2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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小野裕史氏(以下、小野):それぞれ、ビッグベンチャーということなんですけれども、すでに色々と大きな会社をつくったり、もしくはそれを売ったりしてきたりしているんですけれど、木村さんは今までまず2社会社を売却しているわけですよね? トータル全部でいくらになったんですかね? ざっくり。
木村新司氏(以下、木村):30億くらいですかね。
小野:30億。今のグノシーいくらくらい集めたんでしたっけ?
木村:トータル1年で30億集めましたね。
小野:イグジットのほうはいくらくらいだったんですか。トータル。
木村:10億ぐらい。
小野:合わせて60億ぐらい?
木村:個人で言うと10億くらいですね。
小野:池谷さんはスマートエデュケーションどのくらいお金集めたんでしたっけ?
池谷大吾氏(以下、池谷):10億円。
小野:吉田さんはどのくらい集めたんでしたっけ?
吉田浩一郎氏(以下、吉田):今14億円越えくらいですね。
小野:次に、期待する前田さん、どのくらいでポケラボ、グリーに売ったんでしたっけ?
前田悠太氏(以下、前田):売却の金額は138億円。
小野:全部足し合わせると200億円くらいいっちゃうわけですね、この4名。こう聞くと「ちょっとこの人たち違うんじゃないか」と思いがちなんですが、何度も言うんですけれども、数年前に皆さんと同じような立場だった可能性もあります。
それよりは若干おっさんになっているような人たちもいるんですけれども、昔からすごいお金儲けたりだとか、すごい会社をつくる人じゃなかったはずだと思うので、学生時代、学生じゃなかったころも含めてでいいんですけれども、自分がどんな学生だったか、どんだけ大したことなかったかっていうだめエピソードとともに過去を振り返っていただければと思います。
吉田さんはたくさん持ってると思うので(笑)、木村さんからちょっといきましょうか。
木村:僕は本当にビジネスの世界とはかけ離れていたと思いますね。大学ではテニスサークルとか入りたくなくて、自分でサークルつくって……ビリヤードのサークルつくってたんですけれども。
小野:物理の研究でとかではなく?
木村:そうですね。それでインカレで楽しい思い出をつくろうと思ってやっていたんですけれど、それとは別に自分でプログラミングをやって、オークションのシステム作ったりとかはしていました。
ただビジネスのこと全然わからなくて、今でも覚えているんですけれど、就職をしようと思って就職活動でどこかの信託銀行の面接かなんかに行ったんです。
そこで「何したいの?」と言われて投資銀行業務をやりたいんですと言っていたくらい、株も債券もわからなければ、そもそもビジネスってなんなのかわからないっていう。うちの親って両方とも教師だったので、ビジネスの世界と全く別のところで生きていまして。
そこからドリームインキュベータに入って、その中でMBA的な内容を学んで少しずつ力をつけて、なんだかんだ言って13年とか14年くらいやっているので、学生のときから結構時間かかったなと思いますけれども。とはいえゼロからでも僕がやってることくらいだったら全然できますよ、とは思いますね。
小野:今投資の世界で自分で起業もやっているけれども、まったくとんちんかんな質問しかしない学生からスタートだったわけですね。
小野:続いて池谷さんどんな学生だったんですか?
池谷:ものすごい普通な学生でしたね。さっきの通り学校の勉強も面白くなく、バイトとかをメインに頑張っていたり、サークルとかはつくっていましたね。明治大学のサークルっていうとあんまり評判良くないと思うんですけれども。
小野:明治大学なんですね(笑)。いろいろと昏睡事件が起きましたけれども。
池谷:1回今日は触れておいたほうがいいかもしれないですけど、いわゆるスキー・テニスサークルみたいなのは自分で立ち上げて、相当な人数を集めたりとかはしていましたよね。ただ行き当たりばったりというか、そのとき与えられたものはちゃんとやるっていう感じだったのですかね。今こうなるとは全く予想していなかったですけどね。
小野:じゃあ続きまして前田さんは学生時代どんな?
