2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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このBIT VALLEY 2018は、サイバーエージェント、DeNA、GMOインターネット、ミクシィの4社によって、「渋谷でエンジニアとして働くことは楽しい」を伝えることを目的に開催されているイベントです。今日はそのなかから3名。3社からお越しいただいているということで、さっそく、自己紹介をたぶんされなくてもみなさんご存知だと思うので、テーマに入りたいと思います。
まず最初に、今回、渋谷という場所にまた改めて注目が集まっているなかで、なぜこの渋谷がこのタイミングで注目を集めているのか。そこで、この20年近く、起業された後も拡大を続けているメガベンチャーの各社から、「渋谷、再発見」というテーマでお話いただきます。では、さっそくなんですが、熊谷さんからお話いただいてもよろしいですか?
熊谷正寿氏(以下、熊谷):はい。まず最初にオーディエンスの方がどんな方か、ちょっと分析したいです。(質問を)1、2問だけしていいですか?
馮:はい、お願いします。
熊谷:みなさん、2、3個教えてください。ビットバレーという言葉をこのイベント以前からご存知だった方、ちょっと手を上げていただいていいですか?
(会場挙手)
なるほど、みなさんけっこうご存知なんですね。エンジニア志望の方、ちょっと挙手してくれる?
(会場挙手)
うん、そうですね。起業家志望の方。
(会場挙手)
うん、なるほど。エンジニアかつ起業家志望の方。
(会場挙手)
うん、なるほど。はい、だいたいわかりました。改めまして、GMOインターネットの熊谷です。今日はどうぞよろしくお願いします。
熊谷:「渋谷発、老舗メガベンチャーから出た20年」ということなんですが。いまもそこで記者さんとの撮影と囲みがありましてお話いたしましたが、僕らは23年前の1995年に青山で事業を開始しました。
事業をスタートして、インターネットの波に乗ったら、急に人が増えてきて、渋谷にオフィスを移転しなければいけなかった。その時、青山は家賃も高いし、場所もなかったんですね。結果、渋谷という場所に消去法的に移転してきたんです。
先ほど長谷部区長にも笑い話としてお話したんですが、当時は都落ちだと思って、「いつか青山に戻ってやる」みたいなことを社内で言ってたんですが、結果、23年間振り返ってみると、この渋谷のさまざまなパワーに助けられて、今に至ったなと思います。
渋谷って、区長の言葉にもありましたけど、「多様性」という言葉に集約されると思います。この多様性がグループの成長を支えてくれたと思っています。23年間で、100名に満たなかった仲間たち、うちのグループのパートナー(従業員)は、いまは5,600名まで増えています。1年に新卒のみなさんを含めて、数百名増えている計算なんですけども、それを支えてくれたのは、やっぱりこの渋谷のパワーだと思います。
私が事業を開始してから2、3年経った頃、東急文化村の裏にあったネットエイジさんというインキュベーターの西川さんという方を中心に、ビットバレーができました。
僕もその場に立ち会わせていただいたんですが、BITTER VALLEYという名をもじりました。「もうちょっとカッコよくしよう」というシンプルな考え方で、ビットバレーという名前になりました。15人か20人ぐらいのベンチャーが集まって、当時のウチの会議室で第1回目の会合が行われたと、昨日のことのように覚えています。
その後、僕は1999年の8月27日にジャスダックに上場させていただきまして、上場時の時価総額が1,200億円になりました。それを渋谷の円山町にあるクラブで行われたビットバレーのパーティーで、2、300人の集まったベンチャーのみなさんにご報告して、その場が湧いたことを、また昨日のことのように覚えています。
