2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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鶴田浩之氏(以下、鶴田):電脳隊の創業は何年なんですか?
村上臣氏(以下、村上):電脳隊の登記は96年の12月で、ちょうど96年の夏ぐらいからかな、なんとなく集まってサークルみたいになった。
鶴田:(参加者らを見ながら)電脳隊って知ってる方?
(会場挙手)
鶴田:おっ……。
村上:なかなかのマニアですね。ネットマニアですね。
鶴田:ネットマニアですね。ビットバレーを知ってる方?
(会場挙手)
おお。
鶴田:じゃあちょっと電脳隊について。
村上:そうですね。当時、いわゆるベンチャーブームが日本であった時に、ビットバレーというブームがあったんです。今、いろんな有名なベンチャーありますけど、その社長はその時の人が多いです。それこそGMOだとか、サイバーエージェントだとか、もしくはメルカリにいる山田進太郎さんとか。もう全部そのへんから生まれたようなものです。
我々はその一員で、「電脳隊」という会社があって、受託をやっていた。途中からモバイル……当時はWAPと言っていましたけど、今のKDDIさんです。auさんのガラケーのEZwebというサービス、あれの裏方でいろいろ作っていたのが我々の会社だった。
なので、一時期はKDDIの子会社だと勘違いされていました。けれども、ぜんぜんそんなことはなくて。単純にたまたま出会いがあって、人より先にアメリカで始まったWAPのテクノロジーを身につけて、お手伝いをしていたんです。
それで、モバイルベンチャーという認知をされて、最終的にはヤフーにバイアウトして、前ヤフーに入る。今のヤフーCOOの副社長は、その当時の電脳隊の社長です。
鶴田:川邊さんですね。
村上:はい。川邊健太郎。
鶴田:この本にも出てきますね。
村上:何人かまだ電脳隊時代の人間が残っています。
鶴田:永田大輔さんは弊社の………。
村上:そうね。電脳隊から電通に行った。
鶴田:株主として出資いただいた。
村上:いろんなことをやって、いまはクリエイティブをやっているよね。
鶴田:いわゆる、なんかこう、Paypalマフィアみたいな感じ。
村上:最近は「電脳隊マフィア」と言われたりしますけど。
鶴田:いや、でも、もう知っている人は少ないんじゃないかな。
村上:そうですね。当時、大企業へのバイアウトがめずらしかったんです。なので、電脳隊はそれでけっこう有名になった。ディール自体が、当時「IPOして一人前」という文化だったから。我々もだいぶ悩みましたけどね。バイアウトというのは。
やっぱりまずいろんなところから話が来た。それこそ外資も来た。当然、自分たちは、最終的にはPIMという会社に買われるけれども、それ自体4社のジョイベンだった。ジョイントベンチャー。もともと上場を目指して作った会社だから、「上場を目指したほうがいいんじゃないの?」とか。
ただ2000年ぐらいは、ちょうどITバブルが絶好調で、ちょっと傾いてきたぐらいなんです。99年にヤフーの株価が1株1億円みたいな時代があって、ニュースになった。ただ、ちょっと……。
鶴田:時価総額でいうと?
村上:時価総額でいうと、当時は大したことないんじゃない? たぶんまだ東証じゃなかっただろうから、JASDAQ。
鶴田:ソフトバンクがやばかった頃ですね。
村上:そうそう。ソフトバンクが本当にやばかったよね。
鶴田:30兆円でしたっけ?
村上:そうそう。なんか、負債、借金しまくって、キャッシュ・フローがやばいみたいな時代だったね。
鶴田:この時は何歳ですか? 20歳ぐらいですか?
村上:この時は、そうね、18歳から……。
鶴田:若い。18歳(笑)。
村上:大学卒業するまでだから、20、21じゃないですか。
鶴田:じゃあ大学時代は電脳隊時代みたいな感じ?
