2024.12.19
システムの穴を運用でカバーしようとしてミス多発… バグが大量発生、決算が合わない状態から業務効率化を実現するまで
よなよなエールのヤッホーブルーイング・井手社長に聞く!愛されるヒット製品を生み出す秘訣とは?〜天狼院×よなよなビアフェスタ〜特別にビールもご用意しております!(全6記事)
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山本海鈴氏(以下、山本):本日は、みなさま、お越しいただいてありがとうございます。
本日は「よなよなエール」でお馴染みのヤッホーブルーイングの井手直行社長にお越しいただいております。どうぞよろしくお願いいたします。
(会場拍手)
井手直行氏(以下、井手):みなさん、本当にありがとうございます。山本:今日はすごい満員で、福岡の中継先にも伝わりますでしょうか、この熱(笑)。
本日はこちら。今、みなさんのお手元にビールがあると思いますが、『ぷしゅ よなよなエールがお世話になります』ということで、最初にプシュッと。
三浦崇典氏(以下、三浦):そういうことなんだ(笑)。
山本:そういうことで始めたいと思っております。みなさまお手元にグラスとビールはございますでしょうか?
三浦:今日は、飲み会という意識でいいの?
(会場笑)
山本:ははは(笑)。一応フェスタですので、ビール片手にお話もおうかがいするというかたちです。ということで、みなさま。乾杯の合図で開けて。
プシュ。カンパーイでいきます。それではいきます。カンパーイ!
(会場ビールを開封)
三浦:いい音!
山本:ありがとうございます。社長ぜひ、香りを。
井手:最初は、泡を少し立てて、香りを華やかに出すようにして、そーっと注いでいただいたその泡が、いい感じにフタをするように。ほら、いい感じでしょう?
(会場歓声)
三浦:さすがです。
井手:あとはそろ~っと入れていただいて、この、一発!
山本:すごい! さすがです。
井手:では、改めてここで乾杯をやりましょう。
山本:では、みなさん。
井手:いいですか? 今日はありがとうございます。乾杯!
(会場カンパイ)
山本:みなさんありがとうございます。福岡のみなさんもありがとうございます。
おいしい! ありがとうございます。ということで、ビール片手にさっそくトークを。
三浦:うめぇわ~! のど乾いた。超のど乾いた。
スタッフ:井手さん、著作権フリーでいいんですよね? 写真撮りたいっていう人がいるから。
井手:ぜんぜんいいですよ。著作権、ない(笑)。肖像権?
三浦:著作権ない(笑)。
山本:私たちもないので。
井手:なにもない! 好きにしてください。顔に落書きしてFacebookにあげてもらっても。
山本:ははは(笑)。
井手:ヒゲとかね。
山本:ヒゲも大丈夫なんですか(笑)。ありがとうございます。この前、ちょうど(テレビ東京の)『ガイアの夜明け』もあって……。
井手:そうなんですよ!
山本:観ました。火曜日ですね。
三浦:福岡でもやってるのかな?
井手:福岡もリアルタイムでやってたんですよ。僕、福岡県出身で。久留米市出身なんですよ。先週の『ガイアの夜明け』に出る時に、番組欄見たら福岡もリアルタイムでやってたんで、うちの父に電話して「テレビ出るからね」と言ったら、「わかった、じゃあ見るばい!」とか言って。
(会場笑)
井手:福岡にはすごい愛着があって、ありがとうございます。
三浦:ちょうど福岡から転勤したばかりの人が。
井手:本当ですか!
参加者:久留米で仕事してました。
井手:ローカルネタで。ありがとうございます。
山本:ありがとうございます。そうですね、久留米ご出身ということで。社長、最初はビールの会社で働かれてたわけじゃなかったんですね?