区長のお言葉にもありましたが、「再興」という文字が今回のイベントで使われているんですが、そのビットバレーはなくなったのか? 僕らはまったく、そんなことを考えることすら時間的な余裕がなくて、毎日毎日走り続けて、23年経っちゃった。いまフッと「再興です」って言われると、「あれ、なくなったのかな? ビットバレーってずっとあったんじゃなかったっけ」というような感覚に襲われています。
すばらしい今回の運動だと思いますので、グループを挙げてこのビットバレーの再興運動に協賛したいと思っております。どうぞみなさま、よろしくお願いいたします。以上です。
(会場拍手)
馮:どうもありがとうございました。非常に貴重なお話をいただきました。
南場智子氏(以下、南場):はい。私たちは1999年に立ち上がった会社ですから、来年の3月でちょうど20周年になります。(会社の居場所は)ずっと渋谷です。だから、渋谷はどういう場所なのかというと、すべてが渋谷で行われたので、私にとっても、DeNAにとっても、渋谷は本当にホームと言える場所です。
ビットバレーについては実を言うと、「会合があるよ」って言われて、1回出て、気が付いたら、ステージの前に立たされていて、「がんばろう!」みたいなことを言って。私は人がたくさん集まる場所が苦手なので、その1回だけで、あんまり集まりに来たことはないんです。
ですから、ビットバレーとか渋谷とかという意識ではなく、DeNAの歴史がそこで刻まれた感じがします。例えば、最初の私たちのサービスを立ち上げるために借りたのが20平米ぐらいのアパートです。それが渋谷の東急本店通りから歩いて10秒ぐらい入ったところで。そこからちょっと出世して、東急本店通りにもう少し近いところまで出ました。
それから、データベースのデータをパージしてしまうという大事件が起き、朝の5時から3時間ぐらい、うちのエンジニアのトップのアパートの前で私が叫び続けた事件も東急本店通りで起きてます。
馮:ずっと南場さんがいらっしゃって?
南場:そうですね。サービスのローンチが完了した晩に飲みすぎたエンジニアが自宅で爆睡してしまっていて、叫んでもなかなか起きてこなくて、3時間叫び続けました。
あと、家に帰ってる時間はなかったので、ずーっと会社で寝袋で生息しているメンバーが多く、なかにはアパートの家賃がもったいないので、家の住民票をそのまま事務所に移してしまったとか、そういう仲間がいました。ですから、もうすべてが渋谷で行われているので、あまり意識がないのが正直なところなんです。
ただ、一時確かに騒がれていたビットバレーが、あんまり言われなくなりましたよね。
馮:そうですね。
南場:それはいろんな要因があると思いますが、ひとつには、私たちテックカンパニーの生業や空間がネットに閉じていた時代は、リアルな空間をワッショイと盛り上げるにはパーティーや、広告の看板ぐらいしかありませんでした。
この数年でテックカンパニーの活躍領域がリアルにもグンと出てきています。そうすると、活躍がもっとリアルな空間で目に見えるようになる。
この時代にもう1回、「ビットバレーを意識してがんばろうよ」ということは、私たちにとって20年という節目だからというだけではなく、物理的な空間にポジティブなインパクトを与えられる仕事に我々も本気で取り組もうとしている時ですので、非常にいいタイミングだと感じています。
馮:ありがとうございます。
藤田晋氏(以下、藤田):サイバーエージェントは1998年3月創業なので、今年の3月にちょうど20周年を迎えています。それで、第1回のビットバレーのブームが、1999年から2000年にかけて起きたので、その真っただ中にいました。
僕が渋谷で会社を創業したのは、自分が青山学院大学卒業でこのあたりに詳しかったことと、あと、若者の優秀な人を採用しようと思うと、大手町や新橋とかで採るよりも、渋谷のほうが採りやすい。ただそれだけの理由だったんですけど。
ビットバレーというブームにはやっぱり乗っとかないといけないので、これは間違いないと思いますけど、とりあえず「ええ、我々はビットバレーです」と取材に答えたりして。おそらく、(ブームが)2000年まで続いた。
