2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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田中(以下、田):皆さんこんにちは。インフィニティベンチャーズの田中です。今回はですね、こちらに集まっているような第一線の経営者達が、皆さんと同じ二十歳前後の頃、どういう学生だったのか、何をしていたのか、起業家としてどういう人生を歩んできたのか、をお話ししていただきます。内藤さんから順番に、ご自身と会社のアピールをお願いします。
内藤(以下、内):はじめまして内藤です。サービスの内容を話すよりも僕自身は学生のときに会社を作りまして。
田:何歳ですか? 学生というのは。
内:個人事業という意味では二十歳のときに始めて、法人のほうは23歳で、上場する一年前ぐらいに証券会社のほうから学生だと上場が出来ないといわれて、退学をして大学を卒業しないまま今の会社を上場してやっていくという流れです。会社始めて、法人だと12年ぐらいですかね。
田:ありがとうございました。藤田さん宜しくお願い致します。
藤田(以下、藤):サイバーエージェントの藤田です。僕は24歳で会社を創業しまして、26歳のときに上場企業の社長になって13年目なんで、結構古い人みたいになって来たんですけど、最近、『企業家』という本も出しました。あの本をアピールしても仕方がないんだけど。そういうわけで、企業家の本には起業する話が一個も出てこないんだけども、その前の『渋谷ではたらく社長の告白』に書いたので、そういう意味では起業家の生き方というのは僕の中ではホットトピックスです。
田:ちなみに藤田さんの本、もう読んでるって方がいたらちょっと手を。藤田さん、今日はもう話すことないと思いますよ(笑)。
千葉(以下、千):コロプラの千葉です。今日は宜しくお願い致します。僕は皆さんと違って、ちょちょこ事業とか会社を立ち上げたりとかしてるんで、一社をずっとやってきたわけではなくて多分、学生時代に初めて自分の会社を立ち上げてから、就職したりとか、また会社を立ち上げたりとかで、2社目とか5社目で今コロプラをやっております。今日は宜しくお願い致します。
田:最後、高島さん宜しく願いします。
高島(以下、高):こんにちは、オイシックスの高島といいます。今年もう39歳で皆さんの倍ぐらい生きていますけども、皆さんと同じく独身です。
田:それ、アピールしてどうするんですか。
高:一応ね。僕は大学院のときに会社を作りました。22歳か23歳で2年間会社で遊びの経営をやって、2年間サラリーマンをやって26歳のとき藤田さんが上場されているとき、僕は会社をやったということで、今年やっと上場しました。
田:はい。ここに企業家ビフォーアフターとありますが、
ここに集まっている起業家の皆さんも昔は皆さんと同じように二十歳前後の学生さんだったはずなんですね。今回は、その証拠写真を事前に入手してきましたので、ちょっとこれを見ながら当時を振り返ってみたいと思います。
これ見て誰だか分からないと思いますけど、誰ですかねこれは?
藤:高校か中学だと思うんですけど。
田:藤田さん、これボーカルやってたんですか?
藤:はい。中高6年間バンドやってまして。
田:音楽のジャンルは?
藤:当時はハードロックだったんですけど、一時期プロになりたいと思ってやってました。
田:当時の仲間は学校の仲間だったんですか?
藤:そうなんですけど、本当にプロになって、今でも活躍してる。
田:この頃の藤田さんは、普段どうゆうことを考えて生きていたんですか。
藤:福井県の田舎に育ったので、つまんない人生で終わらせたくないというのがあって、「将来ミュージシャンになって活躍するんだ」と思ってたんですけど、歌がヘタだったんですよ。この写真からは伝わって来ませんが(笑)。
田:いけてる感じは出ていますけども。マイクの持ち方とか。
藤:無理なので、将来レコード会社を作ってお前らをデビューさせてやる、と思ったのが一応起業したきっかけです。
田:ロックバンドは福井でしていたのですか。
藤:はい、福井です。
田:ほう、スライドの写真は何年ぐらいのものなんですか。
藤:90年代前後ですね。
田:そのロック青年が10年後にはIT起業の社長として上場していたと。
藤:その後、意地でレコード会社も作ってみたんですけど失敗しました。
田:これはビフォーなんですけど、次のアフターの写真、真ん中の笑顔で笑っているのが藤田さんですか?
藤:創業直後ですね24歳。左にいるのが監査役で僕と日高っていう副社長と2人で会社を作って、ソファーはただでもらってきた物です。
田:これは何かのお祝いだったんですか?
藤:お祝いにシャンパン持って来てくれたんです。設立のお祝い。
田:なるほど。ありがとうございます。では続きまして、写真を見て頂きたいのですが。
これは戦後、日本の初めだと思うんですけど(笑)。見ている人、これ誰の写真か分かりますか? 分かる人手を挙げてください。分からない? ヒント、後ろの列の黒いセーターを着ている人。白黒なので右から五番目の人ですね。ですよね? 千葉さん。
千:はい。
田:これちょっと、解像度が悪すぎて見えないので、次の写真に移って頂きたいんですけど。
千葉浩太郎さんでした。すごいさわやかです、隣の目つきの悪い寅次郎さんて方がいますけど、すみません全部千葉さんの仕込みです。許してください。千葉さん、これ何歳の時の写真ですか?
千:大学に入って直後のものです。
田:研究室か何かのやつですか?
千:そうです、はい。
田:この頃は千葉さん、どうゆう学生だったんですか?
千:僕SFCに第4期入学なんですよ。SFCが出来て4代目なんで卒業生が一人も出ていなくて、SFCに行くのはよっぽどの変態と言われていた時代ですね。でもまだキャンパスも全然出来上がってなくて、なんか駅から学校までえらい道がなくて遠い。牛臭いし。今でも牛臭いけど(笑)
田:この頃の千葉さんはどういったことを考えて生きていたんですか? 学生の頃から藤田さんのように僕には起業しかないとメラメラしていた生徒だったんですか?
