますし、信用の壁を感じる必要などないのではないでしょうか。

待っていても優秀な人材は来ない。自分で採りに行くしかない

藤岡:仲間集めについてはいかがでしたか?初期メンバーなどはどうやって集めたのでしょうか?

會田氏:オフラインのイベントに行く、属人的に紹介してもらう、LinkedInやFacebookでメッセージを送る、ビズリーチを使い倒す。ひたすらダイレクトリクルーティングで人材プールを作っていきました。

エージェントに丸投げしても、無名の会社だから連絡は来ない可能性が高い。待っていても優秀な人材が来るわけはない、自分で採りに行くしかないとビズリーチの南さんから教えて頂きました。営業・採用・恋愛は基本的に一緒だと思っています。

藤岡:エンジニアではない會田さんがプロジェクト開発をする難しさはありませんでしたか?

會田:「誰のどんな課題をどうやって解決するか」という最終ゴールがハッキリしているので、案外大丈夫でした。課題を見付けるところが一番難しいので、そこが決まればあとは地道にやるだけですから。商社時代からプロジェクトリーダのような業務には慣れていましたし、あとは優秀なエンジニアが期待以上のパフォーマンスを発揮してくれました。

全体戦略・戦術を共有し、各自が仕事に落とし込んで進める組織

藤岡:會田さんの考える組織論、人材のマネジメントについてお聞かせ下さい。先ほど「優秀なエンジニアの仲間がいる」と伺いましたが、彼らが最大限に力を発揮している背景には彼らをモチベートする何らかのエンゲージメントがあると思います。

會田:組織の動かし方ですが、基本的には自ら気付いて主体的に動く人を採用していますので、彼らに対してミッションを与えるというやり方はしていません。全体でおおまかな戦略と戦術を共有し、あとは各自に任せ、自分の仕事に落とし込んで進めてもらうという方法を取っています。

エンゲージメントに関しては非常にシンプルで、コーポレートフィロソフィーやバリューにしっかり共感してもらえているか、ということが重要だと思っています。あとは、キャピタリズムの中で株式会社をやっている以上PLの極大化が主要命題ですから、自分の仕事だけでなく常に全体としてのPLを意識してもらいたいとは思っています。

社員に対して研修などはしていませんが、私自身は常に言葉にして伝え続けていますし、折に触れて「何のためにビジネスをしているんだっけ?世のため人のためだよね」とも話すようにしています。採用から諸々含めると、全体の話の中で6割くらいはそれに費やしていると思います。

組織作りで大切にしているのは「HAPPY」のフィロソフィー

藤岡:組織作りで大切にされているのは、どのようなことですか?

會田:先のコーポレートフィロソフィーとバリューを言語化し、Why? When? Who? What? Where?を定義しました。HPにも載せていますが、この5つを大切にしています。

H(Happiness): いつも明るく元気で、笑顔が絶えない人の集まりA(Accountability): 世の中から、人から頼られる人の集まりP(Professionalism): 自ら考え、行動し、変革を生み出せるプロフェッショナルの集まりP(Passion): 情熱的な人の集まりY(Youthfulness): 若々しく溌剌として、創造的な発送ができる人の集まり

起業時はこれらを経営戦略に落とし込み、さらにそれを実現する組織に落とし込み、そこに必要な人材を書き出して採用を進めました。採用の優先順位こそ変わっていますが、基本的な考え方は今も全くぶれていません。我々はこのフィロソフィーに共感し、実現するために集まった大切な仲間であり、そこに肩書きや社歴はまったく関係ないと考えています。

経営者の器を超えて無限に成長できる会社に

藤岡:會田さんは、経営者として組織をどのように成長させていきたいとお考えですか?

會田:組織作りの中で、ベクトルを人に向けてしまうと最終的に経営者の器の大きさの範疇でしか組織は成長できなくなってしまいます。特に目まぐるしく変化する最先端のテクノロジーを扱う業界にとって、経営者依存度の高い組織体制はリスクしかありません。他方、ベクトルはあくまでもフィロソフィーの実現に向いていると考えれば、組織は無限に大きくなっていけるのではないでしょうか。

そのために、私はとにかく権限委譲を進めたいと考えています。それぞれが責任を持つことで成長し、自らエンゲージメントを持って行動し、変革を起こして行ける人材になってもらいたいのです。優秀な人がいるところにはまた優秀な人が集まりますから、会社は自然と自己増殖してくれるはずです。「経営者は誰だっけ?」みたいな状態で良いと考えています。

更なる成長には、それに見合った組織作りが急務

藤岡:會田さんは経営者として、どんなときに手応えを感じますか?

會田:やはりお客様からの声が一番です。TwitterやDMなどで「MiiTelなくして今の会社はありません」といような声を聞いたときはとても手応えを感じます。

また、自分が想像していなかったようなユースケースをお客様が編み出してくれているときなどは最高です。最近はフィールドセールスの一部でMiiTelが使われていると聞きました。このモバイルアプリが便利なクラウドICレコーダーとして役に立つようになったわけです。そこからデータが集まれば、MiiTelもまた成長できますから嬉しいですね。

藤岡:そうすると、次はどんなことに取り組みたいとお考えですか?

會田:やはり、成長に見合った組織を作って行かなければなりません。人材開発・組織構築が最優先課題だと考えています。優秀な人材をどんどん採用していく予定ですので、そこは御社にもぜひご協力いただければ嬉しいです。

豊かなコミュニケーションが行き交う社会を創る強力なビジネスに参画する魅力

藤岡:現在の社員数は約50名ですが、このタイミングで御社に参画する魅力はどこにあるとお考えですか?

會田:まだシードスタートアップですが、我々の思いに共感した優秀な仲間と強固なキャッシュフローに裏打ちされた強力なビジネスが最大の魅力だと思います。長期と短期のバランスが取れているところも弊社の強みの1つです。

「営業のコミュニケーションのあり方が変わりました」とお客様に言ってもらえるような地に足のついたプロダクトを作りながら、目指しているところは超デカく、今はまだ我々が成し遂げようとしていることの1パーセントもできていません。

少しでも多くの「本当の意味でのコミュニケーション」が行き交う豊かな社会を創りたいという大きなビジョンを実現するために、世の中の仕組みをゼロから優秀な仲間と一緒に作っていくプロセスは本当にワクワクしていただけると思います。

藤岡:本日は素敵なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。

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