僕の考えでは、ビットバレーの時にネットバブルが起きたんですけど、その時に盛り上がりすぎて、マスコミがすごく注目しました。それ以降ほとんど誰もビットバレーという言葉を口にしなくなったのは、一気に株価が急落して、ものすごくネット企業が叩かれた時に、もうビットバレーという言葉を出すのが恥ずかしい、という状態になっちゃったんですね。
そこで残念ながら、その言葉が廃れた。それから何年か経って、いま私、新経済連盟の理事もやってるんですが、そういったところでも新産業を育成するのに、シリコンバレーのような集積効果を狙う必要があるので、「渋谷を拠点にしたい」という話がたびたび出てくる。それはこの社会にとっても意味があることだと思います。
1999年から2000年当時にかけてのビットバレーは、期間が短かったこともありますが、株式市場の熱狂、異様な株高を背景にして、そこに対してVCや証券会社の人がいっぱい集まって、アイデアを持った起業家がいて。
実質はネット株が(ブームの)中心にあったんですが、その時はサイバーエージェントの社員が100人程度だったのですがそこから時を経て、現在サイバーエージェントでは社員や有期雇用を合わせると、8,000人以上がこの渋谷で働いています。GMOもそうだと思うんですけど、非常にたくさんのエンジニア、クリエイターが集まる場所になっていて。
あと、さっき南場さんが「パーティーがあんま好きじゃない」と言いましたけど、第1回の時はかなりパリピ感があったんですね(笑)。ビットバレーの集い、とくに一番有名な集いというのは、クラブで行われたぐらいですから。ですが、今日の会場のみなさん見てわかるとおり、パリピ感はない。
(会場笑)
浮かれた感じというよりは、しっかり地に足がついているというか、技術を背景としたものに変容しつつある。しかも、渋谷という街にこういうふうに相変わらず集まっていて。そこで、同じ名前ではあるんですけど、「BIT VALLEY」という名前を再度やっていこうというのは、絶妙なタイミングだと私は思います。
馮:ありがとうございました。お三方からこの20年の振り返り、そして、エンジニアに対する期待感というのが少し聞こえてきたんですけれども。
藤田:ちょっと質問に答えてるかわからないんですが、渋谷発ということで、実は、渋谷はやっぱり若者受けがいいから、渋谷でオフィスを探すことが多いんですけど、オフィスがないんですよ。しかも、たくさんネット企業とか新しい会社が集まってきて、その会社が拡大するとまた1部屋ずつ(探す)というサイクルなので。
昔は坪単価が驚くほど非常に安かったんですね。大手町とかと比べると半額以下じゃないかというぐらい安かったんですけど。それがどんどん雑居ビルでも高騰していって、しかも供給量がない。
それが一気に変わりつつある。なぜなら、渋谷の街を見たとき、東急さんがものすごいたくさんビルを作っています。それができあがると、一気にビジネス都市に変わっていく。
そこに入る会社だけでものすごい総量になってきますので、働く場所としての存在感が今高まってます。13日からオープンする「渋谷ブリッジ」(ホテル、カフェ、オフィスなど多様な用途に使用できる複合施設)を皮切りに、これからどんどん盛り上がっていく。そうしてビジネス環境が整っていく。
しかも、今、エストニアに足を運び、若くてやる気があって、ITに理解が深い渋谷の長谷部区長がいます。これはまたとないタイミングなので、一気に推し進めるチャンスが来ていると思いますよね。
あと、仕事の面じゃないかもしれないですけど、ビットバレーをやっていく上でもう1つ欲しいのは、このいい名前がついているし、この環境面が整っているなかで、やっぱり象徴するような施設なのか、ちょっと言葉が軽いですけど。インスタ映えするような聖地というか、そこで写真が撮られる、取材に来てくれるような場所があると、さらにビットバレーが盛り上がってくるんじゃないかなと思います。
馮:ありがとうございます。では、南場さんいかがでしょうか?