千:完全にあの時、写真のものは18歳の時なんですけど、この頃の僕はSFCに心酔しきっていましたね。SFCの考え方、当時は新しかったんですね。コンピュータと英語を使ったりとか。
田:コンピューターと英語が出来るとかっこ良かったんですか?
千:かっこ良かった。僕、もてました。
田:当時の千葉さんは何かしていたのですか? 例えば先程の藤田さんなんか、ハードロックをしていて上京するぞみたいな線がありましたが。この頃の千葉さんは何を考えて生きていたんですか?
千:なんでしょうね。学校の授業が結構面白くて、授業を楽しもうと思って、グループワークというのがあって。皆と一緒にプロジェクトをやって、それを常に3、4個抱えながら、リサーチと称して東京まで呑みに行ったりとか。
田:ちなみにどんなプロジェクトを当時はやってきたんですか?
千:結構まじめなところで、アフリカの人科人類学の研究をしていたりとか、意外とまじめにやっていました。
田:やっぱり、写真のように真面目な学生だったんですね。そうではなかったという話も言っていたので後ほど聞かせてもらいますが(笑)。では、次の写真をまた送ってください。
この写真は藤田さんの時のものとは対照的ですね。サーバーと一緒に暮らしているというか。この写真はいつ頃のものですか?
千:創業直後の2009年1月のものですね。
田:二人で何してるんですかこれは?
千:部屋には二人しかいなかったので、交互に撮影したものをフォトショでくっつけただけなんです。
一同:(笑)
千:なんか創業のときの写真を撮っていると、何かで必要になるかなと思って一枚用意してたんですが、今日役立ちましたありがとうございます。
田:ピザーラもソファーも赤いバッグもない風景ですが。
千:ひたすらむさいマンションの一室です(笑)。
田:この頃はちなみに何屋さんだったんですか?
千:コロニーな生活という、我々がひたすら一芸コンテンツを用意する会社だったんですけど。
田:実際に二人でどうゆう分量の仕事だったんですか?
千:サーバーを作ってユーザーをサポートするコンテンツ側を全部していて、僕がその雑用だったんです。
田:それでは、次の写真に移りたいと思います。これは、ちょっと悪そうなお兄ちゃんたちが出てきましたね。誰ですか白状してください(笑)。
高:大学の研究室の写真です。確かに雰囲気が研究所の雰囲気ではないですよね。でも、僕が持っている写真の中で研究室に写っているのが一枚だけあったので拝借しました。
田:この頃はどういう学生だったんですか?
高:皆様の中にもいるかと思いますが、僕は典型的な中二病のまま大学生になったという感じで、すごい大きいことをやりたいと思っていましたね。二十歳ぐらいの頃に。
田:二十歳の時のものは後で聞くことにしまして、当時はどういうことを考えて生きていたんですか?
高:人や自分がやったことないことをとりあえずやって、今を楽しみぬくという感じですね。
田:思っていたことが実現していたということですか?
高:そうですね。結構、思うと動く有言実行のタイプでした。
田:ありがとうございました。では、写真を続けて写してください。
こういう人が20年経つとこうなったという訳ですね。何か健全なさわやかな印象ですが、ちなみに手に持っているものは何ですか?
高:レンコンです。ホースの水を使って畑の泥を跳ね上げて引き抜くということをしていましたね。当時野菜が高価で農家に出向いていた時に体験しました。
田:写真のものは当時、いくつのものだったんですか?
高:28歳ぐらいの時です。
田:さわやかですね。では、さわやかなイメージを崩す発言を用意していますので、また後程、お聞きしますが次の写真を見てください。
最後の紹介になりますので、内藤さんだということになりますが写真は高校ぐらいの時のものですか。
内:浪人している時にバイトに使う履歴書用の写真に撮っていたものだと思うんです。18歳19歳ぐらいの時のものでしょう。
田:この頃は内藤さんはどういったことを考えていたんですか?
内:写真からは考えにくいんですが大学に入った頃から起業しようと思っていたんですよ。
田:では、次の写真は起業後のものですね。
内:当時家賃が5LDKで8万の築30年40年という所で皆で暮らしながら……。
田:みんなというのは何人ぐらいですか?
内:3人で暮らしていたんですけど、他のメンバーは他の家から集まったりしていましたね。
田:電話回線とかが見えてたりしていますが。
内:当時は23時になると定額のサービスが始まるということで。
田:では、23時から本作業が始まるんですか?
内:当時は藤田さんが東京のビットバレーで脚光を浴びている時で、当時は時差があってですね、関西に情報が入ってくるのに半年くらいかかるんですよ。ビットバレーで孫さんが3000万円ぐらいかけてチャーターしてきたみたいな話が、終わった後に情報が入ってきて、「すげー」て言ってるみたいな(笑)。
田:ちなみに内容さん、この頃はここで一体何をしていたんですか。
内:学生向けのコミュニティサイトを作っていた時期ですね。当時、学生のコミュニティサイトは多くて誰も儲からなかったという時期です。
田:サイトは関西では流行ったんですか?
内:数千人とかでした。
田:ありがとうございました。では、次の写真をお願いします。大人っぽい表情をしていますが何があったのですか?
内:当時は学生でベンチャーをしている人は珍しいから、イベントとかで呼ばれた時の23歳ぐらいのものです。
田:隣の方は内藤さんとは違う世代の人ですよね。ネクタイとかしていたのですか? この時は。
内:学生だと舐められるのでスーツ着たほうがいいと思って用意しました。
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