2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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南場智子氏(以下、南場):こんにちは。今日は2人のすばらしい若者と一緒に出てきました。
私は南場と申しまして、DeNAを99年に創業して、今日に至ると。自分のアイデンティティは司会者でもなくて、パネリストでもなくて、ずっとアントレプレナーでいたいなと思うので、本当はあっち側(戸村氏、小島氏側)に座っていたいなと思うんだけれども、同時に歳も歳ですので、若いアントレプレナーを絶賛大応援中ということで、今日は2人のすばらしい仲間を連れて来ました。
1人ずつ、自己紹介してくれますか? では、小島舞子ちゃんからね。
小島舞子氏(以下、小島):こんにちは。みなさん、初めましての方が多いんじゃないかなと思っているんですけども、株式会社ヘクトという、AIチャットボットサービスを展開する会社の代表をやっています小島と申します。
後々話すと思うんですけど、以前には別の会社でCTOとしてやっていて、今は自分がエンジニアとして一番にコミットしてやっています。Gitのcommitという意味で。よろしくお願いします。
南場:では、戸村光。
戸村光氏(以下、戸村):はい。HACKJPN代表の戸村と申します。今は米国サンフランシスコから、今日この日のためにといっても過言ではないくらい、(日本に)来ました。
アメリカでは3つくらいWeb事業を運営していて、1つ目がシリコンバレーでインターシップを見つけるマッチングサイト。2つ目がシリコンバレーのトレンドを発信するWebメディア、3つ目がユーザーの競合会社を分析するWebツールを運営しています。今日はよろしくお願いします。
(会場拍手)
南場:ありがとうございます。実は、戸村くんは意外と長い友達で。
戸村:2年半くらい。
南場:そうですね。日本に帰ってくるたびに会っているんですね。この人の経歴がけっこうおもしろくて、間違っていたら訂正してほしいんだけど、高校はえらい進学校に行ってたんだよ。(戸村氏に向かって)間違いないよね?
それも、東大、京大以外に行ったらクソみたいなお母さんとお父さんで、勉強をえらい一生懸命やってたんだよね。ガリ勉?
戸村:日曜もないくらい学校に。去年、ここで南場さん、ここでぽろっと……ログミーに載っちゃって(笑)。
南場:そうそう、ごめんねー。没交渉のお母さん、もし見ていらしたら、本当にもうそろそろ許して上げてください。すばらしい息子さんなので、と言いたいんだけど。そんなこと言うと、私もババくさいんでね、やめて。
それで、戸村くんはそのまま受験勉強をしていたんだけども、なんか違うということで、大学受験をやめて、アメリカに行っちゃったんですよね。それでアメリカの大学に入り、起業したと。
というところで、えらい異色だと思うんだけれども、その経緯とか、どんな意思決定だったのか。なにをもって、そんなにとんでもないことをしたの?
戸村:僕は父方も母方も経営者の子供として生まれたんですけど、日本の経営者あるあるなんですけど、戦後、おじいちゃん世代で製造業で経営して、父方、母方が引き継いで経営して、バブルで落ちていくと。
中国とかフィリピンとかの安い労働力で、安いコンテンツが日本に入ってきて、それで日本の市場も取られていくっていうのを家庭のなかで目の当たりにしていて、日本企業、日本人は、グローバルで市場を取りにいかなければだめだ、というのを幼少期からずっと見ていて。
南場:ガリ勉しながら、そういうことも考えていたということ?
戸村:そうですね。はい。
南場:それでクラスメイトはいい大学に行っちゃったわけでしょ。
戸村:そうですね。いい大学に行って、今はいい大企業に就職が決まったくらいだと思います。
南場:決まって、喜んでいるなかで、自分はまったく後悔はない?
戸村:はい。100回生まれ変わっても100回、シリコンバレーに行きたいと思います。
南場:この話はじっくり聞きたいですね。私がすごく応援したいのは、世界で通用する日本人以外は、日本のためにも働けないのかなと思っているんで、こういう人が増えるといいなと、いつも思っています。
戸村:ありがとうございます。
南場:舞子さんはですね。私、たったいま、会ったんですね。大学時代から起業しちゃったんだよね。
小島:そうですね。大学3年生のときに、前の会社の代表と一緒に、ちょうど2010年、FacebookがMyspaceを数で追い越したというところで、若い世代でも戦えるのがIT業界なんだという認識をして、始めました。
南場:大学生のときに起業するっていうアイデアが、一般的なの? 友達もけっこう起業していました?
