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貯金残高30万円、突然の重病… 幾多の苦境を乗り越えた、ドリコム内藤氏の復活劇

2017年12月13日に行われた「IVS 2017 Fall」のセッション「IVS DOJO」で、ドリコム代表取締役社長の内藤裕紀氏が登壇し「会社のGoing Concern、人生のGoing Concern」というテーマで講演を行いました。27歳で上場を果たし、すべてを手に入れた…かのように思えた内藤氏が、経営不振から自身の病気などを振り返り、創業者に必要な要素を語りました。

上場を目指したのは「おもしろいらしい」と思ったから

内藤裕紀氏(以下、内藤):冒頭に小野(裕史)さんが「プレゼンするメリットはなにもない」とお話ししていましたが、正直まったくありません(笑)。それどころかレピュテーションリスクしかない内容になっているんですが、本日は若手の起業家向けに準備しましたのでお楽しみください。

「会社のGoing Concern、人生のGoing Concern」ということで、みなさんよく知っていると思いますが、「倒産せずに」ということです。これは会社だけじゃなく人生でも大事だというお話をしていきたいなと思います。

まず、ひさしぶりにIVS来たんですけれども。「IVSと僕」でお話しすると、実は2004年に「NILS」というIVSの前身のイベントが行われました。第1回目ですね。大人の事情によって名前が変わったんですけれども。この第1回目、僕はまだ学生の時に1時間ぐらい講演させていただいたところからがIVSとのお付き合いになっています。

当時は50~60人くらいのすごく小さいイベントでした。メインイベントとしてはお歴々の方々がいろんな話をするんですけれども、今みたいに終わったら夜の街にくり出すみたいな会じゃなくて、みんなで比較的懇親をしていくようなカタチになっていました。

夜、みなさんとお話ししていると「内藤君は上場しないの?」と質問をされるわけですね。お歴々の方々に。正直、僕は「上場」ということを知らなくて。当時はもう、本当にそんなくらいなんですよ。まだまだ学生だったんです。

「上場ってなんですかね?」「会社はやっぱり上場してはじめて会社だよ」みたいなお話をいただいたので、「そうか、上場したらおもしろいのかもしれない」と思いまして。東京に帰って役員を集めて「上場おもしろいらしいから、上場してみよう」という話になったのが僕がIPOをしたきかっけです。

上場するということは会社を永続的に運営しなきゃいけませんので、ここから僕たちの会社のGoing Concernが始まっていくわけですね。

そこで僕の知名度が上がったこともありまして、学生の時に10億円ぐらいの買収の話をいただくんですけれども。今だともうあまりめずらしくないと思うんですが、当時はなかなかないぐらいのレベルだと思うんです。一晩考えて、「10億円が入ってもあまりおもしろくないな」と思いまして、翌日お断りしました。

27歳で始まった、人生のGoing Concern

その1年後、会社としては1年とちょうど2ヶ月後ぐらいですかね。当時としてはすごい短い期間で上場までいくというかたちになりました。業界的にも僕たちの上場申請はウェルカムな雰囲気でした。すごく迎えていただいたんです。

しかしその10日後、2006年1月16日ですね、とある事件が起こるわけですね。ライブドアショックです。堀江(貴文)さんに勧められて上場申請までいったんですけど。堀江さんが逮捕されて上場が危うくなるということが起きました。

当時……たぶん知らない方もいっぱいいらっしゃいますが、連日報道が続く状況でした。僕たちもライブドアショック後の最初のインターネット案件だったので、上場取りやめにしようかみたいなところまでになっていました。「人生はなにが起こるかわからない」とこの時すごく感じましたね。

ただ、ここからなんとか1ヶ月間の中でいろんな交渉をし、2月6日、上場申請の1カ月後ですね、上場して時価総額が1,200億円だったんですね。

(会場笑)

これですね、当時の決算を見たんですけれども。これしかないんですよ。まずいなと。もうそんな状況に私、27歳のときにここにいたるわけですね。

(会場笑)

