2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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山田岳人氏(以下、山田):三寺さん、今の事業は西陣織ですよね。伝統工芸とIoTって正反対というイメージがありますけれど、前の事業は今もあるんでしたっけ?
三寺歩氏(以下、三寺):もともとやっていた仕事や、父の代からやっていた仕事はまったくないですね。
山田:63年間やっていて、お父さんのときにやっていた事業は今ゼロですか?
三寺:ゼロですね。
山田:なるほど。その業態転換のきっかけは何なんですか?
三寺:たぶんベンチャー型事業承継って、もともと親がやっていたものを変えなきゃいけないとか、そういったこともあると思うんです。でもうちの会社の場合はシンプルで、潰れていたわけですね。
山田:なるほど(笑)。
三寺:「もう会社潰れんねんけど、継げ」と言われるという、わけのわからない状態だったんですね。
(会場笑)
「いやいや、潰せばええやん」みたいな話で。「お前、潰したらみんな路頭に迷うねんぞ!」と。「お前のせいや!」と言われて。
(会場笑)
ずっと会社勤めで、まったく関係のない仕事をしていたんですよ。
山田:当時は何をしていたんでしたっけ?
三寺:いわゆる外資系のITのメーカーで営業をやっていました。普通の営業マンだったんですよ。いきなり電話かかってきて「やれ」と言われて、まあびっくりしましたけど。
僕、最近いろんな人からこういうところへ呼んでいただいてお話しして、「ちょっと個別に話を聞きたい」とか言っていただいてお話しするんです。「今はうまくいっているけど、5年後はないんです」みたいな。「だから変えなあかん」とか。
山田:そういうのが多いよね。
三寺:「うちの親父アホやからもうあかんのです~!」「ゼロからやり直ししなあかんのです」みたいな方もいるんですけど、みなさん大変だなと思うのは、多少はあるんですよ、売上が。
山田:はい。
三寺:僕のときはもうなかったので。つらかったのは、売上はないけど親父のプライドだけはあるという。
(会場笑)
山田:一番ややこしいやつですね(笑)。
三寺:ややこしいでしょ。「売上は今ないだけで、来年はあるねん」「トヨタさんが買ってくれんねや」とか言うわけですよ。「トヨタさんが買ってくれるって、営業行ったんか?」「行ってないけど、来そうな気がするんや!」みたいな。
山田:それは、昔うちにいた社員も本当によく言っていた。「今は景気が悪い」「いつか良くなる」みたいなことですよね。僕が28歳で入社したとき、自分の次に若い人が45歳みたいな会社だったんですけど。よく言っていましたね。
山田:でも、どうして戻ろうと思ったんですか? 誰もが知っている世界企業に勤めていたわけじゃないですか。
三寺:そうですね(笑)。たぶん「継ぐ」と決めるまでにいろんなストーリーがあると思うんです。僕の場合、家の商売ってやっぱり、自分を育ててもらったものなんですよね。だからなんとか自分がその力になりたいなと。
あと、うちの親父は本当にお金の使い方を知らないので、貸したら返ってこないだろうと。どうせなくなるんだったら、自分でやってなくそうと思ったんです。
(会場笑)
山田:なるほど(笑)。
三寺:社長になった日に南都銀行さんに行き、連帯保証のハンコを押すと。借金2,800万円を背負うと。僕はサラリーマンだったので、2,800万円なんて見たことがないんですよね。うちの親父が「ありがとう~!」と言って終わる。
(会場笑)
どちらかと言うと、最初の僕の承継の話は事業承継というより借金承継ですからね。
山田:なるほど(笑)。中小企業はうちもそうですけど、やっぱり代表者が連帯保証しなきゃいけないというルールがあるじゃないですか。
それで僕も先代から代表を交代するときにやったのですが、僕の場合は先代が義理の父親だったので、すごく気を遣ってくれました。「借り入れの保証をお前にさせるのは申し訳ない」ということをすごく言ってくれましたね。
そういうところは跡継ぎならではの、ほかの人に言ってもわからないような悩みがあるわけですよ。
山田:次の質問です。今日はオープンにいこうということで、やっぱり成功した話はねぇ。お二人とも「成功していない」と言われるかもしれませんけれど、我々的には成功している人なんです。なので、そんな話を聞いてもおもしろくないと。
「どこで苦労したか」「失敗したか」という話のほうが笑えるよねということで、一番苦労したところや、事業承継を受けていく中で「ここは本当に地獄やった」というところはどこですか?