前田:そうですね、本当に凡庸でしたし、何も考えてなかったですね。東京出てきたのもたまたまというか。岐阜の田舎出身なんですけれど、バンドずっとやっていたんですね。東京でバンドやったら格好いいと思って東京に来てるんです。みたいなところですし、全然とんちんかんで何もやってなかったなと。
でも来て半年ぐらいでその夢がソッコー破れて、キックボクシングを高校の時からずっとやっていてので、そこからキックボクシングに集中しました。キックボクシングしかやらない期間が大学4年間くらいあって、プロだったんですが、それをやっていました。学生かキックボクサーかといったら、どっちかというとキックボクサーみたいなそんな感じでした。
前田:日本一になりたいとそこで初めて目標をもってやって、なれなくて、やめて、宙ぶらりんになって、商売したいなと思って……。いろいろと見回した時に、当時技術と経営の間みたいな講義があって、それに興味を持って弁理士っていう資格を知って。
弁理士面白いなと思って弁理士の資格の勉強を1年半くらいして資格をとったんです。その周りにいた弁理士の勉強をやっている人たちを囲って、特許事務所とか法律事務所から仕事をもらってきて、特許明細書の下書きをさせるという仕事をして結構荒稼ぎしていたんです。これが面白くて2年くらいやっていました。
その全体の中で2つあってですね、1個は思い立ってすぐやるとか、バンドやりたいから東京行くとか、キックやったり。で、強い自分を鼓舞したいから「日本一やってみる」みたいなこととか、あとは儲かりそうなところ、別に色んなものを検証したわけじゃないですけれども、その時ぴんときたものを、すっと勉強始めてみて、すっと仲間を集めてみて、すっと事務所とかに飛び入りで行ってみて仕事をもらってみてとか。あんまり考えずにすぐ動くというか、ノータイムポチリですね。
それは自分の身に染み付いていて、今も多分変わらないスタンスだっていうことと、あとはキックやっていて、体調管理がめちゃめちゃ厳しいんですね、当たり前ですけど。何食うとか、どう体調コンディション整えるかっていうのがすごい細かくて、今それもすごい役に立っています。
海外のエグゼクティブとか本当そうですけれども、要はタフが重要なんですよね。私ももうこの3、4年多分1回も風邪ひいていないですし仕事休んだこともないですね。みたいなこととかも、細かい自分の体調コンディションの整え方が染み付いているっていうのが大きいかなと思ったりします。最後いい話ですけれど(笑)。
小野:いい話でずっと来ちゃいましたけれども、きっちり吉田さんが落としてくれるというのを期待しながらですね、吉田さん、学生時代も含めていろんな失敗体験をお持ちだと思うので、そのあたりをですね、順番に……どこからいきましょうかね?
吉田:私はそういう意味では本当に勉強からずっと逃げてた人生ですので、中学高校っていうのは六甲高校という進学校に行っていたんですけれども、200人のうちの下から10番を6年間外したことがないんですね。この6年間っていうのは暗黒時代ですよね。学校っていう社会から否定され続けているというか。
何をやったかというと、勉強以外で興味を持っていること。例えばボーリングを死ぬほどやって241まで出たんですよ(笑)。結構これすごくないですか? でもところが、プロはそんなの余裕でいつも出し続けているうえで戦うわけですね。
ビリヤードとかもハスラーを目指そうと言って、1回死ぬほどやったんですけれども、ビリヤードもボーラードというので240くらいは軽く出さないとプロになれないんです。全然難易度が違ったんですよ。
次に漫画描いてコミケ出したんです。中学高校の時に何回か。漫画も何回描いてもあんまり褒めてくれないですね。これもだめで大学入って劇団やって、カメラやって、映画撮って、体も動かしたいっていうのでサーフィンやって、富士山の山頂まで富士登山マラソンをやったりとか。あとは雪山にスノボ担いで行ったりとかしたんですけど、全部やっぱり向いてないですね(笑)。
小野:やってみてわかるんですね。