井手:違うんですよ。
三浦:そうなんですね。
井手:最初は、久留米高専という、中学で受験して、5年間の学校へ行って。勉強嫌いで、大学行くのが嫌だったんで、もうそこで卒業して仕事しようと思って。
その高専を出て、東京の大手、中堅どころの電機メーカーでエンジニアをやってて。
それを5年ぐらいでやめて、環境アセスメントの会社に転職して、半年ぐらいでやめて。しばらく自分探しの旅をバイクでしながら、お金がなくなってきたんで得意なパチンコで生活を維持しながら。
三浦:すごい。
井手:パチンコで勝ってたので、そのまんまパチプロになろうかなと思ってたら、なんか田舎に暮らそうと思って。たまたま東京に住んでたんですけど、長野で軽井沢で広告代理店の仕事の営業の募集があって。
ただ長野で住みたいってだけで面接受けたら、営業やったことないんですけどそれで受かって。だけど経営者と喧嘩して。
(会場笑)
井手:そこも2年でクビになって。
(会場笑)
井手:クビになったんですけど、また呼び戻されて。また同じ会社に入社して、やっぱり馬が合わなくて1年後にまた辞めて。
(会場笑)
三浦:なんで呼び戻されたんだろう(笑)。
井手:いやいや、すごいんですよ。その会社は会社でいいんですけど、夫婦経営で旦那が社長、奥様が編集長だったんですけど、旦那さんが海外旅行中に奥さんとケンカしてクビになっちゃったんですよ。
「アンタもう来週から来なくていい!」と言われて。それで「あっ、クビだ」と思って。しょうがないなぁと思って、もう頭きたんで「ああ、やめてやる!」みたいな。
三浦:それはまた(笑)。
井手:社長が海外から帰ってきて、当然夫婦だから話を聞いてると思って、最終出社日に「どうも長い間お世話になりました」と言ったら、「井手くん、なにを言うんだ?」とか言って。「あれっ! 聞いてないですか? 編集長にクビになったんですよ」「聞いてない!」みたいな。
(会場笑)
井手:そこで夫婦ゲンカが始まって。1回クビになったんですけど、旦那の社長さんがそのあと説得して、「もう1回戻ってくれ」と言って、1ヶ月後にまた復帰したんですけど、また辞めて、とやっていたら、その時のお客さん、広告代理店のお客さんが星野リゾート。
今けっこうメジャーになってきたんですけど、その社長の星野佳路が、僕のお客さんだったんです。
三浦:そういうつながりだったんですね。
井手:僕が辞めたって噂を、ちっちゃな町なので聞いていて、それで「今度ビール事業やるんだけど一緒にやらないか」と声をかけてくれたのが始まりなので、4つ目の会社なんです。転々として。
三浦:なるほどなぁ。星野さんから声がかかって?
井手:そうなんですよ。声かかって。本に書いてあるんですけど、仕事辞めてパチンコして帰って来たら留守電に星野からこう留守電が入ってたんですね。
「聞いてると思うけど、ちょっと1回会わないか」と。
山本:「会ってみようかな」と?
井手:そんな適当な人生を送っていまして。
三浦:それって何年くらい前の話ですか?
井手:ヤッホーブルーイングに入社したのが97年なので、19年前です。
三浦:ということは、星野リゾートさんもそこまでは今みたいに……。
井手:拠点が軽井沢しかなかったときだったんですね。軽井沢では老舗の旅館・ホテルの経営。代々続く若手経営者だったんです。
三浦:継がれたんですよね?
井手:はい。軽井沢で有名ですけど、長野県では別にそこまで有名ではない。当然、全国ではぜんぜん知られていない。当時まだ星野も(年齢が)30前半ぐらい。
山本:そこで入ったのが19年前。その後に地ビールに……。
三浦:ブームがあったんですよね。
井手:そうなんですよ。星野がもともとアメリカに留学してるときに、アメリカが日本よりも早くクラフトビールブームを迎えて。当時はアメリカもクラフトビールって呼んでなくて、「マイクロブルワリー」とかっていう言い方をしてたんです。
三浦:違う呼び方なんだ。
井手:そういうビールが爆発的にヒットしているのを目の当たりにして、飲んでみて「これ、おいしい」と。「こんなビールを日本に紹介したいな」って言ったのが、起業の発端なんですよね。
そのときに星野が感動したビールの1つが、この「よなよなエール」の味の元になったアメリカのビールだったんです。
「このビールはおいしいから」と言ってそれを参考にして造った第1号のビールが、このよなよなエール。
山本:そのときも、地ビールブーム?