朝霧重治氏(以下、朝霧):概して楽観的というのもあるんですけれど、嫌なことはすぐ忘れちゃうんですよね。
山田:いいですね。これは経営者に必要な資質ですね。
朝霧:忘れちゃうんですけれど、けっこうウワ~っとかグ~っとか来るときって何だったかなと思ったら、やっぱり裁判で訴えられるとか。そういうのはけっこう……。
三寺:すごい話ですね。
朝霧:そもそも裁判なんてやったこともないし、当事者にもなったことがない。例えば東京地裁で宣誓するときは「お~、痺れるなぁ」と。
山田:(笑)。
朝霧:その法廷に向かうときは、やっぱり戦闘能力を高めていかなきゃいけないと思って昔のGuns N' Rosesとか、ハードロックを車の中でガンガン効かせながら「よーし、行くぞー!」と言ったのを覚えています。
山田:なかなか痺れる経験をしていますね。あんまり経験することないと思いますけど。
朝霧:私の極めて楽観的なポリシーとして、「すべての経験は無駄にならない」と思って生きていまして。なので、もう訴訟とか、ぜんぜん平気なんですね。そのあと、今度は日本じゃなくてアメリカで訴えられそうになったんですよ。これまた痺れましたね!
「うわ~、これは金もかかりそうだし。どうしよう」と思ったんですけど、「まあまあ、裁判はテクニックだよな。あのときもそうだったな」「ちゃんと反証していけば勝てるな」というので、まあ無事に終わりました。
山田:やっぱりお二人とも、僕らもそうですけど、修羅場が人を育てるという側面はありますよね。「いつか来た道」というものがどんどんできていって、経験を積めば積むほど今言ったみたいに「これは前に経験したあれに似てるな」「誰か先輩に聞いた話に似てるな」と。そういう経験は、こういう場でみなさんもどんどん積んでいってもらえたらなと思います。
三寺さんのところの失敗とかビジネスの危機というか。「このときはすごくやばかった」みたいなところはどんな感じですか?
三寺:いつでも大変ではありますね。大変なことの連続です。ベンチャーだけど周りにおっちゃんおばちゃんがいっぱいいるという状態でやっていますから、危機というか大変なことはいっぱいあります。
事業がちょっと軌道に乗ったんですよ。働いている人は給料がもらえて、ゆっくりお金が入ってくるような感じで。私が社長になる直前は、手伝いでやっていたんですよ。
そのとき母親に、私は歩という名前なんですけど、「歩さん、もうええよ。サラリーマン戻り」と言われたんですよ。
山田:ほう! お母さんに?
三寺:ええ。「なんや、なんや?」と話をしたら、「軌道に乗ってきたから、お父さんに返してあげて」と言われたんです。
(会場笑)
三寺:すごいでしょ(笑)。母親からしたら、お父さんを助けに来た息子でしかないんですよ。だからもう帰れと。
私はまだ2年か3年手伝っているだけで営業はけっこう仕事ありますから、「それでもいいかな」とちょっと思ったんです。
でも、なにが本当の答えかがわからなくなって。別の日に、父親に高速道路で京都駅まで送ってもらうときがあったんですよ。「父親は本当はなにをしてほしいのかな」と思ったんですよ。「自分の人生のゴールって何だろう」と。
例えば、父親の代で銀メッキ繊維をやり始めたので、その糸を世界的な商品にするのが夢なのか。車の中で2人になったので、この人にとってなにが人生のゴールなのかを聞こうと思って。
おもしろいんですけど、親子って座るときに向かい合って座るのは絶対にダメだと思うんです。これはあるあるというか、テクニックだと思うんですけど、面と向かってしゃべるのはちょっとできないんですよ。ぜひ横向きでしゃべっていただくと。
そのときに「お前が継いでくれたら、それが人生のゴールや」と言われたんですよ。
山田:おお!