吉田:とにかくやってみたんです。トライする勇気はあって、台風の日に常にサーフィンやっていたんです。今だと本当、禁止されているレベルですよね。2回くらい「もう戻れない、俺は死ぬんじゃないか」ということがやっぱりあったりとか。そういうことの中で興味あることを常にやったから。それってベンチャーも一緒で、PDCAを早く回して、さっさと失敗したほうがいいですね。
吉田:あとプログラミングもやりましたね。MSXっていうプログラミングもやって、それも向いていないんです。飽きちゃって。でもクリエイターへの憧れはすごいあって、宮崎駿さんの作品を死ぬほど見て、『風の谷のナウシカ』のセリフは最初から最後まで全部言える、みたいなくらいまでずっと見て。
だからインターネットに入ってきて、そうするとインターネット業界のクリエイターってエンジニアなんですよ。私ドリコムで楽しかったのは、ドリコムのエンジニアという人たちを自分が世に届けることができるということ。
ジブリでいうなら宮崎駿監督にはなれないけれど、プロデューサーの鈴木敏夫さんのような役目は果たせる、ということがすごいわかって。
本当に自分のやりたいことと向いてることって、実は違っているので、やりたいことを死ぬほどやると、自然に消去法なのか、当たるのかわからないですけれども、向いていることがわかるみたいな。そういうのは学生時代にあれだけ、思い残すことがないくらい適当に色んなことやったわけですよね。あれはすごい良かったなって思っていますね。
小野:会社も経営やってみて、すぐうまくいったわけではないですよね。
吉田:そっちの話ですか(笑)。
小野:だめだめだったこともありながら、どういうきっかけで起業になってきたかという話に振っていきたいのですけれど。いろいろ向いていないことをやってみて、経営は最初から向いていたのですか?
吉田:そうですね。そういう意味では新卒で入ったときに、もう劇団で失敗して、200万借金背負った段階で、「俺は敗北者だ、ここからは人に言われたことをやろう」と決めたんです。
人から向いているって言われることをやろうと。その段階ですでに「お前多分営業に向いている」と言われたんですよ。
吉田:パイオニアに入ったら営業で滅茶苦茶結果出て、1年目に関東2位で2年目に関東1位獲れたんです。で、あれ? みたいな。人生鬱屈しているわけですよね、中高下から5%みたいなところ外したことなくて、人に認められたことなくて。カメラ撮っても展覧会で誰も褒めてくれないみたいな中で初めて人に褒められた。これは面白いっていう感じで。
ただ、なんでしょう、すごくね……仲間のことをね、感謝していなくて色々周囲に迷惑をかけたこともあったと思っています。
そのパイオニアの時に、「俺はもっとやってやる」って出ていくときに、パイオニアの上司に「お前な、個人としては優秀だというのは多分そうだろう、ただやっぱり仕事っていうのは周りの人たちがいてできるものだから、この言葉だけは覚えておいてくれ」みたいなことを言われて。
次外資に入って、そこでも半年で1億ぐらい新規事業を勝手につくって利益を出したんです。会社の中のリソースをほぼ使わずに、サービスだけ使って1億。それで昇進して事業立ち上げまでやって。
でもその時に1番初めのぶつかりがあって、まず昇進レースに負けたんです。やっぱり内部のプロパーの新卒組がすごい愛されてて。中途ですごい俺結果出してるんだっていう形だったんですけど、やっぱり人を尊重することができてなかったんですよね。
例えば日本の大企業って、事務の人は営業サポートするものと、ちょっと下に見て苦手なこと全部押し付けるっていうのがまかり通っていたんですけれども、外資に入ったらイコールパートナー、全員が尊重し合う関係で。そういう中で、そこで初めて事務の人たち全員にボイコットされて、「吉田さんの仕事はしたくないです」と言われたんです。
俺の中ではすごいショックで、「俺が1番売上あげてるし、利益もあげてるじゃないか」という感じのことを思ったんですけれども、そこから2ヶ月間事務なし、すべての事務を1人でやらされたんです。
