
2025.02.06
ポンコツ期、孤独期、成果独り占め期を経て… サイボウズのプロマネが振り返る、マネージャーの成長の「4フェーズ」
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丹下大氏(以下、丹下):こんにちは。……目の前に知り合いがいると非常にしゃべりにくいんですけれども。僕の原体験をみなさんに共有しながら、なにかを感じ取ってもらえればと思います。
まず、会社の説明から。SHIFTという会社は、ソフトウェアの品質保証という仕事をしていまして、実は2010年から今の仕事をやっています。お客さまは800社ほど。この会場にいらっしゃるお客さまも非常に多いです。今は、2,013製品ぐらいの品質保証を手がけさせていただいております。
知らない方もいると思うんですけれども、基本的にエンタープライズ領域での基幹系システムが多いです。銀行さんとか証券さんとか。そういうものを多く手がけさせていただいております。
ソフトウェアの品質保証事業を始めてから4年後の、2014年にIPOさせていただきました。その頃はまだ、売上がだいたい20億円ぐらいですかね。それで今年、売上が約4倍になりまして、従業員が約1,500人ほどの会社になります。
マーケットが大きいので、とにかく「敵がいない」と豪語しながらやらせていただいているんですけれど。まだまだ道半ばなので、これからも会社を大きくしていかないとな、と思っております。
そんな僕が、なぜ起業しようと思ったのか。もしくは、どういう理念を持って会社を経営しているのか。ちょっと真面目な話を共有させていただければと思っています。
僕は広島県の片田舎で……人口が3,000人ぐらいの小さな町で、次男坊として生まれました。両親ともに公務員ですから、商売をしている人は家族には誰もいませんでした。
ある日突然、転機が訪れたんです。小学校4年生の時に、公務員の母親から「あんた、将来どうやって飯食っていくの?」と、いきなり晩ご飯の時に言われまして。いきなり言われたものですから、「もしかして、これからは母がご飯を作ってくれないのかな?」っていう強迫観念に打ちのめされました。
その時は広島だったので、とっさに「カープ。プロ野球選手になる!」と母親に言いました。それで、ただプロ野球選手を目指して野球をやっていたんですけれども、小学校6年生の時に市の大会で負けまして。
「1億2,000万人もいて、プロ野球選手って100人ぐらいしかいないから、100人のうちの1人に、僕はなれないな」と思って。母との約束を守ろうとは思ったんですけれども、ここでいわゆる……かっこいい言い方をするとピボットして、キャリアチェンジをさせていただきました。
その時に、母親が一番喜んでくれる職業はなんだろう? と思った時に「社長」が、たまたま頭に浮かびました。その小6の時の母親との約束を守ろうと思い、そこから僕は「社長になる」ということ以外の選択肢は、ありませんでした。
それで、もう1つの僕の中の原体験です。兄が本当に、僕の10倍……20倍ぐらい頭が良かったんです。(兄は)地元の中学校に行っていて、そこは広島県の中でも有数の学校でした。弟なので、僕も「当然受けますよね?」と言われて受けたんですが、中学校受験に失敗します。
「兄弟なのに、こんなに才能に差があるんだな」って、その時、非常に感じました。そこで「自分はどうやって生きていくんだろうな」と、小6の時に深く考えました。「この家を救う」「母親を幸せにしてあげられるのは自分しかいないな」と思いました。
そこから、今でも父性本能というものが芽生えて。今従業員がいっぱいいるんですが、ほとんどが僕の子どもに見える感じです。従業員の子どもは僕の孫かなっていうぐらい、そんな気持ちが芽生えてしまいました。
それで紆余曲折あったんですけれど、サラリーマンを経て30歳の時に会社を作りました。
SHIFTっていう会社がなにをやるかは、当時決めていなかったんです。
ビジネスソリューション……今みたいな、こういうLaunch Padのようなものも含めて、(当時は)なかったんですが。「いっぱい出よう!」ということで、いっぱいやってきました。
(スライドを指して)こんな恥ずかしいサービスだったんですけれど、今はぜんぜん違っています。「アイドルがどこにいるかわかる追っかけツール」みたいな、そういうサービスを2005年~2006年ぐらいに作りました。その2週間後にモバゲーが出まして。「あ、これ撃沈したな」ということで、半年でやめました。
そこから会社が転落していくんですけれど。その後、狂ってポルシェのレンタカー屋をやりました。そこは単純に、僕がポルシェ好きだったからなんですけれど。本当に恥ずかしいサービスをいろいろやってきました。
