2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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増田覚氏(以下、増田):最近テレビCMでよく流れていますけど、ビズリーチさんは2009年から即戦力向けの会員制転職サイトを始めて、創業7年で従業員720人まで規模を拡大しています。
しかし創業当初は、このセッションのタイトルにもあるように、草野球ならぬ「草ベンチャー」、そのような仕組みを考えてみんなを集めたとうかがっています。
このセッションでは、そんなビズリーチの創業前後の話を振り返りつつ、話を進めていけたらと思います。よろしくお願いします。
南壮一郎氏(以下、南):はい。よろしくお願いします。
増田:南さんのプロフィールを振り返ると、大学卒業後は外資系投資銀行、その後は楽天イーグルスの創業メンバー、そして起業という、すごく華やかな感じで、わりと順風満帆に見えます。
南:父親のおかげで、自分も海外で教育を受けさせてもらって、大学もアメリカでした。外資系投資銀行からプロ野球チーム、そしてインターネットベンチャーの起業と、一つひとつの経験は華やかに見えるかもしれませんが、背景で起きていたことは順風満帆とは言えない経験ばかりでした。
とくに金融業界からスポーツ業界に移ろうとしたときには、非常に厳しい経験がありました。外資系投資機関を辞めて楽天イーグルスにジョインするまでに1年半あって、その間は世田谷区の八幡山にあるフットサル場の管理人をやっていたという。一番最初のスポーツの仕事はそこだったんですね。
増田:そもそも、スポーツ業界に転身したのはなぜだったんですか?
南:僕は父親の海外転勤に伴い、6歳からカナダでずっと幼少期を過ごしていました。地元にはメジャーリーグのチーム、プロのアイスホッケーのチームがあって、父親に試合観戦に連れていってもらいました。そのような機会に恵まれ、子供のときから本当にスポーツ全般が大好きだったんですね。
今でもよく親に笑われますが、10歳のときの夢が「メジャーリーグ球団のオーナーになりたい」でした。
2002年、社会人4年目のときに日韓ワールドカップが開催されて、そのとき仲間と大勢で日本対ロシア戦を観戦して、当時味わった興奮と感動が今でも忘れられません……スタジアムに入った瞬間、自然と鳥肌が立ち、気持ちが高揚するわけです。
そして、スタジアムの雰囲気に圧倒されただけでなく、日本が歴史的な勝利をあげ、仲間とともに涙を流しながら喜びました。
「こういう鳥肌が立ったり、涙が出る瞬間を自分の仕事でも味わってみたい」と。あの時のスタジアムでふと思ってしまいました。
それならば、まず行動を起こそうと、仕事をしながらですがやれるところからやってみました。スポーツの仕事の経験は、あたりまえですがまったくありませんでしたが、メジャーリーグの全球団宛てに手紙を書いたり、有給をつかっていろいろなスポーツ関係者に現地へ会いに行ったりもしました。手がかりを何とか見つけようとしてもがいていました。
増田:それで就いた最初のお仕事が、フットサル場の管理人ですか?
南:就いたというよりも、それしか選択肢がなかったんですね。当時、携帯電話の電話帳に入っている300人くらいの知人に電話しながら、「スポーツと名がつく仕事だったらどんなことでもやるので、何かあったら紹介してください!」と一人ひとり電話をしていたら、高校時代の先輩がたまたまフットサル場の運営委託をする会社をやっていて、「フットサル場の管理人でもやるか?」とありがたいことに声をかけてくれて。即決で「もちろんやります!」というかたちで、お手伝いさせていただくことになりました。
その後も、さまざまな方の協力により、フットサルの大会運営や海外選手が来日した際のアテンドや通訳など、おかげさまで、泥臭い経験をたくさん積ませてもらいました。
増田:だいたいどのくらいの期間ですか?
南:1年半ですね。
増田:そこから楽天イーグルスってすごい転身ですね。
南:これは本当に僕の実力でも何でもなくて、偶然の出来事でした。2004年の9月に自宅で新聞を読んでいたら、「楽天、プロ野球新規参入表明」という見出しの記事を見て、「これだ! これしかない!」と。
自分が一番やりたかったスポーツの仕事は、子供の頃からプロスポーツの球団経営でした。それがたまたま大好きな野球チームであったし、それもたまたま楽天という素晴らしいベンチャー企業様がやろうとしているプロジェクトでした。
当時、自分自身の力だけでは、スポーツの世界で何ともならない状況が痛いほどわかり始めていましたので、楽天と三木谷(浩史)さんに拾ってもらったというのが、僕の状況を表すもっとも正確な説明だと思います。感謝の気持ちしかありません。
増田:そこまでして球団創業メンバーの地位を手に入れていたにも関わらず、なぜその後、すぐに辞めて起業してしまったんですか?
南:そうですね。2年目の終わりに差し掛かった時、「お前は今後どうしたいんだ?」ということを、オーナーの三木谷さんと当時球団社長をやられていたインテリジェンスの創業者でもあった島田亨さんに聞かれたことがきっかけとなりました。
楽天イーグルスでは、ゼロから事業を創る機会に恵まれただけではなく街の歴史や風景や色合い変えるような素晴らしい事業に携わらせていただきました。それも、子供の頃からやってみたかったスポーツという世界を通じて。
球団のことも大好きでしたし、もっとやってみたい気持ちも強かった。ただ、経営者として尊敬する彼ら2人に同じようなことをアドバイスされました。
「事業を通じて世の中を変えられることを、お前にには伝えてきたつもりだから、 一度もっと大きな世界で挑戦してこい」と。
そのように背中を押されたのが一番のきっかけですかね。退職を決めた際に、島田さんに「新しいクビの仕方ですかね?」と冗談で聞きましたけどね(笑)。
(会場笑)
増田:そこで目を付けたのが……日本では存在しなかった、企業と求職者を直接つなげる会員制転職サイトですよね?