小島:当時はそこまでいなかったですかね。一応、リブセンスの村上(太一)さんが早稲田出身で、私も早稲田でインキュベーション施設に入っていたんですけれども、そちらではずっと、「リブセンスの村上さんが、村上さんが」と言われていて。最近だと、ユーザーローカルのいとまささん(伊藤将雄氏)とか、早稲田からすごく有名になっている。
南場:いきなり起業するということに関して、ほかの選択肢と迷ったりとか、なにか恐怖とかはなかった?
小島:若いとなにも見えなくて、自分が「このサービスすごく流行るからやる」と決めたら、本当になにも見えなかったです。
南場:周りに対しては、ドヤ顔できたの? それとも、周りが「なに考えてんの、舞子?」という感じだったの? どうだった?
小島:周りの人とはほとんど会っていなくて。前の会社は6年やっていたんですけど、最初の4年間はオフィスに行っていない日にちが2桁いかないくらいだったと思うので。毎日ずっと出社して、お盆とか年末に1日、家に帰るくらいという生活をしていたので。本当に誰とも会っていないです。
南場:幸せだった?
小島:楽しかったですね。「楽しいけどつらいし、楽しいけど……」みたいな。
南場:その会社は今は辞めたということ? その会社はまだあるの?
小島:はい、まだあります。アプリとか500万ダウンロードいっているサービスを作っていたりしていて、本当にいい会社で、いい人ばかり揃っています。(会場に向かって)もしあれなら、ぜんぜん紹介するので教えてください。
南場:その会社を辞めてまた自分で会社をというのは、どういうふうに考えてそうなったの?
小島:実は会社を辞めたあと、大きなサービスを見てみたいと思って、別の会社に入らせてもらったんですね。
南場:なるほど。それはまた辞めたんだ。
小島:はい。辞めました(笑)。そこの人たち、すごくよかったんですけど、やっぱり自分でサービスを作って、ユーザーのことを見て、エンジニアとして自分で働きたいと思ったので。本当にすぐに辞めちゃいました。
南場:戸村くんの話に戻ると、大学に行ったわけでしょ、向こうの。
戸村:はい。向こうの大学に行って、在学中に起業して、大学はドロップアウトしちゃったという。
南場:ドロップアウトしたのね。でも、アメリカの大学って、学費、高いんじゃない?
戸村:すごく高かったですね。
南場:両親が反対するなかで、どうしたの?
戸村:両親が反対していて、1円も出してくれずに、結局、大学入学するまでには1年弱くらいギャップタームがあったので、それまでの間に自分で稼いだ金で向こうに行って。
南場:自分で稼いだんだ。
戸村:そうですね。でも、それでも足りなかったので、向こうでインターンシップをしていたChatWorkという会社の、コワーキングスペースみたいなところで寝泊まりしていました。1年くらい。
南場:そこまでして入った大学を、勉強をそこそこにして、起業したってこと?
戸村:そうですね。
南場:最初の起業はなんだったっけ? 教えて。
戸村:インターンシップのマッチングサイトです。
南場:それが一番最初? 政治じゃないの?
戸村:政治じゃないです。政治は、3つくらいの事業を軸にしつつ作ったので。
南場:今は3つのサービスをやっているわけでしょ、インターンシップと、競合の情報を調べるとか、あと、シリコンバレーのトレンド? そういう事業領域というのは、どうやって定めるんですか?
戸村:うちは、「周りの人から幸せにする」という理念を持っていて、シリコンバレーのインターンシップのマッチングサイトでいうと、日本、中国、ロシアとかいろんな国から留学生が行くんですけど、インターンシップを見つけられずに4年間、学生をやっていたり。4年間、「ただの田舎じゃん」みたいな。「ここに来るんだったら、LAとかニューヨークに行ったほうが楽しかったよ」と言って自国に帰っちゃうんですね。
それが超もったいなくて、もっとインターンシップをして、シリコンバレーの優秀な企業で即戦力を付けたら、もっと優秀な人材が生まれてくるんじゃないかと思って作りました。
南場:あの、周りの人を幸せにするっていうのは、身近な人を幸せにするという意味?