三寺:「あ、この人、ずっと言えなかったんだ……」と思って。なんで言えないかというと、繊維産業はずっとこう(右下がりのジェスチャー)なんですよ。その産業の中で、言えないんですよね。息子に継がせたくないんですよ。自分が夢ある仕事にできていないという負い目がずっとあって。そんなことないんですよ。すばらしい仕事なんですけど、親はそう思うんですよね。
そう言われたときに、もうこれはバリっと「やるしかない」と思って。その日に親戚全員に集まってもらって、「僕がやります」と。「会社を潰す可能性があるけれども、諦めてください」という話をして。おっちゃんおばちゃんがみんな中華料理屋に集まって、なぜか絶対に僕が払わされるんですよ。
(会場笑)
「この会社は1回潰れたんやから、あんたに託します」と言われて、というのが一番の危機ですね。商売の危機ならがんばるとかいろいろできますけど、事業継承は感情が一番の危機なんじゃないかなと思いますね。
山田:事業承継ならではの話ですね。そこでいくと、いわゆるベンチャー型とは言っていますけど、自分のやりたいことで起業しているベンチャーとは絶対に違いますよね。
起業家は自分のやりたいビジネスで起業するのが当たり前ですけど、後継者はだいたいそうじゃないというか。だいたい「やりたくないことをやる」ところからスタートするのが一般的かなと。あとは組織ですよね。
ベンチャーは自分で作れば自分で採用して、自分たちでアップダウンしていきますけど、すでにある組織の中に入ってその組織運営をしなきゃいけない難しさがあるという。
そこはどうですか? 入社されたころというのは、いわば「よそ者」じゃないですか。
朝霧:そうですね。
山田:ぜんぜん違う仕事をされていたんですよね?
朝霧:そう。最初は三菱重工とかの重たい産業にいて。
山田:今はビール屋(笑)。
朝霧:ビールです。本当に売上が違うんですよね。三菱重工のときは1回受注すると300億円、今は1個受注すると200円。
(会場笑)
ぜんぜん違う仕事ですよね。ただ、僕の場合この会社に参画するようになったのは、もちろん妻があってこそというか。(山田氏も)一緒ですけれども。それはともかく、事業としてそもそも先代がやっていたのはアグリベンチャーですよね。
山田:うん、なるほど。
朝霧:それ自体がすごくおもしろいというのもあったので、それがなかったらたぶんやっていないと思います。ただ、実際に入ってみると「こんな状態なのか」と驚くことはありました。
朝霧:今は会社の中でも、農業の事業から派生して、例えば物流の事業があって、農産物の産直卸売事業があって。そこにビールもあるしというわけなんですけど、やっぱり関心の濃淡はあるじゃないですか。
そういう意味では、会社としてもともとコアにあるものというか、「なんでこの会社がスタートしたのか」という理念みたいなものは絶対に大事にしないといけない。そういう思いが、やっぱり受け入れていく者としてはあります。
そんな中で会社のかたちを変えていくのは、むしろその時代に合わせたり、その時代の経営者のやりたいことで変わっていったりしていくのがいいことなんじゃないのかなと思います。
山田:その過程で既存の組織とか、いわゆるお父さんのときのブレーンの人が周りにいっぱいいますよね。そこからの反対というか、それはないですか?「なにがCOEDOビールやねん」みたいな。
朝霧:うちは規模の割には組織がないというか、創業者とあと全員みたいな。本当にワントップ状態で組織がないような会社だったので、そういう意味ではそこの悩みというか、みなさんもよくあるかもしれないけれど「番頭さんの扱いがすごく難しい」ということはまったくなかったです。
山田:へえ!
朝霧:そういう苦労はないんですけれど、やっぱり事業がうまくいっていなかったところが一番しんどいところで。そこは一緒だと思います。
山田:結局僕たちもそうだけど、業態転換していくきっかけは「潰れかけた」というところがあって。なにかをやらないと、会社が残らないと。僕は火事場のくそ力みたいな感じでやった気がするんですけど、やっぱりそういうところがあるんですね。
朝霧:ありますよね。
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