南:そうですね。実は、僕はもともとまったく起業思考ではなかったんです。学生時代も、金融マン時代も、楽天イーグルスをやっているときも、起業したいと思ったことがあまりない。実は楽天イーグルスを離れてからもです。三木谷さんと島田さんの2人からも「起業しろ」とはとくに言われませんでした。
自分の中では、「仕事というものを通じて、社会に何を表現していくのか」ということが重要な点だったので、起業するよりも、どんな社会課題に取り掛かれるかばかりを考えていました。
また、プロ野球チームの創設を通じて感じたのは、今から50年後・100年後から今を振り返ったときに、「何をしていたら100年後の自分が 今の自分に対して、『南、お前は当時、本当におもしろい仕事をしていたんだな。この時代を表現するような事業をやっていたな』と言えるのだろうか……」と。
そのような中で、いろんな領域の中で、やっぱりこの時代で仕事をするならば、ITやインターネットを活用した仕事は絶対外せないなと。
僕は金融業界と野球業界の仕事しかしたことがなかったので、やっぱりITやインターネットのことは、さっぱりわかりませんでした。
でも、今未来からこの時代を振り返ったときに、絶対に今これをやっておかないと、「お前の時代では産業革命が起こっているのに、なんでやっていなかったんだよ」と(未来の自分が)絶対に自分に言うと思ったんです。
起業という発想がそもそもなかったので、とりあえず何か行動を起こそうと思い、まずは自分自身の転職活動をはじめて、ITやインターネットが冠に付くような企業様を探してお会いしました。
転職活動していくなかで、もっと自分の選択肢や可能性が広がる仕組みができたらいいなと感じていました。
増田:例えば?
南:僕も過去に転職したことはあったのですが、お客様先に転職したりなどご縁通して転職していましたので、この時のように選択肢をいろいろと目の前に並べながら転職活動をするのは初めてでした。いろいろな友達に相談したり、企業、人材紹介会社の方々とも話しながら転職活動を進めていました。
みなさんが非常に親身になって相談に乗ってくれて、いろいろな選択肢が出てきました。実質、初めての転職活動でしたので、とにかくとことん回ってようと奔走した結果、ありがたいことにたくさんのキャリアの選択肢が出てきました。
ただ1ヶ月の転職活動が終わった時点で感じたこととしては、「企業様に直接もっとお会いして、いろいろと話したら、もっと知らない選択肢が出てくるのかな?」という気持ちでした。
勝手なイメージですが、プロ野球のドラフトみたいに「僕、プロに行きたいです!」と宣言したら全球団が手を挙げる権利があるように、僕も真っ白の状態からせっかく仕事を探すんだったら、「僕、今、仕事を探しています!」と手を挙げたときに、なるべく多くの選択肢と可能性の中から選びたいなと。「なんでそういう仕組みが転職活動にはないのかな?」いう自身の転職活動中の発想がビズリーチを創業するきっかけとなりました。
ちなみに、2週間くらいアメリカのビジネスセミナーに参加して、たまたま「LinkedIn」というサービスにも出会いました。
当時の自分はインターネットの世界の動きに疎かったので、もちろんLinkedinの存在は知りませんでした。
ですが、講義に参加していた各グローバル企業の経営企画室所属のエース人材の方々の7割くらいの人が「仕事や転職活動で使っている」と手を挙げるわけです。
すぐLinkedinがどのようなサービスを調べまして、「これはインターネットの力を活用したおもしろい仕組みだな」「日本にも、LinkedinのようなビジネスSNSがあったら転職活動の不便さが解かれるんじゃないかな」ということを感じました。
しかし、当時はまだ2008年。ビジネスSNSと言っても、当時の日本はまだFacebookも流行っていない頃でした。
インターネットのことは素人だったので、100人くらいの方にアンケートをとったり、いろいろな人に話を聞いていくと、どうやらこれはちょっと難しそうだと。インターネット上に自分の仕事上の経歴やプロフィールを公開するのは、少なくとも今の日本では不可能だということがわかってきました。
ただ、LinkedInのビジネスモデルを見ていくと、登録している個人の履歴のデータベースを企業の人事部が購入していることが売上の大半でした。
求職者と企業の人事部を直接結ぶようなプラットフォームになっており、どうやらこれがアメリカの採用の主流になりつつあるということを目の当りにしました。
ビジネスSNSの部分は、どうやら日本では難しそうでしたが、これは自身の転職活動で感じた課題の解決策でもあり、ビジネスモデルの根幹でもあった部分だけを取り出したら、日本だけの違うサービスができるのではないか感じました。
ある意味、日本版のLinkedinのイメージでプロフェッショナルと人材を探す企業を直接つなげるサービスを作れないだろうかと。
かつ、プロフェショナルな人材と求人限定したプラットフォームになれば、きちんと利用価値を双方に提供できることができ、企業からも個人からも料金をいただけるビジネスモデルになるのではないかと考えました。
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