村上:そうそう。もう大学の時は、授業も出ずにひたすら受託をこなしてた感じです。
当時は、仕事が電脳隊だけじゃなかった。個人でもプログラミングの受託をいくつかお客さんを持っていた。そういう意味だと、いろんな仕事していたよね。アキバでバイトしながら、個人でコンサルと、あとはその開発受託と、電脳隊という4つぐらいやっていた。学校以外がけっこう忙しかった。
鶴田:最近の20歳前後が始めるスタートアップ企業に活を入れてほしいです。
村上:なんか、いろんな話を聞くけど、まずみんな、プレゼンがきれいすぎる。
鶴田:プレゼンがきれいすぎる?
村上:TechCrunchのせいかな。もしくはベンチャーイベントのせいかも。要はピッチコンテストで勝つためにどんどん最適化されてきたフレーズがいくつかあって、なんかスラスラと「こんなことありませんか?」「ねーよ!」みたいな感じだった(笑)。
(一同笑)
絶対、疑問形から始まりませんか?
鶴田:確かに。
村上:「こんなことありませんか?」。全員がそれなの。1日10人ぐらい話を聞く身にもなってみろ、と。全員疑問形から始まって、もう大変ですよ。
きれいに「社会的課題が……」「こういう課題……」とか言うけど、「本当か?」って思うんだよね。「心の底からそう言ってるのか?」と。実際に話すと、「いや、上場して儲けたいんです」と言う。だったら最初からそう言いなさいよ。そういう会社の作り方もあるんだぞと。
鶴田:はい。めちゃめちゃ参考になります(笑)。次はなんだろう? シリコンバレーですね。
村上:シリコンバレーね。当時、電脳隊でずっと受託をやっていました。そういう意味だと、日本相撲協会の最初のホームページは電脳隊が作ったんですよ。
鶴田:日本相撲協会?
村上:はい。知り合いの知り合いみたいにして。
でも、日本相撲協会ってすごいんですよ。今もそうですけど、新しいメディアに対する意識が昔からすごい。不思議ですよね? だって、大の大人が裸でやっているって、まあミステリーですよ。外国から見たら東洋の神秘じゃないですか。だから正しく伝えないとダメだという意識があると思うんです。立ち上げたのが96年ですよ。
鶴田:96年。
村上:当時、ひたすら力士の画像を切り抜いているデザイナーを見ていました(笑)。
鶴田:(笑)。
村上:僕はHTMLにはめ込みたくてしょうがないので、「まだ? まだ?」と。そうしたら「髷(まげ)が、髷がうまくできない。マスクが……」とか言っていた。
(会場笑)
「適当にやればいいじゃん。背景を黒にしたら潰れちゃうじゃん」みたいなことをやっていた記憶があります。
そうやって、ずっと受託をやっていたけど、めちゃめちゃ儲かったんです。儲かったけど、「やっぱり自分たちのサービスやりたいよね」と。要は人のサービスを作って、自分たちの名前も出ないし、「あれ、俺がやったんだよ」と言ってもそんなにうれしくなくなってきた。そうするとやっぱり自分たちのサービスを持ちたいと。でも、なにをやっていいかわからなかった。
本当に縁ってあるなと思うんですけど、我々、だいたいラーメンが大好きだった。事務所は恵比寿でしたが、今もある恵比寿ガーデンプレイスの近くに「ちょろり」という店があった。そこが社食みたいな感じですけど、毎日食うと飽きるんですよ。ラーメンなので。
たまには違う味ということで、そういうときは、だいたい原宿の「じゃんがらラーメン」に行くことになっていたんです。
ラーメンって、食べたくなるとラーメン脳になるじゃないですか。なので「今日もちょろりか……」って思うと「いや、今日はじゃんがらに行こう」と原宿に行く。
鶴田:共感してる人がそこにいる(笑)。
村上:その時は青臭い若者なので、「やっぱりインターネットでこんなことができたらいいよね」みたいな妄想を話し合う。その時に、じゃんがらラーメンに久々に行って、香ばしい、にんにくの匂いといい感じの匂いが……。
鶴田:記憶力がすごいですね(笑)。
村上:そうそう。やっぱり、匂いって記憶に残るよね。それで、「やっぱ、じゃんがらいいよね!」って言って、「この匂いが今インターネットで送れないよね」みたいな話になる。
鶴田:なるほど。
村上:Macのキーボードから匂いが立ち上ってもいいと思うんです。けれど、ジョブズでもそこはできなかった。
(会場笑)
鶴田:そうですね。
村上:ここに開いてる穴から蒸気が出てきてもおかしくないじゃないですか。だって21世紀ですよ。そのような与太話をしている時に、ちょうど隣に座っていたアメリカ人が、「お前ら、おもしろい話してるね」と入ってきた。jump inしてきたの。
鶴田:ラーメン屋で?