戸村:そうです。まずは、自分の身近な困っている人を、自分のプラットホームで解決できたらなと思って。
南場:それがインターンシップで。企業に対してトレンドの情報発信とか、競合の分析というのは、身近というか、ビジネス寄りの匂いがするんだけど、それはどういうきっかけで。
戸村:ユーザーが分析するクライアントとして、日本でいう大手、大企業とか、国とも取引させてもらっているんですけど、日本にいたら、他社のしかも大手がスタートアップでつながるというのはすごく難しいんです。
でもシリコンバレーでは、コワーキングスペースとかで一緒にオフィスを持っていたり、ミートアップとかで大企業さんと日々つながる関係があって、そういう人たちが周りにいたという。
南場:シリコンバレーで日本の大企業の人たちと出会って、その人たち向けにサービスを始めたっていう。
戸村:そうです。
南場:結局は身近な人たちだったということだよね。
戸村:そうなんです。
南場:事業領域の定め方とか見つけ方とか決め方とかいろいろあるんで、おもしろいから舞子さんにも聞いてみたいんだけど。今、チャットボットって言ったじゃない。この事業やろうとか、このサービスをやろうとというのは、どうやって決めたんですか?
小島:私自身が会社の理念としているのが、「たくさんの人に使ってもらえるサービスを作る」という。当たり前と言えば当たり前ですけど。その楽しいサービスを作りたいなというのがあります。
その上で、最近、チャットボットってたくさん出てきていますけど、まだ使えるものがないんです。せっかく今まで使っていたLINEとかFacebookのメッセンジャーで簡単にメッセージとか、もやもやがすぐに消えるチャンスなのに、できていないというのがすごく惜しいなと思っています。それを解決するために、自然言語処理だったり、AI自動化を私たちが担保してやります。そのサービスを作ろうと思いました。
南場:AIで画像の部分はずいぶんと進んでいるけれども、自然言語処理というのはかなり難易度が高いと思うんだけども。
小島:そうです。日本語だと、形態素解析なんかはあるんですけど、実際に、英語と日本語の違いって、主語とか述語とか、日本語は隠れている言葉が多いんです。
今来たメッセージ、1個前のメッセージだけだと理解できなくて、全体の対話を読み取って、「あれ」とか「それ」がなにを指しているのか、把握する必要がある。どちらかというと、自然言語処理というか自然言語理解を先にやって、ユーザーの満足度を上げようと思っています。
南場:たくさんの人たちに使ってもらいたいというのは当然そうなんだけど、AIというところで、かなりトレンドに乗っているという気もするんです。別の言い方をすれば、みんなが着目している。実は我が社もチャットボットを作っているし、AIにも一生懸命で、そういう、いわゆるレッドオーシャンに飛び込んでいくというふうに見えないこともない。
そのときに、ある意味勝算がないと、図体の大きさからして、これが強みだとか、こうやって勝つんだという勝算がないと入っていきにくいじゃない? その辺はどう考えているのですか?
小島:言語理解は私も開発していて、前の会社で言語の開発、データ分析をやっていたので、データ分析とAIってある種、同じというか、データを元にAIが動いて、ということをやっていたので、それを自分で作れます。
それと日本語に特化したUIというのがまだできていなくて、Y CombinatorだとChatfuelとかMeyaとかは日本版に対応できているんですけど、私たちは日本語で。
しかも、これはこれから作っていく機能になるんですけど、今Webなどのアプリで使っているAPIをチャットボットに簡単に変換するような機能というのを作っています。これはまだ技術的にハードルが高くて、ちゃんとどのAPIのパラメーターがどうとかを理解してなければいけなくて、それをとりあえず私が先に作って、早く広めていこうと思っています。
南場:B向けということですね。
小島:はい。
南場:なるほどね。
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