井手:その時は地ビールブーム真っ只中で、各地で地ビール会社がどんどんできていて。我々は1997年の4月にビールを造り始めたんですけども、ちょうど製造免許が全国で100番目に下りたんですね。つまり100ヵ所で、地ビールメーカーがすでにやっていて。
僕らは1997年から1999年とすごくブームに乗って、売り上げもすごく絶好調で行って、1999年ぐらいのときには全国で270~280社ぐらい地ビールメーカーができたという。それがちょうどブームの絶頂期。
山本:競合がすごい。
井手:競合という感じは当時はなくて。もうブームだったから、地域ごとに町おこし的に、地元密着とか観光土産みたいな感じで、全国各地にできてましたね。
三浦:行政が関わるかたちというのもけっこうあるんですか?
井手:第3セクターが多いです。
三浦:やっぱり。
井手:僕らのとなり町のビールメーカーも第3セクターで、温泉とレストランと地ビールという、そういう第3セクターか、あとは日本酒メーカーが多いですね。
日本酒メーカーは冬が忙しいので、夏はビールを造って。
三浦:そういうかたちもあるんだ。ということは、けっこう投資規模が大きくなりますよね。機械みたいな。
井手:ただ、ブームと言ってもそれほど大規模にやる会社というのはなくて、数人ぐらいで、それ相応のお金はかかりますけれど、ちっちゃな設備を海外から持ってきたりとかして。
数人ぐらいでやられているメーカーがほとんどのなかで、ふつうの仕込み釜というのが1キロぐらい。1,000リッターの釜がだいたい標準で、多いところで2,000リッターぐらいなんですけど、我々は最初から、1キロの10倍の10キロリットル、10,000リッターという釜を作って。当時も日本最大で、現段階でも200数十社のなかで最大級の大きさなんですよ。
三浦:すごいですね。
井手:それを19年前から使ってるんですね。
我々だけは当時、圧倒的に最初からダーンとやったんです。それは星野の思いで、これぐらいもう大規模に造っていこうという事業計画でやってたんですよね。
山本:拡げたいということで?
井手:拡げたい。家庭で広く飲まれるようにしたいと。
でも、僕らもほかのメーカーもそうなんですけれど、1999年ぐらいをピークに、売り上げがずーっと下降線を辿っていったんです。280社ぐらいあったビールメーカーがどんどんつぶれて、もう200社を割っていって。
我々も4年も5年もずーっと売り上げが下降線を辿っていって、3つの悪いイメージがついちゃったんですよ。地ビールは「高い」「個性的すぎる」「おいしくない」というね。
おいしくないというのは、すごく未熟なメーカーがいっぱい事業に参入したので、我々プロが飲んでもおかしいと思います。
三浦:ははは(笑)。
井手:あってはならない香りがあって、発酵不良だとか、間違った味ができてるというのが、すごくあったんです。
そういうのもあったり、個性的すぎるから口に合わないとか、なんせ値段が高いというので、「1~2回飲んだら、もう地ビールはいいや」というのが全般的に蔓延しちゃって。
ブームが去って、次々に倒産していったり撤退していったりという苦しい時期が長く続きましたね(笑)。
山本:本を拝読しましたが、そのなかでどうしようかというところで、いろいろされていったんですよね。
井手:そうなんです。当時、私は営業で入ったんですけど、売れている頃は営業なんかしなくても注文が毎日いっぱい来ました。生産量以上に注文が来るので、むしろお断りをしてたというのが僕のメインの仕事だったんです。
例えば100ケース注文が来たら、「すみません。今回、注文が殺到しちゃって、100ケースの注文で30ケースぐらいしかお渡しできない」「なんだバカヤロー!」みたいな。
(会場笑)
井手:「じゃあ次いつできんだ!」「いやいや、次もですね、たぶん注文が殺到するので、ご希望の額には」なんて。「いつになったらちゃんと注文した分だけくれるんだ!」「いやぁ、それはちょっとわかりません」みたいな。「すみません」って謝るのが僕の仕事だったんです。
ブームが過ぎちゃうと、もうまったく注文が来なくなって、そして初めて1軒1軒酒屋さんとかスーパーの仕入れ担当の方に営業にようやく行くんですけど、門前払いですよね。もう地ビールは売れないから。
「今はもう地ビールなんて誰も飲まないし、よなよなエールもブームの時は売れたけど、今はぜんぜん売れないからいいよ。もう帰ってくれ」という感じで。
当時、我々はビールの賞とかも取っていて、品質もある程度業界のなかではよかったし、ファンもそれなりについていたんですけども。
ブームの落ち込みには、1社だけ頑張ったところでどうしようもない。だからなにをやっても、長野県ではテレビCMをやっても、ぜんぜんダメで。
山本:CMけっこうお金かかりますよね。
井手:長野県だけっていうのではできるんですが、それでも何千万円かかって。テレビCMやったら絶対売り上げが上がると思ったら、なんとテレビCMやってもまったく売り上げが上がらないんですよ!