あとは、パーソナルスタイルのビフォーアフター……テレビでやるようなものをやったり。会社の福利厚生サービスをやったり。あとはとち狂って、「もうよくわからないから起業家を応援しよう!」と。おもしろい起業家に「仮想通貨で投げ銭してあげよう!」というサービスを作って。それも一瞬で消え去りました。
その時に初めて「自分ってなんなんだろうな?」というのを感じて。「こんなにB to Cのサービスを外している人、世の中にいるのかな?」と思って。改めて自分の人生を振り返った時に、たまたまやっていた仕事がソフトウェアテストだったんですね。
ある有名なECサイトのソフトウェアテストをやっていました。その時に、自分がやっている仕事をすごく喜んでもらえました。「このサービスで生きていこう。このサービスで生きていけないんだったら、もう会社は畳もう。自分の小学校6年生の時の夢は畳もう」と思いました。
サービスの正当価格って、わかりづらいじゃないですか。だから、最も安い価格……1,480円でテストをする。アルバイトのような値段なんですけれど。技術者ですから、今は当然これの4倍ぐらいはかかっています。
「この金額で仕事がないんだったら、もうやめてしまおう」と思って、そこから1,000枚だけチラシを刷って、日本中にダイレクトメールを送りました。そうしたら1社だけ、すごく奇特な会社が発注してくれて。
その会社があったおかげでSHIFTという会社は、針路を変えてやっと大きくなっていきました。その頃はたった10人だった会社も、今は1,500人ぐらいの会社になりました。
今日みなさんにお伝えしたかったのは、自分が今、例えば資金調達しやすいとか、もしくはスタートアップだから、ロックスターみたいでかっこいいとか。けっこう、みんな……今、若い優秀な人たちが、スタートアップをやるっていうのは、すごくいいことだと思うんですけれど。「とにかくおもしろいことをやろう」という感じでやられると思うんですね。
でもその事業って、本当にあなたがやらないといけないことですか? 僕はBtoCには向いていませんでした。
僕は理系なんですが、そういう理系の人たち、地味で……マニアックな人たちに、いかに陽の光を浴びさせるか。僕みたいな人たちがこういう暗い世界にいるから、世の中から注目される。でもマーケット規模はとても大きいので、こんなにいいことはないな、って。そういうものを求められる人っていうのを自分の中で発見できた時は、すごく大きかったですね。
あとは、いろんなサービスを作っているので……これだけは、自分でも癖だと思うんですけれど、新しいものをどんどん作りたい。人にWowって思ってもらいたい。どうせ生きるんだったら、人生をevolutionして前進させたいっていう思いが強かったですね。
自分が本当にやりたいことってなんなのか? 金儲けじゃない。
とくに局所的な話ですけど、コンバーチブルノートという、資金調達の仕方があります。コンバーチブルノートで資金調達するぐらいだったら自分で手銭で稼いで、100パーセントやってシード期を超えてからするべきだと思うんです。
だからそういうふうに、自分のミッションとかキャリアとか、自分が持ってる原体験に素直に向き合っていかないと、会社は自然には大きくならない。とくに最近、おかげさまで上場させていただいて業績はいいんですけれども。
上場した会社って3ヶ月に1度、四半期報告というのがありまして、すごく利益を気にするんですね。それがいいか悪いかはもとより、先日利益を気にせずに50パーセントぐらい下方修正したら、もうドーンと株価が下がったりする。「うわあ!」って。
機関投資家説明会の、マザーズの一番下のテナントに入っているのがSHIFTだって言われているんですけれど、ものすごく冷たい視線を浴びて、「もうこの会社の社長はだめだな」と思われたんです。
でも、そこでもずっとビジョンを語っていました。「このマーケットでこういう人たちがいるから、僕がいるんですよ」「僕にしかできない仕事がこれなんです」と。ちゃんとお伝えしたら、1週間で株価が戻りました。
僕は、会社というのは社会の要請で大きくなるものだと思っているんです。人は幸せになりたいから、そのためにどういうサービス、もしくはどういう社会構造が必要だからと世の中に求められて、会社は自然と伸びると思うんです。
「本当の自分のミッションを考えて会社を作る」というのが非常に重要かなと。こちらにいらっしゃる、とても活躍されている同年代の方々になにかお伝えできればと思って、今日はここに立ちました。どうもありがとうございました!
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