あと、今ではあまりないんですけれども、当時は株価が上がりすぎていると、証券会社が株を売ったほうがいいというアドバイスをしてくるわけですね。売るつもりなかったんですけれども、しょうがないから売ってちょっとあぶく銭が入ってくるわけですよ。

正直、自分の手元にお金が入ってくると思ってなかった。でも「あぶく銭だからもう使っちゃおうかな」と。

(会場笑)

なので、いろいろと洋服を買ってみたりなんかするんです。でも、その時気づくんですね。「あれ、あまり物欲ないな」と。別に貴金属もあまり興味ないし、いまだに免許もないので車も乗らない。いろいろ使ってみて物欲ないことに気づく。

当時は若かったこともありますけど、ライブドアショックのおかげで逆にいろいろなメディアが取材に来るわけですね。毎日テレビから雑誌から来て、密着報道とかはじまったり、企業の広告に出たりしていると、なんか急にすごくモテ始めるんですね。

すごく目立ち始めてお金があって……みたいなことになっていくと、なにが起こるか。普通は「40歳になったらここまでいきたい」「なにがほしい」と人生においていろいろな目標があって、それを一つひとつ叶えていくんですけど、27歳でほとんど全部叶っちゃうわけですよね。

逆にここから40年、50年、なにをモチベーションに生きていくかという意味では、人生で燃えるものがここからはじまるわけですよ。なんのためにがんばっていくのか。ここから人生のGoing Concern。

上場1年後、会社が「沈みゆく泥舟」になる

ただ、ものごとはそんなうまく続かなくて、1年後に会社が赤字になるんですね。なぜかというと、時価総額が非常に思った以上に高くなってしまったので、バタバタしてしまった。そして焦って「そこに合わせなきゃいけない」ということで、どんどん新規事業や投資をしていくわけです。

そうするとやっぱり投資した金額がどんどんコストとして先行していきます。それによって赤字に転落する。

あと、ブログの事業からモバイルの事業へ展開しようということで、1社を買収するんです。2億円ぐらいの売上の会社が10数億円ぐらいで買収をするんですね。その時に本当は株式市場からお金を調達をして買収しようとしていたんですけれども、赤字になって株価が下がっているので市場から調達がしにくいとうことで、借り入れを行うんですね。

ただ、銀行でお金借りたことある人わかると思うんですけど、2期連続赤字になると「返せ」とか言うわけですよ。いや、本当に。でもその時点で1期すでに赤字なんですね。なので、ここから1年間の中で黒字にしていかないといけない状況になっていました。

一刻も早く、返済してくれという話が来るんですけど、すごいですねこれが。今はどうかわかりませんけど、会社にも僕個人にも来るわけですね。ただ、さっきのようにあぶく銭だと思っていたので、今けっこう最近スタートアップにノールックで投資とかっていう、今でもありますけどけっこうノールックでファンドに投資してまして。

折しもリーマンショックの時期だったので、知らないもの、中身ぜんぜん見ないで投資したファンドとかが、知らない病院を買ってたり、知らないゴルフ場が買ったり。ゴルフもしないのに、いろいろなことになってましてぜんぜん手元にも数億円ぐらいしかお金なくなりました。

全従業員を集めて現状を全部ありのまま話すと同時に、再建の計画を発表することをやりました。ここから連日、朝行くと僕のスケジュール見ると、ずっと派遣さんとかの契約終了の面談が朝から晩まで入ってくるような日々が続きました。

「会社の大きな危機を救えるのは創業者しかいない」

まずは会社を黒字にしなきゃいけないので、僕個人で会社にエクイティとしてお金を入れる。あとは会社に貸付をする。それだけじゃ足りないので、もう会社のあらゆる経費的なもので合法的に問題がないものは全部僕が個人で払っていくことをバーってやっていくんですね。