南場:DeNAのDNAは「挑戦」なんですよね。挑戦をやめたらDeNAじゃない。DeNAって実はやっている事業がどんどん拡大してきています。創業時はEコマース専業の会社だったのが、次々と新しい事業の柱を追加していってる気分です。
それがなぜそうなったかというと、「こういう事業に挑戦したい」「こういうアイデアをかたちにしたい」というメンバーの熱量を事業にして、柱を追加してきたからです。
我が社はいろんなアップダウンも経験しましたけれども、これを失ったら、この熱量を失ったらDeNAではないと思います。
ですから、自分たちを「永久ベンチャー」と呼んでいて。エスタブになりたくないという魂があります。できあがった歯車をそのまま回してればいい、という会社にはなりたくない。
「私は意識しないでずっと渋谷にいました」と申し上げましたが、私たちがずっとずっとこの地にいるのは、そういった我々の価値観、DeNAのDNAが渋谷の雰囲気に合っていると思うからです。
だから私は、こんなに高いビルが次々にできてどうなっていくんだろうという思いはありますけれども、渋谷にエスタブになってほしくないなと感じています。人の敷いたレールを粛々と走るのではなく、そこから抗って、「このアイデアをかたちにしたいんだ!」というそういう熱量を持った人が集まる場所であり続けてほしいなと思います。
今日のテーマは渋谷ですが、DeNAは球団を持つようになって、渋谷と横浜という実は2つのホームができているんです。これが1つの線でつながっていることで、この沿線を熱くしたいなと。渋谷と横浜と、そしてその間をつなぐ沿線を熱くしたいと思っています。
あと、そうはいっても20年です。DeNAが変わらなくていいのかというとそんなことはなくて、自らを永久ベンチャーというからにはどんどん変化し続けなければと思っています。
その1つのポイントとして、もっとオープンな、企業に閉じたイノベーションじゃなくて、私はよく「ザクロをひっくり返せ」と社内に言っています。「意味がわかりません」とよく言われるんですけれども。
1つの組織に閉じて、そこで活躍し、そこで有効な人材になっていくのではなくて、どこに行っても通用する人材を育て、そしてだからこそ、トップノッチ(一流)の人材が集まり、高い次元で他社ともコラボレーションができる。そういうチームになりたいなと思っています。
エンジニアの方が今日は多いとのことでしたが、我が社のエンジニアにとっても、DeNAの中だけで通用するようなエンジニアになってほしくない。例えば、最近導入した、データサイエンティストにはKaggleへの参加を促して、そこでのランクと社内での権限や裁量を紐付ける制度を導入したりしています。
技術者には最高の技術を身につけ、自分の市場価値をどんどん上げるような仕組みをもっと導入していくために変化をさせているところです。
南場:20周年。来年の3月4日でDeNAは20周年なんですけれども、今から2週間ぐらい前に「De20」という、20周年プロジェクトを始めました。そこで「会社をこんなふうに変えたい」「こんなふうに変化をさせたらDeNAをもっと好きになる」というようなアイデアを募集しましたら、240ぐらいアイデアが集まりました。
それは実は本当に些細な、「オフィスをもっときれいに使おうプロジェクト」「うちの守安功に挨拶をさせようプロジェクト」とか。今まったくウケませんでしたけど(笑)、うちの守安功は、天才なんですけれども、苦手な科目が1つ。「挨拶」という科目が苦手で、その守安に力ずくでも挨拶をさせようプロジェクトもありました。
そういう組織のあり方に関するプロジェクトもあれば、「〇〇会社をM&Aして、こういう夢を実現しよう」とか、事業ポートフォリオに関わるような話もありました。
そして、とくに重要なポイントとして、お客様にDelight、喜びを届けるモノづくり・サービスづくり・体験づくりのケイパビリティを、渋谷一、世界一にしたい! これをもう1回磨き上げよう! そんなプロジェクトも出てきました。それから「オープンなコラボレーションをもっと促進しよう!」というのも出てきました。
これを片っ端からやろう。片っ端からやる1年にしたいなと思っています。それがちょうどこの渋谷のイメージと一致するので、渋谷の街のイメージとDeNAの企業文化、DeNAのDNA、これがなければDeNAじゃないというところがガッチリ一致しているので、本当にやる気が出るなと思います。