さらに「お前はマネージャーに向いてない」ということで昇進も止められたんですけれど、自分の中では、演劇を失敗して俺は丁稚奉公をしている、営業でマネージャーでどんどん成りあがってやるみたいなことを思っていたので、何度も何度もそこでチャレンジをして、ついに新規事業を立ち上げさせてもらえたんです。
吉田:それで新規事業立ち上げたときに、次会社だなと思って。ただ会社の立ち上げが一切わからなかったんです。29歳までベンチャーというものに興味を持たなかったので。
じゃあベンチャーがいるところはと考えたのが、大前研一さんのアタッカーズ・ビジネススクールみたいなのがあるんだって。ああいうような学校ですね。そこに30万払って入って、とかケンコーコムの後藤さんとか孫泰蔵さんとかにお会いさせてもらって。今日のこんな感じですよね。そこで刺激を受けてITベンチャーにいこうと。
そこから、グリーがまだソーシャルネットワーキングだったころでブログも書いていたので、そこで営業の達人ブログっていうのを書いていて……。しかもあの時、結構笑えることに「営業の達人」っていう名刺も作っていたんですよね。だって誰も認めてくれないんだからしょうがないじゃないですか(笑)。なので僕は営業の達人ですと。
これもさっきのZOOEEとクラウドワークスの話で、自分にラベルを付けるとコミュニケーションが早いんです。私はこういうポジションの企業家で、こういうふうなことをやっていますということを名刺に端的に書いてあるとか、僕は何も無いのですけれど、こういうような思いでチャレンジしていますとか。
だから「営業の達人です」と言って、会う確率が早まったんです。それに引く人はどんどん引くんですけれど、企業家は「面白いね、面白いね」となるわけですよ。こいつそこまで攻めるんだと。
で、その営業の達人の名刺をドリコムの内藤さんに渡したら、内藤さんが「僕、営業の達人探してたんです」って言われたんです。「うちの会社エンジニアしかいないんで、今本当に上場目指していて、営業の達人探していたので、次ちょっと1回話しませんか」となって、2回目に会ってドリコムに入社を決めて、ドリコムの1番目の営業担当役員として入って。そこから死ぬ気で、1ヶ月に4回くらいしか家に帰れず床で寝て。
でも取り引きの仕方とかわからないんですよ。取引先の1社から半年間くらい毎日電話がかかってきて脅されて。「お前の家特定した」とか、あるいは呼び出されてオフィスに行ったら、「お前今日帰れると思っているのか」とか、めちゃくちゃな中でいろんなことを経ながら株式上場しました。
吉田:やっぱりでも、あの時……多分内藤さんもこれはもうざっくばらんに認めていると思うのですけど、あの時、全員学生ベンチャーで上場以降が見えてなかったんですね。上場後のビジョンが無かったんです。
そこからやっぱりすべてのフルコース。下方修正、赤字決算、リストラ、新卒内定取り消しっていうのを全部浴びたわけです。自分が採用した新卒の人たちを断らないといけないですよね。あれは結構辛くて、かかってきても出れないですよね、電話に。
その時の思いがあるので、今はやっぱり雇用をしっかりしようということで、みんなで話し合って役員6人が全員OK出さないと採用しないので、今25人しかいないですね。14億調達して、3万社もいるのに25人しかいないから1人1000社くらい持つ計算になるんですけれども、すごい気持ち良く仕事ができている。
それも、内藤さんがそこで逃げずにそこでもう1回自分の資産を投資して、あれだけ続けているからこそドリコムも今ああいう状況になっていて。やっぱり私も内藤さんのおかげでチャンスをもらったし、内藤さんが今踏ん張ってやり続けているっていうことは自分の中ですごい誇り。いい人についたなっていう感じですね。だいぶ長いですね(笑)。
小野:いや、いい話だった。いかにだめだめで、何をやってもだめだったのが、どう変わって来たのか。すごい有難いストーリーでした。
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