山本:え~っ、テレビでも?
井手:もう詐欺みたいなもんですよ。何千万とかね(笑)。テレビCMやってるのに、売り上げがまったく上がらないんですよ。営業行っても門前払いでしょ? 挙げ句の果てには現金が当たるキャンペーンというのもやったんですよ。
赤字なんですけど、よなよなエールにちなんで「4,747円が47人に1人当たる!」という。
山本:ははは(笑)。すごい!
井手:ハガキ作ってポスター作って、僕が長野県内の酒屋さんとかに持っていって、「キャンペーンを今度やりますからお願いします!」。いざキャンペーンが始まって応募の期間が始まるわけですよ。「どれぐらい来るかな?」と思ったら、ハガキが返ってこないんですよね! 「みんな、お金いらないんだ……」と思って。
(会場笑)
井手:もう、なにをやってもダメでしたね。
三浦:逆風の時代に。
井手:そうなると会社の雰囲気も悪くなって、例えば、製造は「営業が売ってこないからダメなんだ」と。営業は、「製造がちゃんとしたものを造らないからダメなんだ」と。
三浦:なんか出版業界みたいです……。
(会場笑)
井手:ちょうど本業の星野リゾートがけっこう全国に出て行ったときだったので、星野がほとんどビール事業にタッチしなくなったんです。「そもそも社長がこの会社にいないのが問題だ!」と。
もっと言えば、根本的に「日本にこんなビールは受け入れられるはずがなかったんだ」と。やっぱりキリンさん、アサヒさんのビールだけで、こんな味が個性的なビールは日本では無理だったんだなんて言って、1人やめ、2人やめ、3人やめていって。
いや~な感じでやめちゃう。もう陰口・悪口が横行しちゃって、会社はお通夜みたいに暗いし。「なにか意見ありますか?」と言っても、誰も言わないけど陰でなんかいろいろ悪口を言って。
「星野がダメだ」「井手がダメだ」「営業がダメだ」とか言って、そういうのが回り回って聞くと、もう疑心暗鬼になるわけですよ。「え~っ、この人がそんなこと言ってんの?」なんて。会社が崩壊しちゃって、半分以上やめたという。
山本:半分以上……。
井手:それが一番つらい時でしたね。
三浦:まさにそれ、今の出版業界とまるで一緒の状況ですよ。
井手:本当ですか? 出版業界。
三浦:出版業界の人たち、まったく同じ状況ですよね(笑)。ここからどう建て直すかということですよね。出版社でもそうなんですよ。売れない場合、たいていは編集サイドと営業サイドに分かれて。
営業の子はだいたい「いい本作らない編集が悪い」と言うし、編集側は「いい本作ってるんだから、営業が売ってないのが悪い」とケンカになって。大変なことになりますよね。
井手:まさにそんな感じでした。
三浦:そんな感じ。今まさに続いてるから、(井手直行氏の話から)これを脱却するヒントがあるのかも。
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