馮:ありがとうございます。今お話に出たように、やっぱりエンジニアの交流であったりとかチャレンジする意識は、たぶん企業の中もそうですし、こういった場での化学反応というか、そこらへんがますます生まれてくるんじゃないかなというお話だったかと思います。それでは最後、熊谷様のほうからお願いいたします。
まず、みなさんがエンジニア志望であること、そしてIT系ベンチャー経営者志望であることは正しい選択だと思います。なぜならば、23年前に私たちが創業した時には、このIT、インターネットが産業革命であると周りの人に言っても、誰も信じてくれなかったし、相手にしてくれなかったけど、この23年間でこのIT革命が紛れもなく産業革命であることは誰も否定しなくなりました。
過去の産業革命は平均すると55年間続いています。したがって、55÷2で、ちょうど今このインターネット革命は、24時間に例えるとちょうどランチを食べているタイミングであると。まだまだこれからおいしいディナーが待っている産業がこのインターネット産業であると確信をしています。
よって、みなさんはエンジニア志望である、ITベンチャー経営者志望であることは、正しい選択であるところです。僕も生まれ変わっても、また同じようにこの業界に舞い戻ってきたいと思っています。
さて、じゃあどこで勤めるか、どこで起業するかという話だけど、それは紛れもなく渋谷が正しいと考えています。まず、この渋谷がこれから数年間でどう変わるのかご説明すると、東急さんが全力で、東急さんのブランドにかけて、この渋谷周辺に、とくにIT企業向けのビルを建てまくります。
駅街区には「渋谷スクランブルスクエア」というビルが立ちます。今、建設中ですね。もうすでに完成しているのが、「渋谷ストリーム」というビルです。あのビルには、今はほとんどGMOの本社になっていますけど、セルリアンホテルのオフィスにいたGoogleが、六本木に移転したんですけれども、また渋谷に舞い戻ってくる。
あのビルに行くと、全部貸し切りだそうです。半分空いてるけれども、将来の拡張余力を見て、駅街を全部貸し切る。おそらくあのビルの上にはSansanやGoogleという企業となります。サイバーエージェントさんも……。
藤田:(移転する)本社は住友ビルですね。
熊谷:住友ビルですね。
藤田:裏側の東急ハンズのむかいに行きます。
熊谷:そうですね、ハンズの向かいにグループ全体で移動されて。住友ビルとハンズのビル、二頭体制で、ミクシィさんと一緒に入られるという。サイバーエージェントも実はものすごく急膨張しているので、あちこちにオフィスをお借りになっているんですけど、集約されます。
この周辺に5棟オフィスを借りているんですけど、そこも手狭になっており、駅の正面にある東急プラザを作ってますよね、バスターミナルにあるところの正面ですね。あの東急プラザのオフィスフロアは全フロア、GMOでお借りすることになっています。来年の暮れに移転をいたします。
ビルの一番上にはGMOというロゴを出して、埼京線の上り下り、あるいは駅からは手前どものビルだということがわかるようになっています。
2年後には、みなさん、渋谷駅を見ると、周辺を見渡すと全部IT系が入っている巨大ビルばかりというのがこの渋谷。どういうことが起こってくるかというと、この周辺の飲食店でもこういう会場でも、ほとんどがIT系の人たちばっかりなってくるんです。
当社の会議室でも毎週のようにITエンジニアさん向けのいろんな勉強会のほうを開催させていただいています。すなわち、お勤めになるんだったら、やっぱり渋谷の企業がいいと思うし、同業の人たちと接触する機会がすごく増えてくるから、そこから必ずイノベーションが起こる。
そして、今からベンチャーを立ち上げる方は、ご覧のとおり、私たちが全部移動して周辺のビルがどんどん空いてきますので、まさにオフィスを借りる、あるいは投資をする千載一遇のチャンスではないかなと感じています。これが今後の2〜3年間の渋谷の移り変わり。
あとは人が集積すると情報も集まるのでチャンスが生まれますから。エンジニアの方はわりと閉じこもりぎみになりがちなんだけど、やっぱりランチの時間だったりディナーの時間だったり週末の飲み会とかは、そういうふうに同じ志を持った人たち、同じ情報を持った人たちと接触することがすごく大切なことじゃないかなと思います。
うちのパートナーが、とくにエンジニアさんとかものづくりの人たちを大事にする企業文化をGMOは持っていまして、エンジニアさん、クリエイターさんたちが勤めやすい、あと、いろんなことを作りやすい仕組みを持っています。