村上:ラーメン屋。じゃんがらラーメンです。
鶴田:(笑)。
村上:「なんか変な外国人が来たな」と思って、「いや、そう? そう思わない?」って言ったら、「いや、俺もそういう研究をしていて、今、東大の大学院で社会人として働いている」と言う。「いや、僕らまだ学生だけど、そういうベンチャーやっている」と話したら、「おお、日本にもそんなやつらがいるんだ」「俺のアメリカの友達もみんなそういうのやって、すごい世の中変えているぞ」と。
「お前らシリコンバレーって知ってるか?」「いや、知ってるけど」「行ったことあるか?」「行ったことない」って言ったら、「今すぐ行くべきだ」「俺が友達を紹介してやるから」と。「マジで?」と言って、その夏休みに、みんなで、紹介してもらった人を訪ねにシリコンバレーへ行ったんです。
当時、Apple本社に行って、Apple Storeでキャッキャしながら……あまり今とやっていることは変わらねえな(笑)。
(会場笑)
あとあれだ。Netscapeに行ったね。……この話に頷いている人はおっさんか。ブラウザの、もう当時輝いてた。なんせパッケージでブラウザ売っていたからね。 「Netscape 3 Gold」といって。
鶴田:その謎のアメリカ人は誰だったんですか?
村上:謎のアメリカ人はすごいお坊ちゃんで、スタンフォードとか、すごくいい大学を出ていた。その友達がけっこうすごい。彼に紹介してもらったマブダチが当時、auが採用することになったEZwebのテクノロジーを最初に作ったベンチャー企業だったんです。
鶴田:ああ、そういうつながりが。
村上:当時、アンワイヤード・プラネット社って言っていたけど、わかる人……難しいかな。ブラウザのユーザーエージェントで、auのガラケーって「UP.Browser/6.〇〇」とか、あれの「UP」というのは「Unwired Planet」の略なの。
だから、UP社のブラウザ……すっごい通じないね、これ。
鶴田:今もUPというのは残っている?
村上:残っている。今は紆余曲折あって、phone.comになったり、Openwaveになったりして。どこかに買われて、どこかの一部門だと思う。それを立ち上げて、 ちょうどAT&Tでサービスが始まるぐらいだった。当時は97年ぐらいかな。こんなバカでかいトランシーバーみたいな重いガラケー、ディスプレイでモノクロ3行のブラウザがのっていた。
本当にトランシーバーにしか見えないけど、すごいドヤ顔で「これが未来のインターネットだ」と。シリコンバレー風に、すごい超ドヤ顔なわけですよ。
うちらはガラケーで見ていたけど、「え、なにそれ? トランシーバー?」「違う。ノンノン」みたいな感じで「これはブラウザーが乗っているから、いつでもどこでもインターネットができるんだ」「なに言ってるんだろう? こいつ」と思ったけど、「なんかおもしろそうだな」と。
僕は無線が大好きな無線の子だったので、ちょっと興味を惹かれて聞いたら、一応ブラウザが乗っていて、ここに「http」を入れられる。「これHTMLなの?」って言ったら、「いや、違う違う」。ちょっと重いので、特殊なWAPというテクノロジーを開発して、記述言語もWML、HDMLと、違うものを使っている。
鶴田:HDML、久々に聞いた(笑)。
村上:そう、久々に。日本で最初にHDMLの解説本を書いたのは俺だから。
当時、HDMLの、WAPの赤本って呼ばれていたけど。今はもう廃盤になったけど、当時ガラケー版のホームページを作っていたエンジニアはみんな持っている。
鶴田:へえ。その時代からIT業界の人っていますか?
村上:いないだろうねえ。
鶴田:たまにいますもんね。
村上:たまにキャリアの中の人にいるんだよね(笑)。そういう出会いがあった。
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