なので、半年間で数億円かけて会社を立て直していくということをやりました。これちょっと(スライドが)小さいんですけれども、その次の2008年3月の決算でなんとか400万円の黒字。

(会場拍手)

ありがとうございます。ただ、そうなんですけれども、一方で、僕のBS(貸借対照表)はほどなくして残高が「おかしいな、20億ぐらいだったはずなのになあ」と思っていたのですが、30万円ぐらいになったというところまできました。

思ったのはですね、やはり会社の大きな危機を救えるのは創業者しかいないんですね。どういうことかというと、経済合理性の観点で見たら、沈む泥舟に誰も乗ろうとしないんです。

この時期に退職されて、上場企業の社長になった方もいらっしゃいます。あと、議員になって不倫された方もいます。しかし、僕としては「まあ、しょうがない」。沈む泥舟には誰も乗ろうとしないです。そうするとやはり創業者の会社への愛と、事業への情熱と経済力が会社を救っていくわけです。

スタートアップの若い経営者に言うんですけど、日本だと上場する前もした後も、あまり個人でキャッシュを得ることをよく思わないという風潮がすごくあります。しかし、僕は違うなと思っているんですね。創業者がある程度のお金を持っていないと、大危機になったときに救えない。だから僕はキャッシュをちゃんと持ったほうがいいよという話をよくしています。

それはやっぱり、会社がGoing Concernになるためには必要なことなんですね。

突然襲いかかった、ギランバレー症候群

立て直しは済んだんです。しかし、次の戦略成長が必要になります。2008年、Facebookのオープン化で「ここだ!」「次はここだな」と思いまして、投資をしていきました。守るだけでは会社はGoing Concernになれない、だから攻めていく。

その後は、みなさんのご存知の通り、ソーシャルゲームがばーっと伸び、会社として成長していくわけです。

ただ、やはり常にうまくいくわけではないですね。2011年6月、ギランバレー症候群という病気にかかります。あまり馴染みのない病気だと思います。神経の病気です。そのため、どんどん身体が動かなくなっていくんですね。

その症状は初期段階のものだったんですけれども、まず入院する2週間前に38度ぐらいの高熱がずっと出続けます。これは「平熱かな?」と思って、その後、普通に会食をしていたんですけど(笑)。

そして入院前日、株主総会がありました。そこで40度近く熱が出ます。ここで点滴を打ち、なんとか株主総会を終えた翌日、もう歩けなくなります。まったく立てない状況になり、救急車で運ばれ、その夜、呼吸困難になります。

症状が急速に進行していくんですね。このときに不意に訪れた会社と人生のGoing Concernということがございました。入院するときに「1年、2年会社には戻れません」というお話だったんです。なので、「戻るときにどうしようかな」といろいろと考えたんです。そうすると「やっぱり事業をやりたいな」と。

会社を選ぶ思いがすごく強くなって、今こうやって戻ってきているんです。人生、本当になにが起こるかわかりません。

創業者に必要なのは情熱・軍資金・健康な体

今は2017年12月で、会社も僕も元気で、病気もちゃんと治ったかたちになっています。そしてあのまた堀江さんに誘われました。「アイアンマンに出ようよ」ということで、今年8月にむちゃくちゃ長い距離を完走するくらい体が元気になっていました。

会社もブログで起業して、ソーシャルゲームで2度目の起業をして、今は「ブラウザゲームを再発明しよう」としています。発表していますけれど、バンダイナムコ社と提携をして、弊社だけでも2桁くらい突っ込んでいる。けっこうチャレンジをしている状況になっています。

会社がGoing Concernで、人生がGoing Concernであり続けるために大事なこと。まず創業者に必要なことは、飽くなき事業への情熱。これが大事ですね。さらに再起をはかれる軍資金。そして、健康な身体。

この3つを持って、人生なにが起きるか本当にわからないので、なにが起きようがすべてを楽しむことが非常に大事だと思います。ご清聴ありがとうございました。

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