詳しくはWebサイトをご覧いただきたいのですが、例えば勉強したい方には、会社で勉強をしに行っていただくコストの負担をしたり、長時間デスクに座っているエンジニア、クリエイターの方にはお好みの座り心地のいい椅子を個別に全部選んで差し上げたり、朝とか夜は勉強できるように、会議室を図書室に改造して、専門書を集めて、「GMO Library」ということでみなさんにお使いいただいている。
また「GMO Siesta」という名前でお昼寝をグループで推奨していまして。12時から13時半までの間は会議室で誰でも自由に昼寝ができるように、アイマスク、あとアロマを焚いたり、耳栓を置いたり、そういうかたちで午後の生産性を上げていただけるような仕組みを持っていたり。
さらにカフェがございまして、そこは24時間動いていて、すべてフリーで無料でみなさんにカフェをご利用いただいたり、社食をご利用いただいたり。あと金曜日の夜は、アルコールを渋谷のどのバーよりも品揃え豊富で、全部フリーでみなさまにお楽しみいただいたり。
年に6〜7回、浴衣祭りというお祭りをやったり。あとは桜農家さんから木を買ってきて、花見を社内でやっています。ボジョレーヌーボーの解禁日には、GMOブランドのワインをフランスから輸入して、みなさんでお楽しみいただいたり。
さまざまなエンジニアさん、クリエイターさん向きのコミュニケーションが取れる、あるいは向上できる仕組みを企業文化として持っています。詳しくはWebサイトを見ていただければと思います。
ということで、この渋谷という地域、ITベンチャーを目指すなら、あとエンジニアさんを目指すためには最適な地であることは私が保証させていただきます。そして、ぜひGMOをみなさんオフィスとして、あるいはチャレンジする先として、ご検討いただけたらと願っています。以上です。
馮:熊谷さんどうもありがとうございます。お話の中で、どんどん渋谷に人が集まってくるということは、企業間同士でまた交流が増えるということで、切磋琢磨できて、さらに価値を生み出していけるんじゃないかと思っております。
馮:もうお時間があっという間に、最後のテーマになりまして。最後、「世界的技術拠点としてのこれからの“渋谷”」ということで、今日参加いただいているエンジニアのみなさまに向けてお三方からメッセージをいただきたいのですが。
その前に、このイベントを賛同してくださったもう1社、ミクシィの会長の笠原さんからもビデオメッセージをいただいているので、まずそちらをみなさんにご覧いただきたいなと思っております。スタッフの方、ビデオをお願いいたします。
(映像が流れる)
笠原健治氏(以下、笠原):こんにちは。ミクシィの笠原です。自分は学生の頃起業して、以来20年間ずっと渋谷にオフィスを構えています。その間、本当にサービスづくりを一貫して夢中になってやってきたなと思っていまして。
そのサービスづくりというのがすごく楽しくてですね。なにかこれをやろうと思いついた瞬間とか、「これがいけるんじゃないか」「これがあたるんじゃないか」「これはおもしろいんじゃないか」とか、そういったことを思いついた瞬間というのがすごく楽しいんです。
最初はただの一つのアイデアなんですけれども、エンジニアのチーム、デザイナーのチームといった各チームと組んで、それをああだこうだ言いながら作っていく、それもまた楽しいですし。
あと、リリースしたあと、最初はやっぱりどんなサービスもうまくいかない瞬間というのがあるんですけど、そこが徐々にユーザーの人たちにフィットしていく中で、だんだんボールにバットが当たって飛び始める瞬間というのがあって。
そこではじめて自分たちのビジョンとか仮説があたったということが検証される瞬間なんですけれども、その瞬間は本当に一番快感値が高くて、そこがやみつきになって続けているのかなと思っています。
あるいは、街角で、自分たちが作ったサービスをユーザーのみなさんが楽しそうに使っている姿を見るというのもすごく楽しいですし、ぜひそういうサービスづくりに関わる人たちがもっと増えればいいなと思います。自分自身も、今後もその楽しさを味わっていくことができればいいなと思っています。
笠原:そういう意味では、自分は今「家族アルバム みてね」というサービスだったり、もうひとつ新しい新規事業を準備しているんですけれども。「みてね」は、今国内で300万人の方に使っていただいている家族のコミュニケーションサービスです。
北米でも今ちょうど当たり始めているかなという時期だったりしまして、今日もイベントがあったりするので参加することができなかったんですけれども。
一方で、北米でやっていると、例えばGoogle、Apple、Facebook、Amazonというパワーを感じることが多いんですね。彼らは技術力がとても高いですし、ましてや研究開発力は圧倒的に高いです。
あるいは、自国のサービスでもあるので、ユーザーからの信頼感やブランド力や安心感が圧倒的に高くて、時に絶望しそうになることもあるんですけれども、一方で、毎年スタートアップが大きな会社に現地でも成長していっていたりするので、何かしら自分たちにも可能性があるんじゃないかなと。
家族向けだったり、子どもに特化することだったり、もしくは日本人らしい感性とか、おもてなしの心を持つことによって、なんとか勝ち抜いていけるんじゃないかという思いでやっています。
まず、それを成功させて、その知見を業界にも還元していければなと思っていますし、一方で日本における技術力というのはまだまだ高まっていく必要があるなと思っていまして、このビットバレーの潮流も含めて、ぜひみなさんのパワーでその新しい未来を切り拓いていく、そういう原動力になっていけばいいなと思っています。
(映像終わり)
馮:はい、笠原さんからのメッセージでした。今、「みてね」というサービスを取り組まれているということで、またどういうかたちになっていくのか楽しみですね。
南場:はい。そうですね、ここにいらっしゃる方はおそらく私より若い人が多いのかなと。押し付けがましいかもしれないですけれども、私自身、「自分にとって幸せってなにかな?」って考える時間がありました。
要素としては自分にとって2つあります。1つは、誰かの役に立っているという実感。それからもう1つは、夢中になっているという状態。この2つが私をすごく幸せにする要素だなと思いました。
それぞれみんな価値観は違うから、ここにいるすべての人が同じように感じるかはわからないけれども、やっぱり精一杯なにかに夢中になって、できあがったものがユーザーさんに、お客様に喜んでもらえる。だから、ビジネスってたまらないなと思います。
「エンジニアに向けて期待すること」と書かれていますが、エンジニアであろうがなんであろうが、みんな一緒です。基本的には、使う人にとってのすばらしい体験を作る。それを夢中になって試行錯誤する。それはすごく楽しいんじゃないかなと思います。
例えば我が社の「Anyca」というサービスを知ってますか? カーシェアリングのサービスなのですが、あれを提案したのは新卒3年目のエンジニアと、それからビジネスキャリアの新卒3年目のコンビでした。
私は自分の車が大好きで「自分の愛車をシェアリングするなんてありえない」ということで、経営会議で「絶対ありえない。じゃあね」と却下しました。そしたら3回も4回も食い下がってきて、彼らの情熱に負け、最後は認めざるをえなかった。
その2人の若者がそのあとAnycaをかたちにするために夢中になってがんばったんですね。そして世の中に出した。それはまだ我が国において何百万人も使うようなサービスにはなっていません。だけど、その2人の幸せそうだったこと。
そして新卒説明会なんかでも「うちのサービス、なに使っていますか?」とたずねると、Anycaを使っている人はかなり多いんですね。例の2人は私に対しては勝ち誇ったような顔をしてね。
一例にすぎませんが、明らかに喜びを届けています。世の中に役に立つものを作っている、それを夢中になってやっている。それはエンジニアであろうが、クリエイターであろうが、あるいは特許の面でサポートしている人であろうが、ビジネスリーダーであろうが、企画マンであろうが、みんな一緒だと思います。
どうか、持ち物であるとかブランドであるとかステータスではなく、夢中を求めてほしいなと。それはめっちゃくちゃ幸せなこと。そして、夢中になった成果として、誰かに喜んでもらえるようなものが作れたならば、それは必ず次のステップにつながっていく。そんなふうに思います。
馮:はい。南場さんありがとうございました。
馮:じゃあ続いて藤田さんお願いします。
藤田:僕は24歳で会社を創業して、今は45歳なんですけど。これは確信をもって感じているのですが、仕事の楽しさは、ホーム感が非常に大事だと思っています。
エンジニアといっても、学生時代を振り返ると、たぶんゼミや研究室で同世代だけで一生懸命なにかやってたときには、時間を忘れて夢中になれたと思うんですけど、社会に出てアウェイ感があるとやたら時間が長くかかったり。
つまり、ちょっと事例がいまいちなんですけど、例えば僕の歳で銀座の高級クラブに行くとすごいアウェイ感があるんですね。ところがやっぱり六本木や西麻布のほうはなんとなく気が張っていないというか。
ゴルフ場でも名門クラブに行くと、ものすごいアウェイ感があるんですけど、起業家の若い人たちが作ったイーグルポイントだと気軽に打てたりとか。
要は、謎の権威や習慣や理不尽な上下関係は、企業社会では、とくに大きな会社だと残っていますのが、そんなところに比べて、やっぱり渋谷というのは、今ビットバレーと言っていますように、エンジニアのみなさんにとってホームであると思います。
さっき笠原さんのVTRの中でも「楽しい、楽しい」という言葉がたくさん出てきましたけど、やっぱり自分たちで作って考えたアイデア、そしてかたちにしていくもの。それをかたちにできたとき、その過程で楽しいと感じるのは、謎の習慣、風習や権威などが解き放たれたときだと思いますので、そういう意味では渋谷にいるのは、エンジニアのみなさんにとっては圧倒的ホームだということですね。
世界に誇れるようなものを生み出せるように一緒にがんばっていきたいと思っております。
馮:ありがとうございました。
馮:では最後、熊谷さんのほうからお願いいたします。
熊谷:人にはみんな、85歳くらいの寿命があるんですよね。人間に寿命があるかぎり、この時間だって、時間というのは命そのものなわけです。みなさんが何に大切な一度きりの命を捧げるのか、時間を捧げるのか、まずそれを確認してみることが大事で。
それがやっぱりエンジニアで楽しかった、ITベンチャーで楽しかったと思えるんだったら、ぜひこの渋谷の地でご活躍をいただけたら、本当にうれしく思います。
そして、2番目の話として、人にとって一度しかない時間である人生を、何と引き換えにするのかという話だと思います。1,000万円で人を殺してしまう人は、やりたくないことを1,000万でやっちゃう。人殺ししたい人なんて、そんないるわけじゃないからね。だから1,000万円の価値しかない人だと思うんです。やりたくないことをする金額がその人の価値だと、僕は常々思うので。
そういう意味では、みんな、自分の人生を何と換えるのか。お金と引き換えちゃうのか? そうすると、心動くお金がみなさんの金額なんだけど、僕は人生はそうじゃないと思います。お金は必要ですよね。潤滑油としてのお金。だけど、目的じゃなくて、お金って結果じゃないといけないと常々思っています。
やっぱり自分の限られた命、時間を引き換えるんだったら、多くの方の笑顔と引き換えたほうがいいと思います。自らが作ったもの、自らが活躍したもので、たくさんの方が喜ぶようになる。そういう人生を歩めるのが本当に幸せなんじゃないかなって、このインターネットと巡り合ってから、自分自身で自問自答して、今やブレない信念になっています。
この渋谷という多様性のある地で、ITベンチャーが集積しているところで、たくさんの方の笑顔のために自分の命を捧げる。そういう人生が僕自身は今までよかったし、今後もこれが正しいんだろうなと思っているんです。
(エンジニアの)みなさんは、モノを作る技術を持っています。機械語がわかるから。これはすばらしいことで、変な話だけど、英語や中国語などはマストだけれども、でも、Google先生がリアルタイムに翻訳してくれるときがね、もう目の前に来ているわけですよ。これもテクノロジーによって支えられているんですけど。
むしろ英語や中国語を真剣に勉強するより、僕は機械語をみなさんのように勉強して、世の中を笑顔で満ち溢れる世界に変えていくことに、モチベーションを感じているみなさんがすばらしいと思う。僕はエンジニア出身ではないので、そういう意味で僕も生まれ変わったらみなさんのように機械語を勉強したいなと本気で思っています。
ということで、人生は限りあるので、それを何に捧げるのかということを考える。今の道が正しいと思うんだったら、ぜひこの渋谷の地でお勤めされたり起業されたりして、ご一緒に盛り上げていきましょう。
人は自分の命を何と引き換えにするのか。この渋谷の地で多くの方に喜んでいただけるサービスを提供し開発し、笑顔あふれる世界に変えていくことで自らの存在意義を確認する。そんなことが大切じゃないかなと思いました。みなさんに期待しています。
馮:熊谷さん、どうもありがとうございました。最後、お三方から非常に熱いメッセージをいただきました。ぜひこの話を聞いた参加者の中から、今後このイベントが2回目3回目と続いていくなかで、壇上に上がってくれる人が1人でも出てきたらうれしいなと思っております。
最後、あらためまして、お三方に大きな拍手をお願いいたします。
